第86話
井坂の助言を思い出してみよう。
罰ゲーム云々の方ではなくて、もう一つ。修学旅行の班のメンバーになった、出雲についてだ。井坂は、彼がなにやらキナ臭いと言っていた。そう感じた理由も、まあ納得できないわけではなかった。
白雪姫の毒林檎に真っ向から楯突くやつなんて、今まで僕は見たことがなかったのだ。僕や三枝は適当に受け流すだけだし、神楽坂先輩や井坂にはそもそも毒を吐かない。唯一の例外は理世と小泉だけど、ここは僕のせいで色々と関係がこんがらがっているので、本当に例外だ。
これまで白雪と全く接点のなかった男子が、二学期始めに起きたあの一件を経てもなお、白雪と対等に口論を交わす。
あれ以降の、白雪を避けるようなクラスの空気を考えれば、ある種異質なものだ。
そんな出雲秀行とはどのような人間なのか。
僕が知ってる限りで言えば、白雪と同じオタク趣味を持っていて、しかし教室内ではオタク仲間以外の男子とも仲良く会話していて、背が低く顔立ちもどこか幼い童顔で、という事くらいか。
土曜日に理世にも出雲のことを知ってるか聞いてみたのだけど、僕が思ってるよりも交友範囲が広いと言うのと、女子から結構人気があると言うことくらいしか分からなかった。
いつぞやの女子に人気ランキングだか付き合いたい男子ランキングだかでは、四位らしい。智樹くんよりも上だねって笑顔で言われた時はちょっと心が折れそうになった。
とまあ、出雲について分かっているのはこれくらい。確かに金曜日のことは違和感を感じるには十分かもしれないけれど、その違和感が確信に変わる何かが分かったわけでもない。
週があけて月曜日である今日、僕はそんなことよりももっと別のことに頭を悩ませなければならないのだ。
そう、白雪と三日目を回るのに、なんて声をかけて誘えばいいのか。
「で、悩みに悩んだ挙句、もう放課後ってわけか」
「無様な僕を笑ってくれよ……」
「一周回ってむしろ笑えねえよ。ふつうに声かけるだけだぞ? なにをそんなに悩んでんだか」
全ての授業が終了した放課後、机の上に突っ伏した僕と、その隣に立つ呆れ顔の三枝。
彼女持ちのリア充な親友は簡単に言ってくれるけど、三日目に二人で回ろうとかそれもう完全に告白しますよって言ってるようなものじゃないか。いやするんだけど。それを知られちゃってもいるんだけど。
でもほら、実際に誘うとなると、やっぱり直前で二の足踏んじゃうわけで。
「はぁ……智樹、ちょっと立て」
「なんだ三枝、親友である僕のあまりの愚かさに腹が立ったとかか? 頼むから殴らないでくれよ」
「いいから、ほらさっさと立てよ。腹が立ってるのは当たり前だが、それで殴るほど俺も短気じゃない。だから、殴る代わりに背中を押してやるって言ってんだ」
「ちょ、待て、待ってどこに連れて行くんだ」
言われるがままに立ち上がると、そのまま力任せにずるずる引きずられる。僕よりも身長が高い上に力のある三枝に抵抗なんて出来るわけもなく。出荷される豚のように引きずられた先は、教室後方の窓際、白雪の席だった。
「よう白雪さん。ちょっといいか?」
「なに?」
部室に向かうために荷物をまとめていた白雪の、いつも通りな無表情と平坦な声が投げられる。いつも通り、な筈なのに、僕の心境故か常よりも冷たい印象を持ってしまう。
「智樹が話あるんだと」
「夏目が?」
「おう。俺は先に部室行ってるから、じっくりお話しといてくれや」
「お、おい三枝!」
「そんじゃごゆっくりー」
ケラケラと楽しそうな笑い声を上げながら、薄情な親友は教室を去って行った。一方で状況をイマイチ掴めていないのか、白雪はキョトンと小首を傾げている。可愛いなこんちくしょう。
「で、話ってなにかしら」
「……取り敢えず、場所を移さないか?」
部活に向かったり帰宅した生徒はいるものの、教室内には疎らにクラスメイト達が残っている。三枝が目立つような方法で僕をここまで連れてきたから、何人かの視線も頂戴してしまっているようだ。
そんな中で切り出す勇気があれば、そもそもこんな状況には陥っていない。
「じゃあ、自販機にでも行きましょうか」
「それがいい」
白雪も周囲の視線に気づいていたのか、少し細めた目で教室内を見渡した。睨みを利かせたとも言う。
