第34話

 ついに今週末から文化祭が始まる。そんな月曜日。いよいよ本番が近づいている実感が湧いてきたのか、学校中がソワソワした雰囲気となっている。

 そんな文化祭が白雪に齎した影響は大きかった。


「ねえねえ白雪さん! この後練習が終わったらご飯行かない?」

「あ、いいねぇ! 私も私も!」

「私、前から白雪さんとお話して見たかったんだぁ」

「えっ、ちょっと······」


 今までクラスメイトからどこか敬遠されがちだった白雪は、あのように夕飯に誘われるにまで至っているのだ。

 男子からは好意と羨望、女子からは嫉妬まじりの視線ばかりを頂戴していたであろうこれまでを思うと、大きな変化だろう。


「いいじゃんいいじゃん。あ、そうだ、姫さえ良ければ夏目少年も呼びますぜ?」

「なんでそこで夏目が出て来るのよ······」


 中でも井坂とは、結構仲良くなっているようで。僕の知る限り友達と呼べる人間がいなかった白雪にとって、初めてそんな存在になってくれるかもしれない。

 井坂を始めとした女子達に囲まれている白雪から、助けを求めるような視線を投げられたが、僕は気づかぬフリをして教室を出た。

 練習が始まる前にコーヒーを買いに行こう。ついでに、苦労している白雪のためにまたカフェオレを買っておいてやろうか。


 いつも通りの道順を辿り自販機までの道を歩く。放課後はどこの教室でも文化祭の準備が行われていて、おそらくは皆最終段階に突入しているのだろう。

 聞いた話では、神楽坂先輩のクラスはコスプレ喫茶だとか。先輩がどのようなコスプレをするのかは聞いていないが、三枝が鼻息荒くしていたのを覚えている。

 食堂を通り過ぎて図書室前の扉を開こうとして、その向こうから聞こえてきた声に思わず手を止めた。


「あーくそッ。なんなんだよあの夏目ってやつ」

「ああ、お前白雪さんに告って振られたんだってな」

「うるせぇ。ストーカー野郎に言われたかねえよ」


 どうやら、この扉の向こうには男子生徒が二人いるらしい。どこかで聞いたことのある声だ。片方は、この前白雪に告白してたやつか。だがもう片方は思い出せない。


「つーか、白雪さんって夏目と付き合ってるんじゃねぇの?」

「そんなのデマに決まってるだろ。どうせモールでデートしてたとか言うのも嘘に決まってる」


 思い出した。バザーの日、白雪をストーカーしてたやつだ。あの時確かにそいつの声を聞いたし、それと一致している。まさか同じ学校の生徒だったとは。


「つーかマジでなんなんだよあいつ。どう見ても白雪さんに釣り合わなさすぎだろ」

「この前の中間テストで学年一位だったらしいぞ。しかも中学の時、野球で何校からかスカウトも来てたらしいし」

「その野球も逃げたみたいに辞めたんだろ? そんなやつ、マジで一回痛い目見てもらわねえと気がすまねえ」

「わかる」


 ストーカーの方はどうやら僕についての情報をいくつか持ってるようで。流石はストーカー。殴りたい。

 しかし、これは放置していてもいいものか。このままだと、なにかしらよからぬことを企みそうだ。僕一人に被害が留まるならいいのだけど、それで白雪や文芸部にまで及んでしまう可能性があるのだとしたら。


「取り敢えず教室戻ろうぜ。あんまりサボってっとまた女子どもが煩いし」

「めんどくせーけど仕方ねぇか」


 そんなことを考えてるうちに、二人が去って行く足音が聞こえた。恐る恐る扉を開けば、やはりそこにはもう誰もいない。


「めんどくさいことになりそうだな······」


 一人呟きながら、自販機でコーヒーを買う。部誌は無事に完成したし、演劇の練習も完璧に近い状態へ近づけていると言うのに、ここに来てまさかのパターン。

 考え得る最悪のパターンは、彼ら二人の魔の手が文芸部に及ぶことだ。そうなってしまえば、三枝の告白どころではなくなるし、三枝と先輩に対して白雪が責任を感じてしまう。

 そうなる前にどうにかしたいのだが、生憎と僕はあの二人の男子生徒が一体何組に所属しているのか知らないし、ストーカー男に関しては一ヶ月以上も前のことだから、顔をいまいち覚えていない。

 コーヒーを喉に流し込んでカフェインを摂取するも、それで冴えた考えが思い浮かぶこともなく。


「取り敢えず、今は演劇の練習か······」


 起こるかどうかわからないことに頭を悩ませても仕方ない。今は兎に角、目の前のことを考えよう。

 この日は結局、普通に演劇の練習をして何事もなく終わった。勿論あの男子生徒二人のことは頭の片隅に置いていたけど。

 警戒が足りなかったと。そう言わざるを得ない。








 文化祭が明日に迫った今日。木曜日。

 我が校の文化祭は二日に分かれて行われ、その内の一日目は体育館でのステージ発表で一日を使う。僕たち二年三組を始めとした演劇やダンスショー。そして吹奏楽部や軽音楽部などの文化部がステージにて練習の成果を披露する。

