第31話

 学校を出て徒歩五分。白雪姫の居城は、思いの外近くの住宅街に存在していた。この辺りに建っている他の一軒家とさして変わらない、ごくごく一般的な家。居城と呼ぶのは些か誇張が過ぎるように思えてしまうくらいの。


「なんと言うか、意外と普通の家なんだな」

「あなた、私をなんだと思ってたのよ······」


 白雪本人がどことなく上品なオーラを醸し出していたから、それなりに育ちがいいのかと思っていたのだが。

 まあ、その上品オーラを感じていたのも、彼女を初めて見た時くらいのものだ。普通に口悪いし下品な言葉も容赦なく口走るしで、上品もクソもあったもんじゃない。


「取り敢えず、夏目はここで待ってて。直ぐに取ってくるわ」

「なんだ、中まで通してくれるわけじゃないのか」

「入れるわけないでしょ。バカじゃないの?」


 心底侮蔑されたような目で見られ、白雪は家の中に入っていく。

 改めて周囲を見渡してみた。ここからは学校の校舎も見えるほどに近く、もしかしたらここに来るまで五分も掛かっていなかったのではないだろうか。近くには小さな公園があり、もう少し早い時間だと小学生なんかが遊んでいるのだろう。

 意外と同じ学校の生徒は近くに見受けられない。近過ぎるからなのか、もしくはあり得ない話だが、白雪姫の城には変なバリアーみたいなのがあって誰も近づけないのか。


「あら? うちになにかご用かしら?」


 暫くぼーっと白雪を待っていると、背中に掛かる声が。振り返った先にいたその人を見て、絶句した。

 先程家に入っていった筈の白雪桜が、そこに立っていたのだから。


「あ、えっと······」

「蘆屋高校の生徒さんよね? と言うことは、桜になにか用事があるのかしら?」


 思わずしどろもどろになってしまって、言葉が上手く紡げない。白雪の名前が出たと言うことは、この人は白雪桜ではない。よく見れば、白雪よりもずっと大人の雰囲気を醸し出していて、髪の毛も彼女ほど長いわけではない。白雪本人はその顔立ちに幾ばくかの幼さと可愛らしさを残しているけれど、目の前の女性にはそんなものが微塵も感じられない。白雪の魅力を美しさに全振りしたみたいな。そんな感じ。

 と言うことは、白雪のお姉さんだろうか。けれど彼女に姉がいるなんて聞いたことがないし、いるなら小梅ちゃんを紹介された時にでもチラッと話に出て来るだろう。

 となれば、消去法で行くと。


「あー、もしかして白雪······じゃなくて、桜さんのお母さんですか?」

「はい。桜の母の白雪楓です。あなたは桜のお友達かしら?」

「まあ、そんなところです······。えっと、桜さんのクラスメイトの夏目智樹って言います」


 白雪とは友達と呼べるような間柄ではないけれど、それでも『オタクの娘さんと友達じゃないけど付き合ってる噂が流れてる者です』なんて言えないので。取り敢えずは友達と言うことにしておこう。

 白雪のお母さん、楓さんは僕をマジマジと見つめて首を傾げる。まるで白雪にそうされているようで落ち着かない。


「夏目智樹くんね。どこかで聞いたことあるような気がするんだけど······」

「き、気のせいじゃないですかね······」


 どうやら僕の話をしていると言うのは、小梅ちゃんに対してだけらしい。それはそれで助かったのだが、なら楓さんは一体僕の名前をどこで聞いたんだと新たな謎が浮かび上がってしまう。

 白雪家にとって僕は結構な有名人なのだろうか。


「取り敢えず、うちに上がったら? 桜に用事があるんでしょう?」

「いえ、本を借りるだけなので」

「いいからいいから」


 白雪が決して浮かべないようなニコニコとした笑顔で、家の扉を開いて僕を招く。暫く逡巡して立ち竦んでいたのだが、楓さんは一向に折れる気配がないので、仕方なくお邪魔させてもらうことに。

