第85話

 土曜日。修学旅行がすぐそこまで迫って来ている今日この頃。僕は今日もまた、野球部の練習に顔を出していた。

 我が校の野球部の顧問は野球未経験者だ。故にノックもまともに出来ず、練習の指示を出すことすら出来ない。ノックは部員がローテーションで回していたらしいし、練習内容も本人達で考えていたそうだ。

 しかし、今年になって事情が変わった。

 まず四月にマネージャーとして小泉が加入した事で、より効率的な練習メニューを組む事が可能となったのだ。彼女のマネージャーとしての能力は非常に高く、中学の頃も顧問から相談される事が多々あった。

 そして夏休み、新チームとなってからは僕が週に三日ほど練習に顔を出すようになり、バッティングピッチャーとしてはおろか、ノックも僕が打つようになったので、部員のみんなはより一層練習に励む事ができるようになったのだ。

 勿論顧問の先生も、野球未経験と言うだけで、各サポートはしてくれている。練習試合の申し込みや、使えなくなって新しいのが必要になった道具の手配。また、先生なりに調べてストレッチの仕方や日頃の食事のアドバイスなどもしてくれるらしい。

 恵まれた環境とは言い難いが、それでも部員とマネージャー、顧問が一丸となって精一杯頑張り、楽しんで野球をしているのだ。


「夏目、この後投げれるか?」

「ん、任せてくれよ」

「いつも悪い」

「僕も楽しんでるから、お互い様さ」


 部長の新井から指示され、マウンドに上がる。実戦形式の練習だ。バッターボックスには樋山が入っていて、キャッチャーは控えの二年生が。彼にも何度か僕の球を受けてもらってるので、本気で投げても問題はないだろう。


「智樹くーん。今日は五十球までだからねー」


 ベンチの方から理世が声を掛けてくる。僕の肩の調子を把握している小泉からの指示だろう。


「たまには僕も、バッターボックスに立ってみたいんだけどな」


 マウンドの上でひとり呟き、何球か軽く投球練習を。樋山とは練習の最中に何度も対決じみたことをしているけど、今のところ僕の負け越しだ。そろそろ完全に硬球にも慣れて来たし、全盛期に近い状態まで持ってくる事が出来たから、先輩としての意地を見せておきたい。

 余計な雑念は捨て、構える。目の前のミットに集中して、吸った息を吐いた。

 振りかぶって投げたボールは内角に真っ直ぐ突き進む。初球から果敢にスイングした樋山のバッドに当たるものの、どん詰まりのレフトフライに打ち取ることができた。

 今のを外野まで運ばれてる辺り、我が後輩ながら末恐ろしい。まあ、なんにせよ。


「これで八勝三十二敗だな」

「勝ち越すまで遠いぞ夏目ー」

「生徒会始まったら余計に難しくなるかもなー」


 野球部員達から楽しげな声が聞こえてくる。観客みたいなノリでいるけど、君たち一応守備に入ってるんだから僕の味方だろう。


「智樹さんのボール、最近手元でめっちゃくちゃ伸びてくるんだよな。全盛期超えてるぞあれ」

「いい練習相手になっていいんじゃない? ほら、さっさと防具着けてキャッチャー変わって」

「綾子ちゃんは相変わらず修二くんに厳しいね」


 ベンチの方で楽しげに会話している声を聞き流しながら、続くバッターに意識を向ける。次のバッターはいつも二番を打ってる関本と言う二年生だ。バントなどの小細工やバットコントロールが頗る上手い。際どいコースに投げても、いつも上手くヒット性の当たりを飛ばすか、少なくともランナーを進めるためのなにかしらをしてくるようなやつ。

 全く、樋山と言い新井と言いこの関本と言い、なんでこんな上手いやつらがこんな高校にいるのかね。もっといいとこ行けばいいのに。


「今日はピッチャー返しだな!」

「君が言うと本当にこっち来そうで怖いな。せめてセンターに持って行ってくれ」

「なかなかそうさせてくれない癖によく言うぜ!」


 まあ、バットに当てさせなければいいだけなんだけど。こう言うときなんて言うんだっけか。

 別に、三振に打ち取ってしまっても構わないのだろう? だっけ?




