第47話

 小泉からのアドバイスを受けながら投げ続けること一時間。百球に届くというところで、本日の投球練習は終了した。

 僕としても、初日からこんなに投げさせられて、結構肩と肘が疲弊していたから丁度いいくらいだ。課題も明確になったし。

 小泉は、今日は帰って明日からの特訓メニューを考えてくると言い、既に帰宅してしまっている。

 そして現在、僕と白雪は公園を出て、家の近くのスーパーまで二人でやって来ていた。


「ふんふんふ〜ん」

「······」


 鼻歌を歌いながら商品を物色する白雪と、カゴを押しながらその後ろをついて歩く僕。

 白雪は目に付いた野菜を取り、他のものと見比べてカゴに入れた。彼女にはなにか違いが見えているのだろうが、僕には全く分からない。

 僕も一応自炊してるし、野菜を買うことだってもちろんあるのだけど、ここまでこだわることなんてまず無い。


「さて、お肉のとこ行くわよ」

「なんか、随分手慣れてるな」

「そうかしら?」

「普段は楓さんが買い物してるんじゃないのか?」

「お母さんが忙しい時は、私が代わりに買い物してご飯も作ってるのよ」

「へえ」


 楓さんが一体どのような仕事をしているのかは知らないけど、まあそう言うこともあるんだろう。てっきり専業主婦なのかと思っていたのだが、白雪の言い方から察するに違うっぽいし。


「あら、お肉安くなってるわね」

「ラッキーじゃないか」

「夏目、どれくらい食べれる?」

「結構お腹ペコペコだから、それなりには」

「なら二パック買っときましょうか」


 腰を折って豚肉のパックを二つ取る白雪。その時、ミニスカートの中が見えそうになって思わず視線を逸らしてしまう。どうしてこんなに無防備なのか。僕だって一応男子なんだけど。


「どうかした?」

「いや、なんでもない。それより次行こう」

「······?」


 どうやら自覚はないようで。まあ、今の白雪は黒のタイツを履いているから、下着がモロに見えると言うわけではないんだけど。でもタイツ履いてる方がなんかイケナイ感じがするのはどうしてだろうか。

 未だ僕に怪訝な目を向けるも、先を促すと素直に足を進めてくれた。


「あとなにか買うものあったかしら?」

「調味料は?」

「あなたの家にあるものなら把握済みよ。足りないものは特になかったわ」

「んじゃコーヒーだね」

「あの子から禁止されてるんでしょ? だからダメ」


 やっぱりダメだったか。どうやら小泉の息は白雪にまで及んでいるようだ。今から暫くカフェインを摂取出来ないとか、正直絶望しかないのだが。終われば浴びるほど飲んでやる。


「ならスポドリとかお茶とか買っとかないとね。家になにもないから」

「あなた、よくそんなので生きてられるわね」

「コーヒーがあったからね。昨日までは······」


 因みに、家に残っていたブラックコーヒーは全て、小泉の手によって処分済みである。処分と言っても、彼女が家に持って帰っただけなのだが。

 つまり、今の我が家には飲み物がなにも置いていない。運動をするのであれば、どの道スポーツドリンクは必要になっていただろうからいいのだけど。

 ドリンクコーナーまで進んで、二リットルのスポドリ三本と緑茶を一本、カゴの中に入れる。これ、持って帰るの僕なんだよな······。絶対重いやつじゃないか······。ちゃっかりカフェオレの缶も入れてるし。


「他は?」

「特にないかな。夕飯は外で食べるか、家に残ってるソーメン作ればいいし」

「ならレジに行きましょうか」


 直ぐそこのレジに向かう途中、ふと思った。こうして二人で買い物とか、なんか夫婦みたいじゃないだろうかと。

 いや、いやいやいや、落ち着け僕。流石にそれはないし気持ち悪いぞ。ただちょっと、家で昼ごはん作ってもらう程度でそんな。

 そもそも僕、思いっきり運動着だし。どう見ても学生ですよって感じ丸出しだし。僕まだ結婚できる年齢じゃないし。

 そんな思考を必死になって頭の中から追い出しながら、商品をレジに通す。ただ、レジのおばちゃんの僕達を見る目がなんか生暖かったのはどう言うことなんだろうか。

 まあ、兄弟に見られてなさそうなだけ良しとしよう。

 会計するとなって財布を取り出しお金を出すと、後ろの白雪から声が上がった。


「ちょっと、半分出すわよ」

「いい。僕の家の買い物だし、君は昼を作ってくれるし。君に出させる理由はないだろう」

「私だって一緒にお昼食べるんだから、それだけでもお金を払う理由になるじゃない」


 さて、この頑固なお姫様をどう言いくるめようかと考えていると、うふふ、とレジのおばちゃんが笑ってみせて、爆弾発言を落とした。


「お嬢ちゃん、ここは彼氏さんに甘えておきなさい」

「かれっ······!」


 絶句する白雪。僕もそうしたいところだったんだけど、今が好機とばかりに財布からお金を取り出し、支払いを済ませてレジを離れる。レジのおばちゃんだけじゃなく、周りからの視線も痛かったところだ。

