第88話

 出雲の身長は結構低くて、私と同じくらいか、私の方が少し高いくらいだ。これは私の身長が女子にしては高い方だと言うこともあるんだろうけど、それでも出雲は男子の平均身長を下回ってると思う。

 そしてそれに加えて、顔立ちが幼く見えるので、女子の間で密かに人気がある。と、翔子から聞いた。私自身は心底どうでもいいし、自分より身長が低い時点で論外な上にラノベについての解釈違いで、正直言ってもうこいつのことが嫌いになっている。

 だから振り返った時の私の顔は、それはもう嫌そうに歪んでいただろうに。出雲はそんなこと御構い無しに近寄って来た。


「なにかしら。あなたに構ってる暇はないんだけど」

「いや、ちょっと耳寄りな情報があるんだよ。夏目についてなんだけど」

「夏目について?」


 まさか、この男は彼についてなにか知っているのだろうか。だとすれば、今の夏目の違和感に繋がるヒントになるかもしれない。

 私が興味を持ったのを察したのか、出雲はその幼い顔でにっこりと笑顔を作る。女子に好かれそうな可愛らしい顔だけど、その奥に見える下心までは、私には隠すことが出来ない。今まで、そうやって近づいて来た男なら何人もいたから。

 それでもこの男に耳を貸すのは、夏目について話すと言っているからに他ならない。


「その前に、一つ聞いておきたいんだけどいいかな?」

「なによ。さっさと知ってることだけ吐いて。私も忙しいの」

「白雪さん、俺のこと本当に知らなかったの?」


 なにを尋ねてくるのかと思えば、そんなことか。知らないとこの前言ったのに、しつこいやつだ。


「お生憎様、私の記憶容量は夏目と三枝以外のクラスの男子を覚えられるほど高性能じゃないのよ。それとももしかして、昔私に告白したことがある有象無象の一人だったりするのかしら?」

「……いや、本当に知らないんならいい。それで、夏目のことなんだけど」


 漸くか。もしかしたら破り捨てた手紙の差出人とかも考えられるけど、私にそこまで考える義理はない。

 知ってることだけ吐いてくれたらそれでいいのだから。


「この前井坂と話しているのを見かけたんだ」

「翔子と?」

「ああ。たまたま話を聞いちゃったんだけどさ」


 なんとなく話が読めた。翔子と夏目の組み合わせと言うことは、十中八九罰ゲーム云々についてだろう。

 期待していたのにこのオチか。使えない男だ。


「もういいわ。私帰るから」

「えっ、いやまだなんの話してたか言ってないんだけど」

「どうせ、夏目が罰ゲームで私に告白するとか、そんな話してたんでしょ? それ、もう知ってるから」

「じゃあ夏目のことは」

「嫌いになってるとでも思った? 浅はかね。どう言う思考したらそんな考えに落ち着くのかしら」


 最早ため息すら漏れない。こんな事を言うために私を呼び止めたのだとしたら、怒りすら湧いてくる。こんなちんちくりんに構っている暇なんてないのに。


「話は終わり? ならさようなら。二度と話しかけないで」


 踵を返し、今度こそ校門をくぐる。とんだタイムロスだ。修学旅行まで日がないから、少しでも彼のことを考えていなければならないのに。

 なんて、そんなことを思ってしまったのが恥ずかしくて、家に向かう足はいつもより少し慌てていた。







 水曜日だ。明日からついに修学旅行。今日はそれに備えて、二年生は昼までしか授業がない。こう言うところは実に優しい学校だと思う。

 いつもより少ない授業を終えて放課後。部活も休みにすると三枝から聞かされているので、後は帰るだけだ。帰った後は明日の用意やらなんやらをしなければならない。

 用意と言っても、持って行くのなんて着替えくらいのものだ。観光中は制服を着なければならないが、ホテルの中では部屋着だろうが私服だろうがなんだっていい。だから三日分の下着と、ホテルで着るジャージ、あとは替えのカッターシャツくらいのものか。

