第25話
翌日の日曜日は、雲ひとつない快晴だった。
「これ、本当に午後から降るのか?」
「私に聞かれても知らないわよ」
「君が午後から降るって言ってたんだろうが」
そんな太陽燦々の真夏みたいな気温の中、僕と白雪は浅木市と高校のある蘆屋市の間に位置する四宮市に来ていた。
私鉄の四宮駅前にある大きなショッピングモール。今日はそこで我が親友と敬愛すべき先輩のデートが行われるのだ。その先輩に後ろからこっそりついて来てくれと言われたのだが······。
「なんでメガネ掛けてるんだ?」
今日の白雪は黒縁のメガネを掛けていた。これがまたとても似合っていて可愛らしいから、待ち合わせ場所へと先に着いていた白雪に声をかけるのがかなり躊躇われた。
メガネ女子。うん、ありだな。
「別にいいじゃない。一応変装していこうって話になってたんだから」
「まあ、そうだけど。だからってなんでメガネ?」
「普段はコンタクトだから、丁度いい変装がこれしかなかったのよ。野暮ったいからあんまり外で掛けたくなかったんだけど」
さっきから白雪は、どうしてか恥ずかしそうにしていて、中々目を合わせてくれない。もしかしてメガネ姿が恥ずかしいのだろうか。いや、メガネを掛けるだけでまさかそんなはずはあるまい。て言うかそんなに可愛いんだから、どこに恥ずかしがる要素があると言うのか。
「あなたこそ、変装するって話だったのに帽子かぶってるだけってどうなのよ」
「これで中々バレないもんだぜ?」
そもそも、三枝一人から身を隠すだけなのに変装なんていらないと思うのだが。
バレるバレないで言えば、白雪のメガネ姿だって正面から見れば普通にバレるし。可愛いからいいんだけど。眼福だし。
「さて、それじゃあ行きましょうか」
「君、実は結構気合入ってるだろ······」
中指でメガネの位置を調整してから歩き出す白雪。僕もその後ろに続いた。
三枝と神楽坂先輩の待ち合わせ場所はショッピングモールの入り口の真ん前らしい。ついでに二人の待ち合わせの時間にもまだ早いのだが、白雪の提案で僕らは少し早く駅前で集合していたのだ。
駅前からショッピングモールまでは歩いて何分もかからない。二人並んで歩き、モール前まで辿り着くと、三枝は既に待ち合わせ場所に来ていた。
三枝のいる場所からは死角になる場所に身を隠し、様子を伺う。
「流石に早いな」
「······どれ?」
メガネの向こうの大きな瞳を細めて見る白雪。眉間にシワが寄っていて、どうも三枝のことが見えていないらしい。ここから三枝の立っているところまではそう距離はないはずなのだが。取り敢えず三枝の方を指で示して教えてやる。
「あそこだよ、あそこ」
「ああ、あれね」
「君、そのメガネ合ってないんじゃないか?」
「仕方ないじゃない、普段家でしか使わないんだから」
逆に裸眼だとどれだけ視力が低いのか気になるところだ。
しかし、これだと白雪は役に立たなそうな感じがする。二人のデートを見守るためにやって来たのに、離れていたら見えないとか、本末転倒すぎてどうしようもない。どうしてそこに気が回らないのか。
「おっと、神楽坂先輩も来たみたいだぜ」
「どこ?」
白雪に呆れていると、駅の方から神楽坂先輩がやって来た。それをまた白雪に指で示して教えてやる。
合流して、何事か話す先輩と三枝。二人とも笑顔で会話していて、ここから見ているだけでも既に楽しそうなのが分かる。
耳を澄ましてみるが、周囲の喧騒もあって流石に会話の内容は聞こえてこなかった。
「流石に聞こえないか」
「そこはなんとか頑張りなさいよ」
「見えてもいない君には言われたくない」
「い、今はギリギリ見えてるわよ······」
苦しそうにそう言う白雪を見て、つい苦笑してしまう。まあ、僕が見失わないようにちゃんと見ていたら問題ないだろう。
そうこうしていると、先輩と三枝がモールの中に入っていった。
「白雪、僕たちも行くぞ」
「え、もう入ったの?」
結局見えてないじゃないか······。幸先が悪すぎる······。
白雪を引き連れてモールの中に入ると、施設内に行き届いた冷房が僕たちを迎えてくれた。外がかなり暑かったので一瞬天国に入ったような心地になったのだが、本当に一瞬だけ。次の瞬間には、目の前に広がる人の多さに絶望してしまう。
「多すぎだろ······」
「休日のモールなんてこんなもんでしょ」
「逸れないでくれよ」
「分かってるわ」
後ろを振り返って白雪がちゃんとついて来てるのを確認し、前方に見える二人の後を追う。
三枝には昨日ラインして、先輩と手を繋げたらラーメンを奢ると言っている。かなりいい食いつきを見せてくれたので、きっとそれは達成してくれることだろう。
