after12 君と過ごす聖なる夜に(後)
改めてこの一年を振り返り、あまつさえそれを口にして話してみると。
なんだこの面倒なやつらは。
としか思えない。
明らかに両思いのくせして、お互い変な意地やこだわりを持っているから中々くっ付かない。そりゃ周りの人達から見たら、じれったいにも程があるだろう。
しかしそんな馬鹿みたいな僕達の話を、翔平さんは嫌な顔一つせず聞いてくれていた。途中からは加奈さんも聞き入っていて、桜はと言えば、恥ずかしそうにしながらも千佳ちゃんの相手をしている。
「いいなぁ……青春だなぁ……」
「私達は社会人になってから出会ったから、少し憧れるよ」
話し終えた後の二人の感想がそれだった。
確かに、僕達のあれやこれやを敢えて一言で纏めるのなら、『青春』以外に他ならないのなだろう。青臭い悩みを持ちながら、やがて来る春への道を歩く。それが僕一人ではなくて、桜も一緒に。
「まるでドラマみたいだ、と言えば陳腐になってしまうけど、そんな大恋愛を経たんだ。白雪さんのことは、大切にしてあげないとね」
「僕も男ですから。好きな女の子くらいは、大切にしますよ」
耳まで真っ赤になった桜が横目に映った。今更何をそんなに恥ずかしがっているのやら。僕のこんな軽口、いつもなら綺麗に流してるだろうに。
「桜ちゃん、愛されてるねぇ〜」
「お兄さんとお姉さんはらぶらぶかっぷるなんだよ! パパとママと一緒!」
「違うでしょ千佳、ママ達の方がラブラブの間違いよ」
真顔でなに教えてるんだこの母親は。千佳ちゃんはいつもこんなことを教えられながら、育てられているのだろうか。ちょっと不安になる。まあ、翔平さんがいれば大丈夫だとは思うけど。
その後シメの雑炊を頂き、いい時間になったことで店を出ることになった。いやはや、しかし美味しかった。さすがはふぐ。さすがは高級店。
スーパーで売ってるようなてっさは食べたことあるけど、もうそんなものとは一線を画す味だった。シメの雑炊まで完璧に美味しかったし。
そんな高級食材による鍋のお値段は、目が飛び出るほどの額になっていたのだけど、翔平さんから「先月のお礼だから、ここは私に払わせてくれ」なんて言われてしまえば、お言葉に甘えるしかなくなる。
いや、今の僕の持ち金だと、半分払えたかは怪しいところだったのだけれど。
「あんなに美味しいお鍋、初めて食べたわ……」
「僕もだよ。まさか母さんや桜が作る料理以外で、あんなに美味しいものが存在していたとは思わなかった」
「それは少し大袈裟過ぎるわよ」
店の外に出ると、夜風が身を震わせる。店に入る前よりも明らかに気温は下がっていて、これなら本当に雪が降ってもおかしくない。
寒がりな桜は首元のマフラーを口に寄せ、さむーいとはしゃぎながら抱きついてきた千佳ちゃんを抱き上げた。どうやら、千佳ちゃんを人間カイロにするらしい。
千佳ちゃんの顔に自分の顔を擦り寄せている。二人とも天使かな?
