after4 邂逅(中)

 智樹の現在の親類の状況については、少しだけ聞いたことがある。

 両親は中学の頃に他界。父方の祖父母は山口県に住んでおり、母方の祖父母は島根県に住んでいる。どちらもここからでは遠くて、最近は中々会っていないらしい。

 そんな智樹の世話をしていたのが、お母さんの妹。つまりは、叔母。仕事で日本中を飛び回ってるとのことだけど、実際になんの仕事をしているのかとか、どう言う人となりをしているのかとかは、聞いたことがない。

 そんな謎に包まれた彼の叔母さんに、今から会うと。

 言ってしまえば、彼の保護者。親代わりだ。そんな相手に今から会うと言うのだから、緊張しないわけがなくて。


「桜、ちょっとは落ち着いたらどうだ?」

「落ち着いてるわよ」

「なら電車の中でそんなにソワソワするもんじゃないぜ?」


 冬休みで土曜日の昼前。そんな時間だから電車の中はかなり空いていて、けれどシートに腰掛けることもなく、二人で扉の前に立っている。

 ソワソワするなと言うのなら、まずはその叔母さんがどのような人物なのか、くらい教えてほしいものだ。

 対峙すべき相手が分からない、と言うのは、私にある種の恐怖に似たものを抱かせる。

 人間と言うのは、自分の理解が及ばないものに恐怖する生き物だ。なまじ他の生き物よりも知識と理性を得てしまったがばかりに。

 例えば幽霊だったり、宇宙人だったり。

 これはさすがに例えが極端すぎるし、まさか智樹の叔母さんがその二つに当てはまるわけがないと思うけど。むしろ幽霊と会えるって言うなら、智樹の両親に会うわよ。


「それで、結局どう言う人なのよ。あなたの叔母さんは」

「どう言う人、か……」


 向こうからは中々教えてくれそうにないので、しびれを切らしてこちらから聞いてみることに。しかし智樹は顎に手を当てて考える素振りを見せ、答えに詰まっている様子だ。


「一言で言うのはちょっと難しいけど、強いて言うなら変人、かな?」

「つまりあなたと似てるってわけね」

「おいおい。僕は変人なんかじゃないだろ。どこにでもありふれている、ごく一般的な男子高校生だぜ?」

「そのセリフをまさかリアルで聞くことになるとは思わなかったわ」


 そして、そうやって言う奴に限って、一般的な男子高校生とは程遠い位置にいるのだ。勿論智樹も、その例に漏れず。


「そもそも、どこにでもありふれている一般的な男子高校生に、私の彼氏が務まるわけないでしょ」

「それもそうか」


 肩を竦めて苦笑しながらの肯定。そう素直に認められると、なんだかイラッと来てしまう。まるで私が心底めんどくさい女みたいじゃない。まあ、間違ってないんだけど。


「なんにせよ、あんまり緊張する必要はないよ。確かに変人ではあるけど、怖い人ではないから」

「別に、そこを気にしているわけじゃないんだけど」

「なにも聞かされず不意打ちで楓さんと会っちゃった僕に比べると、心の準備が出来るだけマシだと思うぜ?」


 そう言われると確かに。お母さんと智樹の初対面は、完全に私のミスでいきなりの事となってしまった。随分昔のように思えるが、まだ数ヶ月前の出来事だ。

 逆に、先月お父さんと初めて会った時の智樹は、今の私と同じ感じだったのだろうか。


「ほら、着いたから電車降りよう」


 心の準備が出来るのを、電車が待ってくれるはずもなく。智樹に手を引かれて電車から降りる。

 彼の家まではここから歩いてすぐだ。どうしよう。まず会って最初の一声は初めましてでいいんだろうか。いや、それは当たり前だ。だって初めましてだし。ならその後は? 自己紹介? 自己紹介ってどうやってやればいいんだっけ……?


「ねえ智樹。ちょっと自己紹介の練習させてもらえないかしら」

「緊張しすぎだろ……」


 恋人の親──今回の場合は親代わり──に挨拶した事なんて、彼氏いない歴=年齢だった私には、当然あるはずもないわけで。これだけ緊張するのも当たり前だと思うんだけど。

 なんて言いながら歩いていると、あっという間に智樹の家のマンションに到着してしまう。エレベーターで六階まで上がり、玄関の扉の前に。今まで何度とここへ来たことがあるのに、今の私にとってこの扉はラスボスの部屋の入り口にしか思えない。

