after5 邂逅(後)
「ほら桜ちゃん、もっと笑って! ニコって! そうそう! いいよ〜いい笑顔だねぇ〜! これならともくんも喜ぶよ!!」
あ、ありのまま、今起こったことを話すわ……。
天城さんがコスプレとしか思えない服を持って私に近寄ってきたと思ったら、無理矢理それに着替えさせられ、気がつけばベッドの上に乗せられて撮影会が始まっていた……。
なにを言ってるの分からないと思うけど、私にも分からない。
いや、本当に。どうしてこうなったの? なんで私、さっきまで制服着てたはずなのに、チャイナドレスに着替えさせられたの?
高そうなカメラを構えた天城さんは、鼻息荒くして私にポーズの指定やら次に着る服の指示やらを飛ばす。それに素直に従ってる私もどうかと思うけど、それは仕方ない。ひとりのオタクとして、こう言った服に憧れがなかったわけではないのだから。
出来れば、自分が着るんじゃなくて、他人が着てるのを見たかったんだけど。
「いやぁ満足満足。やっぱり可愛い女の子を撮るのは楽しいね!」
「あの、それならもう着替えていいですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ〜」
意外にもすんなり許可をもらえたので、そそくさと制服に着替える。天城さんは私が着替えるところを割とがっつり見てくるから恥ずかしいものの、最初にコスプレ衣装に着替えた時からそうだから、もう諦めた。
着替え終えるとベッドに座るよう促されたので、そこに腰掛ける。天城さんは私と向かうように、パソコンデスクの椅子へ腰を下ろした。
「さて、桜ちゃんとはお話したいことがいっぱいあるんだよねぇ」
「はぁ……」
柔和な笑みを向けられて、思わず戸惑ってしまう。さっきまでもこの人は笑顔だったけど、その種類が明らかに違う。
あんなにいやらしい笑い方をしてた人が、こんな優しい笑顔を浮かべられるものなのか。
「でもその前に。桜ちゃん、これが気になってたよね?」
そう言って手に取ったのは、デスクの上に立てかけてある、二つの写真立て。差し出されたそれを受け取ると、その中には、今は亡き智樹の両親が写されていた。
一つは、天城さんと智樹のお母さんのツーショット。
もう一つは、智樹と両親が三人で写っている家族写真。
顔を見てすぐに分かったのは、智樹の両親を何度かテレビで見たことがあるからだ。父親は野球選手で、母親はアナウンサー。二人とも、さほどテレビを見ない人ですら名前を知ってるくらい有名な人だった。
「よく撮れてるでしょ? 家族写真の方は、私の自信作。ともくんの部屋にも同じのがあるよ」
写真の中の智樹は、今よりも少し幼くて。三人とも、笑顔を浮かべている。どこかの野球場で撮影されたのだろうか。智樹はユニフォームを着ていて、それは汚れているだろうにも関わらず、両親は智樹のことを抱きしめていた。
もう、永遠に見ることが叶わない、夏目家の幸せな風景。
もう一つ、天城さんと智樹のお母さんが写っている写真に目を移す。これは自撮りしたのだろうか。天城さんの腕がこちらに向かって伸びていて、二人は腕を組んで写真に写っていた。誰がどう見ても、仲のいい姉妹だろう。歳は結構離れているみたいだけど。
「私ね、仕事で色んなものを撮って来たけど、この三人よりも幸せそうな写真を撮ったことって、一度もないんだ」
「仕事で、と言うことは、カメラマンかなにかをしてるんですか?」
「正確には写真家だよ。メインは風景の方。人を撮るのはたまーにお仕事もらった時くらい」
なるほど。だから日本中を飛び回っていると。しかもこのコミュ力だ。たまに、とは言うものの、交渉次第ではいくらでも仕事はもらえているのだろう。
