after9 変わりたくなんて、なかったのに。
人間関係における駆け引き。そう言うのに私は向いてないと、最近よく思うようになった。
それは多分、私の周りにいる先輩達の影響だと思う。
例えば。夏目先輩はいつも飄々とした態度な上に、口も無駄に達者。相手から言葉を引き出すのが上手い。
あるいは。理世先輩は友達も多くて、男子からもモテて。ただ純粋にコミュニケーション能力が高い。
他方で。白雪先輩はコミュニケーション能力こそ高くないものの、持ち前の頭の良さとかつて孤立していた境遇故か、他人の悪意などに頗る敏感。おまけにあの毒林檎。
私よりも経った一年早く生まれただけなのに、対人能力に関しては三人とも、私なんかよりも秀でている。
考えるよりも先に、口が出てしまう。
それが私の悪癖だと自覚はあるけど、自覚した程度で治せるものでもない。出来たなら、とうの昔にしているし。一学期のころ、夏目先輩や白雪先輩と険悪になったりもしなかったと思う。
だからこそ。そこから転じて。それらの極致とも呼べるような、恋愛なんてものに、私は向いていない。
高校生にもなれば、誰かを好きになったり、誰かから好きになられたり。そうして誰もが恋をする。なにも高校生だけじゃない。いい歳した大人だって。まだ小さい幼稚園児だって。
面倒くさい人間代表みたいな、夏目先輩と白雪先輩だって。
誰かを好きになったからこそ、色んなことが出来るようになるんだと思う。実際、今日も今日とて寒い中、野球部の練習を見に来た白雪先輩が良い例だ。
まさかあの白雪姫が、スポーツドリンクを持って練習中の男子を待つなんて、マネージャーまがいのことをするとは。そんなの、想像しろと言われても無理な話。まあ、私はまだ一年だし、白雪先輩は夏目先輩とセットみたいな先入観があるから、寧ろこの姿の方がしっくり来るんだけど。他の生徒はその限りじゃないと思う。
「浮かない顔ね」
私の隣でベンチに座り、グラウンドの夏目先輩をずっと見ている白雪先輩。
こちらには全く目を向けていないはずなのに、そんな声が届いた。一瞬私に向かって言っているのだと理解出来なかった。
相変わらず、どこに目をつけてるのか分からない人だ。
「そうですかね。私は、いつも通りのつもりですけど」
「『いつも通りのつもり』ってことは、それを心掛けてるってことでしょ。もうその時点で、いつも通りとは言えないわよ」
本当に、自覚があったわけではない。けれどこの人がそう言うなら、私は浮かない顔とやらをしてしまっているんだろう。その言葉を鵜呑みにできるくらいには、白雪先輩のことを信頼している。
「部活のことでなにか心配事でもあるの?」
「いえ、そう言うわけでは……」
「ふぅん……」
問われた言葉を曖昧にして返せば、白雪先輩の目が、ついに私を捉える。
ジッとこちらを見る、澄んだ蒼い瞳。まるで神様が手ずから作ったかのような美しい造形の顔。それに見つめられると、妙な緊張感を覚えてしまう。その目にいささか以上の含むところを感じられるから、尚更かもしれない。
いや、もしくは。自分を悩ませているものの正体を、私自身でも薄々勘付いているから、か。
「な、なんですか……」
「樋山のことでしょ」
「……」
「いえ、少し違うかしら? 樋山のことを考えちゃってるのは結果論でしかなくて、根本的な悩みはもっと別のところ?」
この人、怖い。
え、嘘でしょ。なに、エスパーなの? なんでそこまで分かっちゃうの?
