第23話

 なんと白雪は、本当に一日で脚本を完成させ、翌日には演劇の稽古に入れるようになっていた。

 昨日図書室に向かったのは白雪姫の参考資料を探すのが目的だったようで、それを見つけると自分で勝手に貸し出しの手続きをしてしまったのだ。流石は図書委員。その後自販機で適当に時間を潰した後部室に戻ると、神楽坂先輩はクラスの方がひと段落ついたのか部室に来ており、妙に先輩に対してよそよそしい三枝がいた。白雪と二人してため息を漏らしてしまったものだ。


「鏡よ鏡! この世で一番美しいのは誰か、この女王に教えたまへ!」

「それは勿論、女王様でございます」

「フハハハハ! そうであろう、そうであろう!」


 そしてその三枝はと言うと。現在絶賛演劇の稽古中ではあるのだが。なんと言うか、魔法の鏡役の生徒までドン引きするくらいに気合の入った演技をしていた。これには親友の僕も掛ける言葉を失ってしまう。

 昨日、神楽坂先輩と上手く話せなかった鬱憤でもぶつけているのだろうか。それとも純粋な演劇へのやる気なのだろうか。女王役に選んだ上に告白を命じてきた白雪への怒りを込めている線も大いにある。


「気持ち悪いくらい気合い入ってるわね。気持ち悪い」

「二回も言ってやるなよ。やる気があるのはいいことだぜ?」


 僕の隣で三枝の演技を見ていた白雪が、嫌悪感を隠そうともしないで言う。まあ、三枝の役は今回のヴィランに当たるのだし、主人公である白雪姫に嫌悪感丸出しにされるのは悪いことではないはずだ。

 願わくば、部活にまでそれが影響しなければいいのだが。


「夏目くん、採寸するからちょっときてくれる?」

「ああ、直ぐ行くよ。それじゃあ採寸行ってくるけど、三枝が気持ち悪いからって稽古の邪魔はしてやるなよ?」

「それくらい分かってるわよ。さっさと行って来なさい」


 しっしっと手を振られ、教室の後ろの方にいる衣装係の元へと歩く。どうやら衣装は自作するらしく、クラスでも裁縫が得意な生徒を5人ほど集め、衣装係は成り立っている。そして僕の採寸をするのはそのリーダーでもある井坂翔子。聞いた話によると、普段から趣味で服を作ったりしているらしい。


「やあ少年。白雪姫直々に王子様役に抜擢された今の心境はどうかな?」

「最高に最悪な気分だよ」

「またまたカッコつけちゃって〜」


 ついでに、かなりのゴシップ好きとも付け加えておく。誰と誰が付き合ってるとか、そう言う人の色恋が大好物な人種なのだ。

 掛けている赤縁メガネの奥をキラリと光らせ、採寸用のメジャーを僕の胸に巻きつけながらも井坂からの質問は続く。


「白雪さんと最近仲良いんでしょ? ぶっちゃけ付き合ってるんでしょ?」

「仲が良いことは否定しないけど、僕と白雪はそんなんじゃないよ。あんまり迂闊な発言をすると、同じ女子とは言え潰されるぜ?」

「やだなぁ夏目くん。同じ女子だからこそ潰すんでしょ? 女子同士の潰しあいなんて日常茶飯事だよ」


 今さらっと怖いことを言われた気がするが、まあ気のせいだろう。

 て言うか、教室内はさして広くないから、幾ら三枝のでかい声が響いてる中とは言え、普通に白雪に聞こえてると思うんだけど。


「でも白雪さんって凄い美人じゃん? そこのとこ、男の子的にはどうなのよ。ん? おばさんに話してみ?」

「確かにかなり可愛いとは思うけどね」


 そんな可愛くて美人な白雪姫から直々に王子様役を賜ったのだから、まあ光栄なことではあるだろう。ただ、僕の場合は普段から普通の男子生徒よりも多い頻度で彼女の毒舌のサンドバックになってるから、そのありがたみも薄れると言うものだ。


「あれでもう少し性格が丸くなれば、名実ともに白雪姫なんだろうけど。残念ながら中身は毒林檎を全力で投げつけてくるような白雪姫だ」

「白雪姫だけに、毒舌じゃなくて毒林檎ってわけだ。上手いこと言うじゃない。流石文芸部」

「文芸部はあまり関係ないよ」


 慣れた手つきで進められる採寸は、思いの外短時間で終了した。井坂には「とびきりかっこいい王子様の衣装作るから楽しみにしてるんだぜ、少年!」と言われたが、僕は未だに井坂のテンションが謎すぎてついていけない時がある。