暫く談笑しながら歩いている二人を見守っていると、神楽坂先輩がいきなり三枝の腕に力抱きついた。
おぉ、と思わず声を上げてしまう。作戦通りだ。躓いた感じは見えなかったし、本当に三枝の腕に抱きついただけみたいな感じだったけど、まあ結果オーライだろう。
三枝は遠目から見ても分かるくらいに顔を赤くしてあたふたしている。神楽坂先輩なんて耳まで真っ赤だ。ここからでも分かるんだから、間近で見ている二人はお互いの顔の色をしっかり把握していることだろう。
その後二、三言葉を交わした後、先輩がおずおずと手を差し出した。そしてその手を取るヘタレな我が親友。
「おい白雪、ついに手を繋いだぞ! ······あれ?」
振り返って興奮気味に言葉を投げかけるも、そこに白雪はいなかった。まさか早速逸れてしまったのかと思えば、人混みの中からメガネがズレ落ちた白雪が出てくる。
「ちょっと、歩くの早いわよ······」
「君が遅いんだろう」
「こっちは周りがあんまり見えてないんだから、もう少し気を使いなさい」
「はぁ······」
まさか視力が低いのがそんな影響を及ぼすとは。こればかりは、特段目が悪くない僕には理解できないことだ。
しかし、白雪の歩行速度に合わせていては前の二人を見失ってしまう。
あまり使いたくない手ではあったが、そうも言っていられないか。僕と白雪が逸れたら、連絡手段がないから再合流に手間がかかるし。
「ほら」
「······?」
差し出した右手を、彼女は不思議そうに小首を傾げて見つめる。そんな可愛い仕草は辞めてくれ。折角の決意が無駄になるだろう。
「察しが悪いな。逸れないように手を握ってろって言ってるんだ。君と僕が逸れたら面倒くさいだろう」
「······」
「嫌なら別にいいけど」
「別に、嫌なわけじゃないわ」
ほんの少しの逡巡の後、白雪のか細く白い手が僕の手に乗せられる。それが想像よりも小さくて、柔らかくて、あたたかくて。
「行こう。二人を見失う」
「そうね」
自分の顔の色を悟られないように前を向いて、白雪の腕を引っ張るようにして歩き出した。すぐに前を向いたから、彼女の顔が僕と同じ色をしているのかは分からないけど。聞こえてきた声は、どこかいつもより熱を持っていたように聞こえた。多分、気のせいなんだろうけど。
白雪は少し駆け足で僕の隣に並ぶ。あまりそちらを意識しないようにして前を確認すると、先輩と三枝は目的の雑貨屋に入っていった。
今日購入するのは、文化祭で使う備品のあれこれ。部室の飾り付けとかもするらしいので、その為の道具などが中心になるだろう。
二人が入った雑貨屋はそう広くもない。一緒に中に入ったら三枝に気づかれる恐れがあるので、外で待っていることにする。
雑貨屋付近はモールの入り口あたりよりもほんの少しだけ人が少ない。だから道の途中で立ち止まる余裕もあるので、壁に背中を預けて一息つく。吐いた息が誰かと重なって、隣を向けば視線がぶつかった。
「······っ」
「······」
なんだこれ。なんか、手を繋いでるだけなのにいつもと違うような······。クソ、調子が狂うな······。
モール内はしっかり冷房が効いてるはずなのに、どうしてか顔は熱いままだし。盗み見るように隣に目をやれば、白雪の白い頬は桜色になっていて、少し汗を掻いてるようにも見える。
「人混み、苦手なのか?」
沈黙が思いの外しんどくて、常よりも近い距離にいる彼女へ声を投げた。
「ええ、少しね。今日はあまり周りもよく見えていないから、余計かしら」
「キツくなったら言ってくれ。適当なところで休むから」
「大丈夫よ」
会話が途切れると、嫌でも右手に意識が向いてしまう。自分の手とは明らかに異なる、女の子の手。これでも野球をしていたから、自分の手がそれなりにゴツゴツしている自覚はあるし、マメのあった跡もある。
けれど白雪の手は僕の手とは全く違っていて、僕が少し力を加えたら潰れてしまいそうに錯覚する。
初めて手を繋いだ女の子が白雪だなんて、思いもよらなかったけど。
「出てきたな」
「行きましょうか」
胸の内の妙な高揚感を自覚しつつも、それについて深く考えず頭の隅に追いやる。
雑貨屋から出てきた先輩と三枝は心底楽しそうで、二人の手は繋がれたままだった。
「夏目?」
中々歩き出さない僕を不審に思ったのか、白雪が不思議そうに僕を見上げている。
なんでもないとかぶりを振って、二人の後を追うために足を動かす。混雑はマシになっているのにも関わらず、僕も白雪も、繋いだ手を離すことはなかった。
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