第64話
人混みに流されるようにして歩いていると、花火大会の会場に辿り着いた。人の多さに比例して喧騒は大きくなり、会場となってる広い運動公園には、端から端まで屋台が埋まっている。
駅からここまで約四十分。最近ちゃんと運動している僕はまだしも、慣れない服を着ている理世は疲れていないかと隣を確認するも、茶色い髪を揺らす彼女の顔に疲労の色は見えず。お祭り独特の雰囲気に充てられてか、どこか上機嫌なようにも見える。
僕の視線に気がついたのか、こちらに振り向いた理世はコテンと小首を傾げた。
「どうかした?」
「いや、疲れてないかと思ってね。結構歩いただろう?」
「私は大丈夫だよ。伊達に運動部のマネージャーやってないからね」
運動部はこの時期、炎天下での活動を余儀なくされる。いくらマネージャーとは言え、ある程度の体力がないとやってられないだろう。だからこの言葉は信用できるものだ。だけど。
「いや、そろそろどこかで休憩しようか。僕が疲れたし、喉乾いたし」
「智樹くんが疲れたんなら、仕方ないかな」
ふふっ、と微笑みながら言われると、どうにも心の底を見透かされているようでむず痒くなる。さりげない気遣いのつもりだったんだけど、どうにも上手くいかない。
取り敢えず近くの屋台に並び、飲み物を二つ購入した。本当は自販機でコーヒーを買いたかったのだけれど、今日くらいは屋台で買ってもいいだろう。
「どこか座れる場所があればいいんだけど」
「この人混みだと、どこも空いてなさそうだねー」
辺りを見渡してみたけど、そもそもベンチそのものが見当たらない。運動公園だからアスレチックみたいな遊具もあるので、そこに腰かければいいだろうか。けれどここから視認できる範囲にある遊具は、どれも既に満員だ。
さてどうするか。立ちっぱなしでも休憩は出来るが、座れるのに越したことはない。
ここには何度か訪れたことがあるので、辛うじて脳内に残ってある運動公園の地図を思い浮かべる。
「確か、あっちの方だったかな」
「なにが?」
「座れる場所。向こうの方にあったはずだから、行こうか」
理世を連れ立って、朧げな記憶を頼りに歩き始める。
会場内は同じ方向に歩く人だけじゃなくて、来た道を戻る人もいるから、余計に歩きにくい。理世がちゃんとついてこれているか、こまめに隣へ視線を向けると、その度にクスリと微笑まれる。
「そうだ、智樹くん。折角だから、食べ物とかも買っとこうよ」
微笑みをそのままに、理世は周囲の屋台に目を向ける。ベビーカステラや焼きそば、たこ焼き、りんご飴に綿菓子と、毎年同じような屋台だけど。それでも毎年、そこには『非日常』を感じる。
「いいね。なにが食べたい?」
「んー、こういう時の定番ってりんご飴とかなんだろうけど、あれって甘いしお腹膨れないから、やっぱり焼きそばとかかなぁ」
「了解。ちょっと買ってくるから、そこで待っててくれ」
「うん」
ちょうどタイミングよく、すぐ近くに焼きそばの屋台があった。理世には道から外れたところで待っててもらい、屋台の前に出来ている長蛇の列に並んだ。
列が捌けて順番が近づくごとに、焼きそばのソースの匂いが僕の鼻腔を刺激してくる。時間もいい頃合いだから、こんなもの嗅いでいると腹の虫が鳴ってしまいそうだ。
大体五分くらいしてから、漸く僕まで順番が回って来た。取り敢えず焼きそばを二つと、ついでに一緒に売ってあった六個入りのたこ焼きをひとつ買う。合計千八百円也。高いな。理世には黙っておこう。また煩くなりそうだし。
焼きそばとたこ焼きを袋に入れてもらって屋台から離れ、すぐそこで待たせている理世のところに戻る。
赤い浴衣と茶色い髪は直ぐに発見出来たのだけど、その彼女を囲むように男が三人立っていた。
「お姉さん浴衣可愛いね」
「もしかしてひとり? なら俺たちと回らない?」
「絶対損させないからさ」
「いえ、あの、人を待ってるんで······」
お約束と言うかなんと言うか。まあ、ナンパだろう。
困ったように眉根を寄せて笑っている理世を見るに、間違いない。駅で懸念していた通りのことが起こってしまった。理世をひとりにした僕のミスだ。
後悔は置いておくとして、兎に角この状況をどうにかせねばなるまい。
「理世」
