第91話

 新幹線にワクワクしてしまうのは、男の子ならば誰でも同じだと思うんだけど、どうだろう。だって新幹線だぜ? 乗ったことがない事はないけど、普段乗る機会が滅多にない。その非日常感だけでもワクワクするのに、極め付けはその速さ。男は速いことに憧れるのである。


「ふわぁ……」

「だらしない顔ね。今日が楽しみで眠れなかった?」


 二人掛けの席。その窓際に座る白雪が、通路側に座る僕へ声をかけてきた。下された簡易テーブルの上にはチョコやらクッキーやら甘いお菓子が大量に並んでおり、今もきのこの山を口に運んでいる。僕は里派だ。


「グローブ触ってたら、夜中になってたんだよ。そこから今日の準備して、寝たのは深夜二時」

「私としては嬉しい報告ね」


 クスリと微笑む白雪を横目に見ながら、持ってきた缶コーヒーを口に含む。カフェイン全然効かないんだけど。めっちゃ眠い。


 さて。雲ひとつない快晴と天気に恵まれた今日。ついに修学旅行が始まった。

 昨日の夜は白雪に言った通り、グローブをずっと触ってて寝るのが遅くなったのだけど、それは半分本当で半分嘘である。

 実際は準備も終えてベッドに入ってから、中々寝付けなかった。楽しみで、と言うよりも、土曜日のことを考えると緊張してしまって。

 けれど今日こうして白雪の顔を見ると、その緊張も吹っ飛んで眠気の方が勝ってしまうのだから、おかしな話だ。


「向こう着くまでどれくらいだっけ?」

「一時間ちょっとかしら」

「じゃあその間寝とこうかな」

「それだと私が暇になるでしょう」

「いつもみたいに本読んでたら?」

「持ってきてないわよ」


 これは珍しい。と言うか、予想外。ちょっと前までの白雪なら、僕が隣にいたとしても問答無用で文庫本を開いていただろうに。そうでなくても、ホテルの中でなんかは同室のクラスメイトを放ったらかして読み耽るものだと思っていた。現に、教室内での白雪は僕や井坂や三枝が話しかけない限り、そうしているから。

 けれど、そもそもこの修学旅行に持ってきてすらいないと言うことは、白雪本人に周囲と関わりを持とうとする意思があると言うことで。


「君も随分変わったな」

「あなた達にほだされたのよ。そう言うことだから、寝るのは許さないわよ」

「仕方ない。お姫様の仰せの通りに」


 と言っても、新幹線の中で出来ることなんて少ない。トランプやウノなんかは三枝に任せたから、僕の手元にはないし。雑談くらいしかすることがない。でも暇つぶしに付き合えと言った白雪は、さっきからボリボリとお菓子を頬張っている。本当よく食べるな。お弁当はそこまで食べてるわけでもなかったから、甘いもの限定ということか。


「そう言えばさ」

「なに?」

「出雲からなんか言われたりしたか?」


 昨日は色々あったので忘れていたが、彼のことを井坂から忠告されているのだった。まさか、過去のストーカー男達みたいな真似をするとは思えないけど、なにかあってからでは遅い。

 しかし尋ねられた白雪は、ああ、と何かを思い出すように口を開いた。


「あれなら別に問題ないわ。適当にあしらっといたから。男子同士、精々仲良くしとくことね」

「あしらったって、なにしたんだよ……」

「そこはご想像にお任せするわ」


 既に出雲がなにかしらちょっかいを出して、しかし白雪姫の毒林檎に完膚なきまでに叩き潰された、という事だろうか。まあ、そうなのだろう。それ以外想像出来ない。

 白雪がそう言うなら、特に問題視しなくても大丈夫そうだ。同じ班なのだし、これを機に交友を深めるのもありかも。


「彼が君の毒舌の餌食になったと思うと、同情を禁じ得ないよ」

「安心しなさい。あなたに対する毒の方が強いから」

「なにも安心できないんだけど」

「いつも毒みたいな飲み物飲んでるんだから、耐性くらいあるでしょ?」

「いい度胸だな白雪。君は今、全世界の無糖好きに喧嘩を売った」


 あんな美味しい飲み物を毒とはいかなる了見か。


「私にとっては毒と同じよ」

「僕にとっては、君がいつも飲んでるカフェオレの方がよっぽど毒だよ。糖尿病とか怖いし」

「細かいこと気にしてたら禿げるわよ」

「細かくないだろ……」


 言いながら、本当に気にしてないのか、テーブルの上に広げられたお菓子をまた口に運ぶ白雪。どうやら今ので最後だったらしく、残ったゴミを丁寧に袋へとしまった。


「ふぅ、お腹いっぱい」

「よくもまあ、朝からそんなに食べられるね」

「朝ごはん食べてないのよ。早かったでしょ?」


 今日は駅に直接集合で、その時間なんと六時半。まあ、結構早い方だろう。学校が始まるよりも一時間半早いし、白雪は家から学校が近い代わりに、集合場所の駅までが遠かったから、いつもよりかなり早くに起きていたのだろう。