 恨むなら自分の母親を恨んでくれよ、と心の中で白雪に言っておく。

 玄関で靴を脱ぎ通されたリビングは、やはりごく普通の家庭のものだった。今まで三枝の家や、中学の時の友人の家に行ったことがあったけれど、そのどれとも大きな変わりはない。

 薄型のテレビが置かれていて、その前にちょっと大きめのソファと小さなテーブルがあって。カウンターキッチンの前には食事用のテーブルと四つの椅子。そしてテレビの近くには、幾つもの表彰状やトロフィーなんかが置かれている。


「桜を呼んでくるから、ソファにでも座ってゆっくりしていてね」

「あ、いえ、お構いなく······」


 楓さんが二階に向かったのを見るに、白雪の部屋は上にあるのだろう。

 て言うか、本を貸すだけなのに随分と遅くないか? 多分女性には色々あると言うことなんだろうけど。

 立ちっぱなしと言うのもなんなので、お言葉に甘えてソファに座らせてもらう。ふと目をやった先は、テレビの横に置かれている表彰状やトロフィー達。見る限り、陸上競技の大会で貰ったもののようだ。

 そのどれもに書かれている名前は『白雪小梅』と言う文字で。そこに白雪桜のものは一つもない。白雪のことだから、こう言うのは何個も貰ってそうなものなのに、何故か置かれているのは小梅ちゃんのものばかりだ。

 そしてトロフィーが置かれている棚の更に横に視線を移して。


 ──それを見た時、身体も精神も硬直してしまった。


 それは、正方形のどこにでもある色紙で。そこには、何度も見たことのあるサインが描かれていて。


「夏目っ!」


 階段の方からドタバタと騒がしい音が聞こえたと思ったら、白雪が慌ててやって来て僕が見ていたそれを回収してしまう。

 その白雪のその一連の動きや音が、全てどこか遠くに感じていて。

 息が詰まって苦しい。耳鳴りがする。ボールに触れた時みたいに、指先の震えが止まらない。


「落ち着きなさい」


 不意に、震えている指先があたたかい何かに包まれた。視線を下に落とすと、白雪の両手が僕の両手を包み込むように握っていた。


「落ち着いて。大丈夫だから」


 震えは自然と止まり、耳鳴りも止んだ。一度大きく深呼吸をして、頭と心を落ち着かせる。

 耳鳴りの代わりに頭に響く白雪の声は、どこか安心感を齎してくれる始末だ。


「······ごめん、もう大丈夫だ」

「いえ、私の方こそごめんなさい。考えが足りなかったわ」


 お陰様で落ち着けたのはいいものの、冷静になってしまうと、未だ僕の手を握っている白雪の手を意識してしまって、今度は顔に熱が集まってしまう。


「あらあら、随分と仲がいいのね。もしかしてお友達じゃなくて、桜の彼氏さんだったかしら?」


 そんな声が聞こえてきて、二人して慌てて手を離した。なんかデジャビュ。

 二階から降りて来た楓さんは頬に手を当て、微笑ましく僕と白雪を見ている。


「お母さん、勝手に家に入れないでよ」

「なにかダメだったかしら?」

「色々と事情があるの!」


 白雪は一旦テーブルの上に置いていた色紙を取って、極力僕に見せないよう配慮しながら楓さんに文句を言う。その顔は、僕の幻覚でなければ真っ赤に染まっていた。

 その姿が僕の思っていた以上に普通の女の子で。なんだか変な感じだ。今まで白雪のことはちょっと可愛いだけの普通の女の子だと、半ば自分に言い聞かせるようにしていたのに。こう言う姿を改めて見せられると、嫌でもそのことを再認識させられてしまう。