 文芸部や神楽坂先輩のクラスのコスプレ喫茶などの出店は二日目がメインだ。二日目には有志のステージもあり、どちらかと言えば二日目の方が盛り上がるだろう。だからと言って一日目が盛り上がらないと言うことでもないのだけど。

 さて、そんな文化祭前日である今日は、明日のステージ発表におけるリハーサルが行われている。実際に体育館のステージで、明日の段取りや、入退場などを細かく確認しているのだ。

 生徒会の人たちが中心となって仕切ってくれているため、中々スムーズにリハーサルが進んでいる。


『続きまして、二年三組によります演劇。『白雪姫』です』


 放送部の生徒が本番と同じようなアナウンスをして、下りていた幕が上がった。

 実際に演技するわけではない。先週に一度、このステージを使わせてもらった練習をしているから、照明や音響もバッチリだろうし。


「観客がいるわけでもないのに、妙に緊張するな······」


 隣に立っていた三枝が、ボソリと呟いた。

 体育館は広い。バレー部やバスケ部達が練習に使用しているのだから当たり前だが、明日にはこの広い体育館の中いっぱいに蘆屋高生やその父兄達が並んで座っているのだ。

 僕個人の話をしてしまうなら、そう言う注目を浴びたりするのは慣れているのだけど、三枝を始めとした他の生徒はそうでもないらしい。


「そんなんで明日大丈夫か? 君は主要人物なんだから、肝心なところで噛むなよ」

「大丈夫、な筈だ。紅葉さんにいいとこ見せなきゃだからな」


 どうやら、神楽坂先輩のことを名前で呼ぶのには慣れたらしい。まあ、いつまでもあんな吃りまくりの裏声だらけでは話にもならないから、慣れてもらわないと困る。


「そんななりで女王と老婆の役なんだから、いいとこもクソもないと思うぜ?」

「言うな。分かってるから。痛いほど分かってるから」


 いっそのこと泣きそうに真剣な声音で言われた。本人的には結構気にしてるらしい。

 やがて五分と経たないうちに幕が再び下される。クラスメイト達はステージの下手へと掃けていき、入れ替わるように次のクラスがステージへと上がる。

 これで今日のリハーサルにおける僕たちの役割は終了。解散だ。演劇の最終チェックは昨日終えたし、衣装合わせも終わっている。まあ、僕と白雪以外は、と注釈がつくのだけど。

 衣装係のリーダーである井坂曰く、当日のお楽しみらしい。一応その衣装を着て練習などしなくていいのかと確認してみたのだが、「私の作る衣装に不満でもあるのかね?」とメガネをクイっとさせて言われたので、素直に引き下がった。


 と言うわけで、その場で担任からの号令もあり解散。クラスメイト達はみんな、明日からのことを話し合いながら体育館を出て行く。


「夏目、三枝」


 しかし僕たちにはまだ仕事が残っている。今日、印刷所から届けられる五十冊の部誌を、部室まで運ばなくてはならないのだ。

 一応部長として神楽坂先輩が、単純労働力として僕と三枝が、特にやることはないけど暇だからと白雪も。


「ん、早速行くか。神楽坂先輩も待ってるだろうし」

「だな」

「それが、さっき紅葉さんからラインがあったんだけど······」


 らしくなく、どうにも歯切れの悪い白雪。何度か、片手で数えられる程度なら彼女のそんな姿を見たことがあるが、今とその時とは状況が違いすぎる。そう言う時は決まって僕と二人きりの時だった。そして、そんな彼女から告げられる言葉は、いつもなんとなく予想が出来ていて。

 まさか、と思い頭に浮かぶのは、月曜に聞いたあの男子生徒二人の会話。


「荷物が、ないらしいのよ」


 その言葉を聞いた瞬間、気づいたら走り出していた。後ろから白雪と三枝の待てと言う声が聞こえるが、そんなものも無視して。

 それでどうにかなるわけでもないと言うのに、前を歩くクラスメイト達に謝りながらも、来客用玄関まで走る。

 いや、僕の予想が当たってるとは限らない。学校側の手違いかもしれないし、実は顧問が先に回収しているのかもしれない。

 やがて辿り着いた来客用玄関、そこにある事務室の前には、神楽坂先輩と文芸部顧問の大黒先生が立っていた。


「あ、夏目君······」

「先輩っ! 荷物がなかったってどう言うことですか⁉︎」

「落ち着け夏目。まずは息整えてから話せ」


 息を切らしながらも先輩に問いかけると、大黒先生が特徴的な関西弁で宥めてくる。言われた通りまずは落ち着いて息を整えていると、遅れて白雪と三枝の二人もやって来た。


「全員揃ったみたいやな」

「何があったんですか?」


 白雪が尋ねると、先生は苛立たしげに舌打ちをして説明を始める。


「神楽坂よりも先にオレがここに来たんやけどな。そん時には既に荷物はなかった。お前らは知っとるかしらんけど、校外からの荷物は基本的に一旦事務室に預けられる。せやから事務員さんに聞いたんやけどな。どうも、オレが来る前に、男子生徒が二人来て運んでいったらしいわ。文芸部の者です、って言ってな。んで、昼休みん時に焼却炉が使われた形跡があった。多分、部誌はもう残っとらんやろ」

