第100話

 担任の教師に連絡を入れると、結構あっさり許してくれた。まあ、事情があってのことだし、これも僕の日頃の行いが良いお陰だろう。次の生徒会長と副会長と言う立場上、教師側も僕の言葉を信じてくれたのかもしれないけど。


「担任はなんて?」

「了解だってさ。あと、なにかあれば直ぐにまた連絡しろって」

「薄情な担任ね。もう少し心配の言葉はないのかしら。毛根死滅したらいいのに」


 やめてやれよ。うちの担任、ただでさえ歳の割に髪薄いの気にしてるんだから。

 冷たい潮風を浴びながら、海を眺めている白雪に近づく。靡く髪を手で押さえている彼女は、なんの比喩もなくこの海よりも綺麗だ。


「千佳ちゃん、いい子だったね」

「ええ」

「良かったじゃないか。僕のおかげで、君も友達が一人増えた」

「恩着せがましいわね。別に頼んでなかったのに」

「でも君、あの三十分足らずで、随分と千佳ちゃんのことが気に入ってただろう。もっと感謝してくれてもいいんだぜ?」

「はいはい、ありがとう」


 場所は移らず、時刻は十六時過ぎ。太陽は西に傾いているけれど、暗くなるにはまだ少し時間がある。

 この時期は日が沈むのが早いから、あまり時間をかけるわけにはいかないのだけど。それとは裏腹に、ゆっくりと、いつまでもこんなぬるま湯じみたやり取りに浸っていたいと思ってしまう。

 それは、ダメだ。話があると白雪を引き止めたのは僕なのだから。


「それで、話があるのよね?」


 だから、僕から本題に入るべきだったのに。白雪は鋭い視線で、僕を睨め付ける。いや、そう見えるだけで、実際に睨んでいるわけではないのだろう。

 けど、ここに至ってヘタレを発揮してしまっている僕には、その眼光で逃がさないと伝えているようにしか思えない。

 分かってる。逃げるわけじゃない。小さく息を吸って、吐いた。なにも今直ぐに告白しようってわけじゃないんだ。

 馬鹿みたいに煩く鳴っている心臓を落ち着かせ、口を開く。


「僕はさ。一人になるのが、怖いんだ」


 父さんと母さんが死んでから、僕は一人だったわけじゃない。高校に入るまでは叔母が一緒に住んでいたし、学校には三枝もいた。樋山や小泉だって、あの頃の僕を野球部に連れ戻そうと、必死になってくれていた。

 でも、だからって、両親を亡くした悲しみが埋まるわけではない。ただ、その感情を心の奥底にしまいこんで、見て見ぬ振りをしていただけで。僕は今だって、二人がいないことに寂しさや悲しさを覚える。


「大切な人が僕の目の前からいなくなる。それを想像するだけで、胸が張り裂けそうになるんだよ」


 極論、あの時のあの事故は、たまたま僕の両親だっただけだ。例えば、別のシチュエーション、別の人が、僕の目の前で死んでしまうかもしれない。それはもしかしたら、三枝かもしれないし、理世かもしれない。白雪だって、可能性の話をすれば0なわけがない。

 だから僕は、友人達に一歩踏み出し切れなかった。彼ら彼女らが、これ以上僕の中で大きな存在になってしまえば。ある日突然、二度と会えないなんてことになると。

 ああ、想像したくもない。したくもないのに、出来てしまう。大切な誰かがいなくなることの痛みを、僕は知ってしまっている。


「もう、あんな思いはしたくないんだ。だったら、最初から大切な人なんて、作らない方がいい。友人も、先輩も、後輩も、ただそれだけの存在だと認識していれば」


 改めて口に出してみると、随分と薄情なやつだと思う。親友だのなんだのと口にしておいて、実際はこんなことを思っていたなんて。自分で自分に失望する。

 そうやって、親友だの先輩だの後輩だのと呼んでいたのも、結局は自己保身のためにすぎないのだ。彼ら彼女らが、僕にとってまだそうであると確認するように。まだ、僕から離れていないのだと、安心するように。

 とんだ矛盾を孕んでいるのは自覚がある。一人になりたくない癖に、自らは決して近づこうとせず。それどころか一歩引いて壁を作って。

 それが答え。三枝や白雪が感じ取った違和感の正体。離れていく誰かを引き止めようとする癖に、自分からは決して近づこうとしない、それどころか自ら離そうとする。馬鹿な男の馬鹿な考えだ。

