after16 この幸せに溺れてしまいたい。

 ちょうど一年、らしい。

 らしいと言うのも、一年前のこの日、私はそこに居合わせていなかったから、紅葉さんに聞いて初めて知ったのだ。


『夏目くんは見てて危なっかしかったから、わたしと秋斗くん以外にも誰か、見ていてくれる子が必要だったんだよね』


 電話越しにそう話す、私の一番の友達兼先輩は、どこか懐かしそうにしていて。

 だったらどうして、そこで私が出て来たのかと、今度は別の疑問が湧いてくる。


『ほら、大黒先生。あの人は元々、桜ちゃんを文芸部に入部させるつもりだったみたいだよ? わたしも先生に言われてから桜ちゃんのこと、たまに校内で見るようにしてたんだけど、夏目くんと似たり寄ったりだったからさ。じゃあもうくっ付けちゃえ! みたいな感じかな』

「随分と適当ね……。それに、その罰ゲームとやらも、どうせ恒例行事でもなんでもなかったんでしょう? 三枝が勝ってたらどうするつもりだったのよ」

『その時はまた別の方法考えてたよ〜』


 その別の方法とやらが気になったけど、なにか怖いので聞くのはやめておいた。

 ともあれ、一年経ったらしい。智樹が文芸部恒例(?)のババ抜きに負けて、私への罰ゲームを言い渡されてから。

 そんな会話を電話越しにしたのが、昨日。大学生活の近況を聞くつもりが、願ってもない情報を手に入れてしまった。

 今日は金曜日で、毎週末の恒例として、智樹がうちでご飯を食べて行く。だから学校終わりにそのまま小梅と智樹の三人で帰宅して、五人で食卓を囲んだ。小梅は陸上部に入ったらしく、早速顧問や先輩達から期待を集めているらしい。

 小梅のことだから大丈夫だとは思うけど、同じ一年や二年の先輩から嫉妬なんかを向けられないか少し心配だ。


「小梅ちゃんなら心配いらないんじゃないか? 君と違って、そう言うやつの対処も含めて、人間関係のやりくりが上手いんだろうし」

「一言余計よ。それよりそこ、アイテム落ちてるわよ」

「あ、ほんとだ」


 目の前のゲームモニターに映っているのは、某バイオでハザードなゲームの協力プレイ。智樹が見逃しかけていた赤ハーブを拾うよう指示して、調合が完了すると次のステージへ。

 なんと言うか、恋人の部屋に来てやるようなことじゃない気もするけど、大体いっつもこんな感じだから今更な気もする。


「でも実際、私の妹ってことで結構色眼鏡で見られたりしてると思ったんだけど、そこら辺も上手くやってるみたいなのよね」

「なら良いことじゃないか」


 チェーンソーを持ったゾンビのような敵、通称チェンさんを相手に、私と智樹が操作するキャラが戦っている。弾薬は十分補充したし、智樹のプレイスキルも問題ないから、最高難易度でも難なくクリアできるだろう。

 しかし、今はまだ四月だ。そろそろゴールデンウィークが見えてくるとは言っても、小梅達は入学したばかり。今後、どんな虫が小梅にまとわりつくか、分かったもんじゃない。私のこの手が真っ赤に染まるわよ。相手の返り血で。

 まあ、未来の話をすれば鬼が笑うと言うし、今から心配していても仕方ないのだけど。


「小梅ちゃんは君なんかよりずっと凄い子なんだろう? だったら、心配するだけ無駄だよ」

「随分容易く人のトラウマを抉ってくれるのね」

「気に障ったなら謝るぜ?」


 少なくとも、こうして軽口の中で出て来ても問題ないくらいには、そのトラウマとやらも払拭出来ているのだけど。智樹もそれが分かっているのだろう。言葉とは裏腹に、声音は随分軽いものだ。


