第22話

 授業が始まる前に三枝と神楽坂先輩には昨日のことで謝罪した。三枝にはかなり心配されたし、神楽坂先輩の教室、つまりは三年生の教室に行くのはかなり緊張したが、二人とも一応は許してくれた。神楽坂先輩が詳しいことまで聞いてこなかったのは助かった。昨日白雪に色々と話したばかりで、今日の僕はあまり精神的に余裕があるとは言えないから。


 さて、そんな今日という日は、クラスでの文化祭の出し物を決める日だ。

 我が蘆屋高校の文化祭はそれなりの規模のものであり、6月末の金曜と土曜の二日間に渡って開催される。今年は6月22日と23日だ。つまり丁度一ヶ月後くらい。その文化祭の二週間後には期末テストと、かなり忙しない日程になっている。

 運動部はなにも出し物はないが、文化部はそれぞれが様々な催しを行う。軽音楽部のライブだったり、演劇部の劇だったり、そして僕達文芸部の作品だったり。

 原稿が全く進んでいない僕からすれば、クラスの出し物とか正直どうでもいいし、原稿に集中したいのだが。


「えー、では今年の三組の出し物は演劇で、『白雪姫』に決定ってことで」


 黒板の前に立ったクラス委員が、決定事項を淡々と告げた。題目がそれになった理由は、まあ見当がつく。

 文化祭の最後には各クラスの出し物の最優秀賞が発表される。それを狙うのであれば、我がクラスで最も名前が知れているやつを使うのが手っ取り早い。

 クラスのほぼ全員が、窓際の一番後ろの席へと振り返った。そしてそこに座っている白雪は、クラスの会議も聞かずに読んでいた文庫本から顔を上げ、異様とも言えるこの場の雰囲気に首を傾げていた。


「白雪姫の役は白雪さんにお願いしてもいいかな?」

「は?」


 底冷えするような声が教室内に響いた。その声を直接向けられたクラス委員君は浮かべている笑顔が引きつっていて、見ていてとても可哀想である。他のクラスメイト達も今の声を聞いて目を逸らす。

 クラスメイトを怖がらせてどうする。て言うか、みんな白雪のこと怖がりすぎだろ。彼女はああ見えて割と親しみやすい、ことはないけど、まあそんな怖いやつではないのに。

 僕は白雪の方を振り向いていなかったのだが、背中には説明しろと言わんばかりの視線が突き刺さる。その視線の主は言わずもがな。て言うかよく見てみたら、今度はクラス全員の視線が僕に向いていた。つまり、僕が白雪を説得しろと。僕は別に白雪のお守りとかじゃないんだけど。

 一番前の席でニヤニヤと笑ってる三枝は後で殴るとして。まあ、この状況を終わらせることが出来るのが僕しかいないのなら、仕方ない。

 説得するために後ろを振り返り、白雪と目が合うと、昨日の別れ際のことを思い出してしまう。

 告げられた言葉と、浮かべられた笑み。それをなんとか振り払い、冷めた顔をしている白雪に言葉を投げた。


「なあ白雪。主役を演じるのは嫌か?」

「嫌ね。どうして私がやらなきゃダメなのよ。夏目がやれば?」

「僕が白雪姫の役とか、単なる地獄絵図だぜ?」

「いいじゃない。盛大に笑い者になりなさいよ。記録として残して子々孫々にまで語り継いで笑ってあげるわ」

「君の一族に語り継がれるなんてある意味名誉なことかもね。なにせ白雪姫ご本人様が直々に、なんだから」

「もしかして、その仇名故の安直な理由じゃないでしょうね。考えが浅はかすぎない? あなた達の脳味噌に同情するわ」

「安直で結構。シンプルイズベストって言葉を知らないのか?」

「少なくとも、よく言い訳に使われる言葉であることは知っているわ」


 うんざりしたのか、白雪は再び文庫本に視線を落とした。

 中々強情なやつだ。さっきから笑っている三枝を除いたクラスメイト達は、みんな固唾を飲んで僕達のやり取りを見守っている。

 三枝は後で殴るとして、クラスのみんなの期待を裏切らないよう、なんとかして説得せねば。


「よし、なら二つほど条件をつけよう」

「言ってみなさい」


 手元から視線をこちらに戻すこともせず、白雪はページを捲りながら先を促してくる。僕の独断で決めるのは申し訳ないが、これも白雪を説得するためだ。


「まず、脚本は君が決めていい。オリジナルの『白雪姫』そのままでもいいし、なんなら自分で書いても構わない。二つ目に、配役も君が決めていい。小人とか王子様とか、その辺りのことも一任する」

