第75話

 白雪ひとりが運営委員に途中参加したところで、仕事の進捗状況に大きな変化が起きるわけではない。そもそも、会長を始めとする生徒会の人達の働きっぷりが凄くて、特に遅れている仕事があるわけでもないのだ。

 それでも、気心の知れた彼女がいると仕事も幾分かやりやすくなると言うもので。僕の作業ペースは、確実に上がっていると言えるだろう。

 さて、お陰様で万事順風満帆のまま、体育大会まで残り一週間丁度となったわけだが。僕たち文芸部には、体育大会の前にひとつ、大きなイベントが待っている。

 そう、部誌の発行だ。それもただの部誌ではない。三年生である神楽坂先輩にとっては、最後の部誌になる。それと同時に、初めて文芸部の四人全員が手掛けるものとなるのだ。

 文化祭の時は時期も微妙だったことから、白雪はなにも書かずに表紙をあんな風にしたけど、今回はそうもいかない。最初で最後の、四人でちゃんと作り上げた部誌だ。

 その見本誌が届いたという事で、僕と白雪は運営委員を休ませてもらい、久しぶりの部室へやって来ていた。久しぶりと言っても、十日ぶりくらいだけど。


「にしても、放課後に四人で集まるのも久しぶりだなぁ」


 神楽坂先輩を待ってる間、三枝が感慨深げに呟いた。二学期が始まってまだ一月も経っていない。けれどその間、白雪はあんなだったし、僕は運営委員の仕事で会議室に出向いていた。前にここで集まったのも早朝だったから、夏休みも含めると、約二ヶ月ぶりとなるわけだ。

 そう考えると、確かにかなり久しぶりな気がするんだけど。なんか、この二ヶ月で色々ありすぎじゃない? ちょっと密度が半端ないんだけど。


「十月にはもう、紅葉さんもいないんだよなぁ……」


 我が校の文化部は、十月の体育大会が終わったところで、三年生は引退となる。なぜ体育大会なのかは簡単な理由だ。それが終わると、三年生にはもう行事と言えるものが三学期の遠足以外になくなるので、そこから受験へ向けて色々と行われるらしいから。

 今年の体育大会は十月五日の金曜日。三連休を挟んだ後の火曜日から、先輩はこの部室に来なくなる。そしてそこから半年も経たないうちに、卒業だ。

 それが今すぐに訪れるわけでもなければ、引退、卒業して二度と会えなくなるわけではないのを理解してはいるんだけど。そこはかとなく寂しさと言うものは込み上げてくる。

 三枝なんかは、恋人と過ごせる時間が少なくなってしまうのだから、その思いもひとしおだろう。


「新しい部長、普通に考えて三枝よね」


 いつもの定位置、僕の隣の席で文庫本に視線を落としたままの白雪が、なんとなしに口にした。僕と白雪は生徒会に入るから、部活に顔を出せるのは少なくなってしまうだろうし、順当に行けば次の部長は三枝だろう。

 大丈夫なんだろうか。三枝が部長とか、不安しかないのだけど。こんな高身長でガタイのいい、見るからに体育会系な見た目なのに文芸部の部長って。来年の新入生、入ってくれるだろうか。


