第52話
なんとなくつけたテレビからは昨日と同じく、高校野球の生中継が流れていた。アナウンサーの力強い実況は、テレビ越しでも不思議と臨場感を与えてくれる。昔母さんに聞いたことがあるのだけど、スポーツの実況と言うのは結構難しいらしい。
そりゃそうだろう。まずは専門的な知識がなければいけないし、試合の状況を常に把握しておかなければならないのだから。野球なんかだと、ピッチャーの投げた球種も瞬時に理解しなければならない。
野球のようなスポーツはまだマシだ。これがサッカーやバスケのような、動きの速いスポーツなら、もっと難しいことだろう。
僕の母さんは別にスポーツの実況をしていた訳ではないが、それでも毎日のようにテレビの向こうでその姿を見ていた。僕が中学に上がる頃には、退職してしまったけれど。
「大阪のチームはやっぱり強いなぁ······」
今日の試合は大阪代表と島根代表。大阪には名門校が多く、毎度決勝の近くまで勝ち進んでいるイメージがある。
さて、試合はまだ始まったばかりではあるが、のんびりコーヒーを飲みながら観戦している暇はない。もうあと数分すれば家を出なければ。
今日から二泊三日で、文芸部で合宿だ。
場所は県外にある神楽坂先輩の家が持つ別荘。敷地の中にはプライベートビーチや山があると言う。相変わらず先輩の家が何をしているのかは知らないけれど、無人島とか出されるよりかはマシだ。別荘の方がまだ現実味がある。
「そろそろ出るか」
缶の中身を飲み干して立ち上がり、テレビの電源を落とす。試合は気になるけれど、これで遅れてしまっては白雪に何を言われるか。呆れた顔で飛び切りの罵倒を飛ばしてくるに違いない。そしてそれを呆れた目で後ろから見る三枝と神楽坂先輩。余裕で想像出来る。
待ち合わせ場所は浅木駅前にあるコンビニ。僕の家からはすぐ近くだ。集合時間まではまだ三十分近くあるが、神楽坂先輩のことだから、もう中岸さんを連れて待ち合わせ場所に来ているだろう。もしかしたら三枝も来ているかもしれない。
「忘れ物は······」
ソファの横に置いた旅行カバンを開き、中に荷物がしっかり入っていることを確認する。二泊分の着替え、その予備、水着、トランプにウノ。そして合宿と言うからには、勿論ネタ帳とノートパソコンも忘れない。文芸部の活動だってするはずだ。多分。ちょっと自信ないけど。
忘れ物がないことを確かめ、カバンのチャックを閉じる。二日も家を開けるので、戸締りとガス栓などの確認はいつもより厳重に。それらの確認を終わらせ、カバンを持って家を出た。
今日も今日とて綺麗な夏空。まだ午前だから暑さもマシではあるけど、昼以降は炎天下になること間違いなしだろう。まあ、車での移動だから関係ないんだけど。
自宅から歩いて十分ちょっと。待ち合わせ場所のコンビニが見えてきた。時間まではまだ少しあるけど誰か来ているだろうかと視線を巡らせると、喫煙所にサングラスを掛けた、見慣れた男性が一人。
「大黒先生?」
「お、早いな夏目。おはようさん」
文芸部の顧問、大黒先生だった。いつも学校にいる時はスーツ姿なのだけど、今日は短パンにTシャツでサンダルと凄いラフな格好をしている。ヤンキーに見えなくもないので、ちょっと怖い。
「先生も合宿に来るんですか?」
「そりゃ顧問やからな。当たり前やろ」
当たり前なのか。普段、部の活動についてはあまり口出ししないし、部室にもあまり顔を出さないので今回も来ないのかと思っていたけど。
て言うか、昨日のメールでは誰も先生が来るとか言ってなかったけど。
先生は僕に気を使ってか、まだ結構残ってるタバコの火を消してサングラスを外した。
「来とるんはまだ神楽坂と中岸さんだけやで。コンビニん中おるわ。三枝と白雪姉妹はまだ来とらん」
