第95話

 スタバを出た僕と白雪は、その場で別れて時間をずらし部屋に戻ることにした。今更こんな対策をしたところで、どうせ三枝や井坂にはバレてるだろうし、そのほかの生徒に見られても本当に今更なんだけど、まあ念の為。教師に見つかってなんか言われても癪だから。

 それに、コンビニで寝る前に飲むためのコーヒーを買っておきたかった。あとは明日の朝起きた時の分。


「明日は頼むぜ? 君が案内してくれないと、地下の迷宮で迷子になりそうだからね」

「素直に地上から行けばいいじゃない」

「折角だし、梅田の大迷宮とやらを堪能したいじゃないか」

「まあ、別にいいけど」


 白雪の母親、楓さんの実家が関西ということで、白雪にもこの辺りの土地勘はあるらしい。楓さんの実家は大阪じゃなくて、兵庫らしいけど。


「どの道からどう行くのかは、明日みんながいる時に伝えるわ」

「その方がいいだろうね。二度手間になるし」

「ええ。それじゃあ、おやすみなさい」

「……っ」

「どうしたの?」


 思わず言葉に詰まってしまった僕を、白雪が小首を傾げて見つめて来る。それになんでもないと首を横に振り、別れの挨拶を告げた。


「おやすみ、白雪。また明日な」

「……? ええ、また明日」


 僕の様子に終始合点がいかなかったようで、別れ際も少し不思議そうにしていたけど。なんてことはない、まさか白雪から、「おやすみなさい」なんて言われる日が来るなんて、思わなかっただけだ。

 夜中にラインや電話をしていて、という事なら何度かあったけど、こうして面と向かってこの言葉を交わすなんて。


「ダメダメだな、僕……」


 エレベーターへと向かう白雪の背を見送って、コンビニに入った。

 彼女に惚れすぎだというのもあるけれど、それ以上に。まさか、自分の心がこんなに弱かったなんて。

 つい先日漸く見つけ出した答えを、心の中で反芻してみる。それは確かに、納得出来るものだ。久しぶりに誰かと交わした、おやすみの一言。合宿中、三枝や先輩とすら交わさなかったのは、それも多分無意識のことで。

 コンビニでお気に入りの銘柄のコーヒーを四本買い、僕もエレベーターへと向かう。

 先程白雪が使ったばかりなのに一階に降りてきているのは、きっと彼女のお陰だろう。

 フロントのカウンターに従業員の姿はなくて、来た道を振り返ってみても、宿泊客だって影一つ見当たらない。

 だから、乗り込んだエレベーターは僕一人。

 答えを見つけ、自覚したからだろうか。それとも、直前に白雪と会っていたからか。慣れたと思っていた一人きりは、どうしてかとても寂しくて、ともすれば恐怖すら抱いてしまう。


『私は今、ここに、あなたの隣にいるんだから』


 思い返されるのは、昨日の白雪の言葉。

 あの時の彼女の声色、表情、その立ち姿を思い出すだけで、情けない恐怖心が拭われる。胸の中の靄が晴れる。

 今の僕は一人じゃないと、その一言が教えてくれたのだ。

 白雪だけじゃない。三枝や理世、神楽坂先輩や小泉に樋山も、井坂だっている。彼ら彼女らが僕の前からいなくなるのが、とても怖い。

 でも、だからって今のまま、みんなの前に壁を作っていていい理由にはならない。白雪はその壁をぶち破って僕の心に肉薄して来たけど。今度は、僕から近づかなければ。

 その辺りを目標に、明日の班行動を楽しんでみよう。







 と言うわけで。やって来ました修学旅行二日目の朝。

 九時に昨日と同じくバイキングの朝食を頂き、部屋に戻って準備をした後、十時半に一階のロビーに集合した。

 今日の班行動は、各班の移動先に教師達がチェックポイントを定めているので、規定の数のチェックポイントを回ればそこで終了。一応十六時にはホテルに戻ることになっているけど、もしも全てのチェックポイントを回ってなお時間が余れば、そこは自由に行動していいことになっている。