「『自分が見ている世界を拡張しなさい』って言うのが、私の姉さん、ともくんのお母さんの口癖でね。十二も離れてる妹の私に、よく言って聞かせてたんだ。だから私は、これで私の世界を拡張したの」
そう言って持ち上げるのは、先程まで私のコスプレを何枚も撮影していたカメラ。素人目から見ても、それは高価で高性能なものだと一目で分かる。天城さんの仕事道具。
「ともくんも同じこと言われてたと思うんだけど、姉さんがいなくなってからのともくんは、かなり塞ぎこんじゃってたから」
高校で出会ったころの智樹を思い出す。
何かに対して本気で取り組むことなんてなく、やる気どころか生気すら感じさせないような目。
あらゆる物事を適当に受け流して、失うことを心の底から恐れていた。
それは、つい先月の修学旅行まで、ずっと引きずっていたのだ。私がそれまでに気づかなかっただけで。
「年明けてからここに帰ってきたんだけど、久しぶりにともくんに会ったら、昔みたいに戻ってて、もうビックリ。なにかあったのかって聞いたらなにも答えてくれなかったんだけど、その代わりに会わせたい人がいるって」
それが、私だったと。
こう言う話を聞かされると、なんというか、むず痒い気持ちになる。
彼が私のことをどれだけ想ってくれてるのか、それを突きつけられているみたいで。
「桜ちゃんがともくんの世界を拡張してくれた。それは直ぐに分かったよ。ありがとね」
「……はい」
自信を持って言える。私は、彼の力になることが出来た。私のお陰で、なんて傲慢なことは思わないけど。彼が前を向くための一助に、私はなれたんだ。
自信を持てていたはずなのに、天城さんにそう言われると、何故だかとても嬉しくなってしまう。
「さて。しんみりしたお話はここまで! ここからは桜ちゃんに、ともくんとのことを教えてもらうよ!」
「嫌です」
一転して元のいやらしい笑みに戻った天城さん。つい即答してしまった。
真剣な話をしていたと思えば、次の瞬間にはこれである。高低差が激しすぎて高山病になりそうだ。
「まあまあ、そう言わずにお姉さんに教えてみ? ともくんとどこまでいったのかなぁ〜?」
今日が初対面な上に、出会ってまだ一時間も経っていない相手にこう思うのは失礼だと重々承知だけど、それでも敢えて心の中で叫ばせて欲しい。
この人、想像以上に鬱陶しいっ!!
酔っ払いのおじさんみたいな絡み方してくるんだけど。そりゃ智樹もこれの相手はしたくないわよね。足蹴に扱うのも納得出来る。
天城さんがデスクの椅子から立ち上がったかと思えば、私の隣に腰を下ろす。
嫌な予感がして後ずさるが、その度に天城さんも私との距離を詰めてきて。
「さぁて、一切合切嘘偽りなく、全部吐いてもらおうか!」
「ひゃっ!ちょっと、天城さんっ……!」
飛びついてきた天城さんが、背中から私を抱きしめる。必死に抵抗するも、何故か無駄に力が強くてその抱擁から脱することが出来ない。
「ほれほれ、ともくんとはどこまで行ったん? やることやっとんか〜?」
「ちょっ、と……どこ触ってるんですか……!」
ヤラシイ手つきの両腕が、私の脇腹と胸を這う。擽ったさに身を捩らせ抵抗を続けるも、天城さんはビクともしない。
ちょっと、本当にどこ触ってるのこの人! 智樹にも触らせたことないのに! 変人っていうか、ただの変態じゃない!
「見た目に反して、案外やわこいんだねぇ〜」
見た目は硬そうで悪かったわね! どうせ私は貧乳よ!! 私の背中にその脂肪の塊を押し付けてるのは嫌味か!!!
「ここか? ここがええんか〜?」
「んんっ……! ほんとに、やめっ……」
「全部教えてくれるなら、やめてあげてもいいんだけどな〜」
「んぁっ……!」
脇腹を弄っていた左腕が、おへその辺りまで移動してくる。擽ったくて変な声まで出してしまった。智樹にも聞かせたことないのに。
ていうか、まさか、これって貞操の危機なの? えっ、嘘でしょ?
