第28話

 その日はどうも、朝から様子がおかしかった。

 登校中や今現在僕のいる自販機に向かった時など、周りから視線を感じる。自意識過剰ならどれだけ良かったか。しかし振り向いた先には同じ二年の生徒がいて、殆どの確率で目が合い、逸らされる。そしてヒソヒソと話しながら去っていく同級生達。

 まあ、心当たりがないわけではない。と言うかあり過ぎて困る。

 例えば、文化祭の我がクラスの出し物で白雪の相手役に選ばれてたり。例えば、先日の中間テストで白雪を追い越して学年一位になっちゃってたり。例えば、この前白雪に連れ添われて保健室に向かったり。

 思い浮かぶ全てに白雪桜が絡んでいて、思わず苦笑が漏れる。彼女がどれだけ僕の生活に侵食しているのか改めて思い知らされた気分だ。


 購入したブラックコーヒーを一気に喉へと流し込み、教室へと向かうことにした。この様子だと、クラスメイトからも一身に注目を集めてしまう恐れがある。そう考えると足が重たくなるが、向かわないわけにもいかない。

 昇降口でスリッパに履き替えて四階の教室に辿り着く。そして勿論予想通り、登校済みのクラスメイト達が僕に視線を寄越してくる。

 白雪と三枝はまだ来ていないようだ。三枝がいたら、昨日のことについて色々聞いて弄ってやろうと思っていたのだが。まあ、聞くまでもなくなにをしていたのかは知っているんだけど。


「へいへい、夏目少年よ〜」

「ん、井坂か。おはよう」


 相変わらずの謎テンションで、井坂が僕の席に近づいて来た。その顔はやけに笑顔で、直感的に嫌な予感がする。


「挨拶なんて後でいいから、ちょっち聞きたいことがあるのよねぇ」

「おいおい、その日一日を気持ちよく始めるためにも、挨拶は大事だぜ?」

「昨日、うちのお姫様とデートしてたでしょ?」

「えっ」


 井坂の口から発せられたのは、予想していたどれとも違うものだった。驚きから僕は硬直してしまって、それが肯定していると捉えられたのか、井坂はその笑みを一層深める。


「場所は四宮のモール。夏目君はキャップ帽を被っていて、姫はまさかのメガネ装備。違う?」

「······黙秘権を行使する」

「違わない、と」

「一言もそんなこと言ってないだろう」

「ならこの写真はどう説明するのかにゃー?」


 彼女が取り出したスマホ。そこに表示されていたのは、カメラアプリで撮影された写真。昨日、僕と白雪が手を繋いで歩いてるところを激写したものだった。


「因みにこれだけじゃないよん」


 スライドして次の写真を見せられると、また手を繋いで歩いている僕と白雪が表示される。1枚目と違って、白雪が楽しそうに笑って僕の顔を覗き込み、僕が顔を片手で隠してそっぽを向いてる。多分、僕と白雪が下の名前で呼びあった後だろう。

 更に画面がスライドされて次に写ったのは、白雪が僕の口からドーナツを食べているとこだった。

 そして最後に、同じ傘に入って歩く僕と白雪の後ろ姿。

 撮られたくないようなところをバッチリ四枚も撮られていた。確かに、僕は昨日白雪に対して、誰かに見られて勘違いされても知らないぞ、とは言ったけど。まさか写真まで撮られているなんて。


「随分精巧なコラ画像じゃないか」

「私、昨日このモールにいたんだよね」

「······」


 一瞬で逃げ場をなくされた。つまりこの写真は、どこからか回って来たものではなく、井坂が直接自分で撮影したものだと。

 そしてゴシップ好きの井坂が、この様な美味しい話を広めないわけがない。今はまだ朝だから同学年にしか広まっていないものの、他学年にまで広がるのは時間の問題だろう。なにせ、あの『白雪姫』のゴシップだ。


「別に、これはデートなんかじゃないよ。ちょっと色々と理由があっただけだ」

「ほうほう。その理由とは? まず手を繋いでいた理由からどうぞ!」


 巫山戯た調子で聞いてくる井坂は、スマホをマイクに見立てて僕に向けた。正直に答える理由もないが、直ぐそこで聞き耳を立てているクラスメイト達の間であらぬ憶測が飛び交うよりもある程度の真実を伝えた方がいいだろう。勿論三枝と先輩のことは伏せて、だが。