立ち上がりカバンを持った白雪を連れて、自販機へ向かう。コーヒーでも飲まないとやってられないので、この提案はありがたかった。
金曜日にも自販機前で井坂と会話したばかりだけど、今回はその時みたいに真剣な話ではない。いや、見方によってはそうも見えるし、僕自身結構真剣なつもりなのだけど、金曜に比べればまだ明るい話題、のはずだ。
図書室前を経由して辿り着いた自販機。互いにここまでなにも喋らず、お互いいつもの飲み物を購入した。
「最近、野球部はどうなの?」
プルタブを開けて一口コーヒーを呷ったところで、白雪が尋ねてくる。脈絡のない質問に少し戸惑いを覚えたけど、彼女がそこを気にするのも、まあ当たり前か。
野球部がどうと言うよりは、僕の調子を聞きたいだけだろうし。そもそも白雪は野球部自体にはあまり興味を持っていないのだ。
「ボチボチだよ。そろそろ全盛期と同じくらいには投げれるようになって来た。まあ、樋山には結構負け越してるんだけどね」
「因みに、何勝何敗?」
「八勝三十二敗」
「全然ダメじゃない」
いやいや、八回も打ち取れてる時点で結構頑張ってる方なんだよ。僕がダメなんじゃなくて、樋山が化け物なだけだから。
「でも、楽しんでるようでなによりだわ」
そう言って小さく微笑んだ白雪は、まるで自分のことのように喜んでいて。
ああ、ダメだな。もう後戻り出来ないくらい、僕はこの子のことが好きみたいだ。分かっているつもりではあったけど、改めてそれを自覚させられると、彼女の顔を直視できなくなりそうだ。
「それで、話ってなにかしら?」
「あ、ああ。別に大したことじゃないんだけどさ」
どうやら見惚れてしまっていたのは、悟られていないみたいだ。視線をこちらに移した白雪は、もう笑顔を引っ込めて無表情に戻っている。
そんな彼女に、無駄な前置きを挟んでから、意を決して伝えた。
「修学旅行の三日目、空いてるか? もし良ければ、一緒に回ろうかと思ってさ」
「あなたと、二人で?」
「勿論」
心臓が煩いくらいに脈打つ。白雪の声がその脈音にかき消されないように、しっかりと耳をすます。
こんなことを伝えるのですら緊張してしまっているのだから、本当に告白なんてする時は、もしかしたら一周回って心臓止まっちゃうんじゃないだろうか。
果たして口を開いた白雪の言葉は、心臓の爆音すらもすり抜けて、僕の耳にあっさりと届いた。ただし、衝撃をともに引き連れて。
「それは、罰ゲームのため、かしら?」
「……っ」
覚悟をしていなかったわけではない。いつか聞かれるかもとは思っていた。けれど、不安に揺れるその瞳を見るのは、予想以上につらかった。
いっそ責めてくれれば楽だったのに。白雪は一縷の望みを捨てきれず、僕を見つめる。
「……そうだよ」
違う、と言うのは簡単だったかもしれない。実際には罰ゲームだなんてもう関係なくて、僕が君と一緒に三日目の時間を過ごしたいだけだと、そう言葉にするべきだったのかもしれない。
でも、その瞳で見つめられると、そんなこと出来なかった。
白雪の目から徐々に色がなくなり、やがてその長い睫毛を伏せてしまう。力無い声で、そう、と呟くと、中身のまだ残っているはずの手に持っていた缶をゴミ箱に捨てた。
どうして、いつもみたいに口汚く罵ってくれないんだ。らしくなくても怒鳴り散らしたっていいじゃないか。それだけの事実を、彼女は告げられているのに。なんで。
「ごめんなさい。そう言うことなら、断らせてもらうわ」
「白雪っ……!」
それからこちらを一瞥もせず、白雪はどこかへ去って行ってしまった。僅かに見えた雫は、気のせいなんかじゃないんだろう。
一人取り残された僕は、自販機にもたれかかって残ったコーヒーを一気に呷る。苦い。僕の好きな苦味のはずなのに、それが苦しい。
「なにやってんだよ、僕は……」
空き缶を握る手にいくら力を込めても、潰れてくれることはない。苦味は僕の胸の中にまで侵食してしまってるみたいで、自分にイライラしてくる。
それでも、土曜日の決心を鈍らせたわけではない。
必ず、修学旅行中に伝えるんだ。罰ゲームなんて関係ない、僕の気持ちを。
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