「なるほど、白雪は朝が弱い、と」

「否定はしないけど。この時期特に辛いのよね。布団に潜ってると気持ちよくて」


 想像してみる。ふかふかの布団と毛布に包まり、気持ちよさそうに寝ている白雪を。

 ……うん。可愛い。これだけでご飯三杯はいける。国の有形文化財に指定されてもなんら不思議ではないな。


「そう言うことだから、私はそろそろ寝るわね」

「えっ」

「枕代わりは頼んだわよ」

「人に寝るなって言っておいてそれはどうなんだ」

「おやすみ」

「聞けよ」


 僕の話なんて一つも聞かず、白雪は流れるような動きで僕の肩に頭を置き、目を閉じてしまった。程なくして寝息が聞こえ、どうやら本気で寝てしまったみたいだ。

 ため息を一つ漏らしながらも、そんな白雪の寝顔を眺める。閉じられた長い睫毛と、桜色の唇。黒く艶やかな髪の毛には、今日もあの花飾りが咲いている。規則正しく動く胸は、確かに自己主張が少ないけれど。

 相変わらずのわがままっぷりに呆れもするが、普段よりも幾分か幼く見える寝顔を見せられると、少し微笑ましくもなってしまうもので。調子に乗って、ゆっくりと彼女の長い髪を撫でてやる。

 が、その時。

 パシャッ、と。なんだか随分軽快な音が鳴った。その音の出所、前方に顔を向ければ、メガネを妖しく光らせた井坂が、ニヤニヤした顔でこちらにスマホを向けている。

 つまり、見事にパパラッチされてしまった。


「おい」

「なにかな少年」

「君はなにをしてるんだ」

「修学旅行の思い出を写真に収めてるだけだよん」


 言いながら、井坂はまだ写真を撮り続ける。やめさせようと手を伸ばすも、軽くかわされてしまい、今度は別の角度から撮影している。


「あんまり動くと、姫が起きちゃわないかにゃー?」

「くっ、卑怯な真似を……!」


 にゃはははー! と高らかに笑いながら、パシャパシャと撮影を止める気配はない。誰か、誰でもいいから僕の代わりにあのキャラ崩壊メガネを止めてくれ。

 そんな願いを込めて、通路を挟んだ向こうのシートに視線を移すと、そこに座っている親友と目があった。三枝は僕の意思を汲み取ってくれたのか、こちらからなにか言う前に一つ頷いてみせる。

 やっぱり、持つべきものは親友だな!


「おい井坂」

「ん、どうかしたかにゃ、三枝クン?」

「そこは写真じゃなくて動画の方がいいだろ」

「ナイスアイデア!」

「裏切ったな三枝!」


 やっぱり親友なんて持つべきじゃないじゃないか!


「おいおい、俺は智樹の味方をするとは一言も言ってないぞ?」

「じゃあさっき頷いたのはなんだったんだよ!」

「もちろん、お前の勇姿はしっかり録画しておくぜ、って意味だぞ」

「ふざけるなよ親友。いいのか? 僕はここで、君のヘタレ伝説を井坂に語ってやることだってできるんだぜ?」

「なにそれ超聞きたい!」

「待て智樹、早まるな。いや、て言うか、ヘタレ伝説ってなんだよ。どれのこと言ってんだ?」

「あれは、そう。まだ文化祭前、三枝が神楽坂先輩とモールにデートしに行った時のことだ」

「なんでお前がそん時のこと知ってんだよ⁉︎」

「残念だったな親友。君の痴態は僕と白雪がばっちりこの高性能な脳みそに記憶済みだよ!」

「尾行してたのか⁉︎ お前ふざけんなよなにしてんだよ!」

「おっと、若しくは君が先輩の家に行った時のことの方が良かったか」

「三枝クン、まさかもう大人に……!」

「違う! こいつの話に耳を貸すな井坂!」


 なんて、三人でどったんばったん大騒ぎしていると。


「うるさい」


 僕の隣から、地獄の底から這い上がってきたような声が聞こえた。まるで喉元に見えないナイフの切っ先を突きつけられているような、生殺与奪権を完全に奪われてしまった感覚に陥る。

 無論その声の主は、白雪だ。閉じてた目を薄く開き、僕、三枝、井坂の順で睨んだ後。


「あなた達、後で覚えておきなさい。私の睡眠を邪魔した罪は、重いわよ?」


 それだけ言って、再び瞼が閉じられた。

 そんな声を聞いてしまっては、井坂はスマホをしまうし、三枝はガチビビリした顔で口をつぐむ。

 そんな中、再び肩を枕にされた僕が、二人の気持ちを代弁した。


「怖すぎるでしょ……」


 白雪の睡眠を邪魔するな。

 新たな教訓を得た、修学旅行初日の新幹線。出来れば修学旅行中じゃなくて、もっと別のタイミングがよかった……。

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