after8 人誑しの才能
あの日。俺の世界は崩壊した。
少しばかり言い方が大袈裟かもしれないが、なにも間違っちゃいない。俺と言う個人を形作る世界は、その時まさしく崩壊し、破滅し、蹂躙の限りを尽くされたのだから。
それは例えば、自然災害である地震や雷のような。そう、雷だ。俺はあの瞬間、全身が雷に打たれたんだ。
そうして俺の世界は終わりを見せ。
同時に、新しい世界が創造された。
終焉を迎えたはずの世界は、あたたかな花畑に包まれ、どこまでも青い空が続き、心地よい風を運んでくる。
俺の世界を光で満たしてくれた、ひとりの聖母。いや天使。いや女神!
そう、その人こそが──
「長い、長いから。もっと簡潔にまとめなさい。当時のあなたの心境とか道端に落ちてる片方しかない軍手並みに興味ないわよ」
こここら盛り上がるってところで、冷水を直接ぶっかけられたくらいに冷たい声と視線を食らった。
対面。いつもは親友が使っている椅子に腰を下ろしているのは、我らがお姫様。
「つれないなぁ白雪さん。俺達の入部の経緯を聞いたのはそっちだろ? だったら、この話は外せねぇよ」
「ようは、三枝が紅葉さんに一目惚れして、智樹はそれに巻き込まれる形で入ったってことでしょ? 全部聞かなくても分かるわよ」
「なんだ、知ってんじゃねぇか」
放課後、いつものように部室でひとり勉強してると、何故か白雪さんが同じくひとりで部室へやって来た。智樹はどうしたんだと聞けば、どうも生徒会も落ち着いて、あいつは野球部の方に顔を出してるらしい。
今の時期は走ってるだけだし、見てても暇だからここに来た、と。
それから軽く雑談を交わしていると、白雪さんからいきなり聞いて来たのは、俺と智樹がいつ、どのように文芸部に入部したのか。
だから俺と紅葉さんの運命的な出会いを、俺の主観も交えて語って聞かせたのだが。
どうやらお姫様は、お気に召さなかったようだ。
「私が聞きたいのは、よく当時の智樹を簡単に入部させることができたわね、ってこと。それに三枝だって、空手やってたんでしょ? 武道系の部活ならうちの学校にもあるんだから、そっちに入ればよかったのに」
結局、智樹の話になるらしい。まあ、予想はしていたが。相変わらず仲睦まじいようでなによりだ。
「智樹を誘うのは割と簡単だったぞ?ほれ、あいつって結構ちょろいとこあるだろ。だから俺が頼み込めば、二つ返事で了承したよ」
「なるほど」
「そう言や、白雪さんが智樹に付きまとい出したのもそんくらいだっけ?」
「誤解を招く言い方はやめて頂戴」
俺達が文芸部に入るちょい前くらいか。あの白雪桜に付きまとわれてる、なんて智樹が全力の不機嫌顔を晒しながら愚痴ってたのは。
それが今となっちゃ、校内誰もが認めるラブラブのカップルなんだから、世の中なにが起こるのか、分からないもんだ。
「私のことはいいのよ。今はそっちの話。それで、空手は? もう辞めたの?」
「あー、それな。中学卒業して完全に辞めたわ。智樹ほどじゃないが、俺も怪我しちまってよ。試合中にちょいとやらかして、完治してから全然調子出ないもんだからな」
「へぇ……」
今でも休みの時に道場へ通ってはいるが、智樹みたいに全盛期の頃を取り戻せたわけではない。どころか、ここ最近はまともな試合もしていない。
言葉の上では相槌に留めていた白雪さんの目が、それ以上に問いかけてくる。
どうして、諦めてしまったのかと。
まあ、あんたはそこを聞きたくなるよな。白雪さんだけじゃない。智樹にも、当時は何度か聞かれたことだ。
ただ、言葉にされていない以上、その視線に答えを返す義理はない。
「それより、そっちは最近どうなんだよ」
「どう、とは?」
「智樹とのことに決まってんだろ」
「ああ、そのこと……」
話題を変えてみれば、お姫様の唇からはため息がひとつ。うまくいってない、ってことはないだろうから、なんか心配事でもあるんだろう。
そして我が親友に対する心配事なんて、一つしか思い浮かばない。