 そういう風に見られるのは別に嫌な事ではない。学校でも他の生徒からは僕達の仲を邪推されているし。けれど、学校の外でそういう風に言われるのは慣れていない。白雪としても完全に不意打ちだったのだろう。

 だから、彼女の頬は朱色に染まっていて、きっと僕の顔も、同じ色になっている。

 買ったものをさっさと袋に詰め、ペットボトルの入った重いものを持つ。


「白雪、悪いんだけど軽いのは持ってくれ」

「分かってるわよ······」


 こちらと視線を合わせてくれないのは、先ほどのダメージが回復していないからか。

 まあでも、そうやって意識してくれるのは、僕からしたらちょっと嬉しかったりする。





 漸く我が家に到着した。白雪はスーパーで負ったダメージも帰り道の最中に回復したらしく、今ではいつもと同じ無表情だ。


「重かった······」

「男の子なんだからそれくらいで根を上げないの。ほら、先にシャワー浴びて来なさい」


 キッチンの方に荷物を置くと、早速白雪から指示が飛んでくる。いつの間にそこに置いていたのか、以前神楽坂先輩と来た時に使っていたエプロンを装着した。それを見るに、僕がシャワーを浴びてる間に昼ごはんを作るらしい。

 と言うことは、お風呂で背中流すのはなしなのだろうか······。


「どうしたの?」

「······いや、なんでもない。シャワー浴びてくるよ」


 やっぱりお風呂は流石にないらしい。まあ、ちょっと期待してただけだし。あり得ないとは分かってたし。て言うかエプロン姿が相変わらず可愛すぎるし。

 一度部屋に戻って着替えを準備し、本日二度目のシャワー。効率悪いことこの上ない。

 まあ、今日は初日だからそれも致し方ないだろう。明日からは、小泉が考えて来たメニューを朝からみっちりこなさないといけないだろうし。それはそれでしんどいのだが、やり甲斐があるのも事実だ。

 朝の時と同じく適当にサッと流して、十分もかけずに風呂を出る。運動はしないだろうけど、白雪を駅まで送るのに外には出るだろうから、適当なティーシャツとジーンズを履いてリビングへ。

 キッチンを覗けば、楽しそうに料理をする白雪が。早速いい匂いが部屋に充満していて、余計にお腹が減ってくる。


「あら、早かったわね」

「汗を流しただけだからね。何か手伝おうか?」

「直ぐ出来るからいいわよ。それよりも」


 フライパンに掛けてある火を一度止め、白雪がこちらに近寄ってくる。意図の掴めないその行動に首を傾げていると、白雪の腕が僕の頭に伸びて来た。


「お疲れ様。明日からも頑張りなさい」


 その腕はそのまま僕の頭に乗せられて、濡れた髪をゆっくりと撫でる。白雪は穏やかで優しい笑みをこちらに向けていて、何故かそれが直視出来なくて目を逸らしてしまった。

 そうされるだけで、今日一日頑張って良かったと思えるし、明日からも頑張ろうと思えてしまう。

 けれど、突然こんなことをされては驚いてしまうし、なんだか小っ恥ずかしい。赤くなってるであろう僕の顔が面白かったのか、クスリとまた笑みを一つ。


「はい、おしまい」

「あっ······」

「ふふっ、そんな名残惜しそうな顔をしないの。言ってた通り、明日も頑張ればまたしてあげるわよ」


 つい漏れてしまった声。恥ずかしさで顔が焼けてしまいそうだ。

 でもそれ以上に、こんなことをされていると、どうしても母さんのことを思い出してしまって。良くないことだとは分かっているのに、どうしても白雪に母さんの影を重ねてしまう。


「ほら、すぐに出来るからリビングで待ってなさい」

「あ、ああ······」


 踵を返してリビングに戻り、ソファの上にどさりと腰を下ろす。

 久しぶりにグローブをはめたからだろうか。なんだか今日は、両親のことをよく思い出してしまう。白雪の言動にも原因はあるんだろうけど、それでもあの二人のことをここまで思い出すのは、これまでになかった。


