after3 邂逅(前)

 冬休みのとある土曜日。年が明けると更に寒さは増していて、今日は朝から雪が降っている。

 クリスマスもお正月も無事に過ぎ去った今は、それなりに暇を持て余していた。そのどちらも当然のように智樹と過ごしていたけど、その話はまた今度。クリスマスに至っては、千佳ちゃんのところへ行っていたし。簡単に話して聞かせられるような話でもない。

 ちょっと、と言うか割と、と言うかかなり。

 覚悟しないと人様にお聞かせ出来ないようなことがあったのだし。


 閑話休題。

 私は寒いのが嫌いだが、その寒さが齎してくれる、ある一部の現象は好んでいる。

 雪だ。

 三枝には、苗字が白雪だからって安直なのね的なことを言っておきながら、私は自身の苗字を形作るそれが好きだ。

 雪の降る日は、どこか非日常的な空気を感じる。冬と言う限定された季節の中でも、更に寒い日じゃないと降らないから、だろうか。

 だけどやっぱり、どうしても寒いのは嫌いだから、今までは暖かい屋内から見ているだけだった。

 幻想的で。美しくて。でも、すぐに散ってしまう儚い白の結晶。

 そんな雪の降る今日。私は、休日だと言うのにも関わらず、制服を着て学校へと向かっていた。

 どうして土曜日に学校に来なければならないのか。休日と言うのはつまり休む日だ。学校が休みだから休日なのだ。そんな日に、わざわざ制服を着て。

 普段の私なら例え誰に誘われようと、そんなもの無視して家で布団に包まりながら、可愛いポケモンに癒されているところだけど。

 今日はどうしても、と智樹に言われてしまったから。ちなみにポケモンはイーブイの方を買った。可愛い。


「あれ、白雪先輩?」

「ほんとだ、白雪さんだ。どうしたの?」


 五分と経たずに辿り着いた校門には、短い髪をポニーテールに纏めた後輩と、ウェーブがかった茶髪の同級生。野球部のマネージャーである小泉綾子と灰砂理世が立っていた。その他のマネージャーもちらほらと。うちの野球部、弱いくせに部員とマネージャーだけは無駄に多いのよね。

 彼女らの周りを見渡してみるも、そこにいるのはマネージャー達だけ。部員は一人も見当たらない。


「夏目先輩なら、今学校の外周走ってますよ」

「私、まだなにも言ってないんだけど」

「白雪さんがここに来るの、他に理由ないじゃん」


 ごもっともである。智樹がいなかったら野球部なんぞ興味ないし、この二人なんて完全にスルーして校舎に入ってる。寒いし。

 いや、おチビの方には挨拶くらいするだろうか。気がつけば、随分と仲良くなったものだ。


「で、その外周とやらはいつ終わるの?」

「あと五周ですね」

「結構あるわね……」


 うちの学校はそれなりに広い。具体的に何メートルかとかは知らないけど、かなりの距離を走らされてるのではないだろうか。


「まあ、ここで待たせてもらうわ」

「寒くないですか?」

「少なくとも、あなた達よりはあったかいわよ」


 野球部のマネージャー達は全員、ジャージしか着ていない。上にジャケットでも羽織ればいいものを、見ているこちらが寒くなるような格好だ。

 そんな彼女たちを見た後に、暖かい図書室でゆっくり待たせてもらう、と言うのも気が引ける。

 それに、たまにはこうして、外で雪を眺めるのも悪くない。

 コートの上から腕を摩り、走ってる部員達が戻ってくるらしい方向を見ていると、智樹の姿が見えてきた。あちらからも私を視認出来たのだろう。ハイペースを保ちこちらにぐんぐん近づいてきながらも、軽く手を挙げてくる。随分余裕なようだ。朝の走り込みは夏休みから毎日続けているようだし、それも当たり前か。

 あっという間に通り過ぎて行った智樹に少し遅れて、他の部員達が走って来る。彼らは私を見るたびにギョッと驚いていた。何度か顔を出しているのだから、そろそろ慣れて欲しい。と言うか、現役野球部が文芸部に負けるのはどうなのだろう。


