第7話

 僕の家から記念公園までは、それなりに距離がある。これはなにも僕に限った話ではなく、同じ中学に通っていた三枝も同じだろうし、中学の校区は違えど同じ市に住んでいる神楽坂先輩にしても言えることだ。車で片道15分ほど。

 しかし高校からなら車で5分ほど南に走らせた位置にあるので、大きな遠回りをさせてしまったと言わざるを得ない。高校から僕の家まで20分ほど。そしてそこから記念公園まで折り返すのに更に15分。到着して車を降りる際、中岸さんには改めて謝罪したが、ダンディに燕尾服を着こなすドライバーは笑顔で受け流してくれた。

 そんな中岸さんにも手伝ってもらい、漸くバザー会場での設営が完了。白雪が手伝ってくれたのも大きかっただろう。またお礼にカフェオレでも奢ってやろう。


「バザーと言うよりは、一種のお祭りね······」


 会場を一瞥した白雪が呟いた。そう思うのも無理はない。今日のバザーは自治団体から近くの会社、蘆屋高校以外の学校からも出品しているところは多く、中には屋台を出しているところまである始末。

 更にはこのバザーに合わせているのか、球場や陸上競技場では毎年のように、他県からチームを呼んで交流試合をしているのだ。お陰で他県からやって来た高校生やら近所の住人やらで、多くの人で溢れかえる。

 僕も一年の頃は三枝に誘われてここに来たけれど、あまりの人の多さと、直ぐそこで野球の試合をしていると言う事実に、30分もしないうちに帰宅してしまった。


「白雪さんのお気に召したかな?」

「人混みはあまり得意じゃないんだけど、祭りのようなこの雰囲気は嫌いじゃないわ」

「そいつは良かった」


 ブルーシートの上に並べられた商品を確認しながら、三枝がケラケラと笑う。答えた白雪の目も、すこし輝いている気がする。彼女の白い肌も、設営のためにすこし動いたからか、上気して赤みがさし、常よりも健康的にすら見えてしまう。

 スマホで現在時刻を確認すると、もうあと少しで11時になるところだった。どうやら、僕のせいでかなりギリギリだったらしい。


「それじゃあ、最初はわたしと三枝君で店番しておくね。夏目君と桜ちゃんはバザー見てきていいよ」

「いや別に白雪とじゃなくても」

「いいから! ねっ!」

「······分かりました」


 神楽坂先輩に押し切られる形で、そんな感じに決まってしまった。まあ、僕としても三枝と先輩を二人にさせたかったし、別にいいんだけど。いや、中岸さんが後ろに控えてるから二人きりではないのか。


「そう言うことだから、悪いが少し付き合ってもらうぜ」

「誠に遺憾ではあるけど、紅葉さんに言われては仕方ないわね」


 車内で名前呼びをするまで仲良くなったのか。流石は神楽坂先輩。距離の詰め方が尋常じゃない。

 二人で設営場所から離れると、間も無くバザー開始のアナウンスが鳴った。参加者達が拍手を上げ、僕と白雪はそれに倣うこともなく会場を歩く。逸れてはいけないので、あまり距離を開かず、かと言って近づきすぎず。


「どこか見てみたい場所とかあるか?」

「本を出品してるのはうちだけ?」

「いや、探せば他にもあると思う」

「なら探してみましょう」


 この本の虫さんめ。まあ、白雪が読書好きであるのは知っているし、僕にも異論はない。このバザーには参加団体や出品内容を記したパンフレットがあったはずだが、残念なことに僕は持ち歩いていない。中岸さんは持っていたはずだから、借りてこれば良かったか。

 しかし、こう言った場においてはなんの目的もなく、目に付いたものを購入する、と言うのも楽しみ方の一つではあるだろう。意外な掘り出し物が見つかったりするかもしれない。

 そして隣を歩く少女は、早速掘り出し物でも見つけたらしい。


「待ちなさい」

「ぐほっ」


 制服の襟首を掴まれて無理矢理足を止められた。お陰で変な声が出てしまったしゴホゴホと噎せて咳は止まらない。

 白雪の足を止めたのは果たしてどのような本かと思い、彼女の視線の先を追うが。そもそもそれは、本ではなかった。


「フィギュア?」


 そう。フィギュアである。具体的に言うと、美少女フィギュアと言われる類。何かのアニメのキャラだろうか。そのキャラは浴衣を着ているものの胸元は大きくはだけており、頬の赤みすら再現したその表情は、ただの人形とは思えないほどのリアリティを醸し出していた。

