after19 甘えん坊の白雪姫

 秋というには未だ暑さの続く、九月。夏休みの終了とともにその暑さも去ってくれればいいものを、二学期が始まってもなお、気温が三十度を超える日が稀によくある。

 そんな日はクーラーをガンガンにかけて、その上で毛布を羽織って寝るのが最高に丁度いいんだけど。

 などというバカな真似をしていたからか、私は盛大に風邪をひいてしまった。


「桜ー、熱どうだったー?」

「八度五分……」


 心配そうな顔のお母さんが、薬と朝ご飯を持って部屋に入ってきた。

 別に私は特別体が弱いと言うわけではない。だから普段は健康そのものなのだが、こうして一度風邪を引いてしまうと長引く上にがっつり熱も出てしまうわけで。

 おまけに頭は痛いわ喉は痛いわ、なんかもう全身が気だるいわ。風邪ってこんなにしんどいものだったかしら……。


「ごめんなさいね、私も今日は外に出ないとダメだから……」

「心配しすぎ。私も子供じゃないんだから、一人でも大丈夫だって」


 ベッドで寝ている私の頭を、お母さんが撫でてくれる。子供じゃないって言ったそばからこれだ。でもちょっと嬉しいし、しんどいのが紛れた気もする。風邪を引くと心細くなると言うのは、本当なのかもしれない。


「それじゃあ、行ってくるわね。ちゃんと寝てなさいよ?」

「分かってるって。行ってらっしゃい」


 最後に一つ忠告を残して、お母さんは部屋を出ていった。言われなくても、思う存分寝るつもりだ。

 さて。とは言え、さっきまでぐっすり寝ていたから、すぐにまた寝るというのも難しい。なにかしようにもその気力がないので、取り敢えずノソノソと起き上がって、お母さんが持ってきてくれた朝食のパンを食べることにした。薬を飲むためにも、まずはなにか食べなければならない。

 幸いにも食欲は失せていないから、嚥下する際の喉の痛みを我慢しながらもなんとか食べる。


「はぁ……」


 部屋に立てかけてある時計を見て、思わずため息が漏れた。時刻は現在八時半。そろそろ一時間目の授業が始まる頃だ。

 別に学校に行きたかったわけではないけど、数少ない友人や智樹と会えないのは、少し寂しい。

 小梅も学校だし、お父さんも仕事だし、この家に今私一人という事実が、その寂しさを余計に加速させる。


「慣れてるつもり、だったのだけど……」


 一人でいることがこんなに寂しいだなんて、昔の私からは考えられない。あの頃は一人が当たり前で、一人でいなきゃダメだって思い込んでて。

 でも今は、翔子がいて、理世がいて、綾子と樋山の後輩二人もいて、三枝も紅葉さんもいて、智樹がいる。

 彼ら彼女らは、私が風邪を引いたと聞けば心配してくれるだろう。そのことがなによりも嬉しいけど、そんな友人達に会えないのがなによりも寂しい。

 これは私が、弱くなってしまったからだろうか。もしそうなのだとしても、そんな弱さなら甘んじて受け入れよう。


 ふと枕元に視線をやれば、そこに置いてあったスマホがチカチカ光っていた。手を伸ばして取ると、ラインの通知が何件か。

 そう言えば、寝起きは今よりも頭が朦朧としていたから、智樹に連絡するのを忘れていたっけ。案の定、履歴の一番上には智樹の名前が。その下にはその他何人からかも心配のラインが届いている。

 そっちは後回しで、まずは智樹に報告しておかなくちゃ。


『小梅ちゃんから聞いたけど、風邪引いたんだって? 大丈夫なのか?』


 開いたトークルームの、今日届いた最初のメッセージ。時間は八時頃だから、私が起きて間もなくだ。そりゃ気づかないだろう。

 そしてその三十分後。つまりはつい先程のメッセージは、


『学校終わったらすぐ行くから、なにか欲しいものあったら言ってくれ』


 とあった。鍵はどうするつもりなのだろう。まさかあの智樹が、病人が一人で寝てる家にチャイムを鳴らすとは思わない。まあ、小梅から借りれば解決かしら。

 なんだか、教室でソワソワしてる智樹が眼に浮かぶ。ついでに、それを揶揄う翔子と三枝の姿まで。

 みんなして心配しすぎなのよね。私はいつから病弱キャラになったのよ。

 つい笑みを漏らしながらも、返事のメッセージを打ち込んだ。


『大丈夫、心配いらないわ。欲しいものも特にはないから、寄り道せず直ぐに来て欲しいくらいかしら』

『分かった』


 速攻で向こうから返事が来た。今授業中だと思うんだけど、レスポンス早すぎない? サラマンダーよりずっと早いわよ。

 まあ、いい。それだけ心配してくれてるということだし、つまりそれだけ私のことを考えてくれているということ。ここはいい風に解釈しておきましょう。

 その後他のメッセージにも返信していると、徐々に眠気が襲って来た。ベッドで横になって布団を被る。今日も今日とて相変わらず気温は高いはずなのに、熱のせいかそんなに暑く感じない。