「手を繋いでたのは、メガネの度が合ってないって言う白雪を気遣った僕の優しさ故の行動だよ」

「下心は一切なかったと?」

「そうだね」

「などと被告人は供述しており」

「誰が被告人だ」


 一切なかったのかと聞かれれば首を横に振れないのも事実ではあるけども。けれど彼女を気遣ったのもまた事実だ。


「でもメガネ姿の白雪さん可愛いねぇ。度が合ってないってことは、夏目君の趣味かな? まあ男の子だもんねぇ」

「違う。断じて違う。確かにメガネかけた白雪も可愛くはあるけど、僕の趣味なんかじゃないよ」

「嫌がる白雪さんに無理矢理メガネを掛けさせることで視力を奪い、合法的に手を繋げるようにした上で自身の性癖を満たすことが出来る。頭いいね!」

「性癖とか言わないでくれ」


 て言うか君もメガネ掛けてるだろ。

 一人で勝手に盛り上がる井坂に頭を抑える。どうも彼女には、パパラッチの才能があるようだ。


「あなた、そう言う趣味があったの?」

「······っ!」


 突如背中に浴びせられる冷ややかな声。いつからそこにいたのか、振り返った先には白雪本人が腕を組んで立っていた。

 その顔は冷たい無表情で、昨日あんな笑顔でドーナツを食べていたのと同一人物とは思えない。まあ、僕にとってはこちらの表情の方が見慣れているけど。


「おはよう白雪。どうしていつも背後からいきなり声を掛けてくるんだ。君は忍者か」

「おはよう夏目。隙だらけの背中を見せてるあなたが悪いんじゃないの? そのうち誰かに刺されるかもしれないわね」

「理不尽かつ怖いことを言わないでくれ」

「で、夏目。あなたまさか、私のメガネ姿を見て興奮してたの? 気持ち悪いわね」


 気持ち悪いとか言いながらも、その顔は無表情から笑みへと変わる。まあ、そこには温度らしきものが含まれていない、心底侮蔑したような笑顔なのだが。

 あらぬ風評被害をなんとかしようと口を開きかけたところで、それよりも前に井坂が白雪へと詰め寄った。


「姫! 昨日夏目少年とデートしてたのはどういうことですか!」

「はい?」

「証拠は上がってるんですよ!」


 僕に見せたのと同じ写真を見せられた白雪は、ああ、と頷く。頼むから否定してくれ。君が違うと一言言ってくれればいいだけだから。それで丸く収まるから!


「確かに、昨日のあれは色々事情があったとは言え、デートの範疇かしらね」


 しかしそんな願いも虚しく、白雪はあっさりと認めてしまった。

 こちらに一瞬だけ視線を寄越し、ニヤリと嫌な笑顔を浮かべる。あ、これはダメなやつだ。


「手を繋いだりあーんして貰っただけじゃなくて、一回だけ名前で呼んでくれたし」

「おおっ!」

「同じ傘を使う時とか、微妙に傘をこっちに寄せてくれたりしてたわね」

「めっちゃ紳士的!」

「夏目の後輩とたまたま出くわしたんだけど、その時慌てて取り繕うのは見てて愉快だったわ」

「慌ててたのは君もだろうが!」


 つい口出しして、遅れてしまったと思う。

 これでは今の白雪の証言を認めてしまったのも同然だ。はあ、と重いため息を漏らして、椅子の背もたれに体重を預ける。どうして僕は、朝からこんな疲れるハメになってるんだ。


「勘違いされても別に構わないとは君も言ってたけど、なにもそこまで教えなくてもいいだろう」

「あなただって、私みたいな美少女との仲を勘違いされるのは嬉しいって言ってたじゃない」

「確かに言ったけど······」


 それは詳細を教えていい理由にはならないだろう。僕達の仲を勘繰られるくらいなら勝手にしてくれって感じだが、そこに信憑性のある情報を加えるのはやめて欲しい。普通に恥ずかしいから。


「ん? ちょっと待って」


 僕達の会話をニマニマしながら聞いていた井坂が、突然眉を潜めた。なにか彼女の琴線に触れるワードでもあったのだろうか。


「まさか二人、付き合ってないの?」

「ええ、そうね」

「恋人同士でもないのにあんなことしてたの?」

「まあ、そうなるな」

「逆になんでそこまで行って付き合ってないの?」

「なんでって、そりゃ好きでもない相手と恋人になろうとは思わないだろう?」


 自分で言っておいて、胸にチクリとした痛みが走った。その痛みを誤魔化すように、言葉を続ける。


「白雪の言ったように、昨日だってちょっとした事情って言うのがあったんだよ。そりゃこんな可愛い女の子とデート出来るのは男として嬉しいとは思うけどね」

「へー」


 どうも僕の言葉をイマイチ信用していないのか、井坂の目は胡乱だ。白雪からも言ってやれ、と念じるようにそちらへ視線をやれば、何故か不機嫌そうに睨まれた。


「好きでもない相手、ね」

「なんだ白雪、随分不機嫌じゃないか。穏やかに行こうぜ?」

「別に、機嫌悪いわけじゃないわよ」


 どう見てもさっきまでより明らかに不機嫌なのだが、白雪はふん、と鼻を鳴らして自分の席に向かった。

 まあ、遠回しに自分のことが嫌いだと、僕から言われたようなものなのだから、そんなもの間近で聞かされたら白雪じゃなくても機嫌を損ねるだろう。これは後で謝っておかないと。


「勘違いされてもいい、ね······」

「どうした井坂?」

「いんやー。ただ、夏目少年も隅に置けませんなぁ、と」

「君は一体どこ目線で話しているんだ······」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る