「そうですか。······って、白雪姉妹?」
なにか今、おかしな単語が聞こえたような。
「聞いとらんか? 白雪が妹も連れてくるって言っとったぞ」
「聞いてないですね······」
まあ、あのシスコンのことだし、三日も小梅ちゃんと離れるのはつらいとか言い出したのかもしれない。うん、十分あり得る。
それに、小梅ちゃんが来たからと言って、やることに変わりがあるわけではないだろう。
「それにしても、白雪にも困ったもんやな」
「まああいつ、シスコンですからね」
「ただのシスコンやったらええねんけどな」
「······?」
ただのシスコンじゃないのか? そりゃまあ、ちょっと行き過ぎてる感じは否めないけど、それでもあれはシスコンの枠に収まるレベルだと思うんだけど。
「あの、先生。それってどう言う──」
「お兄さーん!」
先生の言葉の意味を問おうとするその直前、背後から大きな声で呼ばれた。聞き覚えのある声で、僕のことをそう呼ぶのは一人しかいなくて。
振り返ると、元気よくこちらに駆け寄って来るワンピースを着た白雪小梅ちゃんの姿が。その後ろには、ホットパンツとプリントTシャツと言う、いつかと同じ服装をした姉の白雪も見える。
「おはようございます、お兄さん!」
「うん、おはよう小梅ちゃん」
目の前に立ち止まり、ニパッと快活な笑顔を見せてくれる。白雪と同じ顔なのに違う表情。大変可愛らしくてよろしいのだが、いかんせん背後に立つ姉の顔が怖い。
「白雪も、おはよう」
「おはようございます、大黒先生」
「ん、おはようさん」
え、無視?
「今日は小梅までありがとうございます」
「ガキが何人増えようが一緒やからな。別にかまへん。ほれ、お前らもコンビニん中入っとれ。オレはまだタバコ吸うとるから」
言いながら、先生はまたポケットからタバコの箱を取り出し、払うように手を振った。それに従って、三人揃ってコンビニの中へと移動する。
さっきの言葉の意味を聞きそびれてしまったが、別に深い意味があったわけではないのだろう。気になるのなら、またその内聞けば良いだけだ。
「あの人、タバコ吸い過ぎじゃない?」
「僕が来てから二本目だね」
「絶対その内病気に罹るわよ」
「そんなにヘビースモーカーなのか?」
「私が知る限りではね」
僕は部活以外で大黒先生と接点はないが、どうも白雪はその限りではないらしい。ちょっと意外だ。
コンビニの中に入ると、行き届いた冷房が僕たちを迎えてくれた。小梅ちゃんなんかは、ほへぇ〜と気の抜いた息を漏らしている。
「三枝は?」
「まだらしい」
「遅れないといいんだけど」
「それは大丈夫だろう」
そう広くないコンビニの中。僕たちの話し声が聞こえたのか、商品棚の陰からピョコリと顔を覗かせる女の子が。神楽坂先輩だ。久しぶりの癒しオーラを感じる。
「二人ともおはよー!」
「おはようございます」
「おはよう、紅葉さん」
神楽坂先輩の右手には買い物かごがぶら下がっていて、そこには多種多様なお菓子が入っていた。行きの車の中で食べる分だと思うけど、それにしても多い気がする。
てくてくとこちらに歩み寄って来た先輩は、白雪の隣にいる小梅ちゃんに笑いかけた。そう言えば、二人は初対面だったか。
「その子が桜ちゃんの妹さん?」
「はいっ! 白雪小梅です!」
「桜ちゃんの友達の神楽坂紅葉です。よろしくね」
女子三人がお喋りしだしたのを見計らって、僕は飲み物が置いてるところへ。取り敢えずコーヒーを買っておかなければ。白雪がいる以上、気がつけば甘い飲み物ばかりとか、そんなことになってそうだし。
そう思い移動した先には、神楽坂先輩の付き人である中岸さんがいた。
「おや、夏目様。お久しぶりでございます」