 本日の練習は午前で終了だ。午後から予定があるわけでもないので、理世に誘われて小泉と樋山も誘い、四人でファミレスに行くことになった。安くて早くて美味しいみんな大好きサイゼリヤ。学校から一番近いのはガストだけど、理世の熱望によりサイゼになった。まあ、安いからね。

 四人で席について注文を告げたのだけど。


「それでもドリンクバーくらい頼んだらどうなんだ」

「お水があるんだから、無駄金使うわけにはいかないでしょ?」


 久し振りに理世の守銭奴っぷりをみた気がする。真顔で言ってるあたり、本気でそう思っているみたいだけど、無駄金ではないと思うよ。


「そう言えば先輩方、来週には修学旅行ですよね」

「うん、そうだよ。関西の方に三泊四日でね」

「なーんでうちも海外とかじゃないんですかねー。そうじゃなくても沖縄とか北海道とか、もっとあると思うんですけど」


 自分が行くわけでもないのに、頬を膨らませて文句を言う小泉。まあ、僕もそう思ったことがないわけではない。海外は無理でも、もう少し他になかったのかと。


「沖縄は中学の時も行っただろう? それに、修学旅行って言うくらいなんだから、あくまでも何かしら学を修めに行くんだ。遊びに行くわけじゃない」

「そんな考え方してるの、智樹さんくらいだと思いますけどね」

「て言うか、夏目先輩はどこ行こうが白雪先輩とデート出来るんだからいいじゃないですか」

「ねー。ほんとにねー」


 やめて理世、そこに便乗しないで。目が笑ってないから。


「どうせ自由行動の三日目も、白雪さん誘ってるんでしょ?」

「いや、誘ってないけど」

「えっ、じゃあ夏目先輩、なにしに修学旅行に行くんですか?」

「君は僕をなんだと思ってるんだ……」


 そもそも、今は誘えるような心境でもないのだし。一昨日まではそのつもりでいたけど、今となっては話が違う。白雪が罰ゲームのことを知ってしまった以上、断られる可能性だって大いにあるのだから。

 今現在白雪の態度が全く変化ないことも含めて、不確定要素が多すぎる。

 などと雑談を交わしていると、注文した料理が運ばれて来た。まだドリンクバーのジュースを汲んで来てから一度も飲み干していないと言うのに。さすがの早さだ。


「でも智樹さん、白雪先輩と仲直りしたんですよね?」

「樋山も知ってたのか、それ」

「私が教えました」

「勝手に教えるなよ」


 小泉はあの時、白雪から決別のラインが届いた時にまさしくその場にいたから、あまり関わっていなかったとは言え事情を把握していたけど。何故それを言いふらしてしまうのか。

 多分樋山以外にはなにも話してないとは思うからいいんだけど。

 しかし、和解できたと思ったらまた新しい問題が出て来ました、なんて言えない。後輩二人に呆れられるだけでなく、理世と白雪でまたなにか一悶着起きるかもしれないし。

 だけど、相談するには心強い三人とも言えるわけで。


「なあ理世」

「なに?」

「君って、結構な人数から告白されてるだろう?」

「まあ、そうだね。一番されて欲しい人からはされてないんだけど」


 今その話題は出さないで。小泉が食いついたら面倒だから。


「理世先輩、好きな人いたんですか⁉︎」


 ほら食いついた。意外にも樋山もちょっと興味あるっぽいし。まあ、理世は野球部のマドンナだから当たり前か?


「私だって華の女子高生なんだから、好きな人くらいいるよ」

「誰ですか⁉︎」

「さすがにそれは言えないかなー」

「先輩達が知ったら大騒ぎしそうですね」


 そしてその相手が僕だとバレてしまえば、僕は野球部員達に抹殺されてしまうだろう。なんなら学校中の男子を敵に回してしまうかもしれない。


「話を戻すけど」

「うん」

「理世が告白して来た男子の中で、もし罰ゲームで告白したやつがいたとしたら、どう思う?」


 もし、とか仮に、なんて話ではなく、事実として理世に振られた男の中にはそう言うやつが一人や二人はいただろう。男子高校生はその場のノリと勢いだけで生きてる(偏見)から、僕みたいにトランプで負けたやつがその勢いのまま吶喊していてもおかしくない。


「なんですか、その質問?」

「いや、ちょっと気になってね」

「へー」


 訝しむような小泉の視線を受け流しながら、理世の返答を待つ。なにやら小泉に勘繰られてる気もするけど、今は無視だ。


「うーん、あんまり考えたことなかったけど。ちょっと、いやかなりムカつくかな?」

「やっぱりそう思うよね……」

「もしかして、また白雪先輩となにかあったんですか?」

「あー、いや……」


 思わず言葉を濁してしまったのがいけなかった。三人の視線が僕に集中する。隣の理世からは呆れたような、向かいの小泉からはさっさと白状して楽になれとでも言いたげな、その小泉の隣の樋山からは苦笑まじりの。

