第17話

 新年度初の大型連休、黄金の週と呼ばれるそれがついに過ぎ去ってしまった。夏休みや冬休みなんかと違い、始業式なんてものもないので、今日から普通に通常授業六時間。

 それと同時に、テスト一週間前にもなる。全ての委員会や部活動は停止され、生徒達は勉強に心血を注ぐ期間となるのだ。まあ、我が文芸部は顧問が融通を利かせてくれたお陰で、部室を勉強部屋として使っていいことになっているが。

 自販機に寄ってしっかりとカフェインを補充してから、教室へ向かう。すれ違うクラスメイト達と適当に挨拶を交わしながら教室に入った後、視線は自然とある場所へと向かっていた。しかしそこにいるはずの人物は見当たらず。人の少ない今のうちにと思ったのだが、思うようには行かないらしい。


「まだ来てない、か」

「邪魔よ」

「うおっ!」


 肩を落として落胆していると、背後から剣呑な声が聞こえて来た。振り返って見えたのは、黒一色の小さな頭。視線を降ろすと、こちらを見上げて睨んでいる白雪と目があった。


「邪魔だと言ったのが聞こえなかった? だったらよっぽど貧相な聴覚なのね。難聴系鈍感主人公とか私が一番嫌いなタイプだからさっさと手術を受けてきなさい」

「相変わらずなにを言ってるのか分からないが、貶されてるってのは理解できたよ」


 主人公云々と言ってるあたり、またどこぞのライトノベルやらアニメやらのネタなのだろう。そろそろ僕も、彼女のネタについていけるようになにかしらアニメを見てみようか。


「おはよう白雪。今日も今日とて、不機嫌そうでなによりだ」

「おはよう夏目。今日も今日とてやる気のなさそうな顔をしてるわね」

「君の生気を吸い取るような真似はしないから安心してくれ」


 なんだか、久しぶりに彼女の罵倒を聞いた気がする。ゴールデンウィーク中は色々あったせいで、白雪の態度も少し柔らかかったが、こうして元の学校生活に戻ってしまえば、どうやら白雪姫は復活するらしい。僕としては復活して欲しくなかったけれど。

 未だ人の少ない教室の中。特段広いわけでもないので、それぞれの席へ向かいながらも会話は出来る。


「夏目、昼休み時間あるかしら?」

「丁度僕からも用事があるんだ。部室でいいか?」

「告白ならお断りよ」

「自意識過剰なところ悪いけど、そんなんじゃないから安心してくれ」


 本当そんなんじゃないから。だから教室内にいるクラスメイト達はわざわざ反応しないでくれ。それがまた変な誤解を広げてしまうから。


「あら残念」

「誰も彼もが君に告白するために呼び出すと思ったら大間違いだ」


 まあ、罰ゲームのこともあるので一概にそうは言えないが。いずれ僕もそのために彼女を呼び出すのだろうかと思えば、なんだか悲しくなってくる。


「ならなんの用かしら」

「それは昼休みに話すよ。ほら、さっさといつもみたいに読書でもしてろ」


 しっしっと手を振ると、白雪は案外素直に僕から視線を外してくれて、そのまま読書へと移行する。

 相変わらずその姿は大変絵になるのだが、彼女の読んでる本がライトノベルだと知っているのは一体この教室内に何人いるのか。別にラノベを貶めている訳ではないが、いかんせん白雪姫には似合わなさすぎる。

 あまり不躾に見ていると、またなにを言われるか分かったもんじゃないので、白雪からは早々に視線を外す。未だ見惚れているクラスメイトの男子が何人かいるが、白雪はウンザリしていることだろう。

 一時間目の授業の準備でもしようかと思い、机の中を漁っていると、頭上から声が掛かった。


「よっす智樹」

「おはよう三枝」


 登校してきた親友が、自分の席にも向かわずに僕の席にやって来た。まずは荷物を置いてこいよ。君の席は教室のど真ん中であるここと違って一番前だろう。

 しかしそんな僕の心のうちなど露ほども知らず、三枝は僕の前の席にどっさりと腰を下ろす。そこの席の環さん、結構内気な子なんだからやめてやれよ。そう思っても言わない時点で僕も同罪か。


「さっき白雪さんとなんか話してたのか?」

「昼休みにちょっと顔貸せだと」

「ほほぉ?」

「なんだそのニヤケヅラは。こっちはなにか強請られそうで戦々恐々としてるってのに」

「いや、別になんもねぇよ。ちょっとこの前の話を思い出してただけだ」


 言いつつも、三枝のむかつくニヤケヅラは一向に収まらない。いい加減本当にムカついてきたので肩をグーで殴ったら、すまんすまんと言いながら自分の席に戻っていった。

 教室には徐々にクラスメイト達が集まり始め、皆がめいめいに連休中のことを話し合っている。やがて担任がやって来ると朝礼が始まり、テスト一週間前のことを始めとした連絡事項を告げた。