「最近、会計のやつが調子に乗って来てるのよね。それだけならまだしも、会長になってからは色んなとこに引っ張りだこ。挙句今日みたいななにもない日は野球部に行くし。うちに来た時も、最近は小梅とかお父さんの相手ばかり」
「わかる。めっちゃわかる。紅葉さんも似たようなもんだわ」
思わず共感してしまい、吐いたため息が重なった。
我が親友と恋人。
夏目智樹と神楽坂紅葉の共通点。
あの二人は、ちょっと引くレベルで人誑しだ。
関わった人間全てに好意的な感情を持たれる。それが異性であれ同性であれ構わずに。
だが、そこに差異は存在する。
敵意や悪意、害意なんてものとは程遠いが故に、紅葉さんのあの女神のような人となりが形成されたのだろう。もしくは、真っ直ぐで、素直で、いつも笑顔を浮かべられる彼女の人間性こそが周囲に影響を及ぼしてるのかもしれないが。
まあ、そこを考えるのは無駄だ。卵が先か鶏が先か、みたいな話だから。
一方の智樹は、自ら人と関わろうとしない。向こうから干渉してきた場合は素直に受け入れるものの、自分から近づこうとは決してしなかった。だからあいつの周りには紅葉さんに比べて人が少ないし、友達が少ないなんて嘆いていたりもするのだが。
だからこそ、関わっていない人間からの悪意には敏感だった。それは、ともすれば。あいつの境遇がその原因を一端を担っているのだろうが。
だがその差はあまり関係なかったりもする。結局、智樹は生徒会長と言う、全校生徒の注目を嫌でも集めてしまうポストについてしまったわけだ。あいつの人誑しっぷりが発揮されるのはなにもおかしなことではない。
「いっそ羨ましいくらいだわ。あれだけ善意と好意に周囲を固められてると」
そう言う白雪さんの顔は、むしろどこか誇らしげなように見える。
その気持ちも分からんでもない。自分の好きな相手が。恋人が。他の誰かからも好意的な感情を向けられている。
つまり、俺たちの恋人はそれだけ凄いやつなんだと、誇らしくなるのも仕方ない。
「嫉妬とかしねぇんだな」
「それは勿論するわよ。またいつどこで別の女を引っ掛けてくるか、分かったもんじゃないもの」
俺の見立てによると、そろそろ野球部の他のマネージャーあたりが惚れてそう。
しかし実際、智樹から誰かに告白されたなんて話は聞いたことない。白雪さんの存在が、立派な抑止力になってるんだろう。まあ、ちょっと立派過ぎる気もするが。
「三枝だって他人事じゃないんじゃないの? ほら、今そうしてるうちにも、何処の馬の骨とも知れないニンゲンのオスが紅葉さんに言い寄ってるかも」
「この時期にそんな余裕のある三年がいたら、俺はむしろ尊敬するけどな」
センター試験だってもうすぐそこなのだ。紅葉さんが現在勉強会を開いている三年の教室に、そんなバカがいるとは思えない。
そして、そんな受験でピリついた三年を口説こうとする下級生もいないだろう。
「受験といえば、白雪さんはやっぱあれか? 進路、智樹と同じにすんのか?」
ふと思いついたことを聞いてみれば、対面の綺麗な顔が難しそうな表情を作る。やっぱり頭いいやつはそこらへん悩むんだな。
「まあ、一応そのつもりではあるんだけど……」
「けど?」
「……いえ、別になんでもないわ。あなたこそ、最近部室でずっと勉強してるってことは、紅葉さんと同じところ行くんでしょ?」
「まあな。当然だ」
部誌の原稿を書き終えてからと言うもの、俺は部室で毎日ひとり寂しく勉強三昧。
俺は智樹や白雪さんみたいに頭がいいわけじゃない。いくらこの学校の偏差値が高いとは言え、俺みたいな勉強面での落ちこぼれは何人もいる。
バカな俺は、シンプルに考えたわけだ。
紅葉さんと少しでも一緒にいられるように勉強しよう、ってな具合に。
「ま、ヤバくなったら私か智樹に言いなさい。喜んでバカにしてあげるわ」
「そこは助けてくれよ」
二人のことだから、なんだかんだ言いながらも、結局最後は助けてくれる。残念ながら、俺にはそれが丸わかりだ。
このカップルは、揃いも揃ってお人好しだからな。
