第90話
さすがパンケーキの専門店なんて言うだけあって、パンケーキ自体は美味しかった。あの後も何度か食べさせて貰ったけど、甘いものがあまり得意ではない僕でも美味しいと感じるのだ。土日はきっと大行列が出来てるんだろう。
ただ、もう暫くはパンケーキを見たくない。目の前であんな山のように重なったパンケーキを見せられたのだから。
「ふぅ、美味しかったわね」
実に満足そうな笑顔を浮かべている白雪は、結局あの後注文したパンケーキも殆ど一人で平らげてしまい、時たま僕にフォークを差し向けていた。その時の白雪がまたいい笑顔を見せるもんだから、断るに断れなかったのだ。コーヒー頼んでてよかった。
本当もう色々とお腹いっぱいです。色々と。
「よくもまあ、あんな量がお腹に入るもんだね。あんま食べてたら太るぜ?」
「大丈夫よ。私、太らない体質だから」
世の女の子が聞いたら嫉妬で狂いそうだな。だがその栄養がある一部に向かわないのは、なんとも悲しいことだ。
「さて、それじゃあ今日の目的を果たしに行きましょうか」
「それのお返しをくれるって話だっけ?」
「ええ。因みにあなた、なにか欲しいものとかないの? 私の財布には諭吉が七人ほど控えているけど」
なんでそんな大金持ってるんだ。バイトもしてない高校生が持ち歩く額じゃないぞ。なに、もしかして楓さんに渡されたとか? もしそうなのだとしたら、少し遠慮してしまう。いや、そうじゃなくても遠慮しちゃうのに変わりはないんだけど。
しかし、欲しいものと一口に言われても困る。思い浮かぶものがないこともないけど、さすがにあれを白雪に買ってもらうなんてわけにはいかないし。
頭をひねってみるも、それ以下にはなにも思い浮かばず。そんな僕を見兼ねたか、眼前からため息が漏れた。
「欲のない男ね。なんでもいいって言ってるのに」
「欲深いよりはマシだと思うけど。まあ、色々見て周ろうぜ。そのうちなんか思いつくかもだし」
「それもそうね」
と言うことで、いざモール内を見て周ろうと一歩踏み出したのだけど。隣の白雪は何故かその場から動かないまま、ジーッとこちらを見据えていた。
「なに、どうした?」
「ん」
言葉にもならない声を上げて差し出してきたのは、彼女の右手。その行動の意味が一瞬理解出来なくて、ちょっと拗ねたような顔になった白雪が、もう一度「ん」と右手を突き出したところで、漸く気がついた。
なんか、もう。死ぬ。白雪が可愛すぎて悶え死ぬ。
そんないじらしいことされたら惚れちゃうだろうが。もう惚れてるけど。
しかし、好きな女の子には意地悪したくなるのが、古来より受け継いできた男子の宿命と言うやつで。
「ん、だけ言われても可愛いだけで、なにがしたいのか分からないぜ? ちゃんと言葉にして貰わないと困るよ」
「なっ……!」
まさかそんな返しをされるとは思っていなかったのか、白雪は目を丸くしている。そんな様子を見て、くつくつと笑いが込み上げて来た。今日は白雪にマウントを取られてばかりだったからね。たまにはこうして、やり返しておかないと。
「……私が下手に出ているからって、あまり調子に乗らないことね」
「さて、なんのことやら。言葉ってのは大切なんだぜ、白雪。それがないとまともにコミュニケーションも取れやしない」
「それがあってもまともにコミュニケーション取れてないから友達が少ないんでしょ、あなた」
「今、物凄く鋭いブーメランがそっち飛んで行ったけど」
「私はいいのよ。小梅とあなたがいるんだもの」
「小梅ちゃんと並んでることに喜ぶべきか、平然とそう言うことを言われたのに照れるべきか。悩むところだね」
「小梅と並んでいることに咽び泣きながら感謝する、が正しい選択よ」
どうやら僕は、白雪の中だと小梅ちゃんよりも下らしい。だと思っていたけど。いやでも、照れ隠しと言う線もないことはないかもしれない。そう言うことにしておこう。その方が可愛いし。
「いいから、さっさと行くわよ」
結局、僕は強引に右手を取られ、パンケーキ屋に入るまでのように指を絡め合って歩き始めた。
確か、前に二人でここのモールに来た時、三枝と神楽坂先輩を尾行した時も、手を繋いで歩いたっけ。などと今更のように思い出す。あの時は逸れたら面倒だから、なんて建前があったけど、今はそんなものどこにもない。
