第26話
白雪の左手と繋がれている僕の右手。前方には僕たちと同じく、手を繋いで歩いている神楽坂先輩と三枝。二人ともさっきからずっと笑顔だ。それは手を繋いでいる影響か、もしくは二人きりのデートと言うこの状況自体が原因か。どちらにしても、二人が楽しそうに歩いているのはいいことだ。それだけでも、今日のデートは成功と言えるだろう。僕たちがわざわざ来る必要もなかったのかもしれない。
しかし一方で、前の二人と同じく手を繋いでいる僕と白雪は、別に笑顔でもなければ話が盛り上がっているわけでもなかった。
「なんとも思わないんだな」
「なにが?」
繋がっている手を見てそんなことを呟く。白雪はなんの話か理解できていないようで、突然の僕の言葉に疑問を呈する。
「仮にも男と手を繋いでるのに、随分と落ち着いてると思ってね」
「ああ、そのこと」
あれだけ周囲の人間から距離を取っていたのだから、異性との接触に免疫なんてないものだと思っていたのだが。白雪は思いの外動揺も露わにせず、いつも通りの無表情を貫いている。
「別に、もう慣れただけよ」
「慣れたって······」
「ほら、それよりも二人を追うわよ。そろそろお昼ご飯でも食べるのかしら?」
慣れた、と言うことは。それはつまり、最初はなんとも思っていなかったわけでない、と言うことで。
そう思うと、つい笑みが漏れてしまった。それを不審がった白雪に睨まれるが、しかし笑いが止まることはない。
「なによ。気持ち悪いからいきなり笑い出さないでくれる?」
「それは悪いね」
なんと言うか、分かりにくいやつだ。色々と。
白雪姫の貴重なデレが見れたところで、意識を前方の二人に戻す。どうやら白雪の予想は当たったようで、モール内のお洒落なパスタ屋へと入っていった。
「流石に同じお店に入るのはマズイわよね」
「先輩に連絡したらどうだ? こっちは別の場所で昼食を摂ってるから、出る時に連絡してくれって」
「そうしましょうか」
白雪がスマホを取り出して神楽坂先輩にラインを送ってくれる。手元くらいなら問題なく見えるのか、操作もスムーズだ。まあ、手元すら見えなかったら何のためのメガネだという話だが。
さて、突然出来てしまった空き時間。どのようにして費やすべきか。フードコートでも僕はいいんだが、折角だしお姫様をエスコートすべきなのだろうか。
「どこでお昼食べる?」
「ミスドにしましょう」
「この甘党め······」
即答だった。確かにこのモール内にはミスドもあるけど。ミスドならドーナツだけじゃなくて普通にご飯も食べられるけど。
残念なことに僕は拒否権を持っていないので、白雪に引っ張られるようにしてモール内のミスドへと向かう。
もう手を繋いでいる必要性は殆ど皆無なのだが、逃げないようにしているのか、白雪は手を離そうとしない。まあ、僕もそうなのだけど。
「あっ」
「ん?」
突然白雪の足が止まった。何事かと彼女の視線の先を追うと、そこには見知った顔が二人、割と近くにいた。
「げっ」
「随分な反応ですね、夏目先輩?」
「こんちわす、智樹さん、白雪先輩」
小泉と樋山だった。今日は部活もオフなのか、ユニフォームや制服などではなく二人ともジャージを着ている。いや、休日のモールにジャージってどうなんだ。
「······あぁ、夏目の後輩二人ね」
「気づいてないのに足を止めたのか」
「うっすらとそれっぽい感じで見えてたのよ」
て言うか、この距離でちゃんと見えないって相当だぞ。悪い事は言わないからメガネ買い換えろよ。
「よお二人とも。こんな所で奇遇だね」
「そうですね。まさかこんな所でお二人がデートしてるなんて思ってませんでした」
「お生憎様、そんな色気のあるものじゃないよ」
「ならその手はなんですか?」
言われて、二人とも急いで手を離した。僕も折角慣れてきた頃だったというのに、またしても顔が熱くなってくる。手を繋ぎ始めた頃の比じゃない。まさか、他人に見られて指摘されるのがこんなに恥ずかしい事だったとは。