まあ、夏目先輩のあれやこれやを一日考えただけで察しちゃうような人だ。本人でも無自覚レベルのそれを容易に見抜くのだから、私程度の悩みなんて、一目で分かってもおかしくない。
や、おかしいけど。普通の人はそんなエスパーじみた真似できないでしょ。
そしてこの調子なら、私の悩みにも気づいてるんだろう。これを悩みだと一言で言い表すのは、少し抵抗があるけど。
「それで? あなたは何に悩んでいるのかしら。頼れる先輩に相談してみなさい」
ここでわざわざ私の口から言わせたり、自分のことを自分で頼れるとか言っちゃうあたり、さすがは白雪先輩って感じだ。性格の悪さが滲み出てる。
視線をグラウンドの方に戻せば、バッティング練習からノックに移るようだった。部員達が各ポジションに分かれ、夏目先輩がノック用のバットを取りにこちらへ戻ってくる。
本当なら、私も手伝うために行かないとダメなんだけど。
「智樹。ちょっと綾子借りるから」
「別にいいけど。じゃあ小泉の代わりは?」
私のノックでの主な役割は、夏目先輩へのボールの受け渡しだけど。本分はそこじゃない。ボールを渡しながら各部員達の状態を逐一把握。先輩に打つ場所の指定。そのワンプレイにおける各ポジションの動きを観察して、それを参考にまた先輩に打つ場所の指定を繰り返す。
このマネージャーとしての能力だけが、私の取り柄だ。別の人に同じことが出来るとは思えないけど。
「打ちながら見るのはあなたでも出来るでしょ。後で綾子に報告しときなさい」
「無茶言うなよ。どれだけ難しいと思ってるんだ、それ」
「ボールは会計にでも渡して貰えばいいでしょ。ほら、もう待ってるわよ」
ホームベースのあたりを見ると、既に理世先輩がそこで準備していた。さっきまで私たちの近くにいた筈だけど、どうやらこちらの会話が聞こえていたらしい。色々と察してくれたのかな。
「……分かった。その代わり、報告はあまり期待しないでくれよ」
ため息混じりにそう返して、夏目先輩が去って行く。ああ言いつつも、それなりの報告はするのだろう。なんだかんだ、野球に関しては天才的な才能を持っているのだから。私とは違った視点で色々話してくれるからありがたい。
「さて。話をしましょうか。今なら私以外には誰も聞いてないわよ?」
「……そうですね」
夏目先輩から伝染してしまったか、私まで思わずため息が。この人に話す義理はないとは言え、誰かに話してしまったら、少しくらいは気が楽になるかもしれない。
ノック用の木製バットが快音を鳴らしたのを合図に、私は口を開いた。
「なんか、面倒くさいんですよね。人間関係って言うのが。誰かの顔色伺って、誰かのご機嫌を取って。それで何かが変わるわけでも、何かになれるわけでもないのに」
クラスの誰もが。校内の誰もが。社会の誰もが。
それどころか、この世界中の人間全てが。
誰かに好かれるために、顔色伺ってゴマをすってご機嫌取って、いつかは私も、されを強要される。協調させられる。
そんな煩わしいこと、やりたくもないのに。
今みたいに、ただ好きなことに熱中するだけの人生を送りたい。いつまでも、修二や夏目先輩みたいな立派な野球選手を支えられる、そんな毎日を送っていたい。
そりゃ私だって、女の子なんだから。誰かを好きになったりするのかな、なんて想像することもある。
「ねえ。あなた、樋山から告白されたんでしょう? それ、どうするつもりなのよ」
「なんですかいきなり」
「いいから、答えなさい」
先日、白雪先輩に教えた話だ。中学二年の時に修二から告白されたと。
どうせ修二も忘れてるだろうから、どうしようかなんて今まで考えてこなかった。あの当時は、いきなりのことでビックリしちゃって、それで取り敢えず時間を貰ったんだっけ。
でも、この前白雪先輩や理世先輩や他のマネージャーの前で話してから、その事が頭の中でグルグル回ってる。
改めて考えてみるも、私の中に答えは浮かんでこず。頭を悩ませてる私の頭上に、白雪先輩の声が降ってきた。
「人を好きになるってね、とても苦しいことなの。寝ても覚めてもその人のことしか考えられなくて、気がついたら目で追ってて。今何してるのかとか、体調崩してないかとか、直ぐに気になっちゃう。少しでも一緒に居たいのに、でも実際会ってみると、ちゃんと顔がみれなかったりする。もはや呪いのようなものよ」
その言葉の意図をイマイチ掴めず、首を傾げてしまう。かつての自分や今の修二がそうなのだと伝えたいのか、そんな呪いに自分からかかるもんじゃないと警告しているのか。
怪訝そうに隣の綺麗な顔を見つめてみれば、クスリと笑みが一つ。いつものような嘲笑の類ではなく、夏目先輩によく見せている、優しくて穏やかな笑み。