理由なんてなくてもこうして彼女の体温を感じられているのは、それだけ僕たちの距離が縮まったと言うことだろうか。
「それで、どこに行くんだ?」
「スポーツショップに向かうわ」
このモールの中にあるスポーツショップは、僕たちが今いる、入り口付近のパンケーキ屋の前から正反対の位置にある。つまり、それなりに遠い。
いや、距離は特に問題ではなくて。どうしてスポーツショップに行こうなんていきなり言い出したのか。まさか、僕が今欲しいものが分かった、なんてことはないだろうし。
「あなたの使ってるグローブ。あれ、軟式用でしょ」
「そうだけど。よく知ってるね」
「前におチビから軽く聞いたのよ」
「……待て白雪。まさかとは思うけど」
「欲しいものはないなんて言っていたけど、どうせ新しいグローブが欲しいけどさすがにそれは高すぎるし買ってもらうわけには、なんて考えてたんじゃないの?」
「……」
ズバリまさしくその通りすぎてぐうの音も出なかった。なんで分かっちゃうかなぁ……。
けれど、それが白雪に筒抜けだったところで、僕の考えは変わらない。
「だとしても、やっぱりグローブはダメだよ。あれ、いくらするか知ってるのか?」
「大体五万ちょっとくらいじゃないの? 余裕で足りるじゃない」
「そう言う問題じゃなくて。て言うか、君のその七人の諭吉は一体どこから調達して来たんだよ」
どうでもいいけど、七人の諭吉って言うとなんか映画のタイトルっぽいな。
「私、お年玉って使わずに貯金するタイプなのよね」
「欲がないのは君も同じじゃないか……」
「計画性があると言って欲しいわ」
お年玉を貯金してそうな子が他にも一人頭に思い浮かんだが、頭を振ってそれを搔き消す。あの子の場合、計画性云々以前にお金を貯めること自体に快楽を見出してそうだし。
距離があるとはいえ、同じモール内だ。こんなやり取りをしてる間にも、僕は白雪に引っ張られるように歩いていて、スポーツショップは徐々に近づいてくる。
「これもおチビに聞いたんだけど、軟式用で硬式の球を取るの、あんまり良くないんでしょ?」
別に、良くないと言うことはない。軟式用グラブと硬式用グラブの違いは、使われている革の質だ。硬球の方が硬いので、当然硬式用グラブは軟式用よりも丈夫で厚く出来ている。野球のルール的にも軟式用を硬式野球で使うのは問題ないし、実際プロ野球選手でも、手の感覚を大事にしたいと言う理由で、特注で軟式用の革を使ったグラブを使用してる選手だっているわけだし。
ただ、軟式用を使ってると破けやすい上に捕球する時結構痛い。そして僕が今使ってるグローブは、中学の時からずっと使っているものだ。つまり、あの事故の時にも持っていたもので。
「それにあのグローブは、あなたの両親に買ってもらったものなんでしょ? なら大切にしておきなさい」
白雪もそれが分かっているのか。発した言葉はとても優しい色を帯びていた。
そんな風に言われてしまっては、首を横に振れなくなるじゃないか。
「じゃあ、お願いしようかな」
「ええ。お願いされたわ」
そうして辿り着いたスポーツショップ。ここは結構な品揃えで、野球の他にもバスケやサッカー、テニス、果ては登山道具やキャンプ道具、ロードバイクなどなど。アウトドア用品までも取り揃えている。
ここは中学時代に何度か来たことがあるから、野球コーナーまでの足取りに迷いはない。今度は逆に、僕が白雪を先導する形で歩く。
「硬式用はこっちだっけか……」
「結構数があるのね」
棚に並べられたグローブを見て、白雪がほぉと息を漏らす。ポジションによって使うグローブは違うし、そこからさらにそれぞれのメーカーのものに分かれるのだから、そりゃそれなりの数を揃えているだろう。なにせ、グローブは野球をする上でボールと並んで必要なものなのだから。
「この中から選ぶの?」
「いや、僕はピッチャーだから、こっちの方だな」
端っこに並んであるピッチャー用のグローブ。網目や指カバーが付いてるのが特徴のものだ。これは相手バッターに球種を悟らせないためのもの。因みに、捕球に関しては色んな種類のグローブの中で最もやりづらくて、まさしく投げるためのグローブと言っても過言ではない。