「寂しい……」


 無意識のうちに呟いてしまった言葉は、音のしないこの部屋でやけに響いた気がした。

 ラインでやり取りしてしまったからだろうか、無性に智樹に会いたい。隣にいて欲しい。手を握って欲しい。

 それも、卒業してからの生活になれば、少しは変わるのかしら。

 なんてことを考えてるうちに、気づけば瞼を閉じていた。









 ふと目が覚めたのは、左手に妙な感触があったから。朦朧とした意識で、その正体を探るべくにぎにぎしてみたら、なんとなく覚えのある感触。

 ぼやけた視界に天井が映る。メガネを取ろうにも左手は塞がっていて、取り敢えず右手で目を擦ってみれば。


「ん、起きた? おはよう桜。よく寝てたね」


 夢にまでみた声が聞こえた。いえ、どんな夢を見てたのかは覚えてないんだけど。そもそも夢を見ていたのかすら怪しい。

 そこはどうでもよくて。

 絶望的な視力を誇る私の眼に映ったのは、メガネをしていなくても分かってしまう見慣れた顔。


「ともき……?」

「それ以外の誰かに見えたなら、僕は泣き寝入りするところだったよ。……っと、そういやメガネだったな」


 ほら、と手渡されたメガネをかけると、今度こそはっきりとその顔が視界に現れた。

 私の手を握ってくれている智樹は、柔らかい笑顔を浮かべていて。空いた左手で、ゆっくりと頭を撫でてくれた。優しい手つきが心地よくて、つい目を細めてしまう。


「体調はどうだ?」

「結構寝たから、マシにはなってるわ」

「それはよかった」


 智樹がいると言うことは、すでに学校は終わって夕方になってるのだろう。時計を見れば、現在時刻四時四十四分。ゾロ目だ。

 時間を考えるに、どうやら本当に、学校が終わって直ぐ来てくれたようだ。ちょっと、いえかなり嬉しい。

 取り敢えず起き上がり、体の状態を確認する。頭痛はまだ少し。喉もちょっと痛い気がするけど、気だるさはなくなってる。朝の寝起きに比べたら、思考もクリアだ。ただ、結構汗をかいてしまっているのが気持ち悪い。

 あとは熱を測るべきかと思っていれば、智樹の手がこちらの顔に伸びて来た。

 突然の行動に疑問を浮かべていると、前髪を掻き上げられて、おデコとおデコがごっつんこ。


「やっぱり、まだ熱はある──」


 顔が近かったので。取り敢えずキスした。

 離れてみれば、こちらを訝しむような目が二つ。恋人にキスされてその反応はちょっとどうなのよ。


「測るまでもなく熱があるようだね」

「どう言うことよ」

「熱に浮かされすぎだって言いたいんだ」

「そんなことはないわ」

「なら今のはなんなんだ」

「今のはあれよ、智樹に移したら早く治ると思って。もしかして、智樹は私にキスされるの、嫌だったかしら?」

「そんなこと一つも言ってないだろう……」


 はあ、とため息が落とされた。勝った。なんの勝負かは知らないけど。


「そもそも、キス一つで風邪が移るわけもないよ。僕は君と違って、定期的に運動してるし、これでも風邪を引いたことなんて人生で一度もないんだぜ?」

「なおさら移したくなってきたわね」

「明日も学校なんだからやめてくれ」


 そんなことより、と前置きした智樹は、私と繋いでいた手を離し、丸テーブルの上に置いてあるなにかを取った。メガネをかけていて尚壊滅的な私の視力は、それがなんなのかを捉えられない。