「それなー。部長とか柄じゃねぇんだけど、お前ら二人とも出来ないだろ?」

「生徒会がどれくらい忙しいかにもよるわね」

「でも三枝のことだから、神楽坂先輩に直接お願いされたら断れないんじゃないか?」

「まあな」


 なぜドヤ顔になった。誇ることじゃないと思うんだけど。


「部長って言っても、別に特別な仕事はないはずでしょ? 一ヶ月に一度ある部長会議くらいじゃなかったかしら」

「その部長会議も、司会進行とか色々まとめるのは生徒会だけどね」

「なあ、やっぱりお前らどっちか二人が部長でいいんじゃないか? ほら、文芸部からのスパイってことで」

「次のトップになる相手にそんなこと言ってる時点で、スパイの前提崩壊してるわよ。そもそもなんのためのスパイよ。部費なんて上げても、使い道ないでしょ。うちの部活」

「それもそうか」


 なんて毒にも薬にもならない話を続け、何故か白雪オススメのスパイ映画を三枝が興味津々に聞いているところで、部室の扉が開かれた。


「お待たせー!」


 現れた神楽坂先輩は、いつもより二割り増しにニコニコしているように見える。先輩も、久しぶりに四人で集まれたことが嬉しいのだろうか。


「そんなに待ってませんよ。そこの二人は、随分盛り上がってましたし」

「なんのお話してたの?」

「スパイ映画について」

「スパイ······?」


 どうしてそんな単語が出てくるのか分からないと言った様子で、先輩が首を傾げた。うん、僕も分からない。部長の話はどこにいったのやら。


「紅葉さんも今度どうかしら? 私の家でスパイ映画で夜を明かさない?」

「わっ、桜ちゃんのお家にお泊り⁉︎ 勿論行くよ!」


 待ってください先輩。スパイ映画ですよ? 興味あるんですか? てか、白雪の趣味の範囲は一体どこまで広いんだ。まずはキングズマンよね、とか隣で呟かれても、僕はなにも反応出来ないぞ。


「それより先輩、見本誌届いたんですよね?」

「あ、そうそう!」


 いつもの定位置についた先輩が、カバンの中から四冊の部誌を取り出す。それを僕たちに配り、ムフーっとやりきったような笑顔を見せる先輩。今日も今日とて、文芸部に癒しをもたらしてくれる。

 だが、その部誌を見て眉を寄せるのがひとり。


「ねえ、紅葉さん」

「どうかした、桜ちゃん?」

「なんでタイトルと表紙、前と同じなの······?」


 そう、今回発行された部誌のタイトルは前回と同じく、『雪化粧』となっている。表紙と桜の花は、さすがに前回と違った写真が使われているけど。

 多分神楽坂先輩は、今後の文芸部の部誌をこれで統一させるつもりなのだろう。そして、それが分かったからこそ白雪も苦言を呈した。


「あれ、もしかして嫌だったかな?」

「別に嫌ってわけじゃないけど······」

「なら大丈夫だね!」


 全く邪気のない笑みで言われ、頬が薄く朱に染まってる白雪がため息を落とした。うん。そりゃ恥ずかしいもんね。文化祭の時も文句言ってたし。

 でもまあ、僕個人としてはこれでいいんじゃないのかとも思う。本人や他の二人に自覚があるのかは知らないが、白雪桜は、この文芸部にとって良くも悪くも特別な存在だ。

 例えば、四月から始まった罰ゲーム云々だったり。

 例えば、ひとりだけ遅れて入部していたり。

 例えば、文化祭の騒動だったり。

 そして例えば、彼女が抱えていた、いや、もしかしたら今も抱えているであろう問題であったり。

 今年度に入ってから、文芸部を取り巻くあらゆる出来事は白雪が中心になってしまっていて、そんな彼女を暗喩するような表紙になるのも、仕方のないことだろう。


「結構恥ずかしいのよ、これ······。家では小梅にもからかわれるし······」

「俺は悪くないと思うけどな、この表紙」

「うん、僕も結構好きだぜ?」

「······なら、いいんだけど」


 僕と三枝に褒められてちょっと照れたのか、視線を斜め下にズラして、拗ねたような声が微かに届いた。可愛いなおい。

 さて、と言うわけで。こうして取り敢えず見本誌が届いたからには、まず僕たちがその中身を拝見せねばなるまい。自分の書いた物語が人の目に触れると言うのは、未だもってして些か以上に妙な照れがあるけど、それは僕だけじゃないだろうし。

 特に合図があったわけでもないが、四人全員が開いた部誌に視線を落とし、部室には静寂が訪れていた。

 目次によると、まず最初に三枝、二番目に僕で、最後に白雪の順に掲載されている。

 そう言えば、三枝も前回はエッセイだったから、小説自体は今回が初めてか。ひとり五万文字ともなると、三人合わせればそれなりのページ数になる。白雪がよく読んでいるライトノベル一冊に相当するのではないだろうか。

 けれど当たり前のように自分のところは飛ばすので、三枝の小説を適当に流し読んだ後、白雪の小説を読み始めた。


「ん?」


 一ページ目で、微かに感じる既視感。いや、既視感というのは正しくないのだろうか。なんにしても、ちょっと妙な予感がする。それは活字を追うごとに予感から確信へと変わっていって、終盤に差し掛かる頃には、最早ため息を出しそうになっていた。