いつの間にか制服も乱れてしまっていて、力の入らない私は、制服の第二ボタンまでが開かれるのをただ見ているしか出来ない。
本気で恐怖を抱き始めたその瞬間。
部屋の扉が大きな音を立てて開かれ、入ってきた彼に腕を引っ張られた。
私が抵抗しても全く抜け出せなかったのに、それだけで天城さんの拘束から抜け出せて、今度は彼の、智樹の腕が腰に回され、抱き寄せられた。
「僕の彼女になにやってんだ」
「ありゃりゃ、時間切れか」
全く悪びれた様子も見せず、傍に置いてあったカメラをこちらに向けてパシャリ。
計算通り、と意味深な言葉を残した天城さんは立ち上がって、私に頭を下げた。
「ごめんね桜ちゃん。そろそろともくん来る頃かなーって思ってさ」
「え、えっと……」
「そしたら見事に予想通り。素晴らしいツーショット頂いちゃいました! 今度現像してあげるねっ!」
言いたいことだけ言って、天城さんは部屋を出て行ってしまう。私は智樹に抱き寄せられたまま、ただ呆気にとられるしかなかった。
「あの、どういう事……?」
すぐそばにある智樹の顔を見上げながら問えば、返ってきたのはため息交じりの言葉。
「あれは写真のことになると、手段を選ばないんだよ。少しでもいい画が撮れるようにって、本当になんでもやる。犯罪一歩手前までね」
つまり、天城さんの言葉通り。私と智樹が抱き合ってるツーショットを撮りたかっただけ、ということか。直接頼んでも、どうせ撮らせてくれないだろうと思い、強行策に打って出たと。
訂正しましょう。変態じゃなくて、やっぱり変人だわ、あの人。
「……お昼食べたら帰る」
「それがいいだろうね。またいつ被写体にされてもおかしくない」
落ち着いたらドッと疲れが押し寄せてきて、智樹の体に体重をかけた。身体中弄られたと思ったらそれは写真のためでした、とか。こちらからすると割とシャレにならない。
「ところで、いつまでこの状態でいるつもりだ?」
「もうちょっと……」
「僕もお腹すいてるんだけどな」
「疲れたから回復させて」
「はいはい」
ギュッと腕を背中に回せば、智樹も私を抱きしめて、頭を撫でてくれる。思っていたより早く、また撫でてくれたけど。出来れば、もっと違う状況が良かった。
たっぷり三十秒ほど抱きついた後、体を離して啄ばむようなキスを交わす。
「んっ、もう大丈夫よ」
「なら良かった」
最後にまた頭を一撫でされて、二人で部屋から出ることにした。ボタンを外されて乱れた制服を整えていると、智樹に声をかけられる。
「それより桜」
「なに?」
「下着はもうちょっと可愛いのをつけたほうがいったぁ!!」
取り敢えず、足の小指を踏んだ。
「次余計なことを言ったらその口を縫い合わすわよ」
「ごめんなさい……」
サイズの合う可愛いブラがないんだから仕方ないでしょうがこのバカ。
その後お昼ご飯も食べ終えて、また天城さんの餌食になる前に帰宅しようと思ったのだけど。
それよりも前に、天城さんが家を出ると言い出した。
「随分急じゃないですか?」
「もしかして桜ちゃん、わたしとの別れを悲しんでくれてる⁉︎」
「それはないので安心してください」
「あふん。桜ちゃんの毒が気持ちいい……!」
薄々勘付いていたけど、もしかしなくてもこの人、マゾなのだろうか。智樹に足蹴にされても喜んでる節があったし。
いや、そんなことはなくて。
「あの、もしさっきのことを気にしてるのなら、別に私は怒ってませんから」
「ああ、違う違う。わたしもご飯前のことは別に気にしてないよ」
あっけらかんと言ってみせる天城さん。それをあなたが言うのか。
これ、一回くらい蹴ってもいいかしら? なんか喜ばれそうな気がするんだけど。
「珍しいことじゃないよ。いつも急に帰ってきて、また急に出て行くんだ」
「ともくんの言う通り。わたしはさすらいの写真家だからね! 一箇所に留まるなんて出来ないんだよ!」
「そ、そうですか……」
「心配しなくても、今日撮った写真は全部ともくんに送るから!」
全部と言うと、まさかあのコスプレ写真まで? チャイナドレスからナース服、婦警さんの格好をして割と際どいポーズも撮らされたあれを、智樹に?