しかし、やはり硬式用のグローブは値段が高い。一番安いのでも四万はするか。
「念のためもう一度言っておくけど、お金の心配ならしなくていいわよ」
「なんか、君のヒモになってるみたいで癪だな」
適当に返しながら、取り敢えず一つグローブを取って手に嵌める。ちょっと重いかもしれない。出来れば、今使ってるものと感覚が同じものがいいんだけど。
「あら、私があなたをヒモにするなんて、あり得るはずないじゃない。嫌だと言っても働かせてお金を稼いでもらわないと困るもの」
「なら君が僕に養われるってか?」
「それも嫌ね。どうせなら共働きの方がいいわ。収入も安定するし、もしあなたが仕事をクビになったら困るじゃない」
「僕はクビになるの前提かよ」
グローブを外して元の位置に戻し、続いてその隣にあったものを嵌める。これは逆に軽すぎるか? 今使ってるのが、軟式用でも結構重い方だから、もうちょい重いのがいいかも。
「でも、君はバリバリに働いてそうだよな。簡単に想像できるよ、エリートキャリアウーマンの白雪桜」
「さっさと子供作って寿退職ね。引きこもって同人誌でも作るわ」
「子供の面倒を見ろよ」
「あら、それはあなたと一緒にするから心配ないでしょ?」
次に手に取ったグローブはいい感じだった。程よい重さに程よい大きさ。うん、これなら今使ってるのと同じくらいかもしれない。その場で投げる振りをしてみたりしたが、結構しっくり来る。値段も、売ってある中ではそこまで高いという訳でもないし。
さて、グローブはこれでいいとして。
「なあ白雪」
「なに?」
「恥ずかしいからこの会話辞めにしない?」
どうして僕は、スポーツショップの野球コーナーでグローブを選びながら、白雪と未来予想図を話し合っているんだ。おかしいでしょ。気が早いってレベルじゃないぞ。
赤くなった顔を自覚しながらも白雪を見遣ると、彼女はクスリとイタズラな笑みを漏らし、僕の手元からグローブを掻っ攫った。
「あら、私は楽しかったけど?」
「……っ」
そしてそのまま踵を返し、レジへと向かう。更に上昇してしまった顔の熱を冷まそうと額に右手を当てるも、そんなもの効果があるはずもなく。赤い顔のまま、白雪の後を追った。
こんな所でなんて会話してるんだか。そもそも、僕達まだ付き合ってすらもいないのに。
白雪がレジで会計をしてる間、僕は少し離れたところで待機する。冷静に考えてみて、同級生にグローブを買ってもらうとかちょっと意味分からないんだけど、あんまり深く考えすぎたら負けだと思うことにしよう。なにせ、あの白雪姫がやることだ。いちいち突っ込んでたらキリがない。
「はい、これ」
「うん、ありがとう」
会計が終わった白雪から、グローブの入った袋を受け取る。ずっしりと重いそれは、白雪が今まさしく着けている髪飾りのお返し。
それにしては、かなり高いけれど。
「これじゃ、マウンドに立つ度に君のことを思い出しちゃうな」
「ふふっ、それでいいのよ」
つい漏らしてしまった言葉に、白雪は笑顔で頷いた。
「今まで使ってたグローブで、あなたが両親のことを思い出していたなら。次からは、そのグローブで私のことを思い出しなさい。私は今、ここに、あなたの隣にいるんだから」
もうここにはない過去ではなく。
ここにある現在。そして、これから訪れる未来。そこに、自分がいるんだと。まるで自分の存在を刻みつけるように、白雪は優しく言葉を紡いだ。
胸にこみ上げるものがある。鼻の奥がツンとして、気を抜けば涙が溢れてしまいそうだ。でも、そんな情けない姿を見せたくなくて、必死に我慢する。
漸く分かった。僕が、一体なにに怯えて、どうしてあの時あんな事を言ったのか。
「さて、目的も果たしたし、明日もあることだし。今日はそろそろ帰りましょうか」
「送ってくよ」
「別に大丈夫だけど、まあ、お言葉に甘えるわ」
手を繋ぎ直し、帰路につく。
答え合わせは、修学旅行の三日目。大丈夫、言える。答えは見つけたから。
あとは、その時が来るのを待つだけ。
これで漸く、安心して罰ゲームに臨める。
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