第63話
一年のうちで、恐らく最も浅木駅が賑わうであろう今日。つまり、花火大会、サマーカーニバルの日だ。
昔は芸能人なんかを呼んで夕方からトークショーをやったりしていたが、最近は予算の問題からか、そのような事は一切やらなくなった。花火の数なんかも年々減ってきてはいるが、来場者数は一向に衰えない。
僕は一応毎年会場まで行っている。両親が生きてる頃は、父さんの都合が合えば家族三人で。一昨年は叔母に連れられて、去年は三枝に無理矢理。
そんなサマーカーニバルに、僕は何故か理世と二人で行くこととなってしまっていた。
いや、小泉と樋山も誘ったんだ。誘ったんだけど、どうも二人とも、毎年この日は樋山の家の庭でお互いの家族とバーベキューをするらしい。流石は幼馴染。
そっちに誘われたりもしたけど、丁重にお断りした。僕は樋山の家に行ったことあるし、二人の両親とは面識もあるけど、そんなものない理世がそこに放り込まれるのは少し可哀想だろう。
と言うわけで、本来なら白雪を誘って一緒に行く予定だった筈の今日、その相手が理世に変わってしまっていた。
まあ、別に理世と二人で行くのが嫌なわけではない。これまで何度も繰り返し言っているように、理世は可愛い。しかもかなり。白雪と並ぶくらいには。そんな女の子と二人で花火大会。嫌と言う男子はおるまい。
だけどやっぱり、自分の気持ちに嘘はつけないもので。僕は他の誰よりも、灰砂理世よりも。白雪桜と、今日を過ごしたかった。
待ち合わせ場所に来てまでそんな気持ちを抱いたままなのは、不誠実だろうか。多分、そうだろう。折角誘ってくれた理世に失礼極まりないとも思う。
でも、今の僕にそんな思考を捨てろと言う方が無理な相談だ。なにせ、白雪が突然こうなってしまった原因は、全く分からないのだから。しかも連絡手段まで途絶したときた。
僕がなにかしたからか。もしくは、なにかを出来なかったからか。あの日から何度同じような自問自答を繰り返しているだろう。その度に答えを出すことなんて出来なくて、そんな自分に失望する。
彼女のことを知りたいと願って、その実僕は、本当の彼女をなにも知らなかったのだから。
「智樹くーん!」
暗い思考に沈んでいた心を引き上げる声があった。無意識のうちに俯いてしまっていた顔を上げ、人の多い駅前を見渡す。声の主を探そうと思うも、わざわざそんな真似はしなくても、その子の姿は僕の目に入ってきた。
いや、僕の目がそちらに吸い寄せられた、と言った方が正しいだろうか。
改札方面から現れ、茶色の髪を揺らしながらてこてこと小走りで駆け寄ってくる理世。僕の目の前で停止した彼女は、赤い浴衣を着ていた。
「ごめんね、待たせちゃったかな?」
「いや、そんなに待ってないよ。時間ぴったりだ」
スマホで時間を確認してみても、約束していた十八時丁度。理世が謝る理由などない。実際僕も、ここについたのはつい先程、五分ほど前の話だし。
「それに、その浴衣似合ってるね。化粧も気合入ってるみたいだし、いつもより可愛いんじゃないか?」
「ふふっ、ありがと。そう言う細かいところに気づいてくれるのは嬉しいな」
今日の理世は、いつもの可愛らしさ全開とは違って、どこか大人っぽい印象を抱かせる。化粧ひとつでここまで違うとは、恐るべし女の子。これで先週見たスッピンまで普通に可愛いんだから、白雪と言い理世と言い、可愛いは罪だとつくづく思う。
「それじゃあ行こうか。結構人が多いから、逸れないようにね」
「子供じゃないんだから、逸れたりしないよ。余計な心配ですー」
「君の場合、もし逸れたら下手なナンパにでも合いそうだからね」
「それなら智樹くんで間に合ってるかなぁ」
「僕は君をナンパした覚えはないんだけど······」
なんて軽口を交わしながら、会場の方へと足を進める。ここから花火大会の会場となる海辺まで、普段なら徒歩で三十分と言ったところだろう。駅前からだと、結構距離がある。
この辺りは全然マシだが、会場が近づくに連れて人混みも酷くなる。だから、普段よりも更に時間がかかると見た方がいい。一時間は見積もっておくべきか。
幸いにして、花火が打ち上がるのは二十時だ。それまでに会場に到着して出店を楽しむ余裕は十分にある。
理世は浴衣だから、彼女に歩幅を合わせて、いつもランニングのコースにしている浅木川沿いをゆっくり南へと下る。カランカランと鳴る下駄の音が心地いい。
「そう言えば、智樹くんは宿題終わった?」
「僕は計画性のある男だからね。そんなもの、夏休みが始まる前に終わらせたよ」
「もしかして智樹くんって、頭良かったりする?」
「もしかしてもなにも、前回前々回の定期テストは僕が学年一位だぜ?」
下駄の音が鳴り止んだ。