 彼女が紡いだ物語は、とある女子中学生の話。妹への複雑な心境から、周囲に壁を作って孤立した女の子の話だ。

 そんな女の子が、ある日家族と立ち寄った野球場で、ひとりの少年を目にする。少年はマウンドの上で目を輝かせ、挑戦的な笑みすら浮かべ、野球を楽しんでいた。

 少女はそんな少年の瞳に恋をして、それから何度も少年のチームの試合を観に行く。そのお陰か否か、少女は若干ではあるが、妹への複雑な想いから解放されて、当たり前の姉妹のように過ごすことが出来る。

 二人は知り合いと言うわけでもない。少女は少年の名前と中学しか知らないし、少年は少女の名前すら知らない。そもそも、存在すらも。それでも少女は、自分の初恋を奪った少年を、何度も観に行った。

 中学三年のゴールデンウィークまでは。

 その日を機に、少年はマウンドの上から姿を消し、少女は少年を知る前に戻ってしまう。自身を煩わせるあらゆるものを諦めて、妹を寄る辺にして生きるような、ある種退廃的な少女に。


 その物語だけを見るなら、バッドエンドもいいところだろう。人がハッピーエンドについて悩んでいた頃、こんなものを書いていたのだと思うと、ちょっとイラっと来る。

 けれど、この物語には先があることも、僕は知っている。


「お気に召して頂けたかしら?」

「君なぁ······」


 僕よりも一足早く読み終わっていたのか、部誌を机の上に置いた白雪が、無表情のままで問いかけてきた。

 部室の外を見れば空は茜色に染まっていて、随分と部誌を読むことにのめり込んでいたらしい。三枝も先輩も、まだ読んでいる途中だけど。

 わざわざ説明するまでもなく、彼女が書いた小説は実体験によるものだった。地の文はどこかライトノベルの一人称を彷彿とさせるものになっているし、登場人物の会話全てが実際にあったものではないだろう。その他にも色々と娯楽的なものになるよう脚色されてはいるみたいだけど。あらすじだけ纏めれば、十分にノンフィクションと言える。


「どう言うつもりだよ、これ」


 そもそもが僕や白雪、あとは小梅ちゃんや楓さんなんかが読まないと、白雪の実体験だなんて分からないだろう。先輩と三枝、これから部誌を手に取るであろう生徒達はそんなこと知る由もない。


「それの続き、あなたに書いてもらおうと思って」

「僕に?」


 ますますどう言うつもりなのか、最早意味がわからない。この話は、終始少女の一人称視点で書かれていた。その続きを僕に書けと言うことは、他の誰でもない白雪自身の思考をトレースして書けと言っているようなものだ。

 ただでさえ女子高生と言う理解しがたい生き物の中でも、とりわけ異端な白雪の思考を、とか。無理ゲーにも程があるのでは。


「その先は、私だけの物語じゃないでしょ。私達の物語になるもの」

「······っ。それはちょっと、考えさせてくれ」


 無表情だった白雪の顔が綻ぶ。そんなところで笑顔を見せるのは卑怯だろう。断りづらいじゃないか。


「次の部誌、期待してるわ」

「まあ、期待に添えられるようには頑張ってみるよ」


 少女の視点じゃなくて、いつか再会を果たすであろう少年の視点からなら、幾らでも書いてやる。

 それでもまあ、自分のことを書くと言うのに些か以上の羞恥はあるけれど。

 不意に視線を前へ上げると、ニヨニヨとムカつく笑顔を浮かべた親友と目があった。見れば、神楽坂先輩も微笑ましいものを見るようにニッコリしている。同種の笑顔なのに湧き上がる感情の差はなんなのだろうか。


「ちょっと、コーヒー買ってきます······」

「俺コーラ」

「わたしミルクティー!」

「私はカフェオレね」

「はいはい······」


 なんとなく居心地が悪くて逃げようと思えば、体良くパシリにされた。

 取り敢えず、三枝と先輩には白雪の小説がノンフィクションだとは悟られたくないとか思うものの、僕が続きを書く時点でそれも無理だよなぁ、なんて考えながら、自販機までの道をゆっくり進んだ。

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