「そんな事より」

「小梅のことをそんな事で片付けたことに関しては後で問い詰めるとして、なにかしら」

「いちいち怖いな……」

「いいから話しなさい」

「なら遠慮なく。最近、小泉の様子がおかしくないか? この前樋山から相談されたんだけど、君、何か知ってるか?」

「綾子の?」


 最後に野球部に顔を出したのは、確か先週の中頃だったか。智樹の馬鹿な企みに乗せられて、灰砂と友達にさせられた日の次の日。

 たしかに、その日は綾子と樋山の間で会話が少なかった気がする。となれば、なるほど。あの小さな後輩が自分の気持ちを自覚したのには気づいていたけど、そこからまた七面倒な考えに至っているのだろう。

 変わりたくないのに、変わってしまう。

 訪れた自身の心の変化に、思考が追いついていない。綾子のような理性的なタイプの子は、その辺りが面倒だ。感情論を理屈で片付けようとするから。綾子はなまじ、頭がいいばかりに、余計な思考を挟んで、遠回りをして、勘違いとすれ違いを経て間違えてしまう。それも一種の青春模様なのだろうけど。


「あなた、綾子と樋山のこと、どこまで知ってるの?」

「樋山が中学の時に告白した、くらいは」

「ついでに付け足すと、タイミングがすこぶる悪かった、と言ったところね」

「それに関しては、土下座でもしたい気分だよ。いや本当に」

「あなたはなにも悪くないでしょうに」


 ただ巡り合わせが悪かった。それだけの話なのだから。


「まあ、それを知ってるなら話は早いわ。あなたも私も、余計な口出しはなにもしないこと。いいわね?」

「いいのか?」

「可愛い後輩に助けを求められたら、そりゃ助言くらいはあげるけれど。ああ言うのは基本的に、本人達の力だけでどうにかするものでしょう」


 私達が、そうだったように。

 たしかに色んな人の力を借りたけど、最後の最後は、結局私と智樹、二人の問題になって、二人でどうにかするしかなかった。これは、綾子と樋山の二人も同じだ。

 どれだけの間違いを繰り返したとしても、それだけは間違ってはいけない。


「後輩達が可愛いのは分かるけど、私達が中途半端に介入するわけにはいかないわ」

「それもそうか」


 などと会話していると、私の放ったアサルトライフルの弾丸がチェンさんの頭にクリティカルヒット。見事撃退完了して、チャプターが終了した。

 キリもいいから、今日はここまで。会話しながら最高難易度のチェンさんを相手にしていたので、少し疲れた。


「休憩ね」

「ん、僕もちょっと疲れた」


 ゲームの電源を落とすと、隣であぐらをかいていた智樹が膝に倒れこんできた。仰向けに横になった智樹と目が合って少し呆れたような笑みが出てしまう。


「今日は随分甘えん坊ね」

「いつもは僕がしてあげてるんだ。たまには可愛い彼女に癒されたっていいだろう?」


 たしかにいつもは、私が智樹の膝を枕にしてるけど。それで一度、小梅に目撃されてしまったことがあったけど。

 男のくせにやけにサラサラの髪を撫でてやれば、擽ったそうに目を細める智樹。それがなんだか可愛くて。調子に乗って撫で続けていると、その左手を取られて頬にぴたりと当てられた。手の甲を通して、その頬から彼の体温が伝わる。


「どうしたの?」

「ん、いや、なんか、幸せだなーって」


 彼が取った私の左手には、薬指に銀色の輝きが嵌められている。学校に行く時はチェーンを通してネックレスにしているけど、それ以外の時はなるべく指に嵌めているそれは、智樹の左手にも同じものが。