 他の生徒と入れ替わりで衣装係がいる教室後方から離れ白雪の方に戻ると、片眉を釣り上げて何故だか大層ご立腹の様子だった。


「どうした?」

「いえ、どこかの誰かさんが教室の後ろの方で私のことを言いたい放題言っていた気がしただけよ。なんでもないわ」


 やっぱり聞こえてるじゃないか······。別に隠すような話はしてないからいいんだけど。そもそも全部事実だし。


「本当のことじゃないか。白雪姫なら、僕に毒林檎を投げつける前に自分で食べて欲しいところだ」

「そうししたとしても、体内でさらに凶暴になった毒をあなたに吐くだけね」

「出来れば吐かないで飲み込んでくれ。もしくは標的を別に移してくれ」


 視線を前に移すと、三枝たちの演技がひと段落したところだった。仮の舞台となっていた教壇からおり、親友がこちらに近付いてくる。


「よう三枝。随分と気合が入ってたじゃないか。白雪が気持ち悪いって褒めてたぜ」

「まあな。先輩も見るんだから、いいとこ見せないとダメだろ?」


 どうやら、僕の予想は三つとも外れたらしい。そもそも女王と老婆の役の時点でいいところもクソもありはしないが、本人がいいのならそれでいいだろう。何も言わない優しさというのもあるのだ。

 それと気持ち悪いはどう考えてもただの悪口だから。そこに気づけ。


「智樹も頑張れよ」

「ま、ほどほどにね」


 次は僕と白雪の番だ。どうも白雪はこの脚本を、グリム童話やらディズニーやら実写映画やら、兎に角この世に存在する『白雪姫』と言う物語のキメラに仕立て上げたらしく。しかも白雪のオリジナルもちょこちょこと。今回の劇には、王子が白雪姫の城に不法侵入し、白雪姫が眠りにつくよりも前に出会った描写が序盤に入れられている。

 そして勿論のこと、話の最後にはキスシーンもちゃっかり入れられていた。


「なあ白雪。なんでキスシーン入れたんだ?」


 そのことを改めて今確認すると、白雪は心底不思議そうな顔で小首を傾げた。無意識のうちに彼女の小さな唇に目がいってしまう。


「白雪姫なのだから当たり前じゃない。どうせフリよ、フリ。それともあなたは、心臓マッサージでもして白雪姫を蘇生させるつもり?」

「そんなわけあるか」


 わざとらしく胸の前で腕を抱えてこちらに軽蔑の眼差しを送ってくる。そう言うのはもう少し成長させてから言え。どこをとは言わないけど。

 まあ、白雪が気にしていないと言うのなら僕も気にしない方がいいだろう。自意識過剰っぽくて気持ち悪いし。あくまでもキスするフリなのだ。


「ほら、さっさと練習始めるわよ」

「言われなくても分かってる」


 王子と白雪姫が初めて出会うシーン。僕はあまり詳しくないから知らないが、ここでお互いに一目惚れするらしい。そして短い時間ながらも心を通わせ、またいつか会う約束をする王子と白雪姫。王子様役の僕はここから暫く出番がない。

 台本を片手に教壇の上に立ち稽古を開始しようとして目の前に立つ白雪を見ると。

 時が止まったかのように錯覚した。

 文字通り、雰囲気が一変していた。

 普段から他人に抱かせる彼女の儚さをより強く意識させられる。こちらを見つめる瞳は揺れていて、その姿に思わず魅入ってしまった。


「あなたは誰?」


 白雪の発したセリフで時間が動き出す。

 そうだ、今は稽古の最中だから、彼女の美しさに見惚れている暇なんてない。焦って台本に目を通し、そこに書かれている自分のセリフを読み上げる。


「ぼ、僕は隣国の王子。君が、白雪姫か?」


 どこかから吹き出すような声が聞こえた。チラリと教室内を見回すと、三枝が腹を抑えて笑い転げていた。悪かったな棒読みで。

 取り敢えず三枝は絶対に後で殴るのは確定だとして、視線を白雪姫に固定。


「ええ、そうよ。私は白雪姫です。王子様は隣国から来たのね。出来れば、私にお城の外のことを教えてくださらないかしら?」

「ああ、良いとも」


 白雪姫は王子様から沢山の話を聞く。どこまでも続く海。辺り一面砂だらけの砂漠。不思議な力を使う魔法使い。次第に話は王子や白雪姫自身の話へと移り変わり、二人はお互いのことを知り、惹かれ合っていく。


「王子様、またいつか会いに来てくれますか?」

「必ず会いに来る。約束しよう」


 そうして二人は再会の約束をして、王子は自分の国へと帰っていく。

 序盤の王子様と白雪姫の出会いはここで終了。王子様役である僕は、ここから終盤近くまで出番がない。

 そのシーンが一通り終わると、白雪がズイッと近づいて来る。先程までの雰囲気は霧散してしまっていて、白雪姫はどうも不機嫌モードらしい。


「ちょっと、なによあの棒読み。あなたふざけてるの?」

「残念ながら、これが割と真面目にやった結果なんだ。笑いたきゃ笑っていいぜ」

「笑えたらまだマシだったんだけどね。あまりにも酷すぎて笑いすら起こらなかったわよ」


 本当に酷い有様だったのか、白雪はため息を吐いた後教壇から降りる。それと同時に、先程の演技を見ていたクラスの女子たちが白雪に殺到した。


「白雪さん演技凄い上手だね!」

「どこかで習ってたの?」

「本当に白雪姫みたいだったよ!」

「ちょ、ちょっと······」


 押し寄せて来る女子たちに、白雪は困惑を隠せないでいる。いつも一人でいた彼女には慣れない状況なのだろう。いい機会だし、これで白雪ももう少しクラスに溶け込めたらいいのだが。

