after11 君と過ごす聖なる夜に(中)

 阪神尼崎から三宮駅まで向かう電車の中。

 どうも、桜の様子がおかしかった。いや、もう少し前に遡れば、あの僕たちの邪魔をした電話の後から。どうも、家に入った時まで戻ってしまったような、なにかを意識し過ぎてよそよそしいような、そんな感じ。

 怪訝に思い、家を出る前にどうしたのかと尋ねてみたものの、本人はなにもないの一点張り。ただし顔を赤くしながら。なにもないことはなさそうだけど、どことなく藪蛇の気配がするので、僕としてもそれ以上は突っ込まなかったのだけれど。

 そして三宮に到着して電車を降りると、今度はソワソワしだした桜。表情こそいつも通りの無表情なのに、それ以外のところで感情がダダ漏れになっている。

 楽しみだけど、久しぶりだから緊張する。

 まあ、そんなところか。見ていて可愛くはあるが、そんな調子で会っても、千佳ちゃんの方が困るだろう。


「君、少し緊張しすぎだよ。もうちょっと肩の力を抜いた方がいいぜ?」

「別に、緊張してるわけじゃないわよ……」


 やはりこの時期は日が沈むのが早く、十七時現在でも既に辺りは暗くなってきている。千佳ちゃん達との待ち合わせは十七時半。まだ三十分ほど時間があるとは言え、もしかしたら向こうも少し早く来たりするかもしれない。

 さて、それまでに桜の緊張が少しでも和らげばいいのだけど。


「ねえ」

「ん?」

「なにか面白い話でもしてくれるかしら」


 これまた随分といきなりだ。


「またとんだ無茶振りだね。緊張を紛らわすため?」

「だから、緊張してないって言ってるでしょ。その耳は節穴? もしくは腐敗物でも詰まってるのかしら。ただの暇つぶしよ」

「素直に認めた方が楽になるぜ?」

「いいから、なにか話しなさい」


 そんなに緊張してるのを認めたくないのか。別に、おかしな話でもないと思うんだけどな。


「具体性のカケラもない提案だね。君にしては珍しい。でもまあ、面白いかどうかは分からないけど、僕の友人の話をしよう」

「面白くなかったら蹴るわよ」

「雑だな……」

「三枝を」

「おいおい、僕は友人とは言ったけど、三枝とは一言も言ってないだろう?」

「あなたの友人なんて三枝くらいしかいないじゃない」


 失礼な。


「理世とか出雲とかもいるんだけど」

「私に語って聞かせるようなエピソードがあるのは、三枝くらいしかいないでしょ」

「それなら違いないね」

「で? その三枝がどうしたの?」

「昔、あいつが家に泊まりに来た時なんだけどさ。夕飯作るのを手伝わせたんだよ。醤油取ってくれって言ったのに、三枝のやつはとんかつソースを取りやがった。お陰でその日の夕飯に並んだ玉子焼きは、なんか微妙に不味いとも言えない、形容しがたい味になっちゃったって話」


 いや本当、あの時はマジで酷かった。どうして醤油ととんかつソースを間違えるのか意味わからないし、それで特別不味いわけでもなく、なんとなく食べられる範囲の味になっちゃって食べざるを得なくなったのも意味わからないし。

 三枝を二度とキッチンに立たせないと誓った瞬間である。


「八点」

「一応聞いておくけど、何点満点中?」

「百に決まってるでしょ」

「つまり?」

「三枝はリボルクラッシュの刑ね」


 哀れ我が親友は、本人のいない所で死刑が確定してしまった。ていうか、蹴るんじゃなかったのか。ヤバイやつじゃないかそれ。


「て言うか、あなたも入れる前に確認しなさいよ。どうやったら醤油ととんかつソース間違えられるの?」

「何食わぬ顔で渡されたんだよ。まさか間違えてるとは思わないだろう。まあ、玉子焼きで良かったけどね。これでもっと他のもの作ってたりしてたら目も当てられないことになってた」


