第89話
さすがに平日の昼間ともなると、モール内の人は少ない。大抵が家族連れや学生などで賑わうので、未だ十三時前のこの時間では、普段の喧騒なんてどこにもなく、道は歩きやすいし店も混雑してないし。この調子だと、フードコートも簡単に席を取れるだろう。
「さて、まずはお昼ご飯ね。どこで食べる?」
「フードコートでいいんじゃないか? この感じだと、あんまり混雑してなさそうだし」
「オススメのお店があるのよね、ここのモール。そこに行きましょうか」
「無視ですか……」
そっちから聞いたくせに無視とは、なかなかどうしてやることが酷い。こう言うときの0点な解答はなんでもいい、とかじゃないのか。フードコートダメなのか。あそこなんでもあるけど。
しかし白雪は本当にお気に召さなかったようで、腕を組んでため息を一つ落とした。
「あのね、デートに来てお昼がフードコートって、話にならないわよ?」
「で、デート?」
「今日は許してあげるけど、次はないと思いなさい」
ちょっとちょっと白雪さん。だからそう言うことを普通に言うのやめてくれませんかね。自分で言って顔赤くするくらいなら本当にやめてください。可愛すぎるから。なに、この子は今日で僕を殺す気なの? 死因:白雪が可愛すぎて萌死。とかシャレにならないよ。
「さて、さっさと行くわよ」
「まあ、どこでもいいけどさ」
その店がモール内のどこにあるのか僕は知らないので、白雪の先導で向かうことになる。のだけど。
白雪がこちらに一歩近づく。あまりにも綺麗な笑顔を浮かべているので、なにか嫌な予感がして思わず一歩後ずさる僕。それが気に食わなかったのか、ムッと眉を顰めた白雪はさらに距離を詰めて来て。
何も言わず、とても自然に、僕の左手を自分の右手で掴んだ。
「ちょっ、白雪さん⁉︎」
「なによ。デートなんだからこれくらい普通でしょ」
僕の手の中でもぞもぞと白雪の手が動いたかと思えば、勝手に指と指を絡ませて、所謂恋人繋ぎたら言うものになっていた。
因みに白雪、やっぱり顔が真っ赤である。耳の裏まで超赤い。恥ずかしいなら無理するなよ。僕まで恥ずかしいだろ……。
「なんて言うか、今日の君、おかしくないか?」
半ば引っ張られるように歩き始め、やけに積極的な白雪に尋ねてみる。
一昨日のことがあっても、彼女が僕に対して今まで通りの接し方をしていた理由は、まあ理解出来た。けれど、これでは逆に今まで通りじゃなくて、それ以上に距離を詰めて来ていると言うか、さすがに積極的すぎやしないだろうか。
「あんなこと言った後なんだから、おかしくもなるわよ……」
「……」
あんなこと、とは。駅までの道すがら、思いがけず聞いてしまった彼女の気持ちで。
それを聞いてなお待たせてしまっている僕は、なんとまあ罪深い男なのだろう。本当なら罰ゲームなんてもう放ったらかしにして、今すぐ伝えたいところなのだけど。白雪からの問いかけに、僕はまだ答えを出せていない。その答えを見つけないことには、告白なんて出来るわけもないのだから。
「着いたわよ」
白雪のオススメらしいお店は、モールの入り口から然程歩かないところにあった。店先に出ている看板、そこにはデカデカと『パンケーキ専門店』とか書いてある。
同じく看板に貼り付けられた写真は、パンケーキの上に塔のように聳え立っている生クリーム。見ているだけで胸焼けしそうだ。
恐る恐る隣に顔を向けると、そこには気合たっぷりな様子で鼻を鳴らしている白雪が。心なしか、目も輝いて見える。
「まさか、ここでお昼を……?」
「当たり前じゃない。前から一度来てみたかったのよね。でもほら、一人だと中々入る勇気も出ないから」
「井坂とか小梅ちゃんと来ればいいだろ……。どうしてよりによって僕なんだ……」
「二人も誘ってみたんだけど、どうしてか渋い顔するのよね。こんな楽園みたいな場所に来たがらないとか、人としてどうかと思うわ」
いやそれが当たり前の反応だよ。余程の甘党じゃないと、こんな店まず縁がないんだから。
しかし、そうか。僕も今から、この中に一歩足を踏み入れるのか。極度な甘党の白雪からすれば楽園なり天国なりに感じるだろうけど、僕からすればこっから先は地獄だぞ。
いや待て、こう言うところはコーヒーくらい置いてある筈だ。それがあればなんとか乗り切れる、と思う。多分。
「さ、入るわよ」
未だ心の準備が出来ていないにも関わらず、白雪に無理矢理引っ張られて店内へ。
スマイル満点の店員さんに案内されて奥の席へと移動する道すがら、周囲を見渡してみたのだけど。どこもかしこもお客さんは女性ばかりで、しかもその全員が、山のようなパンケーキや生クリームを食べていた。
平日の真昼間故に客入りはそこまで多くないものの、視覚情報だけでも僕は既に胸焼けを起こしている。
