第77話

 白雪が買ってきたギャルゲーは、結局攻略ヒロインを誰にするかで揉めてしまったため、別のゲームをすることになった。

 丁度白雪によく似たクールな黒髪ロングのヒロインがいたからその子にしようと言ったのだけど、なぜか嫌がられてしまった次第である。

 と言うわけで、僕達が今やっているのはFPS。コントローラーがひとつしかないので、マルチプレイを死ぬたびに交代してやってるのだけど。


「なあ白雪」

「なに? 集中してるからあんまり話しかけないで欲しいんだけど」

「······いや、ならいい」


 開始直後に呆気なく死んでしまった僕からコントローラーを受け取った白雪は、兵種を偵察兵に変え、コントローラーの感度も変え、武装も元の僕が設定していたものから大きく変えて戦場に繰り出した。

 正直、画面を見ていてもなにが起こっているのかさっぱり分からない。白雪がなにも見えないところに撃ったと思ったら、画面下部にヘッドショット判定の表記が現れ、適当に撒いているのだと思っていたC4爆弾を起爆すると四人一気に倒したマルチキルと分隊全滅の表記が現れ、敵に接近されると、一瞬だけスコープを覗いたと思ったらあっさり対処してしまう。

 これ、もう二度と僕の番来ないのでは?

 嫌でもそう思わされるようなプレイだった。


「あんまり芋ってて蹴られても嫌よね」


 ポツリと呟きを漏らすと、白雪の操作する兵士が匍匐の状態から立ち上がり、最前線であるフィールド真ん中のビルへ駆けて行った。

 現在やっているのは敵を殲滅すればいいだけのチームデスマッチではなく、拠点の奪い合いをするコンクエストだ。だから一人でも多く前線に出るのは間違っていないと思うのだけど。


「スナイパーライフルで大丈夫なのか?」

「大丈夫よ、問題ないわ」


 死亡フラグみたいなセリフを残し、ついに白雪の操作する兵士が最前線に辿り着いた。

 そこから先はもう、無双ゲーと錯覚するくらいの白雪無双。やって来る敵をバッタバッタと撃ち殺し、拠点をあっという間に奪い取り、やがて味方がすり減ってきた所を敵に攻め込まれ、そこで漸く白雪はキルされてしまった。

 白雪が撃ち殺した敵の数、合計で二十八人になります。


「まあ、こんなもんかしらね」

「すごいな······」


 最早感嘆するしかない。そのドヤ顔はちょっとムカつくけど。

 僕なんて調子が良い時でも、連続十キルが限界なのに。白雪はいとも容易く、その三倍近いキル数を稼いだ。彼女の情報処理能力はどうなっているんだ。


「さて、次はあなたの番よ。夏目三等兵」

「誰が三等兵だ。······って言いたいとこだけど、君のプレイを見せられた後じゃなにも言えないな」

「精々惨めなプレイはしないことね。さっきみたいに前線に突っ込んでいきなりバギーに轢かれる、みたいな」

「まあ見てるといいさ。さっきは適当に援護兵でやってたけど、僕の本分は工兵だからね」


 と言うわけで、工兵を選択して最前線の拠点にリスポーン。意気揚々と戦場へ向かったのだけど。

 この時の僕は忘れていた。白雪が、コントローラーの感度設定を大きく変更していたことに。


「あっ、ちょっ、待って待って、全然エイム定まらない! 待って撃たないで撃たないで!」

「ふっ、ふふふっ······」

「あああああああグレネード飛んできたあああああああ!!!」


 ドッカーン。哀れ工兵は爆発四散。同時に試合終了。画面には大きく「あなたのチームの勝ちです」と表示される。


「爆発オチなんてサイテー」

「感度設定だ······それさえ元に戻っていたなら僕だって······」

「ラグとか当たり判定とか言ってるやつらと同じよ、その言い訳」


 肩を落としている僕の手から、白雪がコントローラーを奪い取る。スラスラと操作して画面を進め、次の試合にいざ臨もうとした時。ピッピー、と。脱衣所の方から音が聞こえた。洗濯機のアラーム音だ。


