第32話
六月にもなると日が落ちる時間は遅くなり、現在時刻18時でも外は明るいままだ。とは言っても、空は既に赤く染まっていて、もう一時間もしないうちに夜がやって来る事だろう。
そんな中、僕は白雪と二人並んで、駅までの道を歩いていた。
カフェオレを一杯ご馳走になった後、僕は素直にお暇させてもらうことにした。元々本を借りに来ただけだったし、長居するような用事もなかったし。小梅ちゃんには会えなかったけど、特別会いたかったわけでもない。
白雪の家は高校から駅までとは真逆の方向にあるので、徒歩で15分以上掛かってしまう。バスを使えば半分以下に短縮されるが、そうしなかったのはどうしてか。
お互いになにも言葉を発さず、ただ歩く。聞きたいことも、言いたいこともあるはずなのに、声は上手く形を持たず、言葉になる前に霧散してしまう。
「どう、思った······?」
先に口を開いたのは、白雪の方だった。その瞳にいつものような力強さはなく、伺うようにして上目遣いにこちらを見てくる。
あんなことを聞かされた後にそんないじらしい姿を見せられてしまえば、意識しないわけがない。
「君のお母さんが言ってたことか?」
「······ええ」
ふう、と一つ息を吐き出す。
「驚いてる、って言うのが率直な感想だよ。まさか、中学時代の僕が誰かに好かれてるなんて、思いもしなかったからね」
あんな野球以外眼中にない中学生を、それも一度たりとも話したことのない相手を好きになるなんて、女心はやっぱりよくわからない。
「けれど、それだけだよ。あの頃の僕はあの事故の時に死んだ。今の僕は、あの時とは別人なんだから」
「······そう、よね」
途中、何人かの蘆屋高生とすれ違う。みんな僕達の噂を聞いているのか、どうしても注目を集めてしまう。
道を歩いてるのは、勿論蘆屋高生だけじゃなくて。仕事帰りのサラリーマンや近所のスーパーに向かう主婦、車道には多くの車が行き交っている。その人たちから、僕と白雪はどのように見えているのだろう。
「ひとつだけ、言っておきたいことはある」
「なにかしら」
「今の僕に、あの頃の僕を重ねないでくれ。それは、ちょっとつらい」
そもそも、白雪が僕に近づいて来た理由がそこにあると言うのなら。今の僕を通して、あの頃の僕を見ているのだとしたら。
どうしてだろう。そう思うと、とても胸が苦しくなる。
理由も明確に言い表せないけれど。でもそれだけは、やめて欲しい。
白雪は俯いてしまって、その表情を伺うことは出来ない。なにを考え、なにを思っているのか。知りたいと願った僕だけれど、今はそれを知ってしまうことに、酷く恐れを抱いている。
「昔の私は、確かに昔のあなたが好きだった」
やがて顔を上げた彼女は、立ち止まってそんなことを口にした。
改めて白雪自身の口から聞かされると、なんだか妙な恥ずかしさがこみ上げてくる。
「ねえ夏目。あなた、私のことが知りたいって言ったわよね」
「ああ、そんなことも言ったね」
いきなり脈絡のない話をされて、頭の中に疑問符が浮かぶ。確かに一ヶ月前、白雪が入部届けを持ってきた日に、僕と白雪はそんな会話をした。
彼女のことが知りたいと。それは今も思っていることだ。
「あなたがそう思ってくれたようにね。私も、あなたのことを知りたいと思う。昔のあなたじゃなく、今のあなたを」
道行く人達の話し声も、すぐそこを通り過ぎる車の走行音も、全てがシャットアウトされる。
まるで、この世界に白雪の声しか存在しないみたいに。その言葉は僕の耳に響いた。
「かつての私が恋した、マウンドの上で目を輝かせていた夏目智樹はもういない。今ここにいるのは、私よりもちょっと勉強が出来て、あらゆることにやる気がなくて、話し方が胡散臭くて、馬鹿みたいにブラックコーヒーばかり飲んでて、一人で過去のことを背負いこんで戦っている、あなたよ」