 バクバクと嘘みたいに煩く高鳴る心臓。緊張が最高潮に達していると、繋がれている智樹の手が、少しだけ握る力を増した。


「智樹……?」

「そんなにヤバイなら、緊張しないおまじないでもかけてやるよ」

「おまじないって──」


 なによ、と問いかけるよりも早く。

 サラリと素早く、唇を奪われた。

 離れていく智樹の顔には、笑みが浮かんでいて。呆気に取られている私の頭に、繋がれていない彼の手が乗せられる。


「ほら、これで大丈夫だろ?」

「……余計に大丈夫じゃなくなったわよ、バカ」


 優しい手つきで撫でる癖に、その笑顔はイタズラに成功した子供のようなもので。頬が赤くなっているのを自覚しつつも、見上げるように彼を睨む。


「そもそも、どうして緊張を紛らわせるおまじないがキスなのよ。全然紛らわせるつもりないでしょ、あなた」

「まあね。緊張してる桜が可愛かったから、キスしたかっただけだよ。それに、今更そんな恥ずかしがる必要もないだろ? クリスマスの時はあんなに──」

「その話は蒸し返さないでいいからっ! バカッ!」

「さっきからバカしか言えてないぜ。急に罵倒が雑くなったな」


 クククッ、と愉快そうに喉を鳴らす智樹。クリスマスの時のことを蒸し返すのは、幾らなんでも意地が悪すぎる。

 むぅ、と唸りながら、赤い顔のまま睨んでいても、智樹はやっぱり笑ったままで。私を撫でるのを辞め、おもむろに、ドアノブへ手を伸ばした。


「まあでも、それだけ元気があるなら大丈夫だね。さ、入ろうか」

「……」


 どこか釈然としないけど、お陰様で少し緊張が和らいだのも事実。特に頭を撫でられるのが良かった。また今度してもらおう。

 さて。智樹が開いた扉の先。玄関には確かに、女性ものの靴が。智樹の叔母さんはご在宅の模様。

 心の準備は出来た、とは言い切れないけど。ここまで来てしまっては、もう覚悟を決めるだけ。

 お邪魔します、といつもより小さな声で呟いて、智樹の先導でリビングに向かうと。


「ただいま」

「おかえりともくーん!!!」


 私と同じくらい髪の長い女性が、いきなり智樹に抱きついて来た。

 しかし智樹はそれに抵抗。腕を前に突き出し、女性の肩を抑えて抱きつかれるのを阻止する。


「いきなりなにすんだ! 今日は客が来るって言っただろう!」

「愛しの甥っ子におかえりのハグをしてあげようとしただけじゃない!」

「恥ずかしいからやめろ!」

「ともくん反抗期⁉︎」

「大人しくしててくれって家出る前に言っただろうが!」


 突如始まる口喧嘩。しかも取っ組み合いになったまま。

 あまりの急展開に追いつけずポカンとしてると、智樹の背中に隠れている私に、女性が気がついたようで。


「あら? あらあら? お客さんってともくんまさか?」


 ニヤニヤと十二分に他意を含んだ笑みを浮かべ、私と智樹を交互に見る。そんな女性を容赦なく突き飛ばした智樹はため息を一つ。

 いや、あの、結構思いっきり突き飛ばしてたけど、いいの……? 割とやばい音立てて床に倒れたけど……。


「そうだよそのまさかだよ。この子は僕の彼女」

「えっと、白雪桜です……」

「桜ちゃん!」

「ひっ……!」


 私の名前を呼びながら、勢いよく立ち上がった。控えめに言ってとても怖い。


「可愛い名前だねぇ〜! しかもめちゃくちゃ美人さんだ!!」

「あ、あの……」

「取り敢えずスリーサイズから聞こうかな! 上から順番にどうぞ!」

「え、えっと……」

「ふむふむ、身長が168でバスト73のウエスト59、ヒップが79ってとこかな?」

「え゛」


 変な声が出た。咄嗟に胸の前で腕を交差する。

 な、なんで全部正確に当てて来るの……? 私、ちゃんと服着てるわよね? て言うかこれ、全部智樹に聞こえて……。


「やめろバカ」

「あいたっ!」


 これまた容赦のない拳が、女性の脳天に落とされる。女性の頭を殴った本人である智樹は、少しばかり頬を赤く染めていた。

 やっぱり、全部聞こえていたらしい。


「……今の、全部聞いたわね?」

「安心してくれ桜。僕は胸の大きさだけで女性の良し悪しを判断しない。別に君の胸がどれだけ小さい断崖絶壁だとしても──」

「死ねっ」

「危なッ!」


 的確に脛を狙ったローキックを辛うじて躱された。すばしっこいやつね。素直にやられてればいいものを。

