第65話

 花火の後の寂寥感など微塵も感じさせず、会場の喧騒は未だ鳴り止まない。屋台の灯りはまだどこも消えていなくて、多くの人が会場に残ったままだ。

 けれどそんな中、僕と理世は駅への帰り道を歩いていた。会場から離れると人は一気に少なくなって、来た時程の混雑もない。


「花火、綺麗だったねー」

「うん、そうだね」


 色とりどりの花が打ち上がる様は、確かに綺麗と形容する以外他になかった。

 その中でも頭にこびりついて離れないのは、終盤に上がった大きな桜の形をした花火。考えないように、頭の外に追いやった筈なのに。どうしても彼女の影がチラつく。


「ねえ、智樹くん」


 カランコロンと、下駄を鳴らしながら歩く理世は、自信なさげに眉を顰めて、僕の目を見つめてくる。


「ちょっとは気分転換になったかな?」

「え?」


 見透かされている、ということか。いや、それも当たり前なんだろう。理世と出会ってそれほど日が経ってないと言えど、野球部の練習に毎日顔を出して、そこで言葉を交わしていたのだ。

 今日の僕が、彼女の、白雪のことばかり考えてしまっていたことなんて、お見通しに違いない。

 そして、気分転換なんて出来ているわけがないことも。


「ごめん、気を遣わせちゃったみたいだね」

「謝らないでよ。これは私が勝手にやったことなんだし」


 隣で揺れる黒い髪も、遠慮なく叩き合う憎まれ口も、りんご飴を頬張る横顔も。今日はそのどれもがどこにも存在しなかった。

 在ってほしいと思ったものが、居てほしいと思った人がいないつらさは、僕も理世もよく知っている。

 でも。


「でも、今日は楽しかったよ」

「本当?」

「嘘をついても仕方ないだろう。なにより、君みたいに可愛い子と二人、しかも浴衣姿で花火大会にデートだぜ? 楽しくないわけがない」

「デートじゃないけど、そう言ってくれるなら誘った甲斐があったな。デートじゃないけど」


 あの、なんで二回言ったんですか? そんなに重要なこと?


「うん。じゃあこれに懲りずに、また遊びに誘おうかな。智樹くんで······じゃなくて智樹くんと遊ぶの、楽しいし」

「そこまで言ったらもう言い直さなくていいよ」


 やっぱり遊ばれてたんじゃないか。可愛い子に遊ばれると言うのは意外と甘美な響きを持ってるけど、実際その被害に逢えば、それがどんな苦行なのかよく分かる。

 思春期男子的には本当心臓に悪いことこの上ない。僕じゃなかったらうっかり惚れてしまってるところだ。


「そう言うの、男子をうっかり勘違いさせかねないから、やめておいた方がいいと思うよ」

「んー、そんなことないと思うけどなー。あ、もしかして智樹くん、勘違いしちゃった?」


 小悪魔みたいな表情を貼り付けて、僕の顔を覗き込んでくる理世。茶色い前髪がサラリと流れ、大きな瞳は僕を捉えて離さない。今にも吸い込まれてしまいそうだ。

 けれどその口は厭らしく歪んでいて、それが嫌味に感じないのは、理世の持つ魅力故だろうか。

 そんな彼女の顔をどうしてか直視出来なくて、視線を前方の向けながら、肩を竦めてみせる。


「さて、どうだろうね」

「あ、逃げた」

「君と同じ回答をしたはずなんだけどな」

「私のあれは逃げたわけじゃないもん」


 毒にも薬にもならないような話をしながら、夜の川沿いを歩く。駅まで戻るのには国道を二つ通過しなければならないから、車の通りもそれなりに多い。自然、夜の暗さも関係ない程の明かりが周囲に灯っているから、理世の笑顔はとてもよく見える。

 改めて考えるまでもなく、とても可愛い女の子だ。茶髪のゆるふわウェーブ、大きな瞳、笑った時に出来るえくぼ。そのどれもが彼女の可愛さを形作る上で欠かせないパーツ。

 冷静になってみれば、どうして僕なんかがこんな可愛い子と友達になれたのか。理由を全て打ち明けられた今でも、理解できないでいる。それを素直に口に出せば、また自己評価が低いだのなんだのと言われるのであろうが。