自然と僕も足を止めることになってしまい、突然どうしたのかと一歩後ろにいる理世に振り返ると、目を見開いて口をあんぐり開けていた。失礼な反応だなおい。可愛い顔が台無しだ。
「嘘だ······」
「残念ながら嘘じゃない。僕が一位で、白雪が二位だよ」
「智樹くんも私の仲間だと思ってたのに······!」
「なに、その言い方だと君、成績悪いのか?」
「······」
「無言は肯定と受け取るぜ」
先週の意趣返しのつもりで口元を歪ませながら言うと、ぐぬぬと睨まれた。そんな顔で睨まれても可愛いだけですよ。
その後はあ、と何故かため息を吐かれ、止まっていた歩みを再開させる。
「てっきり智樹くんは、野球しか出来ない二枚目ナンパ野郎だと思ってたよ」
「ねえ、理世の中の僕ってどう言う評価なの?」
「ふふっ、聞きたい?」
「いや、やっぱり遠慮しときます······」
意味深な微笑が怖かったのでやめといた。
この前の変なランキングと言い、今の言葉と言い、僕は周囲の女子にどう言う評価を受けてしまっているのか。ダメ人間っぽいとか胡散臭いとか、遺憾の意を表明したいんだけども。
て言うか、よく考えたら軽薄なナンパ野郎云々は理世からの意見ではなかろうか。いやでも、友達を疑うのはよくないな。きっと理世じゃないはず。
「まあでも、知り合う前の時よりは結構株が上がってるかもよ?」
「ならいいんだけどね」
「だって私、夏目智樹って言うと白雪さんと付き合ってるかもしれない軽薄なナンパ野郎としか思ってなかったもん」
やっぱりお前かこの野郎。
「それが蓋を開けてみたら、野球の才能は天才的だし、勉強は出来るしの無駄にハイスペックなナンパ野郎だなんて思いもよらないじゃない?」
「結局ナンパ野郎は変わらないんだね······」
「残念ながらね」
どうしてこう、僕は女子からの扱いが悉く酷いのだろう。白雪には罵詈雑言を浴びせられるし、神楽坂先輩には無理難題を押し付けられるし、理世はサラッと毒を吐くし。
普段の行いは決して悪くないはずなのに。解せぬ。
「でも、白雪と付き合ってるかもしれないナンパ野郎が樋山に惨敗した程度で、よく君も僕なんかに興味持ったね」
「あー、それね。実は、もう二つ理由あるんだ」
「二つ?」
初対面の時のあの場で言わなかったということは、あの場で言えなかったということか。若しくはなにか、疚しい理由でもあったのか。
言葉の先を促すように理世を見ると、どこか申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「ほら、この前話したでしょ? 私のお母さんが死んじゃったって」
「あ、ああ······」
もしかしてとは思っていたが、やはりそこか。
「私と同じで、親を亡くした人がどんな人なのか、気になってたんだ」
「その点に関しちゃ、失望しただろ?」
「そうでもないよ。だって、モールの喫茶店で初めて会った時とか、それに練習中での智樹くんの目とか見たら分かったもん」
「なにが?」
「この人は、強い人だなって」
「それは······」
それは、どうだろう。そもそも僕は、ほんの数ヶ月前まで、グローブやボールに触ることすら出来なかったのだ。目に入れることすらも拒んでいる節があった。それが出来るようになったのは。今の僕があるのは、白雪のおかげだ。
彼女が、僕の努力を拾い上げてくれたから。だから僕は、情熱と言うものを取り戻すことが出来た。僕が強いからじゃない。白雪がいてくれたからなんだ。
本当に僕が強い人間だったら、誰の力も借りず、ひとりで取り戻せたはず。いや、そもそも失うことすらなかったはず。
「智樹くん?」
「······っ」
気づけば僕の視線は自分の足元に落ちていて、その間に理世の顔が入り込んでくる。いつもより綺麗に見える理世の顔が不意に視界に現れたから、直ぐにハッとなって顔を上げることが出来た。
理世の瞳には心配の色が滲んでいて、それを払拭させるように笑みを作る。下手な笑い方だ。もしかしたら、余計に心配させてしまう程の、
「悪い、なんでもない。それより、もうひとつの理由って?」
「······」
「理世?」
ジッと僕を見つめてくる、大きな双眸。
その視線は外れることなく、ともすれば睨んでいるようにも見える。わけが分からなくてたじろいでいると、またひとつため息を落として、理世は諦めたように言葉を紡いだ。
「もうひとつの理由だっけ? そっちは簡単だよ。智樹くん、うちの学校じゃ元から結構有名だったからね」
「僕が?」
「うん。亡くなった野球選手の息子。それだけで有名になるには十分だと思わない?」
自分で言っていてうんざりしたのか、ちょっと嫌そうな顔をする理世。同じ親を亡くしている身からすると、少し思うところもあるのだろう。
「私だって、マネージャーやるくらいには野球好きだしさ、そう言う点でも気になってたんだよね」