 それでも。


「そんな僕でも、本気で大切に思う人が出来たんだ。ずっと一緒にいて欲しい、隣で笑っていて欲しいって思う人が」


 白雪が笑顔の時も、怒っている時も、悲しんでいる時も。その全てが僕の隣であればいいのに。そんな独占欲じみた気持ちを持ってしまっていて。

 でも、白雪だっていつかは僕の前からいなくなる。その時の胸の痛みは、想像も出来ないほどなんだろう。だから、あの時あの場で、僕は罰ゲームについて否定せず、肯定した。あの時のうちに遠ざけてしまえば、きっと苦しむのも一瞬だろうと思っていたから。

 その考えは、甘かったと言わざるを得ない。


「永遠なんて、この世界のどこを探しても存在しないわ」


 僕の話を黙って聞いていた白雪が、こちらを見上げながらも口を開いた。いつもの無表情で、感情を思わせない平坦な声で。


「私とあなたは、いつか別れる時がくる。それがいつになるのかは分からない。どれだけ一緒にいても、時間と言う絶対的な概念には勝てないもの」


 淡々と、事実だけを羅列していく白雪の表情が、綻んだ。これまでも何度か見たことのある、穏やかな優しい笑み。

 それを携えたまま、一歩。近づいて来た白雪が、僕の頬に手を添える。

 僕は一体、今どんな顔をしているんだろう。どんな表情をしてしまっているんだろう。胸の内を吐露した結果、それすら分からない程に感情がぐしゃぐしゃだ。


「永遠に一緒にいることなんて出来ない。それが分かっているから、少しでも大切な人と一緒にいたいと願うの」


 白雪の両腕が、今度は僕の背中に回される。女性らしい柔らかさが全身に密着して、シャンプーの香りが鼻孔を擽った。

 いつもの僕なら取り乱してるところなんだろうけど。生憎と、取り乱すことすら出来ない程に、僕の心は満たされてしまっていた。


「言ったでしょう? 私は、ここにいる。あなたの隣にいるって」


 僕をギュッと抱き締める白雪の華奢な体が、如実に伝えてくる。彼女の存在を。ここにいてくれるんだという事を。

 いつか、必ず別れるが訪れる。それは僕の両親のような事故かもしれないし、何十年も先、寿命がやって来た時かもしれない。あり得ない話だけど、喧嘩別れだって考えられる。

 だけど僕は。そんなまだ見ぬ未来の話よりも、今ここにいる白雪と、一緒にいたいと願う。

 これはその願いを実現させるための、第一歩だ。


「……桜」


 彼女の、桜の背に自分の両腕を回す。これまで何度か、抱きつかれたことはあったけど。こうして自分から抱き締めるのは初めてのことで。

 より強く実感してしまう彼女の小ささに、どうしようもないほどの愛おしさが込み上げてきて。


「君が好きだ」


 胸の内に燻っていた想いの全てを込めた言葉は、そんな短いものだった。

 言葉と言うのは酷くもどかしい。それ一つで自分の気持ちを全て伝えることなんて出来なくて。そのくせ、言葉にしなければ伝わらないことだって存在してしまう。

 強く、強く抱き締める。僕の想い全てを伝えるために。折れてしまいそうな程に華奢なその体を。

 でも、顔を上げた白雪のその表情に、苦しそうな様子なんて全くなくて。


「やっと、やっと言ってくれたわね……。待たせすぎよ、バカっ」


 今にも泣き出してしまいそうな笑顔で、勢いよく唇を触れ合わせてきた。

 抵抗することもなくそれを受け入れる。文化祭な時とは違う、お互いの気持ちを交わしたキス。柔らかな甘さが脳髄を痺れさせる。まるで麻薬のようだ。いつまでもこうしていたいと、邪な気持ちが顔を覗かせそうになったところで、桜の顔が離れていった。

 その顔は真っ赤に染まっているけれど、笑顔が崩れることはない。


「次は僕から、って話じゃなかったっけ?」

「……じゃあ、もう一度する?」

「喜んで」


 二度目は触れるだけの短いキス。それでついに決壊してしまったのか、桜の目尻からは雫が流れ落ちる。

 泣きながら笑う彼女が、とても綺麗で、可愛くて。


「私も。智樹のこと、大好きよ」


 万感の想いを込めた言葉が、僕の胸に突き刺さり。

 僕の人生に大きな影響を与えた罰ゲームは、こうして幕を下ろした。

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