チラリと白雪の方を見ると、彼女も同じく顔を真っ赤に染めていて。
「······っ。こっち見ないでっ!」
「悪い······」
樋山の苦笑いと、小泉の「うわっ、なんですかこの中学生みたいなカップル······」という言葉が聞こえてくる。僕たちはカップルなんかじゃない、と言いたい所だが、正直それどころではない。
さっきの顔真っ赤な白雪が可愛すぎて、僕の顔は温度を上げるばかり。なんだか思考も上手く纏まらない。
「それで、智樹さん達はなにしてたんですか?」
未だ苦笑いを浮かべたままの樋山が、助け舟をだすようにそんな質問をしてくれた。それでハッと我に帰る。
「あ、ああ、ちょっとね」
「人に言えないようなことでもしてたんですか?」
「どうして君はそう言う受け取り方をするんだ······」
どうやら、小泉の僕に対する態度は依然として険悪なままらしい。この場に白雪がいることも拍車を掛けているのかもしれない。
その白雪はと言うと、自分の左手を見つめてボーッとしていた。そんな姿が珍しくて、思わず心配になって声を掛けてしまう。
「白雪?」
「······あっ。えっと、なにかしら?」
「いや、珍しくボーッとしてたみたいだから。大丈夫か?」
「大丈夫よ。それで、あなた達はどうしてここに? そっちこそデートじゃないの?」
仕返しと言わんばかりにニヤニヤ顔で問いかける白雪。本当にいい笑顔だが、その二人にそう言うタイプの攻撃は効かないのを僕は知っている。
「まあ、一応はデートですかね?」
「メンテナンス道具買いに来ただけだけどな」
想像以上にあっけらかんと認めるからか、白雪は肩透かしを食らったようにポカンとしてる。今日は白雪姫の色んな表情が見れて面白い。
「え、あなた達付き合ってるの?」
「まさかそんな」
「これが恋人とか、なんの冗談だよって感じっす」
「私も、修二だけはないです」
白雪の頭に浮かぶのは疑問符だらけ。まあ、そうもなるだろう。中学の時も三枝が同じような顔になってたし。
曰く、幼馴染として長い付き合いの二人は、そう言う弄りを何度も受けて来たから慣れたらしい。彼氏彼女以前に、二人でいるのが当たり前、みたいな感じだ。最早夫婦と言っても過言ではない。
「デートだって認めるんなら、もう少し色気のある格好したらどうだ?」
「確かに、二人揃ってジャージじゃ無理がありますね」
ははっ、と爽やかに笑ってみせる樋山。その手にはスポーツ用品店の袋があるから、まあ二人の目的は推察出来る。僕の視線がそっちに行っていることに気づいたのか、樋山が袋の中から買ったものを見せてくる。
「これ、智樹さんにオススメされたグローブオイルっすよ。覚えてます?」
「ああ、覚えてるよ」
中学の時、僕も同じのを使っていたから。
なるべく表情もいつも通りを心掛けていたのだが、どうやら小さな後輩はそれを見逃さなかったらしい。
「手入れ道具すら見るのも嫌ですか」
「何も言ってないだろう」
「何も思ってないわけではないですよね?」
「さて、どうだろうね」
肩を竦めて返してみせるも、小泉は納得しない。更に追求しようと口を開くが、白雪の存在と今この場所のことを考えたのか、続く言葉が紡がれることはなかった。
それが分かっていて、白雪は嫌な笑みを浮かべながら小泉に声をかける。
「あら、言いたいことがあるなら言えばいいのに」
「······いえ、いいです」
「そう? どうもあなたは、夏目に対して変な理想を押し付けてるみたいだけど、いい加減現実を見なさいな」
「他人事だと思ってっ······!」
「事実他人事だもの」
「そんなの、白雪先輩だって本当は······」
「言わないで」
なんの話をしているのか僕にはさっぱりだが、この二人には僕の知らないところでなにかしらの関わりがあるらしいことは分かる。いや、僕の知らないところではあっても、僕は無関係じゃないんだろう。
