第33話

 僕が白雪の家を訪れた日から、土日を挟んで翌週となった今日。

 クラスでの演劇の練習も佳境に入っていた。みんな放課後も残って練習していたお陰か、台本を読まなくてもセリフを殆ど完璧に覚えていて、当初の僕みたいな棒読みのやつは一人もいない。


「いやー、だいぶ形になってきたねー」


 小人役のクラスメイト達と白雪姫役の白雪が教壇の上で練習しているのを見ていると、井坂がとなりにやって来た。彼女は何故かつばの広い、所謂魔女帽子を被っている。


「どうしたんだ、それ」

「ん? ああこれね。三枝が老婆役の時に使うやつ」

「どうして君が被ってるんだ······」

「あらあら、夏目少年は魔女っ子はお嫌いかしらん?」


 両手で帽子のつばを持ち、にひひと笑ってみせる井坂。まあ、別に嫌いというわけではない。例えば白雪なんかが被っていたら、氷の魔女っぽくて大変似合うのではないだろうか。この前みたいにメガネもかけてくれれば知的な感じがして更に可愛くなる。

 いや、なんでそこで白雪が出てくるんだ。今は井坂が被ってるのに。


「まあ、悪くはないんじゃないか? 似合ってるし可愛いとは思うよ」

「······」

「どうした?」


 折角褒めてやったのに、井坂は眉を顰めてなんだか不満気な顔をしている。そして徐にため息を漏らすと、どこに隠していたのか短いタクトのようなものを取り出したこちらに向けて来た。


「あのさぁ夏目君。女の子に向かってそんな簡単に可愛いとか言ったらダメだよ?」

「それはまたどうして。事実を言ってるだけだぜ?」

「事実だとしても。それで勘違いしちゃう女子だっているんだから」

「まさか僕相手にそんな」


 口では笑い飛ばしていても、心の中でははっきりと否定出来ない。だって実際、その勘違いとやらをされてしまった事が、どうやらあるらしいのだから。

 壇上の白雪を見る。彼女は相変わらず、演技に入ると人が変わったようになる。まさしく御伽噺の白雪姫のようで。小人役の男子達もそれに見惚れて噛んでしまう事がしばしば。

 あんなに美しく可愛い子が。先週僕にあんなことを言ってきて、あまつさえその初恋すらも奪ってしまったと言うのだ。今でも、実はあれは夢の中の出来事だったのではないかと疑ってしまう。

 けれど決して夢などではなく現実で。その証拠に、僕のスマホには彼女の連絡先がしっかりと残されているのだから。数日経った今でもまだ一つもやり取りがなされていないのは、この際目を瞑ろう。


「話は変わるけどさ」

「ん?」

「夏目君。姫となにかあったでしょ」

「······」

「沈黙は肯定と捉えさせてもらおーか」


 どうしてこの女子生徒は、こう言う話に敏感なんだ。ふっふっふっ、と怪しく微笑み、メガネの奥の瞳を光らせて軽やかにタクトを振るう。


「別に、なにもないよ」

「その割に、最近の二人はみょーに通じ合ってる気がするのはどうしてかにゃ?」

「君の気のせいだろう」


 あったことをそのまま話すわけにもいかず、適当にはぐらかすことしか出来ない。そもそも、白雪の初恋が実は僕でした、なんて言っても、信じてくれる人間なんていないだろう。