「それじゃあ、お母さんお茶を淹れてくるわね」

「全くもう······。ごめん夏目、もうちょっと待ってて」

「あ、ああ」


 キッチンの方へ向かった楓さんと、再び二階へと姿を消した白雪。多分本を取りに行ったのだろう。それと、あの色紙を部屋に置きに行ったのか。

 僕が目撃してしまったそれは、僕の父、元プロ野球選手である夏目祐樹のサインだった。

 まさかそんなものがここにあるなんて、父が生きていた証をこんなところで見るなんて、全く思ってもいなくて。

 そう言えば、白雪の父親が大の野球ファンだと言っていたし、父さんと会ったことがあるみたいなことも言っていたので、持っていてもおかしくはないのか。


「お待たせ」


 暫くもしないうちに、白雪がリビングに降りて来た。その手に持っているのは表紙に女の子が描かれた本。


「はいこれ。言ってたラノベの一巻よ」

「ありがと。出来るだけ早く読んで返すよ」

「ゆっくり読んでいいわよ。原稿は終わっても、演劇の練習もあるんだから」

「それもそうか」


 差し出されたその文庫本を受け取り、カバンの中にしまう。その後白雪も僕の隣に腰を下ろして、はあ、とため息を吐いた。

 隣と言っても、ソファの端と端だけど。それでも部室にいる時よりも距離が近い。


「本当、ごめんなさい。お母さんが勝手に······」

「そんなに気にしなくていいよ。お互いに不慮の事故だったんだし」

「そうだけど」

「君がそこまで僕に謝るなんて、逆に怖くなるからやめてくれ」


 いつものようにふざけた調子で言葉を返すと、白雪もいつもの調子を戻して来たのか、ムッとした表情を見せてくる。


「この私が謝罪してあげてるって言うのに、随分酷い言い草ね」

「なんで謝ってる側が上から目線なんだ」

「本当ならあなたは私の謝罪に対してこうべを垂れてお礼を言わなければならないところよ」

「最早白雪姫というより女王じゃないか。寧ろ邪智暴虐の王かもしれない」

「私のどこが」

「そういうところが」


 フッと鼻で笑って見せると、ピクリと白雪の片眉が吊り上がった。

 そう、僕達のやり取りはこんな感じでいいんだ。片方が変に下に出たりするのは、どうにも違和感が拭えない。


「やっぱり仲がいいのねぇ」


 うふふと和かに微笑みながら、楓さんがキッチンからやって来た。その手に持っているお盆にはコップが二つ乗せられている。

 用件は済んだことだし、お茶を一杯ご馳走になったらお暇しよう。


「だから、別にそんなんじゃないって」

「ただのクラスメイト兼部活メイトですよ」


 目の前のテーブルに置かれたコップを、頂きますと一言断って手に取る。その中に注がれていたのは、茶色い液体。もしかしてと思い白雪の方をチラリと見ると。


「あら、どうしたの? まさかお母さんが淹れたカフェオレを飲めないのかしら?」


 めちゃくちゃバカにし腐った顔でそんなことを言われた。どうやらやっぱり、この液体の正体はカフェオレらしい。しかも白雪が美味しそうに飲んでるのを見るに、相当甘いやつ。


「そんなこと、一言も言ってないだろう」


 流石に飲まないと言うのは失礼にあたるので、意を決してコップに口をつけた。

 瞬間、口の中に広がる甘ったるさ。いっそ胸焼けを起こしそうなほどの砂糖の量。隣では白雪が笑いを堪えているのが見える。なんとか一口喉を通してコップをテーブルに戻すと、白雪は最早笑いを堪えられず口の端から漏らしていた。


「ふっ、ふふっ、どう? 美味しいでしょう?」

「あ、ああ、そうだね。とても甘くて美味しいよ······」


 僕も白雪に対して同じような仕打ちをしたことがあるばかり、あまり強く言えない。そもそも楓さんが淹れてくれたのだから、ここで美味しくないなんて言う選択肢はないのだが。

 これはさっさと飲み干して帰らなければと思い、勇気を振り絞って再びコップに口をつける。家に帰ったら浴びるほどブラックコーヒーを飲んでやる。そう決意して。


「あっ、そうそう。夏目くんの名前、どこで聞いたことあったか思い出したんだけど」

「ちょっとお母さん?」

「桜の初恋の相手だったわね!」


 ここで吹き出さなかった僕を、誰か全力で褒めて欲しい。

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