「ならあなたが王子様役ね」

「は?」


 思わぬ即答に、間抜けな声を出してしまった。さっきから声を忍ばせて笑っていた親友はついに声を上げて笑い出す。

 取り敢えず三枝は後で絶対殴るとして。絶対、殴るとして。

 どうして僕が、と言うよりも先に、白雪の方から理由を話してくれた。


「消去法よ。私がやるんだったら相手の王子様役は少なくとも知ってる男子がいいし、そうなればあなたか三枝のどちらかでしょう?」

「いやそうだけど······」

「脚本は適当に書いとくわ。どうせ暇だし。他の配役も別にどうでもいい。······いえ、面白そうだから三枝には女王の役でもやってもらおうかしら」

「せめて狩人にしてやれよ。あれが女王だなんて、それこそ地獄絵図になりかねない」


 消去法と言うのであれば納得だが、なんだかスッキリしない。逆に僕以外の誰かが王子様役を演じるのも想像してみたが、妙に胸がもやもやする。そのもやもやの正体を探ることもせず、クラス委員に目配せすると、彼は気を取り直したようにまた仕切り始めた。


「よし、じゃあ白雪姫役は白雪さん、王子様役は夏目、女王役は三枝に決まりで。あとの配役を決めていこう」

「俺は結局女王役かよ!」


 三枝の悲痛なツッコミがクラスメイト達の笑いを誘う。そして流れで老婆の役も三枝がやることになってしまった。なんか可哀想だし、殴るのはやめておいてやろう。






 放課後になると、教室はいつもより騒ついていた。先程のLHRで文化祭の出し物が決まったからだろうか。クラスメイト達はみなそのことについて話し合っている。特に衣装や道具の用意をする生徒達は、予算などの打ち合わせもしているらしい。

 この度めでたく演者側に回ってしまった僕には最早関係のない話だ。なにもめでたくはないけど。


「ったく。なんで俺が女王と老婆の役なんだよ」

「不満なら白雪に言えよ。僕なんて彼女の相手役だぞ? 今から不安で仕方がない。原稿だってまだ終わってないってのに」


 男二人、タラタラと不満を口にしながら部室へと向かっていた。先程神楽坂先輩からラインが来て、文化祭の打ち合わせで部活に出るのが遅れると伝えられているので、三枝の不機嫌はそれもあるかもしれない。

 第三校舎の部室へと辿り着き扉を開くと、そこには白雪が既に来ていて、ルーズリーフになにやら書き込んでいた。


「王子様と老婆のご到着ね」

「役名で呼ぶのはやめてくれ」

「せめて女王の方で呼んで欲しいな」


 僕と三枝がそれぞれ定位置の椅子に腰掛ける。白雪も、いつからかそこが定位置になっていたのか、僕の隣に座っている。隣と言っても、それなりに離れてはいるのだが。

 白雪がなにを書いてるのか気になって少し近づき覗き込んでみると、ルーズリーフにはかなりの量の文字が書き込まれていた。少し読んでみて、白雪姫の脚本なのだと気づく。


「早いな。もうそんなに書いてるのか」

「今日中に完成させて明日にはみんなに配りたいのよ。私はぽっと出の王子様と違って、覚えるセリフの量も多いから」

「白雪さん、それならパソコン使うか?」


 三枝が自分の席の前に置かれたパソコンを白雪の方に向けるが、白雪は首を横に振った。まあ、ここまで書いてしまっているのだし、今更パソコンで書くと言うのも面倒なだけだろう。

 キリのいいところまで書けたのか、白雪はペンを置いてぐっと伸びをした。その時不意に、彼女の胸のあたりを見てしまって、直ぐに目を逸らす。距離もそれなりに近いこともあって、頬に熱が集まるのを自覚できた。

 無いわけではなさそうだけど、体を伸ばさないと分からない辺り、殆ど無と言っても過言ではないだろう。あっても微くらいか。神楽坂先輩とはひとつしか歳が変わらないのに、この格差はなんなんだろうか。なんの話かは言わないけれど。


「さて、と。ちょっと話があるから聞きなさい」


 いきなり真面目くさった顔で白雪がそう切り出すから、僕も三枝も思わず身構えてしまう。神楽坂先輩がいない今と言うことは、つまり先輩には聞かせられない話とも捉えられる。そんな話は二つだけ。僕のことか、三枝のことか。


