after10 君と過ごす聖なる夜に(前)
実を言うと、僕はクリスマスがそこまで好きではなかった。
街はカップルだけでなく、多くの家族連れで賑わい、僕や桜がよく行くモールの中なんて、セールなりなんなりしてるからその盛り上がりもひとしおだ。
その原因を辿れば、自然と暗い過去に直面してしまうのだけど。それ以外にも理由が一つ。
シンプルに、鬱陶しい。
冬の寒さとクリスマスと言うイベントを免罪符にして、街を歩くカップルはこれでもかと言うくらいに密着し、周囲の人になんの配慮もせずイチャイチャしだす。さっさとそこらのホテルにでも入れよクソッタレどもが。
まあ、好きではなかった、と言った通り、今となっては既に過去の話。今年のクリスマスはちょっと楽しみにしてたりしたのだ。
恋人のいる初めてのクリスマス。
それだけじゃない。その恋人と、初めて泊まりで旅行だ。
こんなの、楽しみに決まってる。
桜の祖父母の家に泊まると言うのは、なんともまあコメントのしづらい状況ではあるものの、事実だけを並べるならば、さぞ色気のあるシチュエーションだろう。
付き合って一ヶ月ちょっととは言え、もしかすると、なんて期待だってしないわけがない。
だがまあ落ち着け僕。先にも述べた通り、桜の祖父母の家に泊まらせてもらうのだ。そんな場所で行為に及ぼうなんて、間違えても考えてはいけない。
なにより、その前に。
僕たちは修学旅行の時に知り合った、千佳ちゃん一家と会う約束がある。こちらだってとても楽しみにしていたのだ。主に桜が。
だからまずは、それを楽しむべきだろう。
などと思っていたのも、ほんの数分前まで。
「嘘でしょ……」
「うん、まあ、僕は白雪家、じゃないな。大黒家の人が大体どんな人間なのか理解できたよ」
とある聖人の誕生日の前日。即ちクリスマスイブ。
そんな日に兵庫県は尼崎市までやって来た僕も桜は、とある一軒家の前で途方に暮れていた。
いや、途方に暮れると言うほどのことでもない。実際、この一軒家、白雪の祖父母の家には入ることが出来るのだから。
しかし中に入らず寒い外でいつまでも立っているのは、告げられた現実を受け入れられないから。
スマホを片手に項垂れた桜が、苦しげに呟いた。
「旅行行くんなら、もっと早く言いなさいよ……!」
まあ、つまりはそう言うことだった。
白雪の祖父母、楓さんと大黒先生の両親は、昨日から年末にかけ、友人と温泉旅行に向かってるらしい。
と言うのを、ここについてインターフォンを鳴らしても誰も出てこないから、今さっき桜が電話で直接聞いて知ったのだ。どうも家の鍵はポストの中にあるから問題ないらしいのだけど、着目すべきはそこではなくて。
「……取り敢えず、中入らないか? いい加減寒くなって来たし、千佳ちゃん達との待ち合わせにも遅れる」
「そうね……」
あまり考えないようにしよう。いや、そのうち考えなければならなくなるけれど、まずは千佳ちゃん一家と合流することだ。
待ち合わせ時間まで残り三時間。あれやこれやとしていると、あっという間に時間は過ぎてしまうのだから。
桜がポストの中から鍵を取り出し、それを使って家の中へ。
祖父母が二人で住んでるにしては大きい、二階建ての一軒家。玄関から見てすぐ目の前に階段があり、右手側にはリビングへの扉が。一先ず荷物を置くのに、そちらへ入らせてもらうことに。
「客間はリビングの向かいだから、寝るのはそっちね。二階はお母さん達の部屋だから、上がらない方がいいわ」
「ん、分かった。君はどこで寝るんだ?」
「だから、客間だって言ったじゃない」
「……」
「……あっ」
遅れて、桜も漸く気づいたらしい。
つまり、同じ部屋で一緒に寝ることになる、と。
目の前の綺麗な顔が徐々に赤くなって行く。逸らされた視線は忙しなくあちこちに泳いでいて。そんなのを見せられてしまった僕はと言えば、心臓がバクバクと煩く鳴り続ける始末。
ああ、クソ。落ち着け。落ち着けよ僕。もしかしたら、なんて期待に現実が追いついてきただけだ。大丈夫、まだ追い越してないから。
それに、寝床を問題とすべきはまだ先の話であって、今はさっさと準備することこそが大事なのだ。
熱を持った頬が冷却される気配も見せないまま、話を変えるべく口を開く。
「まあ、それはまた後で考えよう。ここから待ち合わせの場所まで、どれくらいかかる?」
「えっと、一時間かからないくらいじゃないかしら……」
千佳ちゃん一家、佐伯家の人達は、神戸市に住んでいるらしい。先日出会った神戸駅の辺りよりも、更に西。
しかし、待ち合わせは同じく神戸の三宮になっている。移動に大体一時間として、三十分前には到着しておきたいから、今から一時間後にはこの家を出たい。
「えっと、それじゃあ、どうしましょうか……」
「あー、うん、そうだね……」
あっという間に時間が過ぎるとか言ったの誰だよ。今から一時間、この変な雰囲気の中過ごせと?