案内されたのは四人用のテーブル。向かい合わせで座るために、繋いでいた手を一度離した。その時に感じた名残惜しさは、きっと気のせいではないのだろう。
そしてそれが面に出てしまったか、僕の顔を見た白雪がクスリと笑う。だから、可愛すぎるからやめてくれって。
「はい、メニュー表。私はもう決めてるから、好きなものを選びなさい」
「ああ、うん……」
手渡されたメニュー表を開くと、意外にもパンケーキ以外のメニューもあるようだった。折角のパンケーキ専門店だが、僕はパスタを頂くことにしよう。
「決めた?」
「うん。僕はパスタにするよ。さすがにパンケーキは食べれる気がしない」
「でしょうね」
ベルを鳴らして店員を呼び、注文を告げる。僕はミートソースのパスタ。白雪はなんかパンケーキにホイップがどうのこうのと言っていたけど、それがなんなのか僕には皆目見当がつかない。
「それで、結局今日は何を買いに来たんだ? 僕、それすらも聞かされてないんだけど」
「お返しを買いに来たの」
「お返し?」
重ねた質問に、白雪は自分の頭を指で示してみせた。そこにあるのは、僕が誕生日プレゼントと称して彼女に送った、桜の花飾りだ。白雪は毎日、それを髪につけてくれている。
「あなた、誕生日はいつ?」
「四月二日だけど」
「遠いわね……。なら、この前迷惑をかけたお詫びってことにしておこうかしら」
「なにを」
「あなたへの贈り物をするのに、まだ今は、口実があった方がいいでしょ?」
「そう言うことか……」
まだ、今は、なんて言葉をつけてるあたり、いつかは口実なんて用意せずになにかを贈られるのは、今から決まっているらしい。
僕がちゃんと答えを出せるかすら分からないというのに、そこを信じて疑わないのは、まあ、白雪らしいのだろう。
「安心しなさい。お金なら結構持ってるから」
「いや、そこは心配してないよ。て言うかなに、そんな高額なもの買うつもりなのか?」
「さて、どうかしらね。なにを買うのか、全く決めていないから。もしかしたらそうなるかもしれないわ」
「場合によっちゃ、僕のプレゼントがちゃちなものに見えちゃうってわけだ」
「それはあり得ないわね。あなたから貰ったと言うだけでも、私にとってはこの世の何より価値のあるものなんだから」
「そうですか……」
なんて雑談しながら、開き直った白雪にたじたじになっていると、注文した料理がやって来た。
まず、僕のパスタ。どこにでもあるような、普通のミートソースのパスタだ。そして続いてテーブルの上に乗ったのは、店先の看板に貼ってあったものよりも強烈なものだった。
「こちら、パンケーキメガ盛りマックスでございます」
素敵な笑顔の店員さんがそれをテーブルに置いて去っていく。向かいに座る白雪は、まるでオモチャを買ってもらった子供みたいに目を輝かせていた。それ自体はとても可愛らしいし、普段は見ないようなその顔に見惚れてしまったりもするのだけど、状況を見るとちょっとやばい子にしか見えない。
二十枚は重ねているのではないかと疑うパンケーキの山に、その隣で聳え立つ生クリームの塔。テーブルにあるメープルシロップを手に取った白雪は、パンケーキの山の上からドバドバとそれを掛けた。
「え、いや、待って、待ってくれ」
「なによ」
「いや、今まさしく目の前で、この世のものとは思えない所行を目にしてしまってね……」
まず。これは一体どうやって食べるんだと言うのと。
次に。どうしてこんなもの頼んだのかと言うのと。
最後に。まさかこれを全部ひとりで食べ切るつもりじゃないのかって言うのと。
白雪が甘党なのはよく知っていたつもりではあったけど、まさかこんな、ここまでのものだったなんて……。メガ盛りマックスなんてふざけた名前だと思ったけど、これもうメガじゃなくてギガくらいはあるでしょ。もしかしたらエクサくらいまであるかもしれない。
そんな一般的味覚を持つ冴えない男子高校生な僕の気持ちなんぞ、毒林檎よりも甘いものがお好きな白雪姫には理解できないのか。訝しむような目でこちらを一瞥した後、白雪はパンケーキの山と生クリームの塔に向き直る。
「それじゃ、いただきます」
一体どうやって食べるのかと、ちょっと不安になって見ていると、白雪は山のてっぺんにフォークを突き刺し、まずは生クリームをつけずにそのまま口に運んだ。ナイフで切り分けもせず、本当にそのまま。
「ん、美味しい」
「もう少し上品に食べられないのか」
「こんなご馳走を目の前にしたら、そんな余裕なくなるわよ」
あっという間にパンケーキ一枚を頬張った白雪は、続いて二枚目をフォークで刺して口に運ぶ。