「ちょっと着替えて来るわ」

「ん、ああ。僕も、少し休憩したかったし」

「あなた全然やってないじゃない」

「そうじゃなくて······あー、いいから、早く着替えてきなよ」


 別にゲームに疲れたわけではなくて。僕のジャージを着た白雪がすぐ隣に座っている。その事実だけに僕の精神力はひどく削られていた。

 そんなこと知る由もない白雪は可愛らしく小首を傾げていたけど、特に追求することもせずに脱衣所へ向かった。

 て言うか、あのジャージは本当にどうしたらいいんだ。ふつうに今も使うことあるから、滅茶苦茶困るんだけど。


「ふあぁ······」


 なんてことを考えていると、大きなあくびが漏れた。そもそも白雪が来る前は思いっきり昼寝するつもりだったし、白雪が来てからは色々と疲れたし。ここに来て睡魔が再び僕を襲って来る。

 疲労の代わりにいいもの見させて貰った気もするけど。

 白雪とは言え、来客は来客だ。お客さんがいるのに家主の僕が寝るわけにはいかない。頭ではそう思いつつも、瞼はどんどん重くなってしまって。

 ついぞ睡魔に打ち勝つことができず、僕の意識はそこで途切れた。






「あら?」


 洗濯機で乾燥まで済ませた服に着替えてからリビングへ戻ると、ちょっと珍しい光景を見ることが出来た。

 ソファに座っていたはずの夏目が、スヤスヤと穏やかに寝息を立て、横になっていたのだ。以前にも一度、彼の寝顔は見たことあるけど。あの時はお世辞にも穏やかな、とは言い難かった。彼もまた、心の傷が癒えていないころだったから。

 彼の前へと回り込んでしゃがみ、その寝顔をよく観察する。普段はちょっと大人びたような、ニヒルな笑みをよく浮かべているけれど。今の彼は年相応、あるいはそれより幼くも見える。


「こうしてると、案外可愛らしいわね」


 自然と微笑みが漏れた。いっそ持ち帰りたいくらいに可愛いんだけど、どうしましょうか。

 なんて冗談はさて置くとして。

 取り敢えず着いたままのゲームの電源を落とし、夏目の隣に腰掛ける。どうしようかと少し悩んだ末。彼を起こさないように、そっと、その頭を自分の膝の上に乗せた。


「ふふっ」


 さっきから頬がだらけきってしまって、こんな顔、決して人様にはお見せできないだろう。勿論、膝の上で眠りこけてるこの男にも。

 こうして寝落ちしてしまったと言うことは、もしかしたらそれなりに疲労が溜まっていたのかもしれない。運営委員の仕事は毎日あるし、少し前までは心労もかなりのものだったろう。他の誰でもない、私のせいで。

 そのことに対して、なんとも思っていないわけがない。勿論夏目には申し訳なさもあるけど。それよりも、感謝の気持ちが勝っていて。

 こんなどうしようもない私に、理由をくれた。居場所をくれた。


「本当に、感謝してるわ」


 起きてから全く触っていないのか、寝癖の直っていないボサボサな髪を撫でる。手を離すたびにピョコンと飛び跳ねるのがなんだか可愛い。

 男の人の髪はもっと硬質なもの、なんて変なイメージがあったけど、夏目の髪質は柔らかくてサラサラしてるから、とても撫で心地がいい。撫でてるこちらが気持ちよくなってしまうくらいに。