二人きりで一夜を過ごすと言う事実を認識したからか、僕も桜も、何故か妙によそよそしい。二人きりなんて、今まで何度もあったはずだ。桜がうちに来た時なんて、その殆どがそうだったのだし。それこそ、二人で寝るのなんて、体育大会前に一度、昼寝とは言え経験してる。
そう、だからなにも遠慮することなんてない。いつも通り、いつも通り接していればいいんだ。
ところで、僕たちっていつもどんな感じだったっけ……?
「その、取り敢えず、お茶を淹れるわね……」
逃げるようにしてカウンターキッチンへと向かった桜。正直ありがたい。
もうこの際カフェオレだろうがミルクティだろうがなんでもいいから、一息ついてこの変な雰囲気を払拭させようそうしよう。
大きめのソファに座らせてもらい暫く待つと、桜がカップを二つ持って戻ってきた。それを目の前のテーブルに置き、なぜか僕の隣に腰を下ろす。なんで?
いや、まあ、おかしな事ではないと思う。これが修学旅行前ならいざ知らず、今は彼氏彼女の関係なのだから。でも、今この雰囲気の中でどうしてわざわざすぐ隣に座るのか。このソファ、大きいからちょっと離れてても大丈夫だよ?
ちょっと距離を取るために横にずれれば、桜はその分また僕に近づいてくる。その顔はいつも通りの無表情だけど、頬がほんのりと熱を持っているようだった。
先程受け取ったカップを口に運ぶ。中はブラックのコーヒーで、冷えた体には丁度いい温かさだ。
流れる無言の時間。リビングから見える庭先には、ビワの木がなっている。天気予報は一日晴れだったけど、せっかくだから雪が降ったりしないかな、なんて思ったり。
いつもの距離感と、いつもと違う僕の心情。けれどどうしてか、この瞬間がとても穏やかなものに感じられて。
色々と変に意識してしまっていたのは確かだけど、やっぱり、この子が隣にいると、とても安心する。勝手に心が満たされてしまう。
気がつけば払拭されていた気まずい雰囲気。隣の桜がテーブルにカップを置いて、急に立ち上がった。彼女のカップの中身はどうやらいつものカフェオレらしい。
「どうした?」
「クリスマスプレゼント。今のうちに渡しておこうと思って」
「ああ、なら僕も」
二人でそれぞれのカバンの中を漁って、本当は夜にでも渡そうと思っていた、ラッピングされた袋を取り出す。
一方で桜は、ラッピングもなにもない普通の袋。しかもそれは、僕の記憶が正しければ、某アニメショップのものだ。
果たしてなにをプレゼントされるのかと期待半分不安半分。やがてその中から桜が取り出したのは、紺色のセーターだった。
その袋からセーターなんてものが出てきたことに、僕は困惑するばかり。頭の上ではてなマークが踊る。多分タップダンスとかしてるんじゃないかな。
「翔子に教えてもらって、編んでみたのよ」
「え、手編み?」
「ええ。その方がプレゼントっぽいじゃない?」
ふふん、とドヤ顔の桜が銀河一可愛い。
どうぞ、と渡されたそれを取って見てみると、初めてとは思えないくらいしっかり作られていた。井坂に教えてもらってとの事だから、僕の寸法もその時に聞いたのだろう。文化祭の時に測られたし。
次いで、今着てるセーターを脱いでから、紺色のセーターに袖を通す。やはり大きさは問題なく、それでいてとても暖かい。
「ありがとう。大事に着るよ」
「どういたしまして」