近づいて声を掛ける。僕に気づいた理世は、一転して安堵の笑みを浮かべた。勿論男三人も僕に気がついて、振り返り睨んでくるのだけど。それよりも恐ろしい眼光を何度も受けている僕からすると、可愛いものだ。
「食べ物買って来たから行こうか」
「うんっ!」
内心めちゃくちゃビビりながらも、理世に手を差し出す。ナンパしていた三人にビビっていたんじゃなくて、ちゃんと理世が手を取ってくれるかにビビっていたのだけど、彼女はすんなりと僕の手を取ってくれた。
こうなればもう相手を振り切るのは簡単で、人混みに紛れてしまえばいいだけだ。背後からなにか叫び声が聞こえた気もするけど、それも直ぐ周囲の喧騒に掻き消される。
本来の目的地にはすぐそこまで近づいていたので、そのまま人混みをかき分けて進み、途中で人通りの最も多いメインの道から外れる。
運動公園の東端。屋台の裏手に、それはあった。
暫く手入れもされていないであろう小さな池と、その前に置かれた、ちょうど二人座れるくらいのベンチ。
そこはまるで周囲から隔絶されたみたいで、祭りの喧騒はどこか遠くに聞こえる。
「ありがと、智樹くん。助けられちゃったね」
「いや、理世を残した僕のミスだよ。一緒に並んでもらってたら良かったのに」
「そんなことないよ。それに、女の子的にはああ言うの、結構ときめいたりしちゃうものだよ?」
「ああ言うのって?」
「颯爽と助けてくれたり、こうやって自然と手を握ってくれたり」
「······っ」
言われて思い出し、咄嗟に手を離した。
女の子の手を繋ぐなんてこれで二回目でだから、幾らあの場を乗り切るためとは言え僕にその耐性なんてあるはずもなく。
空は暗く染まって来ているとは言え、僕の赤い頬はきっと理世に丸見えなのだろう。だって、目の前で愉快そうに微笑んでいるのだから。
「と、取り敢えず座らないか? いい加減、本当に疲れて来たしさ」
「ふふっ、そうだね」
照れ臭くなって頭を掻きながらも、二人揃ってベンチに座る。そう大きくないベンチだから、互いの距離は野球ボール一個分くらい。
最初に屋台で購入したスポーツドリンクを喉に流し込んで一息つき、袋から焼きそばを取り出す。
「はい、これ」
「ありがと。いくらだった?」
「お金なら気にしなくていいよ。さっきは怖い思いさせちゃっただろうしね」
「いくらだった?」
「それに、こう言う時は男に奢らせるもんだぜ?」
「いくら、だった?」
「······焼きそばが六百五十円、たこ焼きが五百円でした」
段々と目が据わりだして怖かったので、素直に白状した。なるほど、安いものを求めるだけじゃなくて、こうやって金銭のやり取りを徹底してるからこその守銭奴と言うわけか。
今後は理世にお金のことでこの様な嘘をつくのはやめた方がいいかもしれない。
「やっぱりお祭りの屋台は高いね」
「こればっかりは仕方ないさ」
巾着袋から取り出した財布。更にそこから取り出した小銭を理世から受け取り、適当にポケットにしまう。
「智樹くん、お金はちゃんと財布に入れなさい」
「いや、別に小銭程度なら」
「小銭程度⁉︎ 今渡したの、九百五十円もあるんだよ⁉︎ 落としたりしたらどうするの!」
「ごめんなさいちゃんと財布にいれます」
そう言えば初めて会った時は、五百円程度で騒いでいたっけか。今日そこまで騒いでいないのは、多分お祭りだからだろう。結局こうして騒いで、と言うより叱られているけど。
言われた通り小銭を財布にしまうと、理世は満足そうに頷く。
「智樹くんはもうちょっと、お金を大切にしないとダメだよ。一人暮らしなんでしょ?」
「とは言ってもね。どれだけ雑に扱おうが、高校卒業までは暮らしていけるくらい余裕あるし」
「だからって、お金を大切にしない理由にはからないの。一円を笑うものは一円に泣くの」
「肝に銘じとくよ」
これ以上説教が続くのも御免被るので、割り箸を割って無理矢理会話を断ち切った。隣の理世も、僕に倣って箸を持つ。
二人一緒に手を合わせていただきます。輪ゴムで縛ってあるパックを開き、そばをすする。
「おいしいねー」
「六百五十円払った価値はあっただろう?」
「んー、それはどうだろ」
そこは頷くとこじゃないのか。
「それにしても、よくこんな穴場知ってたね」
「昔、父さんに教えてもらったんだよ。母さんとまだ付き合ってた頃に見つけたんだってさ」
