第84話

 担任に班のメンバーを報告すると、人数分のしおりを渡された。それを白雪の席まで持って帰り、それぞれに手渡す。


「表紙、白雪桜って、いつの間にこんなの描いてたんだ……」

「ふふ、よく出来てるでしょ?」


 しおりの表紙は、白雪が描いた絵らしい。清水寺とグリコのマーク、それからポートタワーに女子生徒の絵が描かれたその右下に、ちゃっかり白雪の名前が載っていた。

 ドヤ顔しちゃうのが可愛いけど、いや本当いつの間に描いてたんだよこんなの。てか誰に頼まれたんだ。


「私の絵に見惚れてないで、さっさと行き先決めるわよ」


 しおりを開き、その中に書かれている二日目の行き先を検分する。兵庫県のポートアイランド、王子動物園、南京町、大阪の天満宮、難波千日前、通天閣と、割と色々用意されていた。

 この中から一つ選ぶわけだが、二日目に行けなくても三日目の自由行動がある。だからそこまで難しく考える必要もないだろう。


「僕はどこでもいいよ。みんなに任せる」

「わ、わたしも、皆さんの決めたところで……」

「姫はどこ行きたい?」

「難波一択ね」

「癪だけど、俺もそれに同意かな」

「なら難波でいいんじゃね? 俺もどこでもいいし」


 想像以上にあっさり決まってしまった。白雪がそこまで難波に行きたがる理由は、まあ、なんとなく察しがつく。確かあそこは、西のアキバと呼ばれるくらいの電気街だったはずだ。正確には難波じゃなくて日本橋だったと思うけど。

 出雲が同意したのも、それが理由だろう。こう言うところはオタク同士、話が合うらしい。

 問題は、そんなところに行って井坂や環さんが楽しめるかどうかだけど。まあ、井坂は白雪がいればそれでいいんだろう。それにメインはあくまでも、千日前の方だし。


「じゃあこれも、担任に報告してくる」

「おう、頼んだ」


 何故だか自然と僕が班の代表者みたいになってるけど、これも改めて決めるのはめんどくさいし、まあいいだろう。

 どうやら他のクラスメイト達も結構あっさり決まったみたいで、僕と同じタイミングで何人かが担任に報告しに来ていた。その後また白雪の席まで戻り、暫く雑談していると、授業終了のチャイムが鳴る。今日は終礼もなしに、そのまま解散となった。

 クラスメイト達は来週の修学旅行の話をしながらも部活に向かったり、教室に残って雑談したりしている。出雲と環さんもそれぞれ部活があるらしく、早々に教室を出て行ってしまう。


「白雪、僕は今日野球部に顔を出すけど、君は?」

「図書委員の当番よ。だから部活は不参加」

「じゃあ俺だけかよ。紅葉さんに来てもらおっかな」

「あんまり受験勉強の邪魔しちゃダメよ」


 神楽坂先輩は引退して以降、週に一度はふらっと部室に現れる。新しい部長がちゃんとやれているか心配で、とか言ってたけど、それを口実に三枝に会いに来てるだけだろう。

 まあ、それに対して文句を言うわけではないけれど。受験勉強ちゃんとやれてるのかこっちが心配になったりしちゃう。


「んじゃ、俺は部室行くわ」

「早く終わったらそっちにも顔出すわね」

「おう」


 三枝がカバンを取って教室を出る。さて、僕もそろそろ野球部の部室に向かわねばなるまい。練習に参加する以上、遅れたら小泉がうるさいから。


「じゃあ僕も、そろそろ行くよ」

「ええ。またね」

「ん、またな」


 着替えと道具の入ったエナメルを肩に下げ、僕も教室を出る。野球部に向かう前にコーヒーでも飲もうか。そう考えて足を自販機の方に向けると、ちょんちょんと背後から肩を叩かれた。


「少年、この後ちょっち時間いいかにゃ?」

「井坂? 別に大丈夫だけど」


 振り返った先には、メガネの奥の瞳を妖しく光らせた井坂が。口の端は厭らしく歪んでいる。それを見ただけで、なにかまた面倒な話なのかと構えてしまう。主に白雪のことについて。