今日は早速、これを着て過ごすとしよう。千佳ちゃんに自慢してもいいかもしれない。
さて。桜はわざわざ手編みのセーターを作ってプレゼントしてくれたわけだが、生憎と僕は手作りのものという訳ではない。そもそも、これをハンドメイドする時間もお金もなかったし。
手元にあるラッピングされた袋を綺麗に剥がし、その中から取り出した二つのそれを、桜に見せる。
「はい、これ。僕から」
「これ……」
「ほら、手出してくれ」
こちらに差し出される、桜の左手。その手を取り、白く細い、綺麗な薬指へ、ペアリングの片割れを嵌めた。
桜は惚けた表情で、自分の左手を見つめている。そこまで高価なものでもないから、あんまりマジマジと見られるのは恥ずかしい。
「どうして……」
「体育大会前だっけか、言ってただろう? 指輪を贈るのは、所有権の主張だって。まあ、つまりはそう言う事だよ」
因みに、贈る度胸もないくせに、とかも言われた。だからと言うわけでもないのだけど、そもそも桜は可愛いのだから、男避けにも指輪は丁度いい。
それに、相手への愛情を一番示せる贈り物が、指輪だったから。
桜の指の大きさは、小梅ちゃんに協力を頼んだ。その際非常にからかわれたりしたのだけど、こうして無事に渡すことが出来たのだから、小梅ちゃんには感謝だ。
残ったもう片方の指輪を、僕も自分の左手薬指に嵌める。
「智樹」
「ん? ……っと! どうしたいきなり?」
名前を呼ばれたかと思うと、桜がいきなり僕に抱きついてきた。背中に回された腕はめいいっぱい力を込めていて、胸に埋められた顔はどんな表情をしているのかよく見えない。
「ありがとう。とても、とても嬉しいわ」
口を僕の体に押し付けてるからか、声は少しくぐもって聞こえる。けれど、そこからは隠しきれないほどの喜色が滲んでいて。
僕の胸から顔を離した桜と、目が合う。澄んだ空のように美しい、その瞳と。
「好き。大好きよ。あなたのこと、愛してるわ」
「うん。僕も、君が好きだ」
これまで見てきた中で、一番可愛くて綺麗な笑顔が、自然と近づいてくる。
長い睫毛が伏せられる。
吐息が口先に当たる。
やがてその距離がゼロになり、柔らかい感触が唇に、甘い痺れが脳髄に染み渡った。
交わす抱擁は力強くて。
いつもより、少しだけ長く、熱いキス。
離れた顔は真っ赤になっていて、物足りなさそうに僕を見つめている。
それに応えるように、再び顔を近づけ──
ソファに置いていたスマホが、けたたましい音を上げた。
完全に不意を突かれた挙句、あまりにも大きな音だったので、二人して肩を大きく震わせる。そうして互いの顔をまた見合って、自然と笑みが漏れた。
「ふふっ。中々締まらないわね」
「まあ、こんなもんだよ」
最後にとても小さなキスを交わして、桜がスマホの方に向かう。
どうやら電話だったらしく、それを取って何事か話し始めた。
その姿を見ながら、もしもスマホの着信がなければ、僕と桜は、どこまでしていただろうかと考えてしまう。
あの瞬間。僕も桜も、理性と言うブレーキが完全に働いていなかった。
まだ真昼間だと言うのに。こんな調子で、夜寝る時は本当に大丈夫なんだろうか。
一抹の不安を抱えるも、それを頭の隅に追いやる。
まずは、千佳ちゃん達と会うのを楽しむことにしよう。
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