五人揃って歩いていると、程なくして駅の近くに辿り着く。現在時刻は二十時過ぎ。名残惜しいだろうが、そろそろ解散しなければならない頃合いだろう。
「今日はありがとう。夏目くんの話を聞けて良かったよ。千佳も、楽しんでいたようだし」
「いえ、こちらこそ。お会いできてよかったです」
「ほら、千佳。もう帰るから、お姉さんから降りなさい」
「や! まだお姉さんと遊ぶの!」
これまた、随分と懐かれてしまったようだ。千佳ちゃんはいやいやと首を振り、桜にギュッと抱きついている。
困ったような、嬉しいような、複雑な笑みを浮かべた桜が、千佳ちゃんをその腕から降ろした。そしてしゃがんだまま視線を合わせて、小さな友人を宥めるように言う。
「大丈夫よ。またいつか会えるから、その時にいっぱい遊びましょう?」
「……ほんと?」
「ええ、本当よ。ほら、指切り」
泣きそうな目の千佳ちゃんと、母性すら帯びた笑顔の桜が指切りを交わす。ゆびきりげんまんから始まる歌を二人で歌い、絡まった指を離した頃には、千佳ちゃんも笑顔を浮かべていた。
「さ、千佳。行くわよ」
「うん。お姉さん、お兄さん、ばいばい!」
大きく手を振る千佳ちゃんに僕達も手を振り返し、翔平さんと加奈さんとも挨拶を交わして、佐伯家の人達は去って行った。
その背中が見えなくなるまで三人を見送っていると、不意に桜が呟く。
「千佳ちゃん、いい子ね」
「君は随分懐かれてたじゃないか。寂しかったりするのか?」
「少しだけ。あなたこそ、私が千佳ちゃんに取られて嫉妬したりしてないでしょうね?」
クスリと、からかうように笑って問うてくる。桜の顔は尚も千佳ちゃん達の背中へ向けられているのに、まるでジッと視線を絡ませてしまっているように錯覚する。
「正直言うと、ちょっとはね」
「あら、器量の狭い男なのね」
「その男に惚れたのはどこの誰だよ」
「でも、嫉妬してくれてたなら、ちょっと嬉しいわ」
背中のあたりのむず痒さを誤魔化すように言えば、今度こそ僕の顔を見上げてきた桜が、また笑みを一つ。
千佳ちゃん達の背中はもう見えなくなっていて、桜はその笑みをそのままに、手を差し出してきた。銀色の輝きをその指に携えた、左手を。
「さあ、私達も帰りましょうか」
「ん、そうだね」
その手を取って、駅のホームまで歩いて行く。佐伯家の人達はJRだけど、僕たちは阪神電車だから逆方向だ。
そして、この時の僕たちは。千佳ちゃん達と会えたのが楽しすぎて、忘れていたのだ。
この後に待ち受ける、最大の試練を。
帰りはゆっくり普通電車に乗り、行きよりも時間をかけて辿り着いた今晩の宿である大黒家。
再びそこの玄関を潜ってから、漸く思い出した。
僕は今日、この家で。桜と二人きりで一夜を過ごさねばならないことを。
それを意識してしまえば、いつも通りに振る舞うことなんて到底出来なくて。リビングに入ってから、取り敢えず一息つこうと言ってキッチンに向かった桜を、ソファに座りながらもつい目で追ってしまう。
真に恐ろしきは思春期な自分。普段はちょっと気取ってる風の僕だって、年頃の男子だ。年がら年中発情してるようなバリピどもとは一緒にしないで欲しいが、そう言うことに興味があるのは否定出来ない。
好きな女の子と一夜を共に、なんて言われたら、意識するなと言う方が無理な話。
カウンターキッチンの向こうでコーヒーの準備をしている桜が、不意に顔を上げる。そちらを見ていた僕とは当たり前のように目が合って、最早予定調和のように同時に目を逸らした。
「も、もう少し待ってなさい」
「ああ、うん。わかってる……」
一瞬だけ見えた彼女の顔は赤くなっていて。つまり、桜もこの状況を意識してしまっていて。
これでは、昼間この家に来た時と同じだ。あの時は、まだ先送りに出来ると言う安心感があった。だから、二人でコーヒーを飲んでるうちに、自然といつもの雰囲気に戻ってくれた。交換したプレゼントの影響も、大きかったかもしれない。
でも、今は違う。プレゼントは既に渡し終えたし、今日はもう、あと風呂に入って寝るだけなのだ。
問題を先送りにするのは後々面倒になると、知っていたつもりだったのに。
だが今は後悔する時ではない。まずは落ち着くことだ。そう、なにもいつもと変わりはない。桜と他愛ない雑談をして、順番に風呂に入った後、別々の布団で寝る。この後の予定なんてそれだけだ。
間違えても、桜の祖父母の家で一線を越えるなんてことはあってはならない。
「智樹」
「……っ!」
背後から唐突に呼ばれ、肩が大きく跳ねた。振り返れば、桜がコーヒーとカフェオレを入れたカップを二つ持って来ており、それをソファの前のテーブルに置いた。
いや、本当、落ち着けよ僕。あまりにも意識しすぎだろ。桜に引かれるぞ。
「どうぞ」
「ありがと」
そう、ここはカフェインだ。コーヒーを飲もう。これで僕の心も落ち着いてくれるはず。
テーブルの上のカップを取り、ゆっくりと口元に運ぶ。黒い液体を喉に流し込めば、最早実家のような安心感を得ることすら出来た。
やはりブラックコーヒーは至高にして究極の飲み物。カフェインは世界の宝だよ。これを摂取しただけで落ち着ける僕が単純過ぎるだけかもしれないけど。
「その、この後のことだけど……」
「へっ?」
桜のその言葉で、僕の心の平穏は一瞬にして崩れ去った。ちょっとー! ブラックコーヒーもっと仕事してー! 至高にして究極じゃなかったのかよ!