 テスト。つまりは今年度初の中間考査。今回も僕は、2位か3位あたりに収まることだろう。





 昼休みがやって来た。今まで受けた四時間の授業は、どれもテストに向けたものとなっていて、僕としては正直暇を持て余していた。これまでの授業をしっかり聞いていれば、一々こんなことをしなくてもいいと言うのに。直前の復習程度で点数は十分に稼げる。

 さて、テストのことはどうでもいい。どうせ今更授業でなにを聞こうが、昼休み中に復習しようが、90点以上は安定して取れるのだから。教科によってはそれ以上も取れるが。

 問題は、この後のことだ。僕から白雪への用事なんて一つしかない。しかし、白雪から僕にどのような用事があるのか。わざわざ昼休みの時間を割いてまでと言うことは、それなりの案件の筈だ。可能性としては、バザーの時のストーカーについて、とか。

 考えていても埒があかないので、取り敢えず部室の鍵を取りに職員室へ。しかしいつも部室の鍵が掛けてある一角に、その姿は見当たらなかった。

 白雪が持って行ったのだろうか。あの白雪が? 随分と失礼な思考だとは思うが、彼女がわざわざここまで取りに来るとは思えない。

 だがまあ、ここにないと言うことは白雪が先に職員室に立ち寄ったか、神楽坂先輩が部室にいるかのどちらかだろう。


 職員室を出て第三校舎へと向かう。辿り着いた部室は明かりが点いていて、中に誰かいることを示していた。扉を開くと、やはりそこには白雪がいた。

 彼女はパイプ椅子の一つに腰掛け、静かに活字を追っている。耳にかけた長い髪が落ちるのも気にせず、白魚のような指でページを捲る。

 一体彼女は、その文面からなにを読み取り、どう思っているのだろうか。それすらも知りたいと思うのは、数週間前に無かった感情だ。


「遅いわよ。あなた本当に二足歩行で歩いて来たの? だとしたらあなたに二足歩行は合わないわ。今日からは四足歩行で生きていきなさい」

「四足歩行の人間とはまた新しいな。けど、周囲の目が痛そうだからやめておくよ」


 文庫本から視線を上げることもなく、こちらを詰ってくる白雪。それに対して肩を竦めて返し、彼女の対面に座った。


「で、僕になんの用なんだ?」

「これ」


 読書の手を止めた白雪が長机の上に置いたのは、A4サイズのプリント。この前、神楽坂先輩から渡されていた入部届けだ。そこには必要事項の全てが記入されており、後は提出するだけとなっている。

 思わず白雪の顔を見つめてしまった。彼女はどこか照れが混じったように、そっぽを向いてしまっている。


「入部、するのか?」

「それを見たら分かるでしょう。なに、不満なの?」

「いや、そうじゃないけど······」


 てっきり入部しないものだと思っていたから。

 小梅ちゃんが言っていた、白雪が意図的に人と距離を取っていると言う話を聞いたからこそ。僕自身もそれは薄々感じていたことではあったし、妹に心配されるほどだったと言うのに。一体どう言う心境の変化があったのだろうか。


「本は好きだし、紅葉さんもいるし、別に入らない理由なんてないのよ」


 そう言われれば確かにその通りではあるのかもしれないけれど。どうにも腑に落ちない。それ以外にもなにか、理由があるような。けれど結局それは白雪の理由であり、そこに僕の理解なんて求めていないのだろう。

 どうしてなのかは気になるし、知りたいけれど。それを伝えれば、彼女は教えてくれるのだろうか。


「さて、夏目智樹」


 突然畏まったようにフルネームで呼ばれて、思わず身構えてしまう。けれど白雪はそんな僕を嘲笑うかのように勝気な笑みを浮かべていて。


「あなたは、私のことを知りたいかしら?」


 挑むようにして尋ねてきた。

 一瞬呆気にとられた僕だけど、答える言葉は決まっている。もう、決めている。


「ああ、是非とも知りたいさ」


 まずは彼女と向き合うこと。勝手な想像と妄想と幻想と理想だけを一人歩きさせず、白雪桜という少女を見ること。そこがスタートラインだ。

 僕の言葉を聞いて、白雪は本当に一瞬の間だけ安堵にも似た表情を浮かべた。けれど直ぐにその顔に笑みを戻す。

 彼女の笑顔が綺麗だなんて、これまで何度思ってきたことだろう。有り触れた陳腐な言葉の羅列になってしまうけど。それでもやっぱり、彼女の笑顔はとても魅力的で。僕はいつも、それに圧倒されてしまう。


「そう。ならこれから宜しく。知的好奇心のあまり、ストーカーになり下がらないよう気をつけなさい」

「安心してくれ。僕はそこまで人間のクズじゃない」


 自然と僕も笑みが溢れてしまう。彼女と二人でいるのに、流れる雰囲気は珍しくも穏やかなもので。こんな時間も悪くない、なんて思ってしまう自分がいた。

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