コトン、と。胸の中で何かが落ちた音がした。
白雪はその瞳にいつもの力強さを湛え、まるで挑むようにして僕に自分の思いを投げかける。
彼女は理解しているんだろうか。今のその言葉で、僕がどれだけ救われた気になっているのか。あの頃の抜け殻のような、何もない今の僕を肯定してくれるその言葉が、僕にとってどれ程の価値を持っているのか。
「そんなあなたのことを、私は知りたいと思うの。今、あなたが何を感じ、何を考え、何を思うのか」
一転して穏やかな笑みを見せる白雪はまるで女神のように美しくて。それにまた、心臓を鷲掴みにされた感覚に陥る。
鼓動は勝手に加速して、あり得るはずもないと言うのに、彼女に聞こえていないかと心配なる。
頬は赤く熱を持ってしまって、それを見た白雪がクスリと笑う。
「分かったかしら。今のあなたに昔のあなたを重ねるなんて、そんなことありはしないわ。見くびらないでちょうだい」
「嫌という程分からされたよ」
赤くなった自分の顔を見られたくなくて、いつかのように片手で顔を隠すようにしてソッポを向いてしまった。そんな僕を見て、白雪はまたクスリと笑みを漏らし、再び足を進める。
知りたいと願ってくれた。知りたいと願わせてくれた。
臆病な僕にとって、それはとても意味のあることで。なら、どれだけ小さくても、もう一歩、彼女に踏み込んでみよう。
「中間テストの罰ゲーム、あっただろう?」
「そう言えばそんなものもあったわね」
「あれ、今使うことにするよ」
「こんな時間で二人きりの時に使うなんて、どんな如何わしいことを考えてるのかしら」
「こんな時間って言ってもまだ明るいだろう」
わざとらしく胸を抱いて後ずさる白雪に、呆れてため息を零してしまう。別にそんな変なことじゃない。ともすれば、とても些細なことで。見方によっては、どうでもいいことで。
僕はポケットからスマホを取り出し、白雪が不思議そうにそれを見る。
「連絡先、教えてくれよ。まずはその辺りから知っていっても、いいと思うんだけど」
逆に言えば、僕たちはそれすらもお互いに知らなかったのだ。付き合ってるだなんだと噂されようと、実際の二人はこの有様。
しかし白雪は呆気に取られたような表情をしていて。一体僕がどんな命令を下すと想像していたのやら。
「それだけ?」
「そうだけど。嫌なのか?」
「いえ、別に嫌ってわけじゃないけど」
言いながら、白雪もポケットからスマホを取り出す。その最中もどうしてか、命令された側の白雪は腑に落ちない顔をしていた。いや本当、僕がどんな命令すると思ってたんだよ。君の中の僕はそんなに酷いやつなのか。
「どうせだしふるふるでもしようぜ」
「面倒くさいから却下。携帯番号教えなさい。そしたら勝手にラインにも登録されるから」
「了解」
そんなこんなで、決して多く登録されてはいないアドレス帳とラインの友達欄に、白雪の名前が追加された。
白雪はスマホの画面をマジマジと見つめていて、その表情はまるで、新しいオモチャを買ってもらった幼い少女みたいだ。
「初恋の相手の連絡先を手に入れた感想は?」
「調子に乗らないで。殺すわよ」
「冗談に決まってるだろう」
物凄く睨まれた。控えめにいって超怖い。
さて、取り敢えず連絡先を交換したのはいいけど、記念すべき初メッセージは、果たしてどんな内容になるだろうか。
そんな小さな事を楽しみにしている自分に気づき、思わず苦笑してしまった。
しかしラインに登録されてるのが六人って。もしかして僕って友達少ないんだろうか?
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