 取り敢えず井坂を連れて自販機へと移動する。廊下じゃ他の生徒の邪魔になるだろうし、早くコーヒー飲みたいし。

 昇降口で靴を履き替え、いつものルートとは違い外から自販機へと向かう。約五分程で辿り着いて早々、小銭を投入してコーヒーを購入した。


「君も何か飲むか? せっかくだから奢るぜ」

「んー、じゃあいつも姫が飲んでるので」

「君もこの甘いのを飲むのか」

「姫にオススメされたらハマっちゃってねー」


 まさか僕が生きてる間にもう一度カフェオレのボタンを押すことになるとは。しかしご要望とあらば仕方がない。小銭をまた投入し、いつも白雪が飲んでいるのと同じカフェオレを購入して、井坂に手渡す。


「やっぱり美味しいにゃー。少年もたまには、糖分摂取した方がいいぜい?」


 プルタブを開けて一口呷った井坂が、ぷはーとおっさんみたいな声をあげる。女子高生的にそれはいいのか。


「余計なお世話だ。僕はカフェインさえあれば生きていけるからね」


 血液の半分以上をコーヒーにして死ぬと決めているのだ。そこに糖分なんてものを差し込む要素はカケラたりとも存在しない。


「それで、話って?」

「まあまあ、そう慌てなさんな」

「この後野球部に行くから、出来れば早く本題に入って欲しいんだけどな」


 なんて言いながらも、コーヒーを飲むスピードは至極緩やかだ。いつもより気持ち遅めに、チビチビと飲む。


「夏目君さ」


 井坂の顔から、笑みが消える。特徴的な喋り方も鳴りを潜め、低い声で、僕の名前を呼んだ。それに思わず驚いてしまい、身を震わせてしまう。いや、驚いたと言うのは正確ではない。