「白雪先輩」

「なに?」

「これ、持っててください」


 おチビから渡されたのは、缶のブラックコーヒー。言われるがままにそれを受け取ると、缶はまだ熱を持ったままだった。


「私、ブラックは飲めないわよ」

「相変わらず舌がお子様ですね」

「見てくれがお子様の癖によく言うわ」


 売り言葉に買い言葉。この後輩と出会ってからそれなりの時間が過ぎたと言えど、この辺りは全く変わらない。


「それは夏目先輩のです。あの人が終わったら渡してください」

「練習中にもこれ飲んでるの? ここまで来ると最早尊敬の域ね」


 言ってため息を吐きつつ、その缶を両手で持ってカイロの代わりに。おチビとしても、そのつもりで渡したんだろう。分かりにくい気遣いだ。


「そう言えば白雪さんさ」


 にっこり笑顔の灰砂理世が私に一歩近づいてきた。彼女のこの笑顔が、私は嫌いだ。私がなにを言おうが崩れることはなくて、全てその笑顔に受け流される。

 そんな表情を浮かべつつ、私の鋭い視線もいつものように受け流して問うてきた。


「智樹くんとは最近どう? クリスマスとかお正月で、進展あった?」


 なにかと思えば、そんなことか。


「それを聞いてどうするつもり? あなたには関係ないと思うけど」

「だって気になるもん」


 進展があったかどうかと聞かれれば。まあ、あるにはあった。しかしそれをこの子に聞かせれるわけがない。

 あんな恥ずかしいこと、間違っても誰かに漏らすわけにはいかないのだ。


「どちらにしても、あなたに教える義理はないわ。負け犬らしく黙って指を噛んでることね」

「じゃあ智樹くんに今度聞くからいいや」

「好きにしなさい。どうせ彼もなにも言わないわよ。それに私は、そこのおチビの方が気になるけど」

「チビじゃありませんっ」


 怒った顔で言うのはいいけど、残念ながら私どころか灰砂理世ですら見上げないといけないほど小さいのだ。

 悲しいけどこれ、現実なのよね。


「て言うか、白雪先輩はそろそろ私のこと、名前で呼んでくださいよ」

「どうして?」

「チビって言われるのが嫌だからですっ!」

「はいはい。分かったわよ」


 別に、この子の名前を今まで呼んでいなかったのにさしたる理由なんてない。智樹じゃないのだから、そこに深い意味なんて持たせていない。

 ただこの子がチビだからそう呼んでいただけだけど、ここまで言うなら仕方ない。


「それで、話を戻すけど。私よりも綾子の方を気にしてあげたほうがいいんじゃないの?」

「なんで綾子ちゃん?」

「私にその手の話を振られても、なにも出てこないですよ」

「あの幼馴染がいるじゃない」


 ああ、修二ですか。と呟くのと同時に、一周して来た智樹が前を通り過ぎ、次の周回に入る。遅れて二位集団がやって来て、その中には綾子の幼馴染で智樹の女房役である樋山修二の姿も。

 なんか、女房役って言うのは気にくわないわね。相方ということにしておきましょう。

 その幼馴染の背中を眺める綾子は、白い息を吐いてからなんでもない風にさらりと言った。


「私、中学の時に一回、修二に告白されてるんですよね」

「は?」

「えぇっ⁉︎」


 驚きの声は私達二人以外からも上がった。私も含め、この場には六人。全員の視線が、綾子へと集まる。それを受けなんですか、と少したじろいでいるのを見るに、綾子からすると予想外の反応をされたらしい。

 いや、そんな話聞かされたらこんな反応にもなるでしょ。


「あなた、幼馴染とはなんともないとか前に言ってなかったかしら……?」

「ええ、はい。今は別になにもないですよ?」


 目を見て分かった。

 この子、本気で言っているッ……! カケラも冗談のつもりなんかじゃァないッ!