「あ、ついに付き合い始めたり⁉︎」

「ないよ」

「えー、でも二人、実質付き合ってるみたいなもんじゃないかね?」

「どこが」

「だってよく一緒にいるでしょ?」

「よく一緒にいるだけなら、僕と三枝の関係がとんでもないことになるぜ?」

「私、そっちの趣味はないから」


 真顔で返さないでくれ、冗談に決まってるだろう。


「それに極め付けは、この前のモールでしょ」

「それを出されたら、なにも反論できなくなるじゃないか」

「だから出してるんでしょー。あんなことしておいて、付き合ってないって方がおかしいと思うぜい?」


 確かにその通りではあるんだけど。実際同じようなことをしていた三枝と神楽坂先輩を見ていた僕と白雪も、そこまでやるならさっさと付き合えと思ったけれど。

 しかし残念なことに。僕と白雪の関係は、この前ようやくスタートラインに立ったところだ。果たしてなんのスタートで、ゴールはどこなのかは僕も知らないが。


「付き合ってないなら、どっちかがどっちかに告白したとか?」

「······それもあり得ないな」

「お? 今の間はなにかにゃ?」


 割と当たらずとも遠からずだったので、思わず返答に窮してしまった。そしてそれを見逃す井坂ではなく。

 さてどうはぐらかそうかと悩んでいると、自分のシーンが終わったのか白雪が教壇から降りてきた。その代わりに老婆役の三枝が教壇に上がり、小人役達と演技を開始している。


「ふぅ······」

「お疲れ様。随分疲れてるみたいだけど、大丈夫か?」


 井坂の追及から逃れるため、こちらに歩いてきた白雪に声をかけた。その額には僅かに汗が流れていて、それなりに疲労しているのが見て取れる。

 さっき教室を抜け出した時に買ったカフェオレを手渡すと、白雪はそれを素直に受け取ってくれた。


「······ありがと」

「どういたしまして」


 缶のプルタブを開け、ゴクゴクと一気にカフェオレを呷る白雪。液体が流れ込むのと連動して動く喉元が、伝う汗も合わさってどうにも色っぽく見えてしまう。

 一瞬で飲み干して空になった缶を近くの机に置くと、しっかり回復しきったのか、疲れた表情はいつもの凛とした無表情へと戻った。


「お金、返すわ」

「いいよ。この前僕も奢ってもらったしね」

「そうだったかしら?」

「ほら、僕の原稿が終わった時」

「ああ、あの時······」


 どうしてかその言葉尻は掠れていて、心なしか頬も少し赤みを帯びている。

 僕が文芸部の部誌に載せる原稿を終わらした時と言えば、白雪の母親である楓さんから、衝撃的な事実を聞かされ、白雪本人からも追い打ちのように告白を受けた時。

 その時のことを思い出してしまったのだろうか。そっちがそんな反応をしてしまえば、なるべく意識しないように心がけていた僕にまで飛び火がくるからやめて欲しいのだが。


「お? おお? やっぱり二人、なにかあったでしょ?」

「なにもないよ」

「なにもないわよ」

「揃って否定するところがまた怪しいにゃー?」


 呆れて吐き出したため息が、隣と重なる。ため息一つ同じタイミングでしてしまうのだから、そりゃ井坂じゃなくても揶揄いたくなるだろう。

 未だに熱が引き切らない顔でこちらをチロリと睨まれるが、そんなことされても可愛いだけなのでやめてもらいたい。


「ま、私的にはどっちでもいいんだけどね。でも姫はモテるから、少年はちゃんと手綱を握っとかないとダメだゾ?」

「まず付けることすら出来そうにないよ」


 仮にもお姫様呼ばわりしてる相手に手綱ってどうなんだ。でもまあ、井坂のことだから特段深い意味のある言葉でもないのだろう。


「それじゃ、私は一足先に帰るね。もうちょっとで王子様と白雪姫の衣装も完成するから、楽しみにしててねん」


 相変わらず謎のテンションと適当さで、井坂は鼻歌交じりに教室を後にした。

 いや、その帽子は置いていけよ。老婆役の衣装じゃなかったのか。







 僕と三枝、二人の原稿も無事に終了し、神楽坂先輩も印刷所の方にデータを渡したと言うので、クラスの方に専念しようと部活は暫く休みになっていた。

 しかし今日、ついに見本誌が届いたという事で先輩から部室に集合との連絡が来たのだ。


「ちょっと、あなた達もうちょっと落ち着きなさいよ」


 誰の目から見ても明らかにソワソワしている僕と三枝に、白雪の呆れたような声がかかる。

 今日この日ばかりは、三枝も神楽坂先輩のことを意識していられないらしい。かく言う僕も、ここ数日白雪のことを意識せざるを得なかったのだが、今はそんなことどうでもよくなっている。


「んなこと言われてもなぁ······」

「緊張するのは仕方ないだろう。僕たちが書いた文字が本になって出てくるんだから」

「そうそう。しかもそれが不特定多数の人間の手に渡るんだぞ? 緊張しないわけがない」


 僕の場合はそれに加えて、目の前の少女に読まれると言う緊張も含んでいるのだが。

 言ってしまえば、僕にとっての初作たる今回の小説は、白雪に読んでもらうためだけに書いたようなものだ。彼女のあの言葉がなければ、作品とも呼べないような酷いものになっていただろう。


「お待たせー!」


 三枝と二人馬鹿みたいにソワソワしていると、四冊の見本誌を持った神楽坂先輩が、ついに部室へと現れた。

 いつも以上ににこにこと笑顔を浮かべている先輩は、座っていた僕たち三人の前にそれを置いてくれる。近頃三枝との間にあった雰囲気のせいで、そんな先輩の笑顔を見るのも久しぶりだ。

 僕たちの目の前に置かれた本。その表紙には桜の花が描かれていて、『蘆屋高校文芸部部誌 雪化粧』と文字が印刷されていた。

 まさかと思い自分の席に座った神楽坂先輩の方を見ると、これまたにっこりと笑みを向けられる。


「夏目君、気づいちゃった?」

「ええ、まあ。流石に分かりますよ」

「ん? ······ああ! 成る程!」


 どうやら三枝も遅れて気がついたらしい。三人の視線が自然と一箇所に集まる。その視線の先、白雪は少し照れたように頬を赤らめてそっぽを向いていた。


「私は恥ずかしいからやめて、って反対したのよ。でも紅葉さんがどうしてもって言うから······」

「いいじゃないか。なにも恥ずかしがることはないと思うぜ」

「そうそう。これでちゃんと、文芸部四人の部誌になったわけだしな」


 僕は小説を、三枝はエッセイを、神楽坂先輩は表紙のデザインや編集後記を担当していた。しかし最近入部したとは言え、そこに白雪の存在はない。一応神楽坂先輩の手伝いを少しながらしていたとは言っても、あくまでそれは先輩の仕事であり、先輩が残したものだ。