「三枝、あなた本当に紅葉さんのことが好きなのね?」

「なんだよいきなり」


 どうやら後者らしい。僕のことについてなにか聞かれなかったことに対する安堵と、改まって三枝にそんな事を聞く疑問が同時に沸き起こる。


「いいから答えなさい」

「······好きだよ。あの人以外に考えられないくらいにな」


 堂々とそう言ってのける三枝は、同性の僕からしてもカッコよく見える。いや、同性だからこそそう見えるのかもしれない。

 僕は珍しく親友に尊敬の念を込めた眼差しを送っていたのだが、白雪は三枝の男らしさを理解出来ないのか、変わらぬ無表情で告げる。


「わかったわ。なら、文化祭の二日目に告白しなさい」

「はあ⁉︎ 無理無理無理!」


 白雪の唐突な命令に、三枝は首をブンブン横に振って拒絶する。まあ、そう言う反応になるだろう。僕だって罰ゲームを言い渡された時はそんな反応をしたかった。

 必死に嫌だと言い張る三枝だが、白雪姫はそんな情けない言葉を受け付けない。


「情けないわね。男なら当たって砕けるくらいしなさい。大丈夫、骨は拾ってあげるわ」

「玉砕する前提で話を進めてやるなよ。ガラスみたいな親友の心をバキバキに割らないでやってくれ」

「心はガラスとか、体を剣で出来ているようにしてから言いなさい。兎も角、これは決定事項よ」


 相変わらず白雪はなんのネタを引用しているのかのか分からないが、どうも彼女の中では三枝の告白は決定事項らしい。

 まあ、僕や白雪からすればその告白は成功確定と分かっているのだが、三枝にそれを知る由はない。


「取り敢えず、私と夏目は図書室行ってるから。二人きりの間にちょっとでも成功確率上げときなさい」

「僕も行くのかよ」

「文句でも?」

「いや」


 死んだように長机に突っ伏している三枝から返事はなく、僕と白雪は部室を出た。なんだか最近、白雪と二人で部室から出るのが多い気がする。大体自販機に言ってるのだが、今日はその隣の図書室。


「随分と性急じゃないか?」

「そうかしら」


 いきなり三枝に告白しろと命じたその真意を尋ねるつもりで声をかけてたのだが、白雪本人はそうは思っていないらしい。色のない表情で前を見つめたまま歩いている。


「ああ言うのは、告げられるうちに告げた方がいいと思っただけよ」


 表情と同じく、その声は抑揚のない、ともればなんの感情も籠もっていなさそうなもので。だからこそ違和感を覚える。

 白雪桜は無表情がデフォルトとは言え、感情表現に乏しいわけではない。どちらかと言えば豊かな方だ。好物のカフェオレを飲んでる時や僕を詰る時は笑みを浮かべるし、腹立たしいことがあればその怒りを隠そうともせず相手にぶつける。小梅ちゃんの前では焦ったような姿も見せていた。

 そんな彼女だからこそ感じてしまう違和感。


「ねえ夏目」


 それが僕の勘違いであるみたいに、白雪の声音はいつものものに戻っていた。決してなんの感情も孕んでいないわけではなく、だからと言って特別弾んでいるわけでもない声。

 いや、常のものと比べれば、どこか穏やかにも聞こえるか。昨日保健室で聞いたものと似通ってる気がする。


「あなたは、誰かを好きになったことがある?」


 そんな声でそんなことを聞かれてしまったのだから、つい面食らってしまった。そして自然と思い返される、昨日の別れ際の笑み。

 知りたいと言ったのは僕の方からだったのに、なんだか最近は僕ばかりが白雪に自分のことを話しているのは気のせいだろうか。


「さて、どうだろうね。君の方こそどうなんだ?」


 そんな質問は予想していなかったので答えに窮してしまったが、なんとか平常通りの返答が出来ただろうか。

 白雪は少し困ったように眉根を寄せる。流石にこの質問は踏み込み過ぎただろうか。だがそんな心配も杞憂だったようで。彼女はまた、あの穏やかな笑みを見せて答えた。


「いたわよ。一人だけね」


 何故だろう。なんだかとても、胸がもやもやする。LHR中にもあった、これまで感じたことのない奇妙な感覚。

 昨日の別れ際に同じ笑顔を見た時は、こんなことは無かったというのに。


「意外だな。白雪姫でも恋をするのか」

「私だって年頃の女子だもの。まあ、中学生の頃の話だけど」


 三年も前のことよ、と白雪は笑って言う。

 意外だと言うのは本心でもあった。小梅ちゃんや僕にも分かるくらい、他人から距離を取ろうとする彼女が、誰かに好意を寄せたことがあったなんて。もしくは、その時はまだ今みたいな性格ではなかったのだろうか。

 三年前と言えば、僕は野球のことしか頭になくて、誰かを好きになるなんて考えもしなかった頃だ。白雪が僕を知ったのも、大体それくらいか。それについて詳しいことは聞いていないから分からないけれど。


「そもそもあなたは、そう言うのとは縁遠そうだものね。そんなんじゃ一生彼女もできずに孤独死かしら」

「あり得そうで怖いからやめてくれ」


 正しくその通りなのでつい笑みが漏れてしまうが、どうしてか、胸のもやもやは晴れないままだった。

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