第5話
担任教師の連絡事項が終わり、日直が号令をかける。これで連休前最後の終礼、並びに通常授業が終了した。それと同時、クラスメイト達は弾かれたように会話を始め出す。ここ最近、毎日のように交わされる会話と同じようなもの。即ちゴールデンウィークの予定についてだ。
特に部活動の参加を義務付けられているわけでもない我が校では、帰宅部も珍しくないし、文化部であれば、休日の活動もそこまで活発に行なっているわけでもない。実際、僕の所属する文芸部の連休中の活動は、たった一日のみだ。
さて、連休とは言え、明日から三連休の後には二日だけ登校しなければならない日がある。僕にとってはそれが憂鬱で仕方ない。いっそのこと九連休でいいじゃないか、と思わずにいられない。
「智樹、部室行こうぜ」
「ああ」
三枝に声を掛けられて、カバンを肩にかける。普段置き勉してるので、カバンの中は殆どすっからかんだ。最低限の宿題に必要なものと、部室で使う小説のネタノート、のようなものだけ。
三枝に続いて教室を後にすると、それを遮るように小さな影が僕の前に躍り出た。
「お久しぶりです、夏目先輩」
「小泉······」
視線を下げると、キッとこちらを睨め付ける大きな瞳とぶつかる。ショートカットの髪は短いのにも関わらずポニーテールで括られ、履いている青色の上履きは、先代三年生から受け継がれた、現一年生のもの。
彼女の正体は同じ中学出身の後輩。名を
「久しぶりだな。僕が野球部を辞めて以来だから、もう二年くらいになるか?」
「そうですね。あなたが野球部から逃げて以来です」
チクリと、胸の奥に小さな棘が刺さった。
僕の隣では三枝がどうしようかとばかりに苦笑いを浮かべている。そんな暇があるのなら、助け舟を出してもらいたい。君は事情を知っているだろうに。
この後輩をどう対処しようかと悩んでいると、小泉の後ろから坊主頭の一年生がこちらに駆け寄ってきた。そちらにも、僕は見覚えがある。
「おい綾子、先に行くなって」
「修二が遅いんでしょ」
「樋山もいるのか······」
三枝と同じくらい背の高い一年の男子生徒。
「お久しぶりです。智樹さん、三枝先輩」
「久しぶりだな樋山。また背伸びたんじゃねぇの?」
三枝が樋山にウザ絡みしにいくが、絡まれている側の樋山は嫌な顔一つせず笑顔で応答している。目の前の後輩やどこぞのお姫様にも見習って貰いたいものだ。
ザッとあたりを見回してみる。特に注目を集めているわけでもないが、ここは教室の目の前。扉を通るクラスメイト達が訝しげに僕たち四人を眺めて帰っている。
「三枝、君は先に部室に行ってくれ」
「りょーかい」
ヒラヒラと手を振って去っていく親友を見送り、改めて後輩二人に向き直る。小泉は未だにこちらを睨んでいて、樋山がそれを呆れたように見ている。確か、この二人は幼馴染だったか。過去にも樋山は、何度も小泉に振り回されたことがあるのだろう。実際、中学の時もそんな姿を何度か目撃している。
「さて、場所を変えようか」
「逃げないんですね」
「どうだろうね。もしかしたら君たちの目を盗んで全力で走ってどこかへ逃げるかもしれないぜ?」
「文芸部に、ですか?」
それに言葉は返さず肩を竦めてみせて、二人を伴って歩き出した。なんにせよ、いつまでもあんな場所にいては邪魔になってしまうし、あまり他人に聞かせたい話でもない。
第一校舎から第二校舎に移動し、図書室の前を通り抜けて自販機へと辿り着く。
目の前には駐輪場があるものの、下校する生徒は少ない。部活があったり、帰宅部ではなくとも教室で友人と喋っていたり、そう言った生徒が殆どなのだろう。
自販機でブラックコーヒーとスポーツドリンク二本を購入し、スポーツドリンクを後輩二人に差し出した。
「ありがとうございます」
「すいません、ありがたくいただきます」
「それで、僕に何の用だ? 君たちとはもう、なんの関わりもないはずだけど」
プルタブを開き、コーヒーを喉に流し込む。二人は買ってやったスポーツドリンクを今飲むつもりはないのか、ペットボトルの蓋を開こうとはしない。
「夏目先輩。野球部に戻って来てください」
予想通りすぎるその言葉に、思わずため息が漏れてしまう。それが小泉にとって不愉快だったのか、彼女はグッと眉根を寄せた。
「一つ、君の勘違いを正しておく。僕は高校に入ってから野球部とは全く接触していない。だから、戻ると言う表現は間違ってる」
「私にとっては些細なことです」
「そうか。どちらにしても答えはノーだよ。僕は野球を辞めた」
「それは、ご両親が亡くなったからですか?」
今度は僕が眉間に皺を寄せる番だった。この後輩女子がそこまで踏み込んで来るとは思っていなかった、僕の誤算ではあるけど。それでも、やっぱりあまりしたい話ではない。
