after15 喧嘩するほど仲がいい
すれ違う一年生から、畏怖の眼差しを送られていることに気づくのは、意識してみればすぐに分かった。特に智樹と一緒に歩いてる時なんかが顕著だ。
二年生と三年生は最早見慣れたのだろうけど、入学して一ヶ月も経っていない一年生から見れば、それはそれは恐ろしい光景なのだろう。
だがまあ、そう言うのには慣れている。
嫌悪、侮蔑、畏怖。そのような感情を込められた視線なんて、昔から嫌という程浴びてきた。寧ろ親近感さえ湧いてしまうくらいに。
だからこそ、いくら隠そうとしても私はそれを見逃さない。見逃せない。もう何年もその餌食とされているのだから、いやでも分かってしまう。
そしてそれは、隣を歩く彼も同じで。
「さすがに不愉快だね」
いや、全くの同じと言うわけでもないんだろう。彼も過去の境遇故か、周囲からの視線、そこに込められた感情などの機微に敏感だ。ただ、辿ってきたその境遇とやらが全く違うだけで。
そんな智樹が移動教室の最中、私にだけ聞こえるくらいの声量で、呟きを漏らした。
特に鋭くもない普段通りの視線で、彼が周囲を見渡せば、こちらに向けられていた視線が蜘蛛の子を散らすように消えていく。
その代わりに、今度は声を潜めて話しているような気配も感じるけど。
「別に、私はどうとも思ってないわよ」
あまりにもおふざけが過ぎるような奴らならば、なにかしら手を講じることもあるけど。相手は一年生。それに悪意や害意を向けられているわけではない。ただ怖がられていると言うだけだ。ちょっと悲しくなるものの、不愉快だとは思わない。
下級生には慕われたかったと言う気持ちがないでもないが、私には小梅がいるし。あとついでに綾子も。
「あなたも私も、こう言った視線に晒されるのは慣れたものでしょう?」
「まあ、そうだけどさ」
先ほど述べた三つ以外にも、嫉妬や羨望、憎悪に好奇心。その他諸々色んな感情を向けられてきたから。私にとっても、智樹にとっても、日常と化してさえいるもの。
けれどそれを、智樹は不愉快だと断じた。
「桜が悪く言われてるのは、面白くない」
常よりも低い声は、そこに確かな怒りを込めている。
何度か聞いたことはあれど、普段は基本的に温厚な智樹の口からそんな声が出ることは、滅多にありえない。
去年のゴールデンウィークの時か、私の家で言い争った体育大会前か。思い当たるのなんてその二回だ。いや、なんで覚えてるのよ私。さすがに記憶力よくて気持ち悪いわよ。
だけど、思えばそのどれもが、私のためを思っての発言だ。自然と頬が緩んでしまうのは、致し方ないことだろう。ええ、だって嬉しいんだもの。
「ふふっ、嬉しいことを言ってくれるのね」
「惚れ直してもいいんだぜ?」
「これ以上惚れようがないから無理よ」
そうさせたいなら、上限解放の素材アイテムでも持ってくることね。その代わり、次の絆レベルアップまでは相当ポイントが必要だけど。本当、あれおかしいわよね。推しとの絆レベルがまだ上がる上に石を三十個も貰えるのはいいんだけど、どれだけクエスト周回すればいいのよ。
「でもやっぱりさ。君にも原因はあると思うんだよ」
「……まあ、否定はしないけど」
先日部室で聞かされたあの話は、完全に完璧に、一つの綻びもなく潔く反論を返せるわけではない。これがただのデマカセならどれだけ楽だったか。しかも、あの日は帰ったあと小梅に謝られる始末。
「こう言うのは、時間が解決するのを待つしかないことくらい、あなたも知っているでしょう?」
「もちろん」
それがどのようなものであっても、こと噂話と言うものは、時間が過ぎるのを待つしかないのだ。声を潜めて話している彼ら彼女らにとって、それは一種の娯楽に過ぎず。入学してすぐの今は私の悪評がブームと言うだけの話。どうせそのうち、誰かが誰かと付き合っただの、そんな話に上書きされていく。
更に厄介なのは、本人たちが何を言ったところで逆効果になることだろう。今回の私みたいなパターンは少し違うけど、仮にこれが誰かを嘲笑する類の噂なら。噂されてる本人がそれは違うと声高く叫んだところで、冗漫に決まってるだろなにマジになってるんだよ、と一笑に付されるだけ。
本当、高校生と言うのは厄介極まりない生き物だ。
「だけど、そうだな……。君のその、誰彼構わず喧嘩を吹っかけるような態度は、少し改めるべきだと思うけどね」
君はもう、誰かに嫌われようとする必要は、ないんだから。
そう付け足した智樹は、穏やかに笑っていた。その笑顔の理由は理解出来る。でも、今のこの性格は、変えようと思ってそう簡単に変えれるものでもない。
自らを偽り、強く見せるために着用した呪いの装備なのだ。外そうと思っても外せない。むしろ、これが私の一部になりつつある。教会でお金払って外してもらうしかないのだ。