この人が自分の恋人以外に、こんな笑顔を見せるなんて。同性の私でも見惚れてしまうのだから、夏目先輩が惚れるのも当然か。
「でも、そうやって四六時中想える相手がもしいるなら、煩わしいとか面倒だとか、思わないじゃない?」
「まあ、それもそうですね。私にそう言う相手が出来るとは思いませんけど」
修二は、どうなんだろ。私にとって、そう思える、それだけ想う事が出来る相手なんだろうか。
分からない。
なら私は、彼になんて返事をすればいいんだろう。
昼から夕方にかけての練習が終了して、いつも通り修二と二人、浅木の家へ帰宅した。私達の家は夏目先輩の家よりも少し南の方にある、住宅街だ。一軒家がいくつも立ち並んでいて、私と修二の家は隣同士。
だからいつでも互いの家を行き来する事ができて、高校生になった今だって、暇さえあれば修二の家の修二の部屋に入り浸っていた。
今日も、一度家に帰ってお風呂に入って夕飯食べて。練習中の白雪先輩との会話が忘れられなかったから、こうして修二の部屋に来ちゃってるんだけど。
「なあ綾子」
「なに?」
「前も言ったけど、お前、風呂上がりにこっちくるのはどうなんだ……」
絨毯の上に座りベッドに背中を預けながら漫画雑誌を読んでる私を見て、勉強机の椅子に座った修二が呆れたようにそう言った。
確かに前にも一度言われた事があるけど、なにを今更。小さい時は一緒にお風呂入ってたくらいなのに。
「別に良いじゃん。もう日課みたいなものなんだし」
「あのなぁ……。一応年頃の男と女なんだから、そこらへんもうちょっと気を遣えよ」
「今更修二に気を遣うとか、面倒くさい」
そもそも、それこそ私が忌避しているものに他ならないのだから。
でも、私がそう思っていても。こうやって周囲が変わってしまって、いつまでもただの幼馴染じゃいられなくなる。
私と修二の関係だけは、なにがあっても変わらないと思っていたのに。
高校生になって、将来を見なければならなくなって、面倒な人間関係に囲まれて。そうなれば、嫌でも現実を直視しなければならなくなる。
いつまでも変わらない関係なんて、どこにもないんだと。
この部屋一つしたって、小さな頃から何度も模様替えを繰り返し、変化を迎えている。勉強机やベッドは大きくなって、本棚の中にある野球雑誌は数を増やして、私達が大きくなったから、気がつくと狭く感じる、この部屋。
「綾子」
「なに?」
「なにかあったのか?」
そんなに分かりやすいのだろうか。修二は純粋に不思議そうな顔で、私を見つめる。
いや、そもそもの性能自体がチートじみた白雪先輩と、付き合いの長い修二だから気づかれただけかもしれないけど。
しかし、その質問にはどう答えたものだろう。なにかあった、と言うのはまあ、正しい指摘ではあるけど、それを上手く言語化できる気もしない。
だから、取り敢えず聞いてみようと思う。
「ねえ。修二はさ、まだ私のこと好き?」
「えっ」
私の問いかけに、修二は面食らったような顔を見せる。次いで頬が徐々に朱に染まっていき、ついに私から目を逸らした。
ああ、見覚えがある。告白して来た時も、確かこんな感じだったっけ。
答えを待つ間、考えてしまうのは白雪先輩の言葉。誰かを好きになるのは、呪いのようだと言われた。いつもその人のことを考えてしまって、気がつけば目で追ってしまって、なにしてるのかとか気になっちゃって、ちょっとでも一緒にいたくて。
そんなの、私に該当する相手は──
「……好きだよ。まだ、お前のこと好きだ」
いない、はずなのに。
言葉が耳から胸の奥まで浸透して、顔が徐々に熱を帯びていく。ゆっくり、ゆっくりと。
たった今言われたばかりの言葉が、脳内で反響して。だから加熱は止まることなく、体全体に熱が広がる。
どうして。なんで。おかしい。こんなはずじゃ。
困惑ばかりが浮かんでは消え、思考回路が焼き切れる。
今更ながら、白雪先輩の言葉の意味を理解した。あれは警告でも自慢でもない。早く気付けと、私の背中を押していたのだ。あの人の場合、押していたと言うより、蹴り飛ばそうとしてたって方がピンとくるけど。
「綾子……?」
「帰る」
「えっ、ちょっ……!」
「じゃあねおやすみまた明日」
戸惑う修二の声も無視して、逃げるように部屋を出た。リビングにいた修二のお母さんに一応挨拶してから、修二の家を出てすぐ隣の自宅へ。部屋に入るなりベッドにダイブし、枕に顔を埋める。
「……こんなはずじゃ、なかったのに」
変わってしまうのは、私を取り巻く世界だけじゃない。
私の心も、変わってしまう。
なら、私達幼馴染の、今の心地よい関係は、どう変わってしまうんだろうか。
変わりたくなんて、なかったのに。
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