 智樹は分かっているのだろうか。その何気ない一言が、私にとってどれだけ嬉しい言葉なのか。どれだけの意味を持つ言葉なのか。


「誰かと一緒にいて、こんなにも心休まる時間を享受できるなんて、思ってもいなかったからさ」

「ちょうど一年前までは?」

「……知ってたのか」


 改まってどうしたのかと思えば、やはりそのことらしい。恥ずかしそうに目を泳がせる智樹は、申し訳ないけどやっぱり可愛い。


「昨日、紅葉さんと電話してたら聞いたのよ。別に私から聞いてもないのに、懐かしそうに色々教えてくれたわ」

「あの人からだとは思ったよ」


 はぁ、とため息が一つ。それが左手に当たって、ちょっと暖かい。

 ちょうど一年前に、智樹が言い渡された罰ゲーム。私と智樹の関係を、明確に変えた転換期。その罰ゲームがなければ、今頃私と智樹はどうなっていたのだろう。

 考えるだけ無駄だ。たらればの話なんて、なんの生産性もない。けれど、考えてしまう。もしも智樹が、三枝にババ抜きで勝っていたら。紅葉さんは別の手を用意したと言っていたけど、今の関係に落ち着くことが、出来ただろうか。


「でも、僕はあの罰ゲームを受けて良かったよ。君にはそれ以前から付きまとわれてたけどね」

「失礼ね。まるで私がストーカーみたいな言い方じゃない」

「あながち間違いじゃないだろう?」


 否定できないのが悲しい。いやでも、そんなストーカーって言うほど執着してたわけじゃないと思うんだけど。多分。恐らく。メイビー。……ちょっと自信ないわね。


「それに、その罰ゲームがあっての今だ。君の両親は、僕を本当の子供みたいにこの家で出迎えてくれるし、小梅ちゃんも慕ってくれる。なにより、君を好きになれたのが、一番大きいかな」

「それはこちらのセリフよ」


 罰ゲームがなければ、果たして智樹は私のことを好きになってくれていたのか。自分の容姿には自信があるけど、それだけはどうしても不安になる。

 でも今こうして、智樹と二人、この幸せな時間を過ごすことが出来ている。結局は、この今が全てだ。


「だから、この幸せな時間をたっぷり味わっておきたいんだよ」

「ちょっと、もう……」


 急に寝返りを打った智樹が、腕を腰に回して私のお腹に顔を埋める。若干の擽ったさに身をよじらせはするものの、悪い気はしないあたり、私も相当、この幸せとやらに毒されている。


「もしかしてあなた、眠たいの?」

「こんな快眠枕があるんだから、眠くならないわけがない」

「全く……」


 チラリと見えた智樹の目は、いつの間にやら眠たそうに垂れ下がっている。泊まって行くのは良くあるから、またお父さんから着替えを借りたらいいのだけど、このまま寝られるのはちょっと困る。

 せめてお風呂には入ってもらわないと。て言うか、私もお風呂入らないとダメだし、コンタクトもそろそろ取りたいし。


「先にお風呂入っちゃいなさい」

「んー」


 聞いているんだかいないんだか分からないような唸り声が返ってきた。呆れてため息を一つ溢した後、膝の上で寝ようとしてる恋人を無理矢理起こす。

 うーん、それにしても私の恋人、やっぱり可愛いすぎなのでは? 膝枕で眠くなっちゃうって萌え度が高すぎる。


「ほら、目開けなさい」

「ん……」

「もう、仕方ないわね……。んっ」

「んむっ⁉︎」


 全く目覚める気配がないので、キスして無理矢理覚醒させることにした。ちょっとディープな方のキス。

 顔を離して、口の端から溢れる唾液を舌で掬えば、目の前には驚いた顔の智樹が。こんなキスだって、もう何回もしてると言うのに。今更なにを驚いているのか。

 いえ、突然されたらそりゃ驚くわよね。


「さあ、今のでちゃんと目覚めたかしら?」

「……目は覚めたけど、風呂に行く気にはならなかったかな」

「きゃっ、ちょっと、智樹っ……!」


 覆いかぶさるように抱き締められ、もう一度唇が重ねられた。

 口内に侵入してくる舌を迎え入れながら、抵抗の言葉とは裏腹に、私の腕はちゃっかりと彼の体を抱き締め返していて。

 もう少しだけ、この甘い痺れに溺れていよう。どうせその内、お母さんか小梅が呼びに来るのだろうし。

 なにより、こんなにも幸福で満たされているのだから。

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