 刺身とか寿司かける醤油をとんかつソースと間違えたりしてたら、多分大変なことになってた。


「で、これでちょっとは緊張が和らいだりしたかな?」

「……だから、最初からそんなのしてないわよ。何回言わせるの」

「君が認めるまで」

「ならbotのように延々と同じ言葉でも吐き出してなさい」


 いつもより毒が強いのがなによりの証拠だと思うけど、まあそれは言わないでおこう。触らぬ白雪姫に祟りなしだ。

 それから暫く雑談を続けていると、桜の緊張も本当に和らいで来たようで。その顔に笑みを浮かべるのが多くなって来た。

 そうこうしてるうちに、それなりに時間が経っていたのか、人混みの中に見知った姿が。直接会ったのは一度だけとは言え、忘れるわけがない。やがて小さな影が飛び出して来て、桜の方にとてとてと駆け寄ってくる。


「お姉さーん!」

「きゃっ」


 その勢いのままに抱きついた幼い女の子。佐伯千佳ちゃんは、受け止めた桜に抱き上げられ、キャッキャとはしゃいでいる。五歳児抱き上げる桜の意外な腕力に驚いていると、少し遅れて千佳ちゃんの両親、佐伯ご夫妻がやって来た。


「お久しぶりです」

「やあ、久しぶり。すまないね、少し遅れてしまったかな?」

「いえ、僕たちが早く着きすぎてしまってただけなので」


 千佳ちゃんのお父さん、佐伯翔平さんと、その妻である佐伯加奈さん。二人とも若く見えるが、もう三十代に突入しているらしい。

 メガネをかけた知的な翔平さんと、なんかもう雰囲気からして若々しい加奈さん。失礼を承知で言わせて貰えば、落ち着きがないとも言う。楓さんと言いうちの叔母と言い、僕の知り合いにいる大人の女性はもう少し落ち着いてくれないものか。

 加奈さんは僕との挨拶が終わって早々、桜の方に寄ってなにやらキャピキャピと話している。その視線はどうやら腕、正確には指先に向いているらしい。


「わっ、桜ちゃんその指輪どうしたの? しかも左手の薬指! もしかして?」

「ええ、まあ……」


 きゃーと甲高い声を上げる加奈さんに、桜は若干引き気味の様子。

 一方で僕の前に立っている翔平さんも、僕の指輪に気がついたのか、ニコリと優しく微笑んでみせて。


「白雪さんとは、仲良くしているようだね」

「たまに自分が怖くなるくらいには」

「それは良かった。さて、早速移動しようか。ここは少し、人が多すぎる」


 女性陣に声をかけ、翔平さんの先導で道を歩く。さすが地元民だけあって、翔平さんも加奈さんもある程度の人混みの中を迷いのない足取りで歩いていく。

 千佳ちゃんは桜の腕から降りて、二人手を繋いで仲良く歩いていた。

 やがて辿り着いたのは、三宮を北に五分ほど歩いたところにあった、ちょっと敷居の高そうなお店。佇まいからして値段も張りそうに見える。


「最近は寒いから、お鍋の店を予約したんだ。さ、入ろうか」


 そんなお店に、翔平さんは迷いなく入っていく。確か職業は警察だと言っていたし、公務員だからお金もちゃんと貰えているんだろう。いや、それにしてもこの高級感漂うお店はやばい。

 まあ、僕も親がそれなりのお金を貰っていたから、こう言うお店に入った経験がないわけでもないんだけど。問題は、僕の後ろで硬直する気配を見せた一般的庶民の桜である。


「ねえ智樹、このお店大丈夫? ドレスコードとかあったりしないわよね?」

「ないから安心しろ。仮にあったとしても、今日の君はいつも通り可愛いからなにも問題ない」

「かわいいからもんだいなーい!」

「ならいいんだけど……」


 僕の真似をして桜を励ます千佳ちゃん。微笑ましい光景だ。

 改めて、今日の桜の服装を眺めてみる。マキシ丈のスカートにあったかそうな黒のセーターを着て、上からベージュのコートを羽織っている。おまけに愛用のマフラーも。

 うん、やっぱり今日も相変わらず可愛い。

 だからそんなにソワソワする必要はないと思うけど、僕がそんなこと言ったとしても、今の桜に届かないのは経験上知っている。

 まあ、そうしてソワソワと落ち着かない桜も可愛いからいいんだけど。

 翔平さんと加奈さんに続いて入った店内は、明るすぎない照明にお洒落なBGMと、なんかもう料理を見るまでもなく高級感が漂っていた。桜じゃなくても気後れしてしまうだろう。神楽坂先輩とかなら慣れてるかもしれないが、生まれた時から庶民の桜と親の年俸の割に庶民的な生活をしていた僕では、やはりこの場に似つかわしくないのでは、なんて考えてしまう。