 そして白雪の案内の元、意気揚々とホテルを出発した僕たちは、大阪地下鉄を使い難波駅で降り、二つあるチェックポイントのうち最初の一つ、あのグリコの看板が見える橋を無事通過して教師からチェックも受けたのだけど。


「見事に逸れたな」

「高校生にもなってこの体たらくって……」


 僕と三枝は絶賛迷子になってしまっていた。いや、こうなったのにはちゃんと訳があるのだ。僕達が今いるここ、千日前商店街は、平日とか関係なく人がとても多い。僕達の地元では中々ない人混みだ。あるとすれば、夏の花火大会くらい。

 そんな人混みの中をスイスイ進んでいく白雪と井坂に、環さんを気遣いながらもそれに追従する出雲。端的に言えば、僕と三枝は哀れなことに、四人に置いていかれたのである。

 先導する白雪が班の先頭に立って歩くのは当然として、三枝は背が高いからと一番後ろから班員が逸れないように見張っていた。そしてその三枝の話し相手になる僕。

 見張る側が逸れてしまえば、それに気づくやつは誰もおらず。こうして迷子二名の出来上がりと言うことだ。


「まあ、逸れちまったもんはしょうがない。白雪さんに連絡してるんだろ?」

「さっきラインは入れたよ。チェックポイントの吉本の前で合流だってさ」


 吉本新喜劇でお馴染みの、なんばグランド花月。そこが二つ目のチェックポイントだ。回る順番はどこでもいいのだけど、その後のことを考えるとこちらが二番目の方がいいらしい。

 スマホの地図アプリを開いて現在地を確認すれば、グランド花月まではそう遠くないことが判明した。


「どうする? 真っ直ぐ向かうか? 俺的にはそこまで急がなくてもいいと思うんだが」

「この人混みだと急ぎようがないと思うぜ。それでまた道に迷っても本末転倒だしね」


 今の時代、スマホがあるから逸れようが迷子になろうが、目的地にたどり着くことは容易に可能だ。だから白雪達と逸れたと言えど、案外余裕がある。


「どうせだから、適当に散策しながら向かおうか」

「オーケー。折角の大阪だしな。楽しまなきゃ損ってもんだ」


 ということで、男二人ぶらり大阪難波の旅の開始である。と言っても、この人混みに目的地までの距離的に、散策と言うほどのことは出来ないけれど。

 いくらスマホがあるとは言え、土地勘がないのであまり変な道に入ったりは出来ない。

 至極ゆっくりなペースで歩き出すと、ポケットのスマホが震えた。白雪からのラインの着信だ。まだなにかあったのかと思いラインを開くも、そこに書かれていたのは迷子云々ではなくて。


『折角なんだから、今のうちに親友との友情を育んでなさい』


 まさか、意図してこの状況を作ったわけではないだろうかと、一瞬疑ってしまった。僕は昨日、たしかにそんなことを決意したし、白雪とスタバで会っていたけれど、白雪にそのことを話したわけではない。