 明らかに、僕は今。目の前の女の子に恐怖したのだ。


「修学旅行の罰ゲームって、どう言うこと?」


 こちらを睨む視線は、言葉同様に鋭い。そこに込められた激情は幾許か。僕程度では計りかねる。


「ここ数日様子みたけど、その調子じゃ姫からは何も言われてないみたいだし。だから私から一応釘刺しとくけどさ」


 一体いつ、どこで井坂がそれを知ったのか。もしかして、白雪本人も知っているのか。疑問が沸き起こるも、それを口に出せない。なぜか。


「姫を泣かせたら、ただじゃおかないよ?」


 場違いにもほどがあるけど、安堵したんだ。白雪のために、ここまで怒ってくれる人間がいることに。白雪のことをこんなに大切に思ってくれる友人が、彼女にもできたことに。

 だから思わず笑みが漏れてしまったのは仕方ないことだし、それを見た井坂が眉を寄せるのも無理からぬことだろう。


「笑うとこじゃないと思うけど?」

「いや、悪いね。ちょっと嬉しくなっただけだよ。君が白雪の友達で、本当に良かった」

「はぁ……なーんか毒気が抜かれちゃったにゃー」


 わざとらしく肩を落としてみせる井坂は、もう先ほどまでの剣呑な様子を微塵も見せていない。口調もその表情も、いつもの必要以上にふざけたものと同じだ。

 場の雰囲気は弛緩したけど、それでも僕の緊張が解けたわけではない。だって、僕にとってはなによりも重要なことがまだ判明していないのだから。


「なあ井坂。もしかしてこれ、白雪も知ってたりするのか?」

「だから私がこうして釘を刺しに来たんでしょー。少年も察しが悪いぜい」

「マジか……いつの間に……」

「体育大会の後片付けの時。あの近くに、私と姫がたまたまいたんだよね」


 やってしまった。あの辺りは人通りが殆どないし、他の生徒達は後片付けに追われてるだろうからと完全に油断していた。

 こんなことになるなら、罰ゲームなんて照れ隠しの無駄な言葉は省いていればよかったのに。

 しかし、その割には今日までの白雪は、なにもおかしな所はなかった。距離を取られているわけでもないし、いつもより罵倒が多いわけでもない。

 本当にいつも通りで、そんな様子は微塵も見せていなかったのだ。


「聞き間違い、もしくはなにかの誤解か勘違いだ、って。自分に言い聞かせるみたいに姫は言ってたけど。そこんとこどうなの、少年?」


 確かに、額面通りの言葉ではない。罰ゲームなんてのは結局僕の言い訳に過ぎなくて、そのていを取っているのも、僕の変なこだわりによるものだ。


「僕は白雪桜が好きだ。それが答えだよ」


 久しぶりにはっきりと言葉にしたその気持ちは、自分で思っていたよりも滑らかに口から出た。それがまさか、本人である白雪はおろか、親友の三枝でも相談に乗ってもらった神楽坂先輩でもなく、井坂相手にだとは思いもよらなかったけど。


「やーっと言えるようになったねー。うんうん、それが聞ければ取り敢えずは安心、って訳にもいかないかにゃー」

「そうなのか?」

「姫、ああ見えて無理してるかもしれないからさ。少年はちゃんと気にかけてあげるんだゾ?」


 今の白雪を形作ったのは、小梅ちゃんや周囲に対する歪んだ劣等感。故に彼女は、無駄に悲観的になることが多い。それはこれまで彼女と過ごした時間を思い返せば、なんとなく察せられることだ。

 だから、今回も。口では勘違いだ誤解だと言い聞かせていても、ほんの少しでも疑う心があれば。

 決して強いわけではないあの子の心は、簡単に崩れてしまうだろう。そうならない為に、井坂が付いてくれているみたいだけど。


「それから、もう一つ」

「まだなにかあるのか?」


 そろそろ行かないと本当に小泉からお叱りを受けてしまいそうだけど、この場を切り上げるわけにはいかない。


「出雲君には注意した方がいいよ。なーんかきな臭いからさ」

「出雲が? それまたどうして」

「だって、少年もおかしいと思わなかったかにゃ? 少なくとも姫はクラスメイト全員から避けられてもおかしくない事をして、事実そうなっていたのに、何故か出雲君だけは普通に姫と接してるんだよ?」

「それは、環さんも同じだろう」

「たまちゃんはまだ姫と打ち解けたわけじゃないよん。あの子、極度の人見知りだから、誰に対しても今日みたいな感じなんだ」


 言われてみれば、環さんは常に井坂の後ろに隠れるようにして立っていた気がするし、白雪と会話するところも見ていない。

 となれば確かに、出雲の白雪への接し方は少し違和感が残る。


「だけど、考えすぎじゃないか? 僕達が白雪と普通に話してるのを見て、白雪を見る目を改めたとか。そう言うことかもしれないだろう」


 むしろその可能性の方が高いと思う。いや、そう考えるのが普通なのだ。

 それに出雲は、いつも連んでるメンバーからはぶられたところを三枝に誘われている。出雲本人の意図で僕達と同じ班になったわけではない。


「私の考えすぎだといいんだけどねー。でも残念なことに、こう言うときの私のは、大抵そうじゃない事が多いからさ。少年の罰ゲームみたいに」

「……その実例を出されると弱るな」


 まあ、頭の片隅には留めておくことにしよう。それよりも問題は、罰ゲームのことを聞いてしまった白雪の事なのだから。


「それじゃ、私はそろそろ帰るねん。姫のこと頼んだぞ、少年」

「言われなくても」


 カフェオレを飲み干した井坂は、缶をゴミ箱に捨てて去っていった。

 そしてひとりになった途端、思わずため息を漏らしてしまう。折角いろんな事が解決したと言うのに、また新しい問題が降って湧いた。僕の不注意によるものだけど、それでも憂鬱な気分になると言うものだ。

 さてはて、白雪に妙な誤解をされなければいいのだけど。



「罰ゲーム、ね。面白いこと聞いちゃったかな。これは使えるかもしれない」

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