白雪ばかり見ている場合ではない。僕も自分のパスタを食べなければ、冷めてしまう。パスタをフォークに巻いて、一口。あれ、割と美味しいぞこれ。パンケーキ専門店のパスタなんて、と侮っていたけれど、量も少なくはないし、ソースが麺に上手く絡まっていてとても美味しい。僕が手抜きで作るパスタとは大違いだ。
恐らく、僕みたいな甘いものが苦手な男性客を見越してのメニューなのだろう。パスタの他にも、ピザとかもあったし。多分それも結構デカイかもしれない。
暫くパスタに舌鼓を打って、ふと向かいに視線をやると、なんと白雪、既に半分近くのパンケーキを胃の中に収めていた。早すぎる。
「さて、ここからは生クリームね」
「まだ手をつけてなかったのか……」
未だ塔のように聳える生クリームには、指一本触れられていない。そしてここからは、と言う宣言通り、白雪はナイフとフォークでうまい具合に生クリームを取り、パンケーキの上に乗せた。
さすがにそれは切り分けて食べるだろうと思いきや、なんと器用にも、パンケーキを折って生クリームを包み、それをそのまま口に運ぶではないか。食べ方雑すぎるでしょ。
しかしてお味の方はいかに。
「……」
「白雪? どうかしたか?」
一口食べて黙りこくってしまった白雪が心配になり、声をかけるも、返事はない。
ただ呆然とした様子で、焦点も定まっていないように見える。まさか、思っていた味と違うとか、そんなんだろうか。いやでも生クリームなんて大抵どれも同じだし。
「……宇宙が見えたわ」
「君はなにを言っているんだ」
どうやら、美味しすぎて悟りを開きかけたらしい。なんかツイッターとかで一時期流行ってたね、宇宙猫。
再び手を動かし始めた白雪は、実にいい笑顔を浮かべながら、物凄いスピードでパンケーキと生クリームを平らげていく。
「本当、幸せそうに食べるね」
「悪い?」
「いいや、そんなことはないさ。可愛い笑顔を見せてもらってるから眼福だしね」
「……そう」
ポッと頬を赤らめながらも、パンケーキを食べる手は止まらない。
よし、漸く今までの距離感に戻ってきた気がする。白雪はこんなに美味しそうに食べてるんだから、今は変に悩むのもよそう。
それにしても、本当よく食べるな。その華奢な体のどこに入っているんだか。
少しまじまじと見過ぎたか、今まさしく最後の一口を食べようとしている白雪がその手を止め、こちらに視線をやった。かと思えば手元のパンケーキを見て、また僕を見て。悩んだ素振りを見せた後、そのフォークがこちらに差し出された。
「食べる?」
「え、いやいいよ。それ、最後の一口だろ? それを貰うのは、ちょっと申し訳ない」
「問題ないわ。まだ生クリームも残ってるし、単品でパンケーキ頼むから」
「まだ食べるのか……」
お腹壊してもしらないぞ。
「で、どうするの? いらないならこのまま私が食べるけど」
「……じゃあ、それだけ貰おうかな」
折角パンケーキ専門店に来ているんだから、一口くらいなら。そう思ってフォークを受け取ろうとしたのだけど、持ち上げた僕の手は、謎の圧力を放つ無言の笑顔に封じられた。
えっ、なになに怖いんだけど。
「はい、あーん」
「えぇ……」
「なによその反応」
いやだって、あーんって。そんなの他のカップルだってやってないぞ。
「いいからほら。あーん」
チラリと周囲を見渡してみるも、店内にいる客は誰も僕たちのことを見てなんかいない。まあ、当然だ。男性客が多いのであれば、白雪に見惚れているやつがいてもおかしくないけど、今この場にいるのは女性同士で来ているか、カップルで来ているかのどちらか。
つまり、ここで白雪のあーんを受け取っても、目撃者は誰もいないという事だ。恥ずかしがる必要はなにもない。ないのだけど……。
これ、一々あーんとか口に出して言わないとダメなの? それが一番羞恥心を煽るんだけど。白雪が言ってるだけで恥ずかしいのだから、勘弁願いたい。
と言うことで、差し出されたパンケーキを無言で食べさせてもらった。
あー!これ思ったよりも恥ずかしいぞぉ!
「美味しい?」
「うん、まあ、美味しいです……」
「それは良かったわ」
どうして君がドヤ顔なんだ……。
本当に誰にも見られていないだろうかともう一度視線を店内に巡らせると、こちらをガッツリ見ている店員さんとバッチリ目が合ってしまった。店員さんはどこか申し訳なさそうに苦笑を浮かべ、視線をそらす。
めっちゃ見られてたじゃないですかやだー!
「すいませーん、パンケーキお代わりください」
早くここから出たいのに、白雪はそんな僕の心情なんぞ露知らず。さっきの半分ほどのパンケーキを注文する。
「ふふっ、パスタ食べ終わったら、また食べさせてあげるわね」
一口しか食べてないのに、もう胸焼けしてしまいそうだ。
マジで勘弁してください……。
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