第19話

「勝負がどうとか言ってる場合じゃなくなってきたわね······」


 文芸部の部室で神妙な顔をした白雪が、重苦しく言葉を吐いた。箸でつまんでいるのが可愛らしいタコさんウィンナーでなければ、もっと雰囲気も出ていたことだろう。意外と弁当の中身が可愛くて、本人とのギャップに笑ってしまいそうになったのは秘密だ。


「僕としては元から二人を応援するつもりだったからいいんだけど、まさか神楽坂先輩の方からも三枝に好意を抱いてるなんてね」


 その片鱗を全く見なかった、というわけでもないが。少し意外である。

 てっきり、先日の自販機前での会話の時は、そう言う免疫がないからこそのあの反応だと思ってたんだけど。


「私、あいつのこと全然知らないんだけど、どっかいいとこあるの?」

「だからこそ神楽坂先輩も好意を持ったんだろう」

「明確にどことは言わないのね」

「あいつはいい奴だからね。褒めるべき点が多すぎて絞りきれないだけだ」


 三枝はいい奴。それは、中学時代から一貫した、周りから彼への評価だった。僕の親友は僕以外にも友人が多いし、その誰とも平等に接する。それこそ、男女分け隔てなく。彼が特別扱いしている友人なんて、自惚れでなければ僕くらいじゃないだろうか。少なくとも、僕以外の人間に親友だなんて言っているのは見たことがない。

 時に馬鹿なことを一緒にして、時に相談に乗り、相談に乗ってもらい、彼はそうやって周りからの信用と信頼を得ている。

 人に寄り添えるというのは、その人の美徳であり、誰にでも出来ることではない。だが僕の親友はそれが出来る。

 本人には決して言えないが、夏目智樹にとって三枝秋斗は、いなくてはならない存在となっているのだ。

 とまあ、あの軽薄な親友を褒めてみたはいいものの、普段はそのイメージに違わぬ軽薄な男なので、誤解を受けることもしばしばあるが。


「まあ、夏目なんかの親友をやってるってだけで、いい奴なのは確定でしょうけど」

「おい、それだと僕が問題児みたいに聞こえるんだけど」

「そう言ってるのよ」


 箸を置いてキッと睨んでくる。最近白雪に睨まれる回数が増えて来てどうにも慣れてしまったが、なんだかんだで美人に睨まれたら怖い。殺意とか出てるんじゃなかろうか。


「その気になれば幾らでも良い成績を取れるのに、わざと私より下の順位を取るやつが問題児じゃないなら、一体なんなのかしらね」


 心底不機嫌そうに言う白雪の視線は、それぞれの弁当箱の隣に置かれた通知表に注がれている。

 今日は神楽坂先輩から衝撃の告白を聞いてから二週間が経過していた。そしてその昼休み、今朝担任から渡された通知表を持ってここまで白雪と二人やって来たのだが。


「納得いかないわ。私が夏目に二回も負けるなんて······」


 そう。実に呆気なく。僕はまたしても白雪の順位を追い越して定期考査学年1位の座を頂戴してしまったのだ。

 しかし今回、僕が特別やる気になって勉強したと言うわけではない。そりゃ復習をちょっとはしたけれど、躍起になっていたわけではないのだ。ならばなぜかと言うと。


「今回は君の凡ミスだろ。数学で途中式が抜けてたって、今時中学生でもそんなミスしないぜ?」

「煩いわね」


 僕と彼女の合計点数の差は僅か1点。白雪が数学の大問で途中式を書き忘れたことにより、僕は望んでもいない勝利を手にしてしまったのだ。


「こんなんだったら100点二つも取るんじゃなかった」

「このタイミングでの自慢は嫌味にしか聞こえないわよ」

「そう聞こえたのなら良かったよ」


 拗ねたように唇を尖らせる白雪を見ていると、くつくつと笑いが込み上げてくる。彼女でもそんな子供っぽい表情をするのかと、また新しい一面を知った。可愛らしくて大変結構。


「最初に言っておくわよ」

「なにを?」

「神楽坂先輩からのお願いを手伝え、とかなしだから」

「相変わらず勘の鋭いことで」

「言われなくても、それは協力するつもりだもの。それでは罰ゲームにならないでしょう?」

「仰る通りだ」


 さて、では何を命令したらいいものか。なんでも一つ言うことを聞くと言うことは、それ即ち健全な男子高校生ならばちょっと変な想像とかもしちゃうわけで。しかし相手があの白雪姫とあらば、そんなことをお願いした日にはその後に何をされるのか分かったもんじゃない。そもそも常識的に考えてそう言うのはダメだろうし。