 だから先輩は、こうして分かりやすいように、白雪桜の名を部誌に刻んだ。


「桜の花に雪化粧って、色々とおかしいわよ。そもそもどっちも季節じゃないって言うのに」

「文句を言っても遅いよ〜。これで残り五十冊印刷してもらうよう、もう印刷所には伝えてるからね!」


 はあ、とため息を吐く白雪は、けれどどこか満更でもなさそうな顔だ。口ではああ言っているものの、やはり嬉しいのだろう。


「それじゃ、今日は早いけど解散にしよっか! みんな早く読みたいだろうし。明日からも今まで通り、クラスの方行ってくれてていいからね!」


 神楽坂先輩の号令の下、数日ぶりの文芸部の活動は終了。活動と呼べるかどうかは怪しいけれど。


「さって、んじゃ帰って早速読むかぁ。智樹、俺のやつ感想くれよな」

「気が向いたらね。ついでに、僕の小説に感想はいらないぜ?」

「んなこと言われたら余計感想言いたくなっちまうだろうがよ」

「なんか恥ずかしいからやめてくれ。じゃあ、先に帰るよ」

「おう、じゃあな」

「バイバイ夏目君!」

「また明日」

「ああ、また明日」


 三人に挨拶を交わして部室を出る。このまま昇降口まで降りて直帰しようかと思ったが、その前に自販機に寄ることにした。

 下校前に、コーヒーを一杯飲んで帰ろう。食堂と図書室の前を通り過ぎ、外に通ずる扉から自販機前へとやってきた。いつもの道順だ。


 自販機に小銭を投入して、これまたいつものブラックコーヒーを買う。それを喉に流し込みながら、考える。

 僕のこと。白雪のこと。僕たち二人のこと。

 もしかしたら、そんな改まって考えるようなことではないのかもしれない。けれど、ハッキリさせておきたい。


 僕と白雪の関係性に名前をつけるなら、果たしてなんと呼ばれるのだろう。

 これは簡単だ。クラスメイト、部活メイト、そのほかにもこじつけようと思えば幾らだって思い浮かぶ。


 ならば僕は、そんな白雪とどのような関係になりたい?

 これが分からない。なまじっか、先日の衝撃的な暴露があったから、未だに僕自身もどこかで混乱が収まっていないせいなのかもしれないけれど。

 それでもいい加減、考えなければならないだろう。

 果たして今の僕は、今の白雪を──


「帰ったんじゃなかったの?」

「······っ! ビックリした······。脅かさないでくれ」


 突然掛けられた声に、驚いて肩が跳ねると同時、纏まりかけていた思考が全て霧散した。

 振り返った先には声の主、さっき別れの挨拶を交わしたはずの白雪がそこにいて。いつもの無表情だいつものカフェオレを買い、無言で僕の隣に並んだ。

 あの日以降、白雪とこうして二人きりになるのは初めてのことだ。だからだろう。以前まで掴めていた距離感が曖昧になっていて、なにか話しかけようにも、意味もなく躊躇ってしまう。

 気を持ち直すためにコーヒーを傾けると、隣とタイミングが被った。口をつけてから口を離すタイミングまで全く同じで、思わず顔をしかめてしまう。


「真似するなよ」

「こちらのセリフよ」


 真似って言っても、飲んでるものには絶対的な違いがあるんだけど。

 教室でも思ったが、こんなことだから井坂や他の生徒達に誤解されるのだ。別に、それが気分のいいものではない、と言うことではないし、白雪自身も勘違いされようが気にしないとか言ってたが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。


「······」

「······」


 妙な沈黙が流れる。やっぱり二人きりだと、どうしてもあの日のことを思い出してしまう。白雪もそうなのだろうか、彼女らしくもなく、視線が少し泳いでいる。


「感想」

「え······?」


 このままでは駄目だと、漠然とただそう思って口を開いた。今日今この場での話題なんて、あれしかないだろう。


「だから、感想。読み終わったら聞かせてくれよ」


 なんだかぶっきら棒な言い方になってしまっただろうか。突然そんなことを言われて、白雪も小首を傾げているし。

 しかしやがて、僕の言葉の意味が伝わったのか。彼女はクスクスと笑みを漏らし始めた。鈴を転がしたような綺麗な音だ。もしかしたら、永遠にその音を聞いていられるかもしれない。


「ふふっ、感想を聞くのは恥ずかしいんじゃなかったの?」

「君の場合は別だよ。君が本気で頑張って書けって言ったから書いたんだ。だから、君から感想を貰わないと困る」

「そう?」

「そう」


 君のために書いた、とは言わない。そんな小っ恥ずかしいセリフを吐けるような胆力は持ち合わせていないし、それを聞いた白雪がまた調子に乗るかもしれないから。


「そう言うことなら分かったわ。じっくり時間をかけて読んであげるから、今から私にどれほど酷評されるのかと震えてなさい」


 感想を聞くのが楽しみなような、怖いような。精々扱き下ろされる覚悟はしておくとしよう。

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