その当時は、智樹も彼女が出来たらその子とここで花火を見ればいい、なんて言われたっけか。残念ながら、今一緒にいるのは彼女なんかじゃなくて、ただの友達だけど。
「そう言う理世こそ。よく浴衣なんて持ってたね」
「最近の女の子はみんな自分の浴衣くらい持ってるよ。······って言いたいんだけど、これはお母さんのだったんだ。流石に浴衣を買う余裕はうちにないから、だったらこれを着ればいいって、お父さんに渡されたんだ。去年は家でひとりで見てたから、着れなかったけどね」
僅かに寂しさを滲ませた瞳で、自分の膝のあたりをそっと撫でた。
傷の舐め合い。
そんな言葉が頭をよぎる。この会話は、そう呼んでもおかしくない。いや、そう呼ぶべき行為だ。
実の親の死と言う、一生消えないであろう傷を負った僕たちの。ただ慰め合って、それでお互いがお互い、勝手にその傷を塞いだ気になる。本当は、そんなことないのに。
きっと理世も、そのことに気づいているんだろう。だから、こうなることを知っていたから、最初から話さなかったのだ。僕に興味を持った理由の一つを。
「似合ってるよ、浴衣」
こんな言葉すら、慰めの一つにしかならない。それが例え、本心からそう思っていたのだとしても。
「それ、もう聞いたよ?」
「そう言えばそうだったね」
漂う空気を払拭させる様に明るく笑う理世。それにつられて、僕も笑みを漏らす。
そうして笑っていると、ドンッ! と腹の底まで響く大きな音が上がった。本当に突然だったから、理世は思いっきり肩を跳ねさせてビックリしている。音の発生源は考えるまでもない。
空を見上げれば、真っ暗な夜に咲く一輪の花が。
それは瞬く間に散って消えていき、そして次の花がまた咲き誇る。色や形を変えながらも咲いては散ってを繰り返す無数の花。
「綺麗······」
去年も一人で見たと言っていたのに。理世はまるで、初めて花火を目にするみたいに、夢中になって空を見上げている。
夜空に上がるのは花だけではなく、中には土星や星などの変わった形のものまで存在している。そしてそれを写している理世の瞳は、花火なんかよりも輝いて見えた。
「誰かと一緒に見る花火は久しぶりだけどさ。相手が智樹くんでよかったよ」
花火の音に呑まれないためか、理世は普段よりも若干声を張り上げている。だと言うのに、そこに含まれる色は至極穏やかで優しいものだ。
「別に、君なら僕よりも上等な相手を探せるだろう? 過大評価しすぎだよ」
「智樹くんは自分を過小評価しすぎなの」
「妥当な評価だと思うけどね」
「そんなことないよ。それは今日だけでも十分わかったし」
「僕のどこが」
「教えて欲しい?」
「いや、いい」
なんか、またサラッと毒を吐かれそうな気もするし。
「まずはねー」
「話聞こう? ね?」
「歩いてる時、私の歩幅に合わせてくれたでしょ? ちゃんとついてこれてるか、ずっと気をつけてくれてたし。さり気なく車道側も歩いてた。私が疲れてないって言っても、ちゃんと気を遣って休憩しようとしてくれた。それに、怖いところを助けてくれた」
ひとつひとつ大切そうに、指折り数えて教えてくれる。毒を吐くなんてとんでもない。理世はこちらに振り返って、その声と同じ柔らかな色の笑みを浮かべ目を細めた。
「そんなに優しくされたら、女の子はうっかり好きになっちゃうんだから、気をつけてね?」
そんな魅力的な笑顔で、どこか弾んでいる声で、思わぬ言葉を投げられる。
完全に不意打ちだったからだろうか。当たり前のように顔は熱くなってしまって。それを悟られたくないのに、屋台や花火の放つ光が僕を逃してくれない。
「······なんだ、僕に惚れちゃったか?」
「どうだと思う?」
照れ隠しの言葉すら、小悪魔のような笑みを浮かべた理世に封殺されてしまった。
はあ、とため息を吐いて降参の意を伝えると、より一層笑みを深めた理世のクスクスと言う声が聞こえる。
「花火、綺麗だね」
「ふふっ、そうだね」
なるべく顔を見られないように視線を向けた空には、終わりが近いことを知らせる
続けて打ち上がる一際大きな花火は、桜の花びらを形作っている。
一瞬だけ浮かんだあの子の顔を、今だけは頭の外に追いやった。
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