 よく見ると僕にも見覚えのあるキャラクターだった。このキャラが出てきたアニメも、なにかの拍子に見たことがある。


「まさか、まさかこんな所に幻の限定版フィギュアが売っているなんて······!」


 感きわまる、とはこのことを言うのだろうか。いっそ涙を流しそうなほどに、白雪は感動していた。僕にはそのフィギュアの価値は分からないが、きっと彼女にとっては値千金の代物に見えているのだろう。


「そんなに凄いものなのか?」

「凄いなんてもんじゃないわ!」


 グッとこちらに顔を寄せてきて、白雪は熱弁を振るう。


「このフィギュアは販売後一瞬で予約が終了し、正式販売も通販のみ。それもすぐに売り切れ。どちらも一分足らずで、よ。しかも再販はなく、ファンはマナーがいいから転売なんてあるはずもない。実質たったの数分しか販売されていなかった、文字通り幻のフィギュア!しかもここにあるのは未開封品よ!」

「そ、そうか。君の熱意は十分伝わったから、取り敢えず離れようぜ?」

「そうね、少し取り乱してしまったわ······」


 取り乱したどころの騒ぎではなかった気がするが。と言うより、僕は正直それどころじゃなかったりする。白雪の美しすぎるその顔が、目の前にあったのだ。あとほんの数ミリ近づけば、唇が触れてしまいそうな距離に。

 心臓はさっきから喧しく鳴り続けているし、頬が熱を持っているのも自覚している。幸いなのは、おかしなテンションになっている白雪にそれを悟られていないことか。

 背を向けてなんとか心臓を落ち着かせ、未だフィギュアを食い入るように見ている白雪に向き直る。


「それで、買うのか?」

「そうしたいんだけど、値段がね······」

「なんだ、足りないのか」

「ええ······」


 悔しげにフィギュアを見つめている。

 諦めろと言うのは簡単だ。けれど、そんな表情を見せられてしまえば、僕の調子も多少は狂うと言うもので。


「幾らだ」

「え?」

「だから、幾ら足りないんだって聞いてるんだよ」

「3000円だけど」

「それって君が今財布に入れてある全財産を合わせて足りない金額か?」

「ええ、そうね」

「5000円貸してやる」

「······どう言う風の吹き回しかしら?」

「別に。ただ、目の前で可愛い女の子がそんな表情を浮かべてるんだ。それをどうにかしたいと思うのが、男ってもんだろ? 取り敢えずはそう言う理由にしといてくれ」


 財布の中から取り出した5000円札を差し出すも、白雪はそれを受け取ろうとはしない。普段遠慮せず人に罵詈雑言を浴びせるやつが、何をこんな時に遠慮しているんだか。


「早く受け取らないと、僕がこのフィギュア買い取っちまうぜ?」

「それは······」

「なら素直に受け取れよ」


 無言ながらも漸く受け取ってくれた白雪は、自分の財布に入っていた10000円札と合わせて会計をする。

 箱を袋に入れてもらいそれを受け取った後、中身を見て、微かな笑みをこぼした。

 その小さな微笑みがどうしてかとても魅力的に見えてしまって。あぁ、普段僕を詰る時に浮かべるものより、相当魅力的だ。変に飾らずに言うなら。

 僕はその笑顔に、見惚れてしまったのだろう。


「夏目? どうかした?」

「いや、なんでもない。用が済んだなら行こうぜ。特に目的もないけど」


 言って、足を進めようとしたが、制服の裾をクイっと引っ張られる感触があった。振り返れば白雪の細い指が僕の制服を摘んでいて。


「その、ありがと······」


 か細い声で、そう口にした。

 ともすれば聞き逃しそうな。周りの喧騒に掻き消されそうなほどに、小さな声。けれどどうしてか、それは僕の耳にスルリと入って来て。


「ほら、さっさと行きましょう。あまりゆっくりしていても紅葉さんたちに失礼だし」

「あ、ああ。そうだな」


 ちょっとまずいな。神楽坂先輩に言われた罰ゲーム、ほんの少しだけやる気が出てきそうかもしれない。

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