でも、前よりも少しはマシになってる自信があるんだけど。そこんとこどうなのかしら。
それらをもちろん、智樹も分かっているだろう。そもそも、あれだけ罵詈雑言を浴びせた上でなおも好きだと言ってくれたのだ。智樹本人が私の毒林檎に嫌気がさしたとかではなくて。ただ、これは私を慮っての発言。
小梅に寄りかかることも、縛られることも、その両方の必要がなくなった私に対する。
「そうは言われても、具体案がないじゃない。どこぞの教会に行ってお金払えば、この性格治してくれるのかしら」
「そんなわけないだろう。人生はゲームじゃないんだ。でも、一つだけあるっちゃあるよ」
移動先の視聴覚室に到着した。席は出席番号順だから、白雪と夏目ではちょっと距離がある。
まばらにクラスメイトが集まっている視聴覚室内に入ると同時、智樹が開いた口から飛び出したのは、正直全力で首を横に振りたいような提案だった。
「君には、理世ともう少し仲良く、と言うか友達になってもらう」
絶対嫌。
即答しなかった自分を褒めてあげたい。
その日の放課後。どうやら口裏を合わせたらしい智樹と稲葉は生徒会室にやって来ず、ここにいるのは私と灰砂理世の二人だけ。
きっと、向こうは智樹の企みなんて知らないのだろう。さっきから素知らぬ顔で、なにかしらの書類を捌いている。各委員会や部活に新入生が加入したから、多分追加予算の申請とかその辺り。
しかし、私の恋人は一体何のつもりなのだろうか。一年生の間で回っている私の噂は、確かに私自身にもその一因があるとは言え、だからと言って彼女と仲良くしろ、というのは意味が分からない。そもそも、彼は本当に私と会計が仲良くなれるとでも思っているのか。むしろ私達の仲が険悪なのは、智樹のせいだと言うのに。
さて、とは言っても。灰砂理世と仲良くすることに対しては、メリットの方が多いのも事実だ。生徒会の円滑な運営もそうだが、智樹と彼女は一応友達と言うことになっている。野球部もあるから、自然と関わる機会は今後も多くなることだろう。智樹との関係は卒業後も間違いなく続けるのだろうし、その度に一々目くじらを立てていてはキリがない。
だが私と彼女で仲良くなれるような要素が一つもないのもまた事実。
そもそもの性格が合わないのだ。
私は基本的に一人で静かにしていたいし、好きなことに関してはお金を使うのを惜しまないし、誰彼構わず笑顔を振りまこうなんて思えないし、その笑顔で思ってもいないことを言うだなんて、更に考えられないし。あと、ブラックコーヒーとか飲めないし。甘い方が美味しいに決まってるでしょ。
このように、白雪姫とシンデレラは鏡合わせかと思うくらいに正反対なのだ。
そんな相手と、どうやれば仲良くなれると言うのか。むしろ普通に気の合う人と友達になる方法を教えてほしい。私が何年ぼっちやってると思ってるのよ舐めんじゃないわよ。
「白雪さん、さっきからなにソワソワしてるの?」
キーボードに打鍵する手を止めた会計が、怪訝な目をこちらに向けていた。手には自分で淹れたコーヒーを持っているから、小休憩らしい。
しかし、そんなにソワソワしているように見えたのだろうか。
「別になんでもないわ」
「せっかく心配してあげてるのに、つれないなー」
「心にもないことを言うもんじゃないわよ。あなたが私の心配とか、天変地異の前触れ以外の何物でもないじゃない」
「確かに」
こう言うところが嫌いだ。笑顔で嘘を宣って、その嘘を指摘されても同じ笑顔で肯定する。他の人に対してもそうなのかは分からないけど、少なくとも私に対しては、それが普通。その嘘が分かりやすすぎることが、私の苛立ちを加速させる。
「で? 本当はなにがあったの?」
しかし、会計は同じ質問を繰り返し投げかけてきた。これは心配とか、そんな類のものじゃないのだろう。
「智樹くんも稲葉くんも分かりやすすぎるよね。私達二人だけにするくらいなら、いつもは生徒会休ませるくせに」
まあ、そうでしょうね。これまでも数度、誰か二人が用事なりなんなりで生徒会に来れない時は、急ぎの仕事でもない限り休みにしていたのだし。
それが私と会計の組み合わせともなれば、生徒会を休みにしないわけがない。
これは智樹の計画の杜撰さを嘆くべきかしら。まあ、それを拒否せずに乗った私もどうかと思うけど。
「智樹に言われたのよ」
「なんて?」
「あなたともう少し仲良くなって、友達にでもなりなさい、って」
「また無茶振りだなぁ」
あはは、と苦笑いをこぼすのを見るに、会計も私と仲良くなんて、それこそ友達になるなんて、出来ないと思っているのだろう。
当たり前の思考だ。友達や恋人なんてものは、一方向からの感情だけで成立するものではない。二人、もしくはそれ以上の人間の感情がお互いの方へ向いた時だけ成立するものだ。
