第73話
ちょっと気まずい感じになるのは致し方ないことだと思う。実際僕も、それを覚悟していたし、昨日あの後は確かに変な空気が漂っていたので、逃げるように白雪家を出たのだけど。
果たして翌日である今日、彼女の家の前で待ち合わせて合流した白雪は。昨日のことなんてまるでなかったかのように、前までと同じ態度で接してきた。
「やっぱり土下座とかした方がいいのかしら······それとも五体投地······?」
「どっちもあんまり意味ないと思うけどね」
顎に手を当てて思案顔で、なにやら馬鹿なことを考えている。しかしその表情は至極真剣なのだから、本人的にも、迷惑をかけた自覚はあるらしい。
さて、僕の人生史上最も大きな勝負から一夜明けた今日。現在、文芸部部室前。この扉の向こうには、朝から集まってもらった残りの部員二人がいるはずだ。まだ朝も早い時間だと言うのに、昨日連絡した時は二つ返事で了解してくれた。先輩と親友には頭が上がらない。
因みに、部室の扉は厚いわけでもないので、白雪のこの呟きはもしかしたら中まで聞こえてる可能性もある。だが本人はそこまで頭が回らないのか、今は深呼吸しては扉に手を伸ばし、直前で引き戻してまた深呼吸の繰り返した。見ている分には面白いんだけど、このままだと一生扉を開けなさそうだ。
「白雪」
「今精神統一中だから邪魔しないで」
「さっきから失敗しかしてないじゃないか、その精神統一。いいから、取り敢えずこっち向いてくれ」
「全く、この期に及んでまだなにか私に言いたいことでもあるの? 昨日あれだけ恥ずかしいことを宣ったのに?」
「恥ずかしいことに関しては君も同じだろう。そうじゃなくて、今のうちに渡しておこうと思ってね」
肩に下げたカバンから、手のひら大の袋を取り出す。可愛らしい模様の施されたそれは、四宮のモール内にある女性用装飾店の袋だ。
そんなものを僕が持っていて、しかも自分に差し出してくるのだから、その怪訝な目は真っ当な反応だろう。
「誕生日プレゼントだよ。君のせいで、買ったのはいいけど渡しそびれてたからね」
「あっ······」
誕生日、と言う単語を聞いた白雪が、バツの悪そうな顔で視線をそらす。
一月ほど前、白雪の誕生日には二人で出掛ける約束をしていたのに、とても自分勝手な理由だけでそれを反故にしたことを申し訳なく思っているのだろう。
「一ヶ月遅れだけど、取り敢えずおめでとう。ほら、受け取ってくれよ。じゃないと、僕がこれを使う羽目になる」
「······ありがとう」
おずおずと伸ばされた手が、僕の手の上にある袋を取った。ここでまた、私がそれを受け取るなんて云々と言われるかと思っていたけど、そんなこともなくて一安心。
視線で開けてもいいかと尋ねてきたので、それに首肯を返す。丁寧にテープを剥がして開封した袋の中から出てきたのは、桜の花飾りのヘアピン。
それを摘み上げて、白雪はマジマジと見つめる。
「緊張してるなら、まあお守り代わりに付けとくといいよ」
自分がプレゼントしたものを、目の前でじっくり観察されるのがなんだ妙に恥ずかしくて、照れ隠しみたいにそんなことを言った。
それを聞いてるのかどうなのか、自分の髪の毛を耳にかけた白雪が、そこをそのままヘアピンで留める。
手鏡をカバンから取り出して自分の髪を見つめ、小さく笑みを漏らした。
「······っ」
普段の無表情からは考えられないような、穏やかで幼くも見える、心底から喜びを噛みしめるような微笑み。それを浮かべながら、留めてあるヘアピン近くの髪をそっと撫でる。
それを直視してしまったからだろうか。僕の顔は途端に熱を持ってしまって。だって、こんな可愛い表情と仕草を見せつけられてしまったのだから。
「誕生日プレゼントにこんなもの贈るなんて、私が自分のものだと所有権でも主張するつもりかしら。気持ち悪いわね」
「お守り代わりって言ったのが聞こえなかったのか。そう言うつもりならもっと別のもの上げてるよ」
「例えば?」
「指輪とか」
「ゆびっ······⁉︎ ······渡す度胸もないくせに、よく言うわ」
顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。可愛いやつめ。
しかしお守り代わりとしてはちゃんと機能してくれたのか、もう一度深呼吸をした白雪は、ついに扉へ手を掛けた。そしてギュッと目を瞑り扉を開いた、その先。
「桜ちゃぁぁぁぁん!!!」
「きゃっ!」
恐らくはずっと扉の前で開かれるのが待っていたであろう神楽坂先輩が、白雪の胸へ飛び込んだ。
「ちょっと、紅葉さん······!」
「本物だぁ、本物の桜ちゃんだぁ······」
たたらを踏みながらもなんとか先輩を受け止めた白雪。自然と抱き合う形になって、涙を浮かべた先輩を見た白雪があわあわする。
視線で助けを求められた気もするけど、まあ気のせいだろう。抱き合う二人を尻目に、苦笑している三枝へと近づいた。
「悪いね、こんな朝早くに」
「まあ、しゃーないだろ。白雪さん連れてくるって言われたら、俺も紅葉さんも断れねぇよ」
女子二人の光景をはたから見ていると、一週間ぶりに再開したペットの犬とその飼い主みたいだ。先輩が犬で白雪が飼い主。再開早々仲がよろしいのは結構なのだけど、あんまり暴れると、ひらひら踊るスカートの中身が見えてしまいそうなので自重願いたい。