 これはもう言い逃れできないか。この三人なら、話してしまってもいいと思えるし、外部に漏らすようなことはしないだろう。小泉はちょっと心配だけど。

 諦めたようにため息を一つ挟んで、全てを詳らかに説明した。


「実は……」


 四月にババ抜きで負けて言い渡された罰ゲームが、修学旅行で白雪に告白であること。

 当初乗り気じゃなかったものの、彼女への好意を自覚してしまったこと。

 故にこそ僕達から離れていく白雪を、必死に繋ぎ止めたこと。

 そして先月の体育大会の後片付けの時に、白雪にそのことがバレてしまったこと。それ以降の白雪の態度が今までと全く変わらなくて戸惑っていること。

 沸き起こる羞恥心を叩き伏せながらなんとか説明し終えると、ため息にもならない吐息が口から漏れた。

 こうして改めて振り返ってみると、なんともまあ、彼女一人に振り回されたものだ。

 正直どう言う反応をされるのかとても不安ではあったのだけど。


「それ、智樹くんが悩む要素ある?」


 真っ先に言葉を発した理世は、本当に分からないと言った風に問いかけて来た。その口調も眼差しも、純粋な疑問のみに包まれている。


「いや、だって、これって白雪を騙してたことになるじゃないか。そんなの」

「誠実さに欠ける、とか。そんなこと考えてるんですか?」


 向かいの小泉からも、盛大なため息と共に呆れたような口調の言葉を貰ってしまった。


「……それ以前の問題だよ。白雪だって、表面はどれだけ取り繕っていても、本当は傷ついたかもしれない」

「でもそれは、智樹くんの想像の話だよね。実際白雪さんがどう思ったのかは、白雪さん本人にしか分からないよ」


 たしかにその通りではあるのだけど。理世は、白雪の歪んだ劣等感をある程度理解している筈だ。僕からの又聞きとは言え、それを察せられない程に鈍い女の子ではない。

 それを理解していての、この発言ならば。


「そもそも、その罰ゲームを否定するような言葉を智樹くんが吐くのはどうなのかな。智樹くんの話を聞いてると、それがあったから今の二人の微妙な関係があって、白雪さんへの好意があるんでしょ?」

「そう、だけど……」


 罰ゲームから始まったこの恋は、やはりそれをやり遂げることで成就させるべきだと、変なこだわりを抱いていた。

 けれど、それが原因で白雪を傷つかせてしまうのなら、そんなものとっとと捨てるべきなのだ。


「そもそも、智樹さんが修学旅行よりも前に告白すれば解決するんじゃ?」

「樋山、それは言わないでくれ……」


 それが出来るほど、今の僕は心を強く持っていない。まあ、そう出来たら手っ取り早いのだけど。


「それに、白雪先輩になにも確認していない今の状態だと、ただの夏目先輩の独り相撲ですしね」

「前までの白雪さんと同じだ。一人の殻に閉じこもって、言い訳ばかり口にして、道を見誤る。白雪さんの時と同じで、ビンタしてあげたほうがいいかな?」

「それは勘弁してください」


 優しさがカケラもないんだけど。なんで悩みを相談したら追い討ちかけられてるの? 理世にビンタされたりしたら泣く自信あるぞ、僕。泣いた挙句白雪に泣きついて白雪にも侮蔑の視線とあらん限りの罵詈雑言をぶつけられるまである。


「現状を冷静に確認してみましょうよ、智樹さん。現状と言うか、今の智樹さんの感情を」

「別に、罰ゲームは始まりに過ぎないじゃないですか。夏目先輩は白雪先輩が好き。それだけがちゃんと分かってれば、私はなんとかなると思いますけど」


 真摯な口調の樋山と対照的に、小泉はどこか投げやりだ。いつもなら失礼なやつだとか思うんだろうけど、今ばっかりはそうも思えない。

 いや、やっぱりパスタ頬張りながらはちょっと失礼だよ。先輩をなんだと思ってるんだこの後輩は。


「二人の言う通り。罰ゲームから始まる恋愛だっていいじゃない。どうせ白雪さんだって智樹くんのこと好きなんだし。さっさと告白して付き合っちゃえば?」

「理世……」


 呆れ果てたのか、言葉には少し棘が混じってるようにも感じられる。見るからに不機嫌そうに唇も尖らせてしまって。こんな状況でもそんな様が可愛いと思えてしまうのだから、美少女と言うのはつくづくせこいと思う。

 でも、そうやって突き放したような物言いが、今は何故か少しだけありがたかった。


「その方が、私もキッパリ諦められるからさ」

「うん……うん?」


 さり気なく爆弾を落とされた。せめてもの仕返し、と言うことか。


「理世先輩ちょっと待ってください今のどう言うことですか⁉︎」

「えー綾子ちゃん聞きたい? 私が智樹くんにどれだけこっ酷く振られたのか」

「智樹さんも大変ですね、相変わらず」

「全くだよ……」


 さて。相談に乗ってもらったとこで状況はなに一つ変わっていないけど。

 やっぱり、修学旅行で告げよう。

 その決心だけは固まった。あとはまあ、なるようになるだろう。

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