 三枝がトランプ持ってくるって言ってたし、カバンの中身は必要最低限で済ませられそうだ。

 それにしても、面倒なことに変わりはないので、さっさと帰って終わらせておきたい。

 だと言うのに。


「夏目。この後時間あるわね?」

「……」


 椅子から立ち上がった僕を呼び止める声が。しっかりと疑問形で聞いてきているはずなのに、そこには有無を言わさぬ圧力を感じてしまうのは、気のせいだろうか。

 さて、呼び止めてもらってなんだが、僕は声の主である白雪と、未だにどう接すればいいのか分からないでいる。

 あんな事があった後だから距離感を掴めていないのも確かだけど、寧ろ白雪がいつもと同じか、それ以上にグイグイ来るので困惑しているのだ。


「まあ、一応空いてるけど。そうじゃなかったとしても、拒否権なんてないんだろう?」

「よく分かってるじゃない」


 なにが楽しいのか、クスリと微笑んでみせる白雪。あまり笑顔を見せるなよ、可愛すぎるぞ。


「で、お姫様は何用で?」

「買い物に付き合いなさい。あなたには荷物持ちをさせてあげる」

「もう少し言い方はないのか。そんなだと僕じゃなくても行く気無くすぜ?」

「ついでに、聞いておきたいこともあるし」


 聞いておきたいこと、ね。心当たりがありすぎて、果たしてどれを聞きたいのかサッパリだ。

 しかし、こうして誘われること自体は嬉しいと思う自分がいるのも、また事実で。


「分かった、お供致しますよ」

「よろしい」


 三枝と井坂がニヤニヤとこちらを見てる気配を感じたが、それらを無視して教室を出る。

 白雪は相変わらずの無表情で僕の隣を歩いていて。それがなんだか、とてもむず痒い。彼女が今、なにを思って僕の隣を歩いているのか。それが全く分からない。

 分からないのなんて当たり前だ。僕は人の心が読める超能力なんて、持っていないのだから。でも、分かりたいと、知りたいと、傲慢にも願った。その願いは嘘ではない。


「難しい顔をしてるわね」


 暫く歩いて、校門を出た時だった。こちらをチラリとも見ていない癖に、隣の白雪から声がかかる。そこに色を感じさせない、平坦な声。

 けれど、僕には分かる。この数ヶ月で、分かるようになった。その奥底にある、僕を気遣うような色を。


「……そうかな。別に難しいことを考えてるわけじゃないんだけど」

「でしょうね。どうせ簡単なことを、難しく考え過ぎてるだけなんでしょう」


 あまりにもにべもなく切って捨てられた。しかし、それが白雪桜と言う女の子だ。言うことははっきりと言う。そこにちょっとの毒を添えて。

 その表情も、その声音も、その言葉も。どれを取ってもいつも通り。だからこそ、考え込んでしまっているのだけど。


「あなたからすれば、私があなたに対して今みたいな接し方をするのは、困惑する以外ないのかもしれないけど。私からすれば、最近のあなたの方が謎よ」

「最近のって言うと……」

「一昨日から、ね」


 やっぱり。白雪も、三枝と同じところで、僕に違和感を感じたと言うらしい。

 僕自身でも分からない違和感。


「少し、話しながら歩きましょうか。さっき言ってた聞きたいことも、今のうちに聞いておきたいし」

「……うん」


 買い物をどこでするのか、具体的になにを買うのかは全く聞いていないけど、自然と足は駅の方に向かっている。となれば、目的地は四宮のモールか、浅木の百貨店か。買うものも恐らくは、明日からの修学旅行に必要なものだろうし。