「どうしたの? さっきからずっと私の顔見てるけど」


 不躾に視線を投げすぎただろうか。幾ら会話を交わしているとは言え、必要以上に見ていると疑問に思われてしまうのも当然だ。


「ん、いや、理世って本当に可愛いんだなって思ってただけだよ」

「もう、またそんなこと言って」


 事実を口にしただけなのに、何故か理世はふくれっ面を作る。膨らんだ頬を指で突いてみたい。


「私に可愛いって言うの、今日だけで何回目?」

「さてね、一々数えてないから分からないよ」

「流石はナンパ野郎だ」

「そう言うつもりはないって言ってるだろ」

「でも確かに、本当に口説こうなんて思ってたら、もっと他にも美麗字句を尽くして私のこと褒めてくれるはずだもんね」

「やってみようか?」

「鳥肌が立ちそうだから遠慮します」

「酷いなおい······」


 ちょっと距離を取られた挙句敬語を使われた。控えめに言ってめっちゃ傷つく。

 あからさまに落ち込んでみせると、クスクスと鈴を転がしたような声が漏れる。いいように遊ばれてるなぁ、僕。


「でも、可愛いって言ってくれるのは嬉しいんだよ?」

「それがナンパ野郎からの言葉でも?」

「ナンパ野郎じゃなくて、智樹くんからの言葉だから、嬉しいの」


 そう言った時の微笑みが、常よりも大人っぽく見えたのは、化粧のせいだろうか。

 今日一日で、何度も理世の魅力に打ちのめされている気がする。そしてその度に顔を覗かせる彼女の幻影を、何度も振り払っている。


「でも、何回も言うのはダメだからね。流石に恥ずかしいんだから」

「そいつは悪かったね」


 心なしか、理世の頬は若干朱に染まっているようにも見える。どうやら、本当に恥ずかしいみたいだ。揶揄われ続けている仕返しをするなら、そこを突くのがいいかもしれない。


「そういえば、話は変わるんだけどね」

「うん?」

「智樹くん、生徒会とかどうするの?」

「生徒会?」


 はて、何故ここで僕にそんなことを聞くのだろうか。生徒会なんて、僕にとっては縁遠いものだと思うんだけど。


「知らない? うちの学校って、生徒会長は選挙じゃなくて、その代の会長が次の会長を指名するんだよ。候補は成績優秀者で、今までも定期テストの順位が一位か二位の人達だったんだって。で、他の役員は指名された次の会長が決めるの」

「へぇ、全然知らなかったよ」


 去年なんて全く興味のかけらすら湧かなかったし。と言うか、そこに興味を向ける余裕がなかったし。そう言えば選挙とかしてなかったっけなー程度。

 しかし、生徒会選挙がない学校というのもまた珍しいものだ。小学校の時の児童会、中学の生徒会は、普通に選挙があったし。


「だから、この調子で行くと智樹くんか白雪さんが指名されると思うんだけど······」

「それ、拒否権ってあるよね?」

「あるんじゃないかな?」


 今のところ生徒会長なんてものになるつもりは毛頭ないので、もし指名されたとしてもお断りしたいところなのだが。

 白雪は、どうなのだろう。


「もし智樹くんが会長やるなら、会計は私に指名してくれると嬉しいな」

「君が生徒会のお金を握ると、無駄遣いは出来なそうだね」

「勿論。そんなことしたら誰であっても容赦なく怒るからね」


 冗談のつもりで言ったのだけど、帰ってきた言葉と表情にはおよそ色や感情というものが含まれていなかった。怖いなぁ。


「っと、もう駅着いちゃったね」


 いつの間にやら目的地に辿り着いていたようで。やはり人の混雑がない分、帰りの方が早く着く。


「四宮駅まで送ろうか?」

「ううん、ここまでで大丈夫。今日はごめんね、気分転換のつもりで誘ったのに」

「その話はもういいよ。楽しかったからね」

「そっか、うん、なら良かった」


 えへへ、と本当に嬉しそうに破顔するその様は、大人っぽい化粧なんてものともしないくらい、年相応の可愛らしい笑顔だ。化粧の奥に隠された彼女の本当の魅力なんだろう。


「そうだ、今度は智樹くんから遊びに誘ってよ」

「······まあ、別にいいけど」

「ふふっ、楽しみにしてるからね」


 地味に難易度の高いことを要求された気もするが、たかが友達を遊びに誘うだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 タタッと軽やかな足取りで数歩前に出た理世が、振り返って手を振ってくる。


「じゃあ、また明日、かな?」

「そうだね、明日も練習には行くつもりだから。また明日、だ」

「うん。また明日」


 それに手を振り返して、理世が駅に入って行くのを見送った。

 別れた後にやって来た寂寥感。そしてまた頭によぎる彼女の、白雪の幻影。

 今度は振り払うこともなく、それと向き合うことにしよう。

 夏休みも、もう終わってしまうから。

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