特に先輩。タイツを穿いてる白雪はまだしも、先輩はモロに見えちゃうので。
「ところで親友よ」
「ん、どうした?」
「外にいた時の会話、丸聞こえだったぞ」
「······忘れてくれ」
やっぱり懸念した通りになってやがったじゃないか······。そこまで大きな声で会話していたわけでもないけど、扉のすぐ目の前にいたんだから、ちょっと聞き耳を立てれば普通に中まで聞こえるに決まってる。
その可能性をちゃんと考えていたのに、どうして僕はあんなことを言ってしまったのか。
「で、結局指輪はあげんのか?」
「そんなわけないだろう」
「まあ、白雪さんの言う通り、お前にそんな度胸あるわけないよなぁ」
「あったとしてもあげないよ。僕と彼女はそう言う関係じゃないんだし」
まだ、とつけるのはやめておいた。またそこから揚げ足取りが始まるに決まってるから。
だが三枝は、どうやら全く別のとこに食いついたようで。口をあんぐり開けて目も見開いて、その顔でこれでもかと言うくらい驚愕を表していた。
「え、お前らまだ付き合ってないの⁉︎」
なにかと思えばそれか······。そもそも君は、修学旅行だと知っているだろうに······。
「そんなこと、あるわけ──」
「あるわけないでしょ!」
告げようとした否定の言葉は、飛んで来た白雪の声に遮られた。
まさか僕と三枝の会話が聞かれていたのかと思ったが、どうやらそう言うわけではないらしく。
「えー、でもさっき、凄い仲良い感じで話してたでしょ?本当は夏目君と昨日から付き合いだしたんでしょ?」
「き、聞いてたの······⁉︎」
「バッチリ全部!」
奇しくも先輩が、白雪に対して同じ質問をしていたらしい。未だ白雪に抱きついたままの先輩は、自分よりも身長の高い白雪を上目遣いで見上げている。
その視線に耐えられなくなったのか、先輩から目を逸らす白雪。そして動かした視線の先には、僕と三枝がいて。
「······っ!」
僕と目が合った瞬間、ボンっ、と音が聞こえそうなくらい顔を真っ赤に染め上げた。
え、なんで? てかなにそれ可愛いな惚れそう。惚れてた。
「王子様冥利につきるな?」
「なんだよ、王子様冥利って······」
同じ色になってしまっているであろう自分の顔を悟られないように、片手で額のあたりを押さえながらため息を吐き出した。
これ、どう言う反応したらいいんだ······。下手なこと言おうものなら、白雪から容赦なく罵詈雑言が飛んできそうだし······。
「そ、そんなことよりもっ!」
ふにゃりと破顔している先輩を無理矢理引き剥がした白雪がまた声を上げた。今日は珍しく白雪が声を荒げる回数が多い。つまりかなり取り乱してる。
自分で思った以上に大きな声が出たからか、それとも取り乱しているのを自覚して落ち着こうとしているのか。んんっ、とわざとらしい咳払いをひとつした白雪は、カバンの中からあるものを取り出した。
「紅葉さん。これ、遅くなってごめんなさい」
「これって······」
「次の部誌に乗せる、原稿のデータよ」
白雪が先輩に渡したのは、USBフラッシュメモリ。確か白雪は、合宿の時点でそこまで進んでいなかったはずだ。合宿が終わった後、夏休み中に書き上げたとも思えない。と言うことは。
「昨日一日でなんとか完成させたわ。だから細かいところでミスが多いかもしれないから、紅葉さんの手を煩わせるかもしれないけど」
受け取った先輩は自分の手のひらの上に乗ったそれを見て、ポカンとしている。
今回の部誌は一人五万文字書くことになっていた。それを白雪は、一日で仕上げてきたと言うのだ。僕の隣にいる三枝も絶句している。
出来ないことはないのだろうけど、小説は初めて書くだろう白雪が。文化祭の時の脚本とはわけが違うのに。
そして先輩から一歩下がった白雪は、部室にいる僕達三人を見渡して、頭を下げた。長い髪の毛が、地面についてしまいそうなほどに腰を曲げて。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
声は、少しだけ震えていた。なにか責めるようなことを言われるかも、なんて思っているのかもしれない。部室に入ってからのやり取りを考えれば、そんなことあるはずもないのだけど。
それは白雪も分かっているだろうが、やはり不安というのは拭えないものだ。
一瞬、天使が通ったような沈黙がおりる。それほどまでに、あの白雪姫が頭を下げると言う事実に驚いているのだろう。
そしてその沈黙を破ったのは、三枝だった。
「違うだろ、白雪さん」
「え······」
その声に恐る恐る顔を上げた白雪。三枝はやれやれと言いたげに苦笑していて、神楽坂先輩はさっきから絶えず満面の笑みだ。
「帰ってきた時の挨拶は、ごめんなさい、なんて言葉じゃないよ、桜ちゃん」
その言葉に、白雪の瞳が揺れる。もしかしなくても、昨日の一件で涙もろくなっちゃってたりするんだろうか。なんて思いながら、僕も二人と同じく、彼女に微笑みかけた。
「おかえり、白雪」
「······うん、ただいまっ」
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