「さてと。んじゃ俺先に出るわ。そろそろ紅葉さんも終わるし。白雪さんは?」
時計を見れば、時刻は十七時。いつもなら紅葉さんの勉強会が終わる頃合いだ。
「ここで待ち合わせてるから、先に帰りなさい」
「あいよ。んじゃまた明日」
「ええ、また明日」
白雪さんをひとり部室に残し、第三校舎から昇降口へと足を進める。野球部は既に解散してしまってるらしく、グラウンドに智樹の姿は見当たらなかった。いや、今は親友のことなんざどうでもいい。
靴を履き替えて校門まで辿り着けば、セミロングの髪を揺らす見慣れた後ろ姿を発見した。
どうも、待たせちまったらしい。
「紅葉さん」
振り返り、俺を視認した後。紅葉さんの表情が華やぐ。ああ、今日一日の疲れが抜けていく……。
「待たせましたか?」
「ううん、わたしも今来たところだから」
「そりゃ良かった。んじゃ、帰りましょうか」
「うん」
手を差し出せば、何も言わずにそれを取ってくれる。寒さで悴んだ手を温めるように、少し強めに握った。
「秋斗くん、勉強どう? 捗ってる?」
「それなりには。俺よりも、自分の心配した方がいいっすよ。センター近いんですし」
「ふふん、わたしは大丈夫! 前の模試でもA判定だったの、秋斗くんも知ってるでしょ?」
ドヤ顔を披露する紅葉さんやべぇめっちゃ可愛い。つい釣られて俺まで笑顔になってしまう。
実際、紅葉さんは大丈夫だろう。この人はこう見えてしっかりしてるし、本番に緊張でやらかす、なんてことはないはずだ。
しかし、そんな安心感があったとしても、だ。
「なんか、もどかしいっすね。応援しかできないのは。いや、こればっかりは仕方ないって分かってんすけど」
試験を受けるのは紅葉さん本人だ。俺は結局、この人に声援を送ることしかできない。
信じて待つと言うのは、あまりにも苦痛だ。それはつまり、自分にできることなどなにもない。そう言われているのと同じだから。
その無力感を、俺は既に経験している。
そりゃあの時とは、話の規模も本質も違うが、俺にできることがなにもないのは変わらない。
笑顔を心がけていたつもりだったが、もしかしたら落ち込んだ気分が声色に出てしまったかもしれない。
「秋斗くんは優しいね」
いきなり立ち止まった紅葉さんにつられて足を止めると、二十センチ以上ある身長差を背伸びで埋めて、頭を撫でられた。
不意に距離が近づいて、心臓が煩く吠える。
浮かべているのはいつも通りの笑顔なのに、受ける印象が全く違う。いつもの元気なのじゃなくて、俺を包み込むような慈しみに溢れたもの。
そう言うギャップ、マジでせこいだろ……。今すぐ抱きしめてもらってこのままどっちかの家で膝枕してもらった後耳かきとかしてもらいてぇ……。
「大丈夫だよ、秋斗くんが応援してくれるだけで、もう百人力だからっ!」
撫でる手を止め、フンスッと鼻息荒く宣言する。一つだけとは言え、さすがは年上。バカな年下彼氏の扱いなんてお手の物だ。
「だから、秋斗くんは頑張ってわたしを応援すること! それがないとわたし、本当に大丈夫じゃなくなるかもよ?」
俺の顔を覗き込みながら言う様は、小悪魔のようだ。普段は毛ほども感じない、妙な色気を感じてしまう。
天使な紅葉さんだけでなく小悪魔な紅葉さんもやっぱいい。
じゃなくて。
「それじゃ、鬱陶しいくらい応援してます。手作りでお守りとか作るレベルで」
「あっ、それ欲しいかも!」
なら帰ったら早速、作り方を調べよう。いざとなったら白雪さんか智樹に相談して。折角だから、三人で一つずつ作るとかもありかもしれない。
止めていた足を再び動かし、駅までの道を歩く。隣の紅葉さんはさっきまでと違い、まるで年上とは思えないような可愛い笑顔。
「おいおい、あんな初々しかった二人が随分とまあ変わったじゃないか」
「しっ、あんま大きい声出すとバレるでしょ」
コソコソと後ろを尾けている二人は、まあ気づいていないことにしておこう。
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