 名演技を見せた白雪の一方で、僕の方に寄ってくるのはさっき笑い転げていたバカ一人。


「流石は智樹、名演技だったじゃねぇか」

「煩い黙れ」

「いたっ!」


 取り敢えず肩のあたりを殴っておいた。


「勉強とスポーツは出来ても、演技は出来ないか。変なところで不器用だな、お前」

「やったことがないからね。練習を積み重ねたらどうにかなるよ」

「だといいけどな」


 ケラケラと笑う三枝はまるで他人事のようの言ってくれるが、事実そうなのだから僕としてもため息しか出ない。

 そうこうしていると、どうやら部活に向かうクラスメイトも何人か出て来たらしく、ここで一旦解散となる。残って練習を続けるやつもいるみたいだが、僕は未だ書き終わっていない小説もあるので、部室へ向かうことにした。


「白雪、僕は部室に向かうけど、君はどうする?」

「私も行くわ」

「三枝は?」

「行くに決まってんだろ」


 三枝と二人で先に教室を出る。白雪は自分を囲んでいたクラスメイト達に断って、遅れて出てきた。


「先に行ってても良かったのに」

「別に先に行く理由もないんだからいいじゃないか」

「白雪さんと一緒に行きたいって素直に言えよ」

「君は少し黙ってろ」


 三人揃って部室へ向かう。スマホを確認してみると、神楽坂先輩から先に部室の向かってるとの連絡が来ていたので、鍵を取りに行く必要は無さそうだ。

 ゆっくり歩いていると、白雪が突然三枝に声をかけた。


「三枝、今日は頑張りなさいよ」

「って言われてもなぁ」


 ポリポリと頭を掻く三枝は、どうしてか自信なさげだ。これまで散々積極的に動いていたと言うのに、ことここに至ってなにを日和っているのだろうか。


「そもそもあなた、自分が紅葉さんから嫌われてるとでも思ってるの?」

「いや、流石にそれは思ってねぇけどよ。あの人って誰にでも優しいだろ?」

「確かに」


 思わず納得してしまった。神楽坂紅葉先輩は優しい。それは文芸部全員が思っていることでもあるし、きっと僕達以外にも先輩のことを知っている人はそう思うだろう。

 きっと、だからこそ。三枝は不安なんだと思う。自分に向けられている優しさは、別に特別なものじゃなくて。先輩にとって当たり前のことをしているだけなのではないのかと。


「まあでも、早いか遅いかの違いだしな。告白はちゃんとするぞ」


 その言葉で白雪は溜飲を下げたのか、それ以上はなにも言わなかった。納得はしていないのだろう。けれど三枝がそう断言した以上、自分がとやかく言うのは違うと判断したのか。

 そんな事より、と三枝は気を取り直したように口にして、僕と肩を組んできた。


「智樹も人のこと言ってられないもんなぁ?」

「さて、なんのことだか」

「なに、あなたやっぱり好きな子いるの?」


 白雪が予想外の食いつきを見せてきた。肩を組んでいる親友に恨みがましい視線をチラリと向けるも、ムカつくニヤケヅラは収まらない。

 そう言えば、この前白雪に聞かれた時は適当にはぐらかしたんだったか。実際好きな子なんていないし、そもそも誰かを好きになったことすらないし。


「いないよ。いたとしても君には関係ないだろう」

「そう」


 一瞬で興味を失ったのか、プイと首を前方に戻しスタスタと歩いて行く。三枝の腕を振りほどいてその横に並んで歩きその表情を覗き見てみると、白雪は何故だか少しムスッとしていた。


「なに?」

「いや、なんでも」


 ギロリと睨まれ、肩を竦めて返す。背後からは「おー怖い怖い」と軽い口調の言葉が聞こえてくるが、どう考えてもこれは三枝が変な話題を出したからだろう。タイミング的にそうとしか思えない。


「お前は誰かを好きになる前に、まずは女心を理解するところからだな」

「君に言われたくはなかったよ」

「夏目がそれを理解できるわけないわね。なんなら花京院の魂を賭けてもいいわ」

「誰だよ花京院って······」

「まあ、この前あんな事言ってたんだから、私のことくらいは知っていて欲しいけど」


 まさか白雪までこの場でそんな事を言うなんて思ってなくて、つい言葉に詰まってしまう。それについては何も知らない三枝が後ろで戸惑っている気配を感じる。


「なに、お前らなんかあったの?」

「君には関係ない」

「ひでぇなおい。親友にくらい教えてくれてもいいじゃねぇか」

「そのうちね」


 例えば、罰ゲームがうまく言った時とか。その時なら、教えてやってもいいかもしれない。



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