「あー、えっと、この後のこと、だね。うん。今日はもう風呂入って寝るだけだと思うけど、どうする? 君から先に風呂に入るか?」
一応ここは桜の祖父母の家だし、一番風呂は譲ってしかるべきだと思っての提案だったのだけど。どうやら彼女の方は、全く違う考えのようで。
「……一緒に、入る?」
なんて、とんでもないことを言い出した。
その言葉に思考が停止すること十秒。そして再起動した脳みそでその意味を咀嚼するのにまた十秒。更にその光景を想像してしまうのに二十秒。合計四十秒ほどの時間をかけて、僕の顔は熟れたトマトよりも赤く染まってしまった。
そしてそんな僕に呼応するように、桜の顔も真っ赤になっていく。
「冗談のつもりだったんだけど……」
「君なぁ……」
言っていい冗談と悪い冗談があるだろう……。この状況においてのそれは完全に後者だ。いや、その提案は嬉しくないわけじゃないんだけどもね。
そして不意に思い出してしまうのは、体育大会前に、桜が我が家へと雨宿りに訪れた日のこと。あの日は桜が僕の家で風呂に入っていて、しかも扉一枚向こうで生まれたままの姿になっている桜を、扉に映った影とは言え見てしまって。おまけに、ボディソープかなんかがなくなったとか言って、裸のままでその扉を開き、腕をこちらに伸ばして来たりもしていて。
その時の光景を思い出してしまうと、隣に座っている桜の顔を直視出来なくなる。
もし。もしも僕が、桜のこの冗談を本気にしてしまえば。あの時隠されていた全てを、この視界に収めることが出来る。出来てしまう。
欲望が鎌首をもたげるが、それを脳内から追い出すために、カップに残ったブラックコーヒーを一気に飲み干した。
突然の僕の奇行に、隣の桜は首を傾げている。
「それ、僕が本気にしたらどうするつもりだったんだよ……」
「……一応、覚悟も準備も、しているつもりだけど……」
追い出したはずの欲望が戻ってきた。
いや、いやいやいや。え、出来てるの? 覚悟も準備も出来てるの? マジで?