「男子生徒が二人······」


 まず間違いなくあの二人だ。そして、考えていた最悪の事態でもある。まさか本当に、文芸部に手出しして来るとは、しかも焼却炉まで使うとは、思いもしなかった。


「夏目、お前なんや知っとるような顔しとるぞ」

「······」


 言っていいものかどうか。告白して来た方に関してはまだしも、先月のストーカーの方は、白雪の意思を尊重しなければなるまい。そんなことを言ってられる場合ではないのかもしれないが。

 チラリと白雪の方を見る。目があった彼女は小首を傾げて、どうしたのかと視線で尋ねてきた。

 言うしか、ないか。

 口を開こうとしたその時、しかし僕に聞いてきた大黒先生は僕から視線を外して、この場にいる全員を見た。


「まあ、犯人については後でまた事務員さんに聞いたら分かる。お前らは取り敢えず一旦帰れ」

「でも······」

「ええから。当日の明後日んことはまたオレと神楽坂で考えるさかい、三人は先帰っとれ」


 大黒先生の言う通り、この日は先に帰ることとなった。三人揃って昇降口まで無言でトボトボと歩き、靴を履き替えたところで、三枝がおもむろに口を開いた。


「二人は先帰っててくれ。俺はもうちょい残る」

「······残ってどうするのよ」

「犯人探して一発、いや五発、いや気がすむまで殴る」

「好きにしなさい」


 ここで三枝とも別れて、白雪と二人で帰ることとなった。

 その間、僕は一言も喋らなくて。

 ──また、全部無駄になった。

 ただその事実だけが、僕の頭の中を支配していた。


「夏目」

「······」

「夏目? ちょっと、あなたさっきから変よ」

「ん、ああ、悪い。考え事してた」


 別に、全部が全部無駄に終わったわけではない。先日届いた四冊の見本誌。そのうちの一つを、白雪は持っているのだから。

 彼女に言われて頑張って、彼女のために書いた小説だ。ならば無駄だったわけがなく、白雪に読んでもらうと言う目的は達せられた。

 けれどやっぱり。胸の中の喪失感はどうしようもなくて。

 だから、頑張りたくなかったんだ。本気で努力なんてしたくなかったんだ。こんな事でその成果が奪われて、しかも今回はそれが僕だけじゃない。他の三人の努力の成果も、文化祭に告白すると息巻いていた三枝の勢いも、三年として最後の文化祭だった神楽坂先輩の楽しみも、全てが奪われた。


「顔を上げなさい。夏目智樹」


 気がつけば校門まだ辿り着いていて、白雪に名前を呼ばれる。無意識のうちに下を向いていた顔を上げると、どうしてか白雪は、今のような状況でも、その瞳に強い光を宿していた。

 それが僕には、眩しすぎる。


「あなたの考えてることは大体察しがつくわ」

「なら、今日は素直に帰らせてくれないか」

「なにを勝手に諦めたような表情をしているの」

「諦めるもなにも······」


 もう既に、全てが手遅れだ。

 部誌はあの男子生徒二人に焼かれた。今から明後日、いや明日までに印刷を頼める印刷所なんてない。

 諦めるしか、ないだろう。

 そう言いかけて言えなかったのは、白雪がいきなりスマホを取り出し、どこかに電話を掛け出したからだ。あまりに突然そんなことをし始めたため、僕は半ば呆気にとられて彼女を見ていた。


「もしもし、紅葉さん? 私、桜です。原稿のデータは残ってますよね? それ、メールで私に送ってください。はい、私がなんとかします。······はい、大丈夫です。明日、必ず持ってきます」

「おい、白雪······?」


 電話を終えた白雪が、また僕を見つめる。

 眩しいほどに強い光を携えた切れ長の目に、長い睫毛。綺麗な桜色の唇から発せられる言葉は、ともすれば挑発的で。


「私が絶対にどうにかする」

「どうにかって、どうするんだよ。もうどうにもならないだろう······」

「そんなことはない。まだ手はあるわ」

「でも······」

「私はっ······!」


 直前まで僕を睨むように見つめていた彼女の瞳が、揺れていた。まるで今にも泣きそうで。けれどやっぱり、眩しいくらいの光を放っていて。

 そんな目を僕に向けて、白雪は叫ぶのだ。


「私は、もう二度と、あなたにあの時みたいな思いをして欲しくないのよっ······!」


 一度、目の前から僕が去っていくのを目の当たりにしたから。その理由を知っているから。


「だから私が、絶対になんとかする! あなたの努力を無駄になんて、二度とさせない!」


 そんな彼女の言葉だからだろうか。

 それは僕の胸の深いところに突き刺さって。


 ──コトン、と。


 いつかと同じ、胸の中で何かが落ちた音がした。

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