 寄ってきた店員さんの声も、そこらの居酒屋とか僕行きつけのラーメン屋みたいな元気なものじゃなく、とても上品なもの。その店員さんに案内され、お店の奥の個室へ。

 その中には既にお鍋に必要な諸々が揃っており、あとは具材を持ってきてもらうだけになっていた。

 翔平さんに促されたので、一言失礼して桜と上座に座る。勿論千佳ちゃんも。


「ちょっと智樹、こっち上座だけど」

「ははっ、気にしなくていいよ白雪さん。高校生の時分でそこを気にするのは素晴らしいと思うけど、君たちはお客さんなんだから」

「そうそう! 子供はそんな難しいこと考えなくていいんだよ!」


 桜の言葉を、翔平さんと加奈さんが笑顔で窘める。

 翔平さんの言う通り、一応こちらが客の立場になるとは言え、歳上の人を差し置いて上座に座るのは恐れ多いのも確かだ。けど、逆に向こうから促されてしまっては断れない。


「そういう事だから、君も早く座りなよ」

「あなた、たまに変に度胸がいい時あるわよね……」

「頼もしいだろう?」

「一周回って逆に怖いわよ」


 ため息を吐きながらも腰を下ろす桜と、既に座っていた僕の間に千佳ちゃんが座る。それから暫くもしないうちに店員がやって来て、各々ソフトドリンクを頼み乾杯の運びとなった。

 遅れて鍋の具材も持ってきてくれて、どうやら今日はてっちり鍋らしい。そう言えば食べたことがない。


「そうだ、桜。あれ、今のうちに渡しといた方がいいんじゃないか?」

「そうね」


 オレンジジュースを千佳ちゃんに飲ませてあげている桜に声を掛けると、それを中断してカバンの中から包みを取り出した。


「僕と桜から、千佳ちゃんにクリスマスプレゼントです。良かったら貰ってください」

「すまない、気を遣わせてしまったかな?」

「いえ、そんなことは。友達にプレゼントをあげるのは、当然のことですから」


 こちらに来る前、二人で四宮のモールに行き見繕ったものだ。気を遣うなんてとんでもない。寧ろ、この小さな友達と今より少しでも仲良くなれるように、なんて下心が丸見えのものだ。


「はい、千佳ちゃん。私とお兄さんからのプレゼントよ」

「ありがとー!」


 歳の割には丁寧な手つきで袋を開ける千佳ちゃん。その中から取り出したのは、桜とお揃いの花飾りだ。

 それを桜が千佳ちゃんにつけてあげれば、千佳ちゃんは嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「ふふっ、よく似合ってるわ」

「お姉さんとお揃いだね!」


 などと笑い合う二人の微笑ましい光景に、心が癒される浄化されそうになる。うんうん、やっぱ可愛いって正義だわ。


 その後、加奈さんも含めた女性陣がキャピキャピと話しているのを横目に、翔平さんと雑談を交わしながら鍋をつついていると、僕の両親の話になった。


「夏目くんのお父さんは、私もテレビでよく拝見していたよ。当時私がまだ学生の頃、夏目祐樹と言えばスターだったからね」

「家では、母さんの尻に敷かれてましたけどね」

「夏目くんは、野球をしてないのかな?」

「いえ、今はたまにですけど、学校の野球部に顔を出させてもらってます」


 一時期はグローブを触ることすら出来ませんでしたけど、と。戯けてそう付け足してみれば、翔平さんの目が興味深そうに細められた。

 折角の年の瀬だし、この激動の一年を振り返る意味も含めて、語ってみせてもいいだろう。

 初めて出会った去年の冬から、今日この日までを。

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