 小梅への諸々の複雑な感情が消えたわけではない。夏目の一言で消えてしまうのなら、私はここまで拗らせていないだろう。

 それでも今の私には、小梅よりも優先したい相手がいて。大切にしたい場所がある。


「······」


 ふと、気になる箇所を一点見つけた。

 お腹の上に乗せられている、夏目の右手。私の目ではとても追えない速球と、変幻自在の変化球を投げる、その右手に。

 視線が、吸い寄せられる。

 視線だけじゃなかった。もしかしたら彼が起きてしまうかもしれないと言うのに、私の右手は私の意思を無視するかのように、そこへ向かっていく。

 やがて触れてしまった彼の手の甲は、指先だけでも分かるくらいに骨ばっていて。


「んぅ······」

「っ······!」


 びっくりして思いっきり肩が跳ねてしまった。身じろぎする夏目の顔を覗き込むも、目を覚ます気配がないことに安堵する。

 て言うか、どれだけぐっすり寝てるのよ。普通目覚めると思うんだけど。

 だけどまあ、起きてないならいい。夏目が寝ているのをもう一度確認して、今度は自分の意思で、彼の右手に触れる。それだけに留まらず、ちょっと勇気を出して。自分の指と彼の指を絡ませるようにして、その右手を包む。いわゆる、恋人繋ぎ。


「大きい手······」


 私のよりも大きくて、ゴツゴツしてて、あたたかくて。

 これは確かに野球選手の手だと、変な納得があった。そんな手を握っていると、不思議と妙な安心感に包まれてしまう。何故だろう。なんて言うのは、少し白々しいか。私だって、自分の気持ちにはとうの昔から気づいているのだし。

 でもやっぱり、少し恥ずかしいのは事実で、私の頬は徐々に熱を帯びてきている。

 いえ、さっきはこれよりもっと恥ずかしい真似をしていたんだから、あれに比べると可愛いものなんだけど。

 そう、だから。あれに比べると、今パッと思いついたことなんて、本当に可愛らしいものだから。


「夏目」


 名前を呼ばれた彼は未だスヤスヤと夢の世界。その寝顔に自分の顔を近づけると、意外とまつ毛が長いのね、なんてどうでもいいことに気がついて。

 彼の頬に、自分の唇を小さく触れあわせた。


 ──あなたのこと、とても好きよ。


 言葉は音を持たず、私の口の中で溶けて消える。

 いつかちゃんと、この想いを告げることが出来た時は。その時は、あなたから唇にお願いね、私の王子様。







 さて。

 状況を整理しよう。

 僕はなぜか白雪に膝枕されていて、白雪もなぜか寝てしまっている。挙句僕の手を握っているから、下手に動けない。

 事実を羅列するだけなら、実に簡単な状況だ。なにも複雑なことなどない。

 ではこの状況下における問題点はなにか。そんなもの、最早考えるまでもないのだけど。


「あんなに手をにぎにぎされたら、起きるに決まってるだろう······」


 ため息とともに吐き出した文句の言葉は、しかし眠ってしまった白雪には届かない。

 今まで何度か白雪の手を握ったことはあるけれど、ここまでガッチリ繋がれたのは初めてだ。だから彼女のてのひらのぬくもりも如実に感じることが出来てしまう。

 なにより。

 僕の頬に落とされた、優しい感触。

 勘違いなどではないはずだ。自分の顔の前に何かが近づく気配は確かにあったし、それはその直後に訪れたのだから。


「起きるタイミングを逸した、僕も僕なんだろうけど」


 それでもまさか、寝込みにあんなことをされるなんて思いもよらなかったわけで。

 自由なままの左手を動かし、彼女の長い髪を撫でる。髪は女の命なんて聞いたことがあるけれど、僕だってあんなことをされたのだから、これくらいは許してくれるだろう。


「もうちょっとだけ、待っててくれ」


 僕は別に鈍いわけではないから、薄々と気づいてはいる。ただでさえ今日の彼女は、いつもより積極的だったのだし。

 けれど、告げるのは今じゃない。

 例え今告げたとしても、もしかしたら色よい返事が貰えるかもしれないけれど。

 この恋があの罰ゲームから始まったと言うのなら、それをちゃんとやり遂げたいから。


「修学旅行の時、ちゃんと言うからさ」


 繋がれた右手に、少しだけ力を込めた。

 このぬくもりを当たり前に感じることが出来るようになれば。

 きっとそれは、紛れもなくハッピーエンドなんだろう。

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