そもそもの話、会計と友達になれと言うのなら。まずはどこからどこまでが友達なのかを定義してもらわなければならない。恋人のような明確な境界線がないのだから、口先だけで友達だなんていくらでも言えるのだ。
「でも白雪さん、なんでそんな簡単に智樹くんの口車に乗ったの?」
「その方が話も早く済むでしょう」
「てことは、白雪さん的には私と友達になる気があったり?」
「そんなわけ……」
笑い飛ばしてやろうと思って、しかし続く言葉を止める。
私と会計が険悪な一番の理由は智樹だ。では、その要素を取り除いてみた場合。夏目智樹を排除して、白雪桜と灰砂理世の二人だけで関係を再構築してみた場合は、どうだろう。
確かに彼女は私と正反対だけど、それを言えば紅葉さんや翔子だって似たようなものだ。
気にくわないことは多々あれど、つまらない相手と言うわけでもない。
そうであるなら。
「いえ、いいかもしれないわね」
「えっ、本気で言ってる?」
目を丸くして本気で驚いている。失礼な。
これまでも、智樹がいなければいい関係を築けたかもしれない、なんて思ったことが無いわけではない。だから、智樹の存在を一度消してしまえば、不可能と言うことはないのではなかろうか。
「ええ、もちろん本気よ。それとも、あなたは私と友達になるのは嫌かしら?」
「別に嫌ってわけじゃないけど、なんか釈然としないなぁ……」
灰砂理世と友達になることで、大きなメリットがある。
そう、私との関わりを増やすことで、智樹との関わりを減らすのだ。そして私がいかに智樹のことが好きで智樹に好かれているのかを見せつけてやれば、彼女もそのうち諦めるだらう。
我ながら完璧の計画ね。
「綾子ちゃんとか翔子ちゃんが、白雪さんに懐いてる理由がなんとなくわかった気がするよ……」
はぁ、とため息を一つ吐き、脱力した様子で呟く会計。翔子はともかく、綾子には懐かれているのだろうか?
「白雪さん、他の人たちにも今みたいに接したらいいのに」
「別に、普段となにか変えてるわけでもないんだけど」
「少なくとも、いつもみたいに相手も場所も選ばずに毒林檎生成してるだけのいけ好かない高嶺の花の白雪姫よりは随分マシだと思うよ」
「あら、そう言うあなただって。愛想よく笑顔振りまいてるいつもの良い子ちゃんよりも、今みたいに負けヒロインらしく灰を被って汚く喚いてる方が幾分もマシよ? まあ、魔法をかけてくれる魔女はいないんだけど」
「喧嘩売ってるのかな?」
「お得意様にはサービスするタイプなの」
なんだかんだと、こんなやり取りに心地よさを感じている自分に、いい加減気づくべきなんだろう。智樹や三枝と交わす軽口とも違い、紅葉さんや翔子と笑い合うような楽しさでもなく、綾子や小梅に歳上として色々教えるわけでもない。
灰砂理世とだからこそ出来る、こんな喧嘩一歩手前のやり取りが、嫌いではないと言うことを。
「そもそも私、シンデレラを自称したこと一回もないんだけどね」
「私だって、白雪姫なんて自分から名乗ったこと一度もないわよ」
誰が言い出したのかさえも知らない。その内人魚姫だとか美女と野獣だとか出てきそうな勢いだ。三枝と紅葉さんは、美女と野獣にぴったりかもしれないが。残念ながら、紅葉さんは卒業してしまったし。
まずもって一年の頃からそう呼ばれてるのが本当謎なのよね。言い出しっぺ誰なのよ。私のどこが白雪姫で灰砂のどこがシンデレラなのか軽く小一時間ほど問い詰めたいわ。
「さて、では友達としてまずは親交を深めるところから始めましょうか」
「親交を深める前に、一回くらい私の名前呼んでくれてもいいんじゃない?」
「前向きに善処する方向で検討するわ。それで、まずは智樹の気にくわないところから話すって言うのでいいかしら?」
「あっ、それいいね。楽しそう。やっぱりまずはあの話し方かな」
「あと妙にカッコつけた笑い方もムカつくわね」
「あれで女の子に平然と可愛いとか言っちゃうんだから、一回頭のネジ全部外して新しいのに付け替えてもらった方がいいと思うんだ、私」
「錆びついてて簡単には外れなさそうね。いっそのこと一度壊した方が手っ取り早いかも」
果たしてこれで友達と呼べるかは分からないけど、少しくらいなら仲良くなることができたのだろうか?
少なくとも、私にとって灰砂理世が、ある意味で得難い存在だと言うことは、認識できた。それだけでも良しとしよう。
後日、この事を智樹に報告すれば、なんだか複雑そうな顔をされた。
あなたの悪口で盛り上がりました、なんて言えば、それも当然か。
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