「あ、久しぶりです中岸さん」
今日もいつもと同じスーツ姿。暑くないのだろうかとは思うものの、この人にとってはこれが仕事着なのだから仕方ないのだろう。実際、本人はいつも涼しい顔をしているし。
そんな中岸さんの手にも、先輩と同じく買い物かごが。こちらはお菓子ではなくジュース類ばかりだ。
「いつも車出してもらってすいません」
「いえいえ、それが私の仕事ですから」
そう言われてしまえば、僕もお礼を述べることしか出来ない。元々、車の運転なんて出来ないから、それ以外にやれることはないんだけど。
中岸さんを手伝おうと思い隣に並ぶ。かごには人数分のジュースと、熱中症対策のためかスポーツドリンクがいくつか。それから缶のブラックコーヒーまで。
「心配しなくとも、コーヒーはしっかり確保しております」
「すいません、ありがとうございます」
わざわざ気を回してくれて申し訳なくなってしまい、苦笑気味にお礼を返す。流石は中岸さん。男なら誰もが憧れる老紳士っぷりだ。
その後二人でコンビニ内を回り、念のため塩飴などの熱中症対策になるようなものも買っておいた。スポドリだけよりはマシだろう。
女子三人は既に買い物を済ませ、イートインコーナーで歓談中らしい。あ、いや、よく見たら三枝ももう来てた。目が合って手を挙げられたので、同じく手を挙げて挨拶を返す。あいつ、よくあそこに混じれるな。
レジを通して四人に声をかけて外に出る。まだこの冷房が効いた室内に留まりたいのだけど、あんまりうだうだしてたらまた白雪から小言を頂戴してしまいそうだ。
「暑っ」
「分かりきったことを口にしないで。余計に暑くなるでしょ」
「じゃあ寒いとでも言っとけばいいか?」
「これで寒いとかあなたの頭はどうなってるのよ。バカじゃないの?」
理不尽な罵倒を受けながらも車へ移動。今日はあの黒塗り高級車ではなく、ハイエースらしい。
先生も喫煙所から戻ってきた。サングラスはまた掛けている。やっぱりちょっとヤンキーっぽい。て言うか、その風貌にハイエースって割とホントにそっちの人にしか見えないんだけど。
「よし、全員揃っとるな。オレが助手席乗るから、お前らは適当に後ろ乗っとけ」
そんな言葉に全員が返事をして、いざ乗車。まず白雪姉妹が後ろに乗り込み、続いて神楽坂先輩が。女三人寄ればなんとやら。そこでもまだお喋りは続くらしい。
そうなれば必然、二列目は悲しいことに男二人で乗ることになる。
「いいのか親友。彼女の隣じゃなくても」
「いいんだよ。俺はお前が汗水垂らして練習してる間に、紅葉さんと二人きりで色々したからな」
ふっ、と得意げに笑う三枝がちょっとイラッとしたので、取り敢えず肩パンしておいた。僕だって練習が終わった後は白雪と二人きりだったし。うん、負けてない負けてない。三枝が彼女持ちの時点で負けてる気もするけど、些細な問題だ。
そんなやり取りの後二人して二列目に乗車。三枝が座った後、中岸さんからジュース類を入れたクーラーボックスを手渡される。
「先程買ったものは全てこちらに入れておりますので」
「ありがとうございます」
三枝が受け取って足元に置いた後、早速クーラーボックスを開けてコーヒーを取り出す。後ろから呆れたようなため息が聞こえたが、気のせいだ。
「よし、全員乗ったな。そんじゃ中岸さん、お願いします。パーキング止まったら運転代わりますんで」
「はい。お願いします。では参りましょうか」
そんなこんなで、僕たち文芸部を乗せたハイエースが走り出した。折角だし、三枝から先輩との事を聞き出してやろうか。色々としたみたいだし、それについて根掘り葉掘り。
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