「天城さん」
「どうかしたかな桜ちゃん? やっぱり、わたしと別れるのが悲し──」
「最後の一枚以外は全て削除。分かりましたか?」
「えー、せっかくいい写真が撮れたのに──」
「分かりましたか?」
「ウッス……」
笑顔でお話したら、ちゃんと分かってくれた。復唱要求するまでもないわね。やはり話し合いって大切よね。うん。
背後で智樹が怖いよとか呟いてる気もするけど、気のせい気のせい。
玄関の扉の前に置かれた大きなバックパック。天城さんは、仕事道具や着替えなどがギッシリ詰まったそれを、軽々と背負った。
「じゃあともくん、次はなるべく早く帰ってくるね!」
「うん、待ってる。いってらっしゃい、紗織姉さん」
それは、智樹が今日初めて、私の前で天城さんを呼んだ瞬間だった。あれだけ雑に扱っていたのに、ちゃんといってらっしゃいの言葉は掛けるし、姉さんと呼ぶあたり、天城さんのことはちゃっかり尊敬しているのだろう。
私も、智樹にお姉ちゃんって呼ばれてみたいわね……。
なんて邪なことを考えていると、天城さんが一歩、こちらに近づいてくる。先ほどのことがあったので警戒していると、ポケットから取り出したスマホをカメラモードにして、素早く私とのツーショットを自撮りした。
「うん、これでオーケー!」
逃げる隙すらないって、早すぎでしょ。サラマンダーよりずっと早いわよ。
けれど、スマホの画面を見て満足そうに笑っている天城さんを見ると、不思議と悪い気はしないのも事実。そしてその笑顔をそのままに、私と視線を合わせた。
「じゃあ桜ちゃん。ともくんのこと、よろしくね。ちょっと捻くれてて直ぐに女の子誑かすけど、結構一途なところあるから」
「余計なこと言わないでくれ……」
天城さんの言葉に、智樹が鋭い視線と呆れた声を向ける。そんな叔母と甥の二人を見ていると、自然と私の頬も緩んだ。
「ふふっ、知ってます。これでも一応、躾はちゃんとしてるので、最近はマシですよ」
「なら良かった!」
「なにも良くないよ」
本当、隙あらば女の子に可愛いだのなんだのと言い出すから、私としては気が気でない。付き合いだしてからは、少しだけマシになったけど。
「じゃあ、行ってきます! 二人とも元気でね!」
そうして天城さんは、大きなバックパック一つ背負って、マンションを出て行ってしまった。
きっと旅先で、今日みたいに手段を選ばず、でも素敵な写真をたくさん撮るのだろう。
「さて。二人きりになっちゃったわけだけど。桜はどうする?」
リビングに戻りながら、智樹が問いかけてくる。これで私が帰る理由はなくなった。勿論最初の予定通り、夕飯はここで私が作ってあげるつもりだけど。
「そうね……」
それをそのまま伝えると言うのも、面白みに欠ける。それに、智樹だってそれくらいは分かった上での質問だろう。
だから、帰るか否かじゃなくて、今からなにをするか。
少しだけ悩んだ末に私が返した言葉は。
「じゃあ、少し疲れたから、一緒にお昼寝しましょうか」
「ん、そうだね」
向かう先をリビングから、智樹の部屋に変更。
もう何度も入ったことのあるその部屋のベッドに、ブレザーを脱いでから潜り込んだ。
二人で一つの布団を被って、智樹の腕に抱きつくと、身体だけじゃなくて心まで暖かくなる。
「おやすみ、桜」
「ええ。おやすみなさい」
どちらからともなく、短く唇を触れ合わせてから目を閉じる。
自分で思っていた以上に疲れていたのか、あっという間に睡魔が襲って来たので、抗うことなくそれに身を委ねる。
確かに疲れてしまったし、変な写真もいっぱい撮られたけど。今日、天城さんに会えて良かった。
次に会った時は、あの人の撮った写真をたくさん見せてもらおう。
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