 智樹は冷や汗を掻きながら頬を引きつらせている。随分余裕がおありのようで。


「おいおい、女の子がそう簡単に死ねなんて言うもんじゃないぜ?」

「その命神に返しなさい」

「結局言ってること同じじゃないか」


 名護さんをあまりバカにしてるとイクササイズの刑に処すわよ。


「取り敢えず落ち着こう。こっちの紹介まだしてないだろう」

「……仕方ないわね」


 智樹の記憶を消すのは、まあ今度でもいいだろう。今日の目的は、そこで殴られた頭を抑えて蹲っている女性と会うことなのだから。


「ほら、いつまでもしゃがんでないでさっさと自己紹介しろ」

「相変わらずともくんからの扱いが雑で愛を感じるわ〜」


 首根っこを掴まれて無理矢理立たされた女性は、ちょっと理解に苦しむことを言いながらもニヘラと笑っている。怖い。


「はいっ! わたしがともくんの叔母、天城あまぎ紗織さおりですっ! 因みに二十七歳独身! よろしくね、桜ちゃん。わたしのことは紗織お姉さんって呼んでくれたら嬉しいな☆」

「よろしくお願いします天城さん」

「ありゃっ」


 語尾に星マークでもついてそうな自己紹介だった。て言うか確実についてた。断言できる。

 天城紗織さん。智樹の叔母。それにしては、随分と若い。若いけど、まあそれなりにいい歳だ。だと言うのにこの言動。

 智樹が学校であんな表情をしていたのも頷ける。身内にこんなのがいたら、恥ずかしくて人に会わせようとは思えないもの。


「いやぁ手厳しいねぇ桜ちゃん。ともくんはわたしのこと、紗織おねえちゃんって呼んでくれるのに」

「いつの話してるんだよ。もう何年も前だろう」


 まあ、確かに。叔母さんと呼ぶよりは、お姉さんって感じがしないでもないけど。


「とにかく、お昼作るから、二人は適当に待っててくれ」

「はーい!」


 笑顔で手を挙げて返事をするのは、年齢に似合わずあまりにも幼い。お昼も智樹が作るみたいだし、本当にこの人が中学時代の智樹の面倒を見てたのだろうか。寧ろ、この人が面倒を見られていたんじゃなかろうか。


「手伝うわよ?」

「いや、いいよ。いつも君に作ってもらってるし。たまには僕にもご馳走させてくれ。それに、あれの相手もしてやって欲しいからさ」


 智樹の手伝いで、あわよくば天城さんの相手をしなくて済むと考えたのだけど。どうもその考えは筒抜けのようだ。智樹のわざとらしいくらいに満面の笑みを見る限り、そうとしか思えない。

 面倒な役目を私に押し付けようと言うのだろう。


「……分かったわ。その代わり、夕飯は私が用意するから」

「願ってもない申し出だね」


 取引成立。これで夕飯も、智樹と一緒にたべられる。まあ、今日は二人きりと言うわけにも行かなさそうだけど。

 さて、お昼が出来るまでどうしようか。相手をしていろと言われたが、出来れば御免被りたい。ゲームでも借りようかしら、と思いつつテレビの前へ向かうと、背後から大きな声が聞こえてきた。


「はいはーい! わたし、桜ちゃんとお話したいでーす!」

「えっ」

「むむむむっ、いっそ見惚れてしまうくらい清々しい嫌な顔だねぇ! でも残念拒否権は与えません! ともくーん、桜ちゃんと部屋にいるから、ご飯できたら呼んでねー!」

「了解。女性同士色々話してきたらいいよ」

「ちょ、ちょっとっ……!」


 料理の準備をしている智樹は天城さんを止めることもなく、私は腕を引かれて部屋へと連れて行かれる。


「ぐふふ〜、この美少女ちゃん、どう料理してあげましょうかねぇ〜」


 不穏な言葉を聞きながらも連行された先。天城さんの部屋の中。

 智樹の部屋と広さは同じだが、内装は当然のように違う。意外にも、と言うか。とても物が少なかった。ベッドにパソコンデスク。タンスと時計。そして、デスクの上に乗っているのは、二つの写真立てとカメラ。

 それが気になってデスクの方に足を向けたその瞬間。ちょんちょん、と肩を叩かれて振り返ってみると。

 そこには、タンスから取り出したであろうナース服とチャイナドレス、婦警さんの制服を持った天城さんが。


「じゃあ、このどれか着て、写真撮ろっか!」


 ……嘘でしょ?

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