「なるほどね。父さんの話を聞きたかったと」
「そう言うことかな。だから、この二つはあんまり褒められた理由じゃないんだ。下心ってやつだから」
「気にしすぎだと思うけどね。特に二つ目は」
父さんの話くらい、頼まれればいくらだって出来る。なにせ物心つく前からその活躍をずっと見ていたのだから。好プレーだけじゃなく珍プレーまで、僕の脳みそにインプットされているのだ。
野球選手夏目祐樹の一番のファンは僕だと胸を張って言えるくらいには、父さんのことが好きだったから。
「なんなら、父さんのことは今からでも話して聞かせるぜ?」
「わっ、いいの?」
「勿論。まずは父さんがデビューしたての頃からかな」
「それって私たち生まれてないよね······?」
それから暫く、僕の父親自慢を理世が相槌を打ちながら聞く形で歩いていた。
最も盛り上がったのは、今から五年前のWBCの話だろうか。理世も当時はテレビで見ていたらしく、僕が海外まで飛行機で直接見に行ったと言えば、心底羨ましがられた。ドヤ顔したらなんかムカつくって言われた。悲しい。
そうして歩いていると、徐々に人の数が多くなって来ていて、会場の近くまで迫ってきていることを実感させられる。
「あ」
「どうした?」
そんな時、突然理世が声を上げた。彼女の視線の先を追うと、それは直ぐそこのコンビニに向かっていた。花火大会の影響で普段は寂れていたはずのそのコンビニも、今や大繁盛だ。
その店先に、見知った顔の女の子が立っていた。向こうも僕たちに気がついたようで、いつものようにメガネを妖しく光らせて、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべながら近づいてきた。
「やあやあ誰かと思ったら。夏目少年にシンデレラ様じゃないですかー」
「よお、久しぶり井坂」
「翔子ちゃん、久しぶりだねー」
クラスメイトの井坂翔子だ。僕と白雪の仲が疑われるような噂を流した張本人であり、白雪にとって数少ない友人のひとり。
その井坂は自身の邪推をこちらに隠そうともせず、ニヤニヤした顔を貼り付けたまま僕に近寄って来る。
「いやー、少年も隅に置けませんにゃー。姫の次はシンデレラと二人っきりでデートですか?」
「シンデレラ?」
「
なるほど、サンドリヨンか。シンデレラのフランス語訳だっけ。ある程度の教養がないとわかんないぞこれ。
「その呼び方、恥ずかしいからやめてほしいんだけどな」
たははと照れたように笑う理世は、本当に恥ずかしそうにちょっと頬を赤くしている。
「ありゃ、もしかして少年、知らなかった?」
「初耳だね」
「白雪姫とシンデレラって言えば、うちの学校の二大美少女だよ? それすら知らずにその二人ともとデートするとか、そのうち刺されてもしらないゾ?」
「怖いこと言うなよ······」
実際、僕は文化祭の時に被害にあってるから、笑い飛ばすことも出来ない。これは暫く、夜道に気をつけたい方がいいかもしれないな······。
「翔子ちゃんも花火大会? 良かったら一緒にどうかな?」
「んー、お誘いはありがたいんだけど、私も一応待ち合わせしてるのよね。それに、お二人の邪魔をするわけにはいかないじゃん?」
「君はどうして直ぐに話をそっち方面に持っていきたがるんだ······」
「その方が楽しいからね。それよりも夏目くん」
「ん?」
改まったように真剣な表情で、珍しくも井坂からちゃんと名前を呼ばれた。自然、少し身構えてしまう僕がいて。
「最近、姫となにかあった?」
尋ねる声は、常よりも低いものだった。
「いきなり姫のラインのアカウントが消えて、全く連絡出来ない状況なんだけど。夏目くん、何か知ってるよね?」
そして僕は、それに返せる答えを持ち得ていない。いや、返答自体は出来る。
なにもなかった。
そう、なにもなかったのだ。
「悪い、僕も知らないんだ。番号にかけても着拒されるし、文芸部もやめるとか言ってるし、もうなにがなんだか······」
「そう······」
「でも、もう少しで二学期だし、学校が始まってから問いただせばいいだけだよ」
「······うん。それもそっか」
それで納得したわけでもないだろうが、これ以上僕に追求しても無駄だと思ったのだろう。その話はここで無理矢理打ち切った。
「じゃあ、僕たち行くよ」
「またね、翔子ちゃん」
「うん、また学校でねー。少年は浮気もほどほどにするんだぞー」
「だから、そんなんじゃないって······」
いつものよく分からない軽い口調に言い返しながら、会場に向けて再び歩き始める。
井坂との会話のせいだろうか。隣に理世がいると言うのに、頭の中は白雪のことばかり考えていた。
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