 それともなんだ、僕が分かりやすいってだけなのか。その可能性なら大いにあるのが悲しい。


「白雪さんからか?」

「ああ、向こうもゆっくり向かうってさ」

「了解」


 しかし、白雪の言うことも最もである。三枝が僕について、白雪ほどに勘付いているのかは分からないけど、この男もまた、僕に対して違和感を抱いた一人だ。

 そんな親友に対して、いつまでも一歩引いて接すると言うのも、失礼な話だろう。

 では具体的にどのようなことを実行しようか。白雪の言葉を思い返してみて、簡単に実行出来そうなのを見つけた。そう、名前を呼べばいいのだ。

 いやしかし、こう、改まって名前で呼ぶと言うのも、なんだか妙な照れがある。今までずっと苗字で通してきたからだろうか。

 てか、男同士のこんなシチュエーション、誰が喜ぶってんだよ。


「ところで智樹」

「ん、どうした三枝?」


 考えてるうちに向こうから名前を呼ばれ、結局いつも通り苗字で呼び返す僕。我ながら呆れてしまう。

 その三枝はと言うと、歩きながらもこちらをニヤニヤした顔で見ていて、それだけでなんの話か察しがついてしまった。


「ついに明日だな」

「その話か……」

「どこで言うかとか、なんて言うかとか、決めてんのか?」

「全くなにも。ただまあ、言わないとダメなことは、色々あるけどね」


 まずは彼女の問いに答えを返すこと。それをしなければ、僕は白雪に告白する権利を持てない。


「色々ってーと?」

「そりゃ色々さ」


 そこまでこいつに教える義理はない。これは罰ゲームの範疇外なのだから。


「それより、秋斗の方こそ、神楽坂先輩とはどうなんだよ。先輩も最近、勉強で忙しいんじゃないのか?」

「あー、そうなんだよなぁ………………いや、ちょっと待て智樹お前今俺のことなんて呼んだ?」


 中途半端に長い沈黙のあと、真顔で詰め寄ってくる百八十センチの大男。控えめに言って怖いからやめてほしい。

 しかし、僕の考え得る限り最高にさり気ない呼び方だったと言うのに、なんで聞き逃さないかね。耳ざといやつだ。


「なんだ親友、なにか気に入らなかったか? 君の名前を呼んだだけだろう」

「いや、気にいらねぇってか、なんか、気持ち悪い」


 泣くぞ。


「こう、智樹に名前で呼ばれるのってあれだな、違和感しかないな」

「だろうね。僕も自分で呼んでみても、違和感しかなかったよ」


 なにせ、初めて会った小学校の頃からずっと、三枝のことは三枝としか呼んでなかったのだから。

 三枝の気持ち悪いと言う言葉も、まあ分からないでもない。さすがに直球過ぎて僕の心は酷く傷ついてるけども。


「でも、これまたいきなりどうしたんだよ?」

「ちょっとした心境の変化ってやつさ。気にしないでくれ」

「いーや気にするね。あの智樹が漸く俺にもデレたんだからよ」

「気持ち悪いこと言わないでくれよ。誰が君になんか」

「あーそうかそうか、そうだよな。お前のデレは白雪さん専用だもんな」

「一言もそんなこと言ってないぞ」


 勘違いしてもらっては困る。最近の僕は白雪に対して常にデレデレだ。


「で、その心境の変化ってのはいかようなもんで?」

「大したことじゃないよ。ただ、最近ちょっと、自分を見つめ直す機会があったからさ」


 大したことじゃない、ことはないけれど。でもまあ、失礼な話ながら友人らに対する心境の変化なんて、告白云々罰ゲーム云々に比べれば本当に大したことではない。

 大事なのは、その変化を経て僕自身がなにをするのか、だ。

 そして今まさしく行動に移したというのにこの言われよう。こいつ本当に僕の親友のつもりなんだろうか。

 肩を竦めてみせる僕に、三枝はふっと笑みを一つ漏らした。それはこちらを馬鹿にするようなものでは決してなくて、とても穏やかで、優しい笑みだ。

 なるほど、神楽坂先輩は三枝のこういう所に惚れたんだろう。なんて、場違いな考えが頭に浮かぶ。悔しいけど、その表情は僕なんかよりもよっぽどイケメンのそれだったのだから。


「まあ、智樹の好きなように呼べよ。ああは言ったが、お前に名前で呼ばれるのも、悪い気はしなかったしな」

「さっきと言ってること真逆じゃないか」

「ありゃ不意打ちだったからだ。普段苗字呼びしてくるやつがいきなり名前で呼んできたら、そりゃキモいだろ」

「そんなもんか?」

「そんなもんだ。ほれ、こんなつまんねぇ話はほっといて、大阪を楽しもうぜ親友!」


 ガッと肩を組まれ、そのまま商店街を歩く。道行く人々は別にこちらを奇異の目で見たりはしない。三枝のウザいぐらいに高いテンションの声も、男子高校生が肩を組んで歩くなんて言う目立つような行動も、この人混みと喧騒の中では全てがかき消されてしまうから。

 いつもなら、周りの目なんてなくても無理矢理引き剥がしているところだけど。今日くらいは、この馬鹿な親友のノリに付き合ってやろう。

 どうせ、これから先も無理にでも付き合わされるのだろうし。

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