「まず最初にはっきりさせておきたいんだけど。罰ゲーム云々は、もうどうでもいいわ」

「えっ」


 初っ端から予想外の言葉を聞かされた。どうでもいいって、いや、そんなまさか。

 面食らった僕を見て、白雪は訝しげに眉を顰める。


「なに、まさかそのことで悩んでたの?」

「そんなことって言うけど、僕は君を騙してたことになるんだぞ? だって言うのに、どうでもいいって……」


 彼女には僕を裁く権利があるはずだ。いくら罵倒されても仕方のないことをしていたのだから。

 けれどそんな考えを笑い飛ばすかのように、白雪は嘆息する。本当に嘆かわしいとでも言いたげに。


「あのね。恥ずかしいから一度しか言わないけど」


 そして少し頬を赤らめこちらをキッと睨んだ後、やっぱり視線は逸らされて、言葉を続けた。


「あの程度で気持ちが揺らぐほど、あなたへの想いは軽いものじゃないのよ」


 聞いた僕まで赤面してしまうような一言だった。だって、どんな捉え方をしたってそれは、僕が罰ゲームに課せられていたものと同じもので。

 なんだってこんなタイミングで、そんな言葉を聞かされているのか。


「でも、あの時君、泣いて──」

「泣いてない」


 食い気味に言われた。


「確かに、罰ゲームを肯定された時は悲しかったわ。泣いてないけど。泣いて、ないけどっ」

「ああ、うん。泣いてなかったね……」


 余程泣いてたことを肯定したくないのか、割と強めの語調で言われる。でも僕、君の泣き顔一度見てるんだけど。言わない方がいいか。


「でもね、そこに疑問を感じるのよ」


 赤らんでいた頬は元の色を取り戻し、真剣な眼差しでこちらを見据える。

 信号に引っかかり、歩く足を止める。平日の昼間でも車の通りはそれなりに多くて、でも車の走行音はどこか遠くに聞こえてしまう。


「三枝とか灰かぶりとか、あとはチビとかが事情を聞いてたら、全く同じことを聞くと思うんだけど。どうしてあなたは、あの時肯定してしまったの?」


 まさしく、三枝と全く同じ質問だった。そして、僕が答えられなかった質問でもある。

 どうして僕は、あの時白雪の問いかけに、肯定の言葉を返したのか。

 嘘をつき続けるのは誠実じゃないとか、白雪の表情を見てしまったら思わずとか、そんなこじつけはいくらでも出来るけど、そうじゃない。

 僕の根っこのところでは、本当はどう思っていたのか。


「質問を変えましょうか」


 青になった信号を渡り、また隣り合って歩く。学校から駅までは約十分程。もう五分程度歩いているので、残り五分。この問答も、その間だけだろう。


「あなたは、一体なにに怯えているの?」

「怯えて……?」

「そう。あなたは確かに、何かに対して恐怖を抱いている。それがなんなのか、まあ、私はちょっと考えたら分かっちゃったんだけど」

「分かっちゃったのか……」

「ええ。普段からどれだけ、あなたのことを考えてると思ってるのかしら。これくらいならお茶の子さいさいよ」


 ちょっと白雪さん不意打ちでそんなこと言うの辞めてもらえませんかね? 嬉しいやら恥ずかしいやらでどんな顔すればいいのか分かんないから。なに、告白紛いのことして開き直っちゃったの?


「でも教えてあげない。あなたが自分で考えて、自分で答えに辿り着かないといけないから」

「ヒントくらい、くれないのか?」

「そうね……」


 顎に手を当てて思案顔の白雪。ちゃんと前向いて歩かないと危ないぜ、とか言おうと思ったけど、さっきまでもこっち見て会話しながら歩いてたので、頗る今更だ。

 やがてなにかいいヒントでも思いついたのか、細く綺麗な人差し指をピンと立てて口を開いた。


「これはあなた自身も無意識かもしれないけど。夏目智樹は、常に周囲から一歩引いて、壁を作っている。それはどれだけ親しい相手にも関わらず」

「は?」


 思わず失礼な声が出た。けれど、白雪の出したそのヒントが、想像以上に予想外過ぎて、そんな声しか出せなかった。

 僕が、壁を作ってる? 親しい相手、それこそ三枝や神楽坂先輩、理世や後輩たちにまで、と言うのか?


「やっぱり、自覚はないのね」

「……どう言うことなんだ?」

「例えば、呼び方。あの灰かぶりはどうせ向こうから強要したんだろうし例外として。あなたは親友である三枝ですら、常に苗字で呼ぶ。中学時代から仲のいい後輩二人や、お世話になってる紅葉さんにも。そして苗字で呼ぶだけじゃない。これは流石に気づいてると思うけど、彼ら彼女らを名前で呼ぶ以外に、あなたはなんで呼んでる?」


 その言葉の意図を掴めぬままに思い返す。けれど、それにしてもおかしなところなんて見当たらない。


「三枝には事あるごとに親友と呼び、紅葉さんには先輩を常に付けて、後輩二人も名前もつけずにただ後輩と呼ぶことが多々あったわ」

「だから、僕が壁を作ってるって言うのか?」

「罰ゲームにいつまでも拘り続けてるのもしかり、ね」


 本当に、特に意味なんてないつもりだった。強いて言うなら、その場のノリとか。でもそこには意味があるのだと、白雪は言う。

 そして、僕を縛り付けていた罰ゲームすらも。


「少しヒントを出し過ぎたかしら」

「そんなことないよ。実際、未だ持ってして僕は全く分からないんだし」

「なら精々頭を悩ませなさい。っと、ここまでね」


 気がつけば、駅に到着していた。まだ僕はなにも答えられていないのに、残念ながらこの話はここでお終いのようだ。

 白雪は定期券を持っていないから切符を買って、二人で改札を通る。四宮駅までの切符を買ったようだから、今日はそこのモールへ行くらしい。ここまで目的地聞かされてないってどうなんだ。


「答え合わせは土曜日ね」

「土曜ってことは……」

「ええ。罰ゲームと一緒に聞かせなさい。それまでは、まだ待ってるから」


 そう言って微笑んだ白雪。まだ、ってことは、今でも十分待たせてしまっていると言うことで。

 やっぱり、どこか開き直っちゃってるじゃないか。可愛いからいいんだけど。

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