 目をよく凝らしてみれば、ぼやけたシルエットの正体がようやく掴める。


「……お粥?」

「君さ、いい加減メガネ買い換えたらどうなんだ?」

「嫌よめんどくさい。普段はコンタクトなんだからいいじゃない。それより、それ、智樹が作ったの?」

「うん。キッチンを見てみたら、お昼ご飯も食べてない様子だったからね。時間は中途半端だけど、お腹空いてるだろう?」


 言われて意識すれば、なんだかとてもお腹が空いてきたように思える。朝からぶっ通しで寝ていたからか。寝るのにも体力は必要なのだ。


「というわけで、ほら。遠慮しないで食べていいぜ?」

「食べさせてくれないの?」

「当たり前のことみたいに言うんだね」


 そりゃ、ねぇ? 恋人が風邪を引いてるんだから、それくらいしてもらわないと。なんというか、元気が出ないじゃない。

 それになにより。


「一人で寂しかったんだから、あなたにくらい甘えてもいいでしょう?」

「……そう言うことなら、仕方ないか」


 私が起きた時と同じ、優しい笑みを浮かべる智樹。なによ、生意気にもかっこいいじゃない。とは思っても、口には出せないけど。

 こちらに向けられた蓮華には、息を吹きかけて冷ましたお粥が乗っている。それをパクリと一口。お粥だから別に美味しいわけではないけど、不思議と口元が綻ぶ。


「随分美味しそうに食べるんだな。ただのお粥だぜ、それ」

「別に美味しくはないわよ?」

「うん、だろうね」


 だって、智樹が私のために作ってくれたんだから。いつもは私が作ってあげてるけど、今度智樹の家に行った時は、また彼に作ってもらってもいいかもしれない。

 なんだかんだで、両手で数えられるほどしか、智樹の料理を食べたことがないから。


「ほら、いいから次を寄越しなさい」

「お姫様の仰せのままに」







 さすがにあそこから寝る気にはなれなかったので、お粥を食べ終えたあとは、それはもう存分に甘えさせてもらった。

 手はずっと繋いだままだったし、服を着替えるのも手伝ってもらったし、体を拭くのはさすがに断られたけど。

 あと、ギューってしてもらった。頭も撫でてくれた。幸せすぎて死んじゃいそうだった。

 しかし、そんな時間もやがては終わりがやってきてしまう。


「さて、そろそろ帰るかな」

「え?」


 つい数分前に小梅とお母さんが帰宅したとは言え、まだ午後六時過ぎ。

 なのに、もう帰っちゃうの? 私まだ、甘えたりないんだけど。


「……そんな目で見られたら、帰りにくくなるな」

「どんな目よ」

「まだまだ僕に甘えたい、って目」

「分かってるなら、もっといてくれてもいいじゃない……」


 繋いでいる手をギュッと握る。

 普段から智樹に甘えてる節があるとは言え、ここまで際限なくと言うのも、きっと今日だけだ。体調から考えるに、明日になれば熱も下がって風邪も治っているだろう。

 だから、明日からはいつも通り。今日智樹が帰ってしまったら、次はいつ、こんなに甘えることが出来るのか分からない。

 不満げに智樹を睨んでいれば、彼は苦笑を浮かべて。おもむろに、私の体を抱き締めた。

 はふぅ、と息が漏れる。さっき抱き締めてもらった時にも感じた、彼の暖かさと、私を包み込む大きさ。でも、さっきみたいに力強くギューってするんじゃなくて。

 どこまでも優しく、まるで割れ物でも扱うかのように大切に。


「僕だって、本当は君ともっと一緒にいたいよ。でも、これ以上は色々我慢できなくなるからダメだ」


 吐息とともに、言葉が私の耳を擽った。

 我慢しなくてもいいのに、と思ったけど、それは口に出せない。智樹は私の体を慮ってくれているし、そもそもすでに小梅とお母さんの二人が帰ってきちゃってる。これ以上の我儘は、智樹を困らせてしまうだけ。

 でも。でも、あと一つだけ。

 そんな想いが伝わったのか、体を離した智樹から、触れるだけの小さなキスをされた。その後ポンポンと頭を撫でられて、なにか、胸にこみ上げるものがあった。

 鼻の奥がツンとして、それを紛らわすために智樹の胸に自分の顔を擦り付ける。


「おっと、どうした?」

「……なんでもない」


 全部、風邪のせいだ。いつもより甘えん坊になってたのも、ちょっと嬉しいことがあっただけで、泣きそうになっちゃうのも。


「明日、ちゃんと治して学校行くから」

「うん。待ってるよ」


 ボサボサの髪を撫でる手つきは、どこまでも優しい。どうしようもない名残惜しさを感じながら顔を離すと、最後にもう一度だけ小さく口づけを交わして、智樹が立ち上がった。


「じゃあ、今度こそ帰るよ。また明日、学校でね」

「ええ。また明日」


 部屋を出る後ろ姿を、ベッドの上から見送る。扉が完全に閉まったのを確認して、寝転び毛布を頭まで被った。


「ふふっ、ふふふっ……」


 だって、幸せすぎて、とても人様に見せられるような顔じゃなくなってるもの。

 ああ、早く明日にならないかな。

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