 取り乱してジョジョっぽくなってしまっている私を尻目に、目をキラキラと輝かせ、デバガメ根性丸出しの灰砂理世が綾子との距離を詰めていた。


「それで? それで⁉︎ 綾子ちゃん、なんて返事したの⁉︎」

「してないですよ」

「してないの⁉︎」


 してないの⁉︎


「告白されたの、中二のゴールデンウィークの時だったんですよ」


 ああ、なるほど……。それはなんともまあ、タイミングが悪いと言うか、なんと言うか……。

 少し遅れてようやく理解したらしい灰砂理世が、苦笑いを浮かべる。私はため息しか出ない。

 この子も随分、うちの彼氏に振り回されてしまっているようだ。まあ、仕方ないところもあるけれど。そんなことになるなんて事前に分かっていれば、そもそも事故は起こらなかったのだし。


「で、返事出すのに時間もらってた私は、見事タイミングを失って、今でも仲良く幼馴染やってるってわけです」


 そう語る綾子の表情は、ピクリとも動かない。私だって感情表現に乏しいほうだと言われることはあるけれど、今の綾子はそんな私がびっくりするくらい無表情だ。

 これ、もし樋山が今も返事待ってたら、相当可哀想よね……。しかも告白した相手が、二年間も他の男のこと追いかけてたんだし……。それが恋愛的なものじゃなくて、なおかつ樋山自身も綾子と一緒にこの高校まで来ているけど、胸中はそれなりに複雑だったはずだ。


「ま、修二も忘れてると思いますよ? 向こうからはあれからなにも言ってきませんし」

「それは……どうかしらね」

「私、今度から修二くんにもうちょっと優しくするよ……」


 私もそうしようかしら……。


 二人との会話がひと段落して暫く。五周終えた智樹と部員達が、死にそうな顔でゴール。綾子がその順位をチェックして、今日の練習は終わりらしい。

 勿論、下位集団も全員ゴールしてからだ。


「お疲れ様」

「ん、ありがと桜」

「走り終わった後はちょっと歩いてた方がいいわよ」


 膝に手をついて死にかけてる智樹に近づくと、私の心配の声なんぞ聞いていないが如く、すぐに息を整えていた。


「ふぅ……いや、もう大丈夫だよ」

「そう? ならはい、これ」


 カイロ代わりにしていたコーヒーを渡す。私がずっと持っていたから、既にだいぶ冷めてしまっているけど。智樹はそれも気にせず受け取ってくれた。

 なんか、あれね。汗掻いてると、いつもより若干色っぽく見えるような気もするわね……。


「ところで。私はどうして今日、休日にも関わらず学校に呼ばれたの? 事と場合によってはそれなりの罰を与えるつもりだけど」

「学校には待ち合わせで呼んだだけだよ。だから別に制服じゃなくても良かったんだけど……」

「そういう事は最初に言いなさいな。あなた、生徒会長なんだから「ほう・れん・そう」くらいちゃんとしてくれる? 分かるかしら。報告、連絡、相談よ」

「分かるに決まってるだろ。でも、ある意味制服で丁度良かったかもだ」


 学校は待ち合わせに利用しただけなのに、制服で丁度いい。はて、私はこれからどこに連れて行かれると言うのか。

 学生が学校外で制服を着る機会と言えば、基本的には冠婚葬祭などだろう。智樹の知り合いの誰かが、結婚するとか? いやでも、そこに私を連れて行く意味がわからない。

 まさか、三枝と紅葉先輩が?

 いやいや、それこそまさかだ。そもそも三枝、まだ十七歳だし。

 私が頭にはてなマークを浮かべている間に、智樹は綾子と二言三言話し、こちらに戻ってくる。


「小泉に話して、先に帰らせてもらうことにしたから。荷物まとめてくるから待っててくれ」

「ちょっと智樹。私、まだ今日の目的聞いてないわよ」


 いい加減教えなさい、と少し鋭く睨んでみれば、彼は何故か、苦虫を噛み潰したような表情をしていて。


「君には、今から僕の叔母に会ってもらう」


 この時の私は、智樹のその表情の意味を、まだ知らなかった。

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