白雪はメガネの奥の瞳に苛烈な光を宿しており、小泉は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「なあ樋山。ここ、あれかな。僕を巡って争わないでくれって言うところかな」
「言ったらどうなるか分かんないすよ」
「だよなぁ」
場を和ますつもりでそんなことを言ったら、女子二人に睨まれた。冗談に決まってるだろ。
「綾子も、あんまり白雪先輩に噛み付くな」
「噛み付いてないもん」
「お前の気持ちも分からないでもないけど、そんな八つ当たりじみたことしても無駄だろ」
樋山に言われたからか、小泉は不承不承といった感じで下がる。白雪は未だに小泉を見下すように睨んでいるが、可哀想なのでやめてあげて欲しい。
「それにほら、お二人の邪魔しちゃ悪いだろ。そろそろ行くぞ」
「おい樋山」
「それもそっか。なにせ、私達の先輩があの白雪姫とデートしてたんだもんね」
「あのなぁ······」
「私達はそんなのじゃないって言ってるでしょ。身長だけじゃなくて脳の容量まで小さいのかしら?」
「し、身長もちっちゃくないですー! 成長期だからまだまだ伸びるんですー!」
放っておいたらいつまでも言い合いを続けてしまいそうな二人を樋山と二人で無理矢理引き剥がして宥める。いつの間に僕は白雪の保護者になったんだと嘆息してしまう。
「それじゃあ智樹さん、俺たちは行きます」
「ああ、うん。そっちも大変だな」
「もう慣れました」
困ったように笑いながら、樋山は小泉を引っ張って去って行った。結局誤解が解けたのかはイマイチ微妙なところだが、冷静に考えてみると僕みたいなのと白雪姫が付き合ってるなんて、あり得ない話だろう。
さて、思わぬ邂逅をしてしまったが、流石に僕もお腹がすいてきた。この際ドーナツでもなんでもいいから口にしたい。
「あなた、随分と後輩に好かれてるのね」
「あれのどこが。恨まれてるだけだぜ?」
「あなたがいないことを惜しまれ、その存在を必要とされているって言うのは、十分に好かれてるわよ」
「······だといいんだけど」
それくらい、本当は分かっている。でも、僕にはもう、あの二人から慕われる権利を有していない。例えどのような事情が重なっていたとしても、二人を裏切るようにして野球部から去ったのは変わらないのだから。
「それより、ミスドに行くんだろう? ならさっと行こう。あんまり時間はないと思うし」
「······」
「どうした?」
僕が差し出した右手を、白雪はまじまじと見つめている。もしかして、ちょっとナンパ野郎っぽかったとかだろうか。
そして僕の手を見つめること数秒。白雪は中指でメガネをクイっと上げて、そこに自分の左手を乗せる。
「なにもないわ。ただ、あなたもなんとも思わないのね、と思って。さっきの二人みたいに勘違いされてもしらないわよ」
「君みたいな可愛い子との仲を勘違いされるなら、男としては嬉しい限りだけどね。君の方こそ、僕なんかとの仲を勘違いされてもしらないぜ?」
「別に、私は構わないわよ」
彼女の頬が薄く染まって見えるのは、先程小泉に指摘されたことを思い出したからか。もしくは、別に原因があるのか。
なんにせよ、もう一度白雪の小さく柔らかい手を握り、ミスドに向かって歩き出した。慣れたものだと思っていたけれど、改めて彼女の手を握ると、どうしても心臓の鼓動が一瞬高鳴ってしまう。
「メガネ、そのうち買い換えろよ」
「そのうち、ね」
そんな心にもないことを言った僕に、白雪はクスリと、楽しそうに笑ってみせる。
僕と白雪のスマホが同時にラインの着信を告げたのは、その直後の出来事だった。
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