無意識のうちに小泉を睨んでしまっていたのか、間に樋山が入ってくれる。
「綾子、言い過ぎだ。すいません智樹さん。あの時の事故のことは、あんまり話したくないですよね」
「いや、いいよ。気にしてないから」
「本当に気にしてないなら、どうして辞めたんですか!」
叫び声が、鳴り響いた。
先ほどよりも一層、その顔に感情を滲ませ、小泉はまるで親の仇のように僕を睨んだ。その剣幕に圧されて、樋山もたじろいでしまっている。
たまたま近くを通りかかった女子生徒達が何事かと遠巻きに見て来るが、別に修羅場とかそんなのではないので誤解しないでいただきたい。
ヒートアップしてしまっている小泉だが、一方の僕は冷静そのものだ。あくまでも、表面上は、だが。
「樋山、そろそろ部活の時間じゃないか?」
「え、そうっすね······」
「ならさっさと汗水流して青春して来い。僕も暇なわけじゃないんでね」
缶に残っている液体を一気に煽り、それをゴミ箱へと投げ捨てる。放物線を描いたスチール缶は、しかし理想通りにゴミ箱へ入るわけではなく、その縁にぶつかって無残にも弾かれた。
「······明後日の29日。記念球場で試合があります。スタメンじゃないけど、修二も出る予定です」
「僕には関係ない話だな」
それに返す言葉はなく、二人はグラウンドへと向かっていった。
アスファルトの地面に転がるスチール缶を拾い上げる。こんなゴミを投げること程度ならできるのに、あれだけ情熱を込めた白球を投げることができないなんて。あの後輩二人が知ったらどう思うだろうか。
「冷たい先輩ね」
ゴミ箱にしっかりと缶を捨てていると、頭上に冷たい声が掛かった。ここは図書室のすぐ近くで、ここに彼女がいてもなんらおかしくはない。それは先日学んだことだったはずなのに、どうやら懐かしい顔を見て、それが頭から抜け落ちていたようだ。
「盗み聞きか? あまり趣味がいいとは言えないぜ」
「糖分を補給しようと思ったら勝手に聞こえて来たのよ」
現れた白雪桜は、相変わらずの冷めた表情をしている。彼女が盗み聞きするような性格ではないと知っているが、どうにも僕の心は自分でも思っている以上にささくれだっているらしい。
それを落ち着かせるためにも、コーヒーをもう一つ購入。ついでに、彼女がいつも飲んでいるカフェオレも。
「ほら」
「どういう風の吹き回しかしら?」
「口止め料だよ。どこから聞いてたのかは知らないけど、あまり周りに聞かれたい話でもないからね」
彼女の中でなにかしらの納得があったのか、差し出したカフェオレを何も言わずに受け取る。
二人してプルタブを開き、コーヒーを口の中へと流し込む。カフェインが全身に行き渡っているこの感じ。心が落ち着いていくのが実感出来てしまう。
「小説、順調に書けているの?」
なんの脈絡もなくそんなことを聞かれて、思わず彼女の方を向いてしまった。いや、彼女には僕の書いた小説を読みたいと言われているし、脈絡がないわけではないのだけれど。
「さっき聞いてた話は気にならないのか?」
「私は小説の進捗状況について聞いているの。オススメの耳鼻科でも紹介して上げましょうか?」
「お生憎様、既にいい医者を知ってるんだ」
まあ、あの人は耳鼻科の先生ではないんだけど。
「聞いて欲しくないと言ったのは、あなた自身でしょう」
なんだろう。今日の白雪は何故か、いつもより比較的優しい気がする。今の会話の中で彼女お得意の毒舌を挟む余地はいくらでもあったのに。それが無いということは、彼女なりに気を遣ってくれているのだろうか。
「それとも、自分の発言すらも忘れてしまったの? その頭はクルミかなにか? もしくは年若くして痴呆症かしら」
「自慢の硬さで頭突きしてやろうか。そのまま君も道連れで痴呆症にしてやる」
前言撤回。白雪姫は今日も今日とて、毒を好んでいらっしゃる。優しさとか気遣いとか、そんなのとは程遠い。
「それより白雪」
「なに?」
「君、本当にストーカー被害に遭ってないんだろうな?」
「またその話?」
はあ、と溜息を零す様ですら美しく見える。そんな美少女なのだから、ストーカーがいてもなんらおかしくはない。
先日ここでその話をしてから、彼女が心配で仕方なかった。もしかしたら帰り道に襲われてるかもしれない。知り合いがそんな目に遭う可能性があるのだ。僕でなくとも心配してしまう。
「気にするな、と言ったはずよ」
「否定しないってことは、被害には遭ってるんだろ?」
「なら言い方を変えるわ。私はストーカーされてる覚えも、ましてや誰かをストーカーした覚えもない。これでいいかしら?」
「私は、