 その後十数分すると白雪から声がかかり、二人揃って昼ごはんを食べることに。言っていた通り、メニューは豚の生姜焼き。僕の茶碗には、白ご飯が山盛りとなっている。


「それじゃ、いただきます」

「いただきます」


 先ずは豚肉を一切れ摘み、口に運ぶ。気がついたら、茶碗を持って白ご飯をガツガツと食べていた。


「美味しい······」


 ポツリと漏れた一言。そんな言葉でしか言い表せられないのがもどかしい。


「お気に召したようでなによりだわ。でも、あんまり焦って食べるのはみっともないからやめなさい」

「······分かってるよ」


 口でそうは言っても、箸を動かす手は止まらない。この前のチャーハンの時も思ったが、どうやら白雪の料理スキルはプロ並みのようだ。こんなにご飯の進む豚の生姜焼きを食べたことなんて、この短い人生の中で初めてだ。

 気がつけば茶碗の中は空になっていて、直ぐに二杯目を要求した。


「おかわり」

「はいはい」


 まるで手のかかる子供を見るような目つきをされて、背中の辺りがむず痒くなる。まあ、今の僕はそう思われても仕方ないのだろう。

 二杯目をよそってくれた茶碗を受け取り、また箸を動かす。肉だけではなく一緒に焼いている野菜にもしっかり味が通っていて、それだけでも白ご飯がどんどん進む。


「ねえ夏目」


 そんな様子を見ていた白雪に名前を呼ばれ、箸を止めた。口の中のものを嚥下した後に白雪と目を合わせれば、彼女はとても真剣な表情をしていて。


「まだ、ダメなの?」


 なんのことか聞かなくても、彼女の顔を見ればすぐに分かった。そして、僕はそんな聞き方をして来た白雪に対して、嘘をつけない。


「ダメって訳じゃないんだけどね。グローブやボールにはちゃんと触れるし、投げることだって出来る。一球投げるごとに脳裏にチラつくんだよ。父さんと練習した時のこととか、母さんが家で待っていてくれたこととか、事故の日のこととか。そんな色々なことが」


 その度に、胸が苦しくなる。もう会えないと分かっている両親。未だ振り切れたわけではない。父さんと母さんの死を受け入れられていない。それが分かったのは、今日久しぶりにグローブをはめてボールを持った時だ。

 折角白雪のお陰で、色々と取り戻せたと思ったら、このザマだ。我ながら情けなさすぎる。


「全盛期みたいに投げられないのは、確かに筋力の低下もあるけど。多分、それが一番の原因だと思う」

「そう······」


 こればっかりは、白雪にはどうにも出来ないことだ。僕の気の持ちよう。父さんと母さんの死をちゃんと受け入れて、今と向き合う。それが出来ないと、思うようなピッチングなんて到底無理だ。


「つまり、両親のことを考えられないくらい、練習にのめり込めばいいのよね」

「まあ、そうなるのかな。それが出来たら、苦労はしないけどね」

「なら私に任せなさい」

「君に?」

「ええ。言ったでしょ? 私は、あなたの努力のために、なんだってしてあげるって」


 確かに、文化祭の一日目にそんなことを言われた。その言葉で僕が救われたのは確かだし、実際にそのお陰で、こうしてまた野球をすることが出来ている。


「だから、夏目が最後までちゃんと頑張れたら、またご褒美、あげるわ」


 頬を薄く染めた白雪のその言葉は、それまでの僕の思考を霧散させるのに十分過ぎる威力を持っていた。

 思い返されるのは、数週間前のあの柔らかい感触。もう随分と前のことだと言うのに、あの時のあの感触を思い出してしまいそうで、思わず口元を押さえてしまう。

 また、と言うことは、彼女の言うご褒美とはあの時と同じものの可能性が高くて。瞬間的に頭が沸騰しそうになる。しかし白雪はそんな僕の心情を知ってから知らずか、薄く染まった頬の色が戻る前に、話を続ける。


「そもそも、親しかった人の、それも肉親の死を受け入れるなんて、土台無理なことなのよ。そんなことが出来るのは、余程薄情なやつか、親にいい思い出がなかったやつだけ。あなたは違うでしょ?」

「まあ、そうだね」

「ならこう考えなさい。あなたがここで頑張ることが、あなたの両親が生きた証になる。月並みな言い方をすると、あなたの両親のためにも頑張ればいいのよ」

「それと、その、ご褒美ってのと、なんの関係があるんだよ」

「別に、深い関係なんてないわ。でも、あなたはそれがあった方が、もっとやる気が出るでしょ?」

「······」


 事実なのでなにも言い返せなかった。男の子な自分が恨めしい。


「どう? これで少しは、マシになりそうかしら?」

「荒療治にもほどがあると思うんだけど、まあ、多少はね」


 ようは捉え方の、考え方の問題だ。いつだったかも、学校で白雪はそう言っていた。

 両親の死が受け入れられないからダメなのだと言うのなら、無理に受け入れる必要はなく、ただ向き合うために。


「なら頑張りなさい。そうしたら、ちゃんとご褒美あげるわ」

「ああ、頑張るよ」


 頑張る理由をくれた君のためにも。

 明日からは、今日よりマシなピッチングが出来そうだ。

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