「て言うかこれ、この場でなにかやったことにして終わりじゃダメなのか? 考えるのめんどくさくなって来たんだけど。君としても、僕から変な命令は下されたくないだろ?」

「ダメよ。紅葉さんの提案に乗った以上、まず今日の放課後にあの人の前で通知表を見せられて、あの人の前で分かる形で実行させられるに決まってるわ」

「それもそうか。まあ、適当に考えとくよ。常識的なものにするから安心してくれ」


 普段と上下関係が逆になるだけに、こういう時どのような事を命令すればいいのかイマイチ分からない。特に期限を設けられているわけでもないのだし、ゆっくり考えればいいか。

 て言うか、さっきからジト目で睨まれてるあたり、常識的なもの云々は信じられていないのだろうか。まずはそこのあたりを信用してもらうのが先かもしれない。








 二週間前のあの日。神楽坂先輩から衝撃的な告白を聞いた日のことだ。


「わたし、三枝君のことが好き、かもしれないの」

「はい?」


 まず僕が必要としたのは、荒れ狂う脳内の整理だった。一瞬幻聴かと疑ったが、頬を真っ赤に染め上げた先輩を見る限り、その可能性は限りなくゼロに近いだろう。ならば僕の聴覚が捉えた音はなにも聞き間違いと言うわけではなく、神楽坂先輩がしっかりと言葉にして伝えたものだ。


「あの、先輩。それ本気で言ってます?」


 コクリと俯きながらも無言で頷いた。よく見たら耳まで真っ赤になっていて、こう言う人を恋する乙女と言うのだろう、なんて思考もよぎる。

 なにはともあれ、良かったじゃないか三枝。君の想いは成就しそうだぜ。

 と、そこまで考えて待ったをかけた。

 神楽坂先輩は好きかもしれない、と言ったのだ。それはつまり、自分の感情の正体がイマイチ分かっていないという事か?


「先輩。好きかも、っていうのは?」


 僕の質問に一瞬だけ逡巡するような気配を見せたものの、先輩は直ぐに笑顔を取り戻して口を開く。


「その、わたしね、誰かを好きになったこととかなくてさ。今まで、恋愛って言うのはよく分からなくて、自分には縁のない話だと思ってたんだ」


 共感できる話ではある。僕自身がそうであるし、実際先月までは僕だって恋愛と自分は縁のないものだと思っていたのだから。それがたった一回ババ抜きに負けただけで、一気に近くなってしまったのだけど。

 では果たして、神楽坂先輩における僕にとってのババ抜き。つまる所原因はなんだったのかと言えば、それは三枝と僕の入部だったのだろう。


「だけどね、最近、気がついたら三枝君のことを目で追ってたり、家にいても彼のことばっかり考えてたり、一緒にいると、なんだかとても楽しくて、胸の奥がポワポワするの」

「それもう絶対好きなやつじゃないですか」


 かもしれない、なんてあやふやな表現を使用するまでもない。僕にはそんな経験はないが、日常生活の中に当たり前のように存在してしまう程に意識していると言うのは、つまりそう言うことだろう。


「やっぱり、そうなのかな?」

「間違いないと思いますけど」

「そっか、わたし、やっぱり三枝君のことが好き、なんだ······」


 そこまで呟いて、またポッと頬を赤くさせる。微笑ましい気分に浸りたいところだが、一応最終下校時刻のチャイムは鳴ってしまったのだから、出来るだけ早めに本題に入った方がいいだろう。


「それで、お願いって言うのは?」

「あ、うん。夏目君には、その、三枝君とのことでちょっと助けて欲しいって言うか」

「つまり、間を取り持って欲しいってことですか?」

「まあ、うん。そう言うことかな」


 恥ずかしそうにエヘヘ、と笑みを見せるが、僕としては今までやって来たこととなんら変わりはない。と言うか、この二人はあとひと押しさえあればすぐにくっ付きそうなものだが。

 けれど神楽坂先輩はこんな調子だし、三枝は三枝て意外と奥手と言うかヘタレだし。確かに、第三者の後押しが必要ではあるのだろう。


「分かりました。任せといて下さい。白雪にも相談してどうにかしてみせます」

「ありがとう、夏目君っ!」


 今度は今にも跳ねそうなくらい心底嬉しそうな笑みを浮かべる。喜びのあまり、僕の手を握ってブンブン振ってくる始末。笑顔のレパートリーが多い人だ。

 取り敢えず、白雪に話すのはテストが終わってからでいいか。もし仮にあの勝負に勝ってしまったとしたら、罰ゲームの命令は神楽坂先輩の件を手伝うこと、とかにしたらいいし。まあ、勝つつもりは毛頭ないんだけど。

 この時の僕は、まさか呆気なく勝ってしまった挙句にバッサリと提案を断られるとは思っていなかったわけだが。

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