待て、落ち着け僕、早まるな。たしかにこの状況は誰がどう見ても据え膳とか言うやつに他ならないけど、結論を急ぐな。この場で一線を越えるのはやばいってさっき決めたじゃないか。
自他共に認めるヘタレの本領を発揮すべきところだぞ、ここは。
でも桜と一緒に風呂……背中とか流してもらいたい……。
「桜」
「は、はいっ……」
彼女の目を見て呼びかければ、ピクリと肩が震えて身構える。らしくなく敬語で返事をするのがおかしく思えるも、それを笑う余裕が今の僕にはない。
真剣な表情で桜の顔を見つめて、僕は重々しく口を開いた。
「風呂は別々だ。君が先に入ってきてくれ」
「……」
ポカン、と。馬鹿みたいに呆けた表情が目の前に現れた。かと思えば次の瞬間には目が細められ、そこに温度らしきものが一切なくなる。
ああ、今となっては懐かしい。彼女が誰かに毒林檎を投げる時のそれだ。
「ヘタレ」
「ごめんなさい」
「意気地なし」
「おっしゃる通りです」
「女の子にここまで言わせたくせに、なにもしないなんて。万死に値するわよ。コンクリート詰めにして大阪湾に沈めましょうか? もしくはポートタワーのてっぺんから紐なしバンジー? 王子動物園のライオンの餌にしてあげてもいいけど」
「どれも勘弁願いたい」
「……お風呂の後も、一応は準備してたのに」
今それを言うのは卑怯だろう……。
ふんっ、と鼻を鳴らして立ち上がった桜は、リビングに置いたままだったカバンから着替えを取り出して、風呂場へと向かう。
「あとで覚えておきなさい」
そんな、不穏な言葉を残して。
果たしてどんな目に遭ってしまうのか、今からドキドキが止まらない。もちろん悪い意味でだけど。
三十分ほどかけて風呂から上がった桜は、メガネをかけて髪の毛をポニーテールに纏めていた。しかもパジャマはなんかモコモコしたやつで、正直めちゃくちゃに可愛かった。可愛すぎてここは天国なのかと錯覚したレベル。
そんな可愛い桜に可愛くないどころか最早怖いような声色で早く風呂行ってこいと言われ、さっきまで桜が入ってたとか変に意識してしまいながらも十分で風呂を上がった現在。
どうやら僕が風呂に入ってる間に、桜が客間で布団を敷いてくれていたようなのだけど。
「なんで一つしかないんだ……」
「おばあちゃんが、他は全部洗濯してるって……」
一度この家を出る前のあの電話は、桜の祖母からのものだったんだな。なんて、現実逃避のように考えてみるものの、目の前の布団がもう一つ増えるわけもなく。
そもそも、今はまだ二十三時だ。いつもなら全然起きてる時間。どころかゲームしたり本読んでたりしてる時間なわけで。眠気なんて全くないわけで。
そして桜は、この後の事も、準備してると言っていて。
「ねえ、智樹……」
僕を呼ぶ桜の声は、少しだけ震えていた。こちらを見つめている瞳は濡れていて、何故か、いつもはない妖艶な色気を感じてしまう。
「その、あなたが今日、その気がないのは理解したわ。だから、代わりに、一緒に寝るくらいは、いいでしょう……?」
僕を見上げてくる桜。その瞳から目を逸らさない。彼女は理解しているのだろうか。自分が今、どんな顔をしているのか。
迷子の幼子のような、けれど男を惑わす色香を放っていて。
そんな顔で乞われたら、頷く以外の選択肢は剥奪されてしまう。
「……分かった。今日は一緒に寝よう」
そう告げれば、桜はそれこそ花のような笑顔を浮かべて、僕の手を引き布団に向かう。そんなに一緒に寝たかったのか。
いや、折角のクリスマス。折角の聖夜。桜だって普通の女の子だ。恋人と少しイチャイチャするくらい望んでも、おかしな事ではないだろう。
二人で一つの布団に潜り込む。今と同じ距離感には何度もなったことがあるのに、なぜか今日は、そのどれよりも彼女と近づいている気がして。
風呂に入る前の覚えてろってのは、これのことを言ってたのか。確かに、僕にはかなり効果的だ。
「抱きしめて、ギュってして」
「うん」
ついに互いの身体は距離をゼロにして、少しキツイくらいに桜を抱きしめる。僕の胸に顔を埋めた桜がこちらに視線を絡ませた。かと思えば自分の体を上にずらし、目を閉じて口を突き出してくる。
これはつまり、お休みのキスをしろと。
まあ、一緒に寝ると決めた時点で、これくらいは覚悟していたし。そう思い、小さく唇を触れ合わせると、開かれた桜の目は不満そうに細められていた。
「……もっと」
「ちょっ、さくっ……!」
昼間に交わしたものより、更に熱い口付け。一度口を離せば、互いの間に淫らなアーチが掛かっていて。それを拭おうともせず、何度も何度もキスをする。
その熱と、彼女の柔らかさと、全身で伝えてくる愛を感じながらも、僕は一人思うのだった。
ああ、どうか。理性の糸が焼ききれませんように……。
翌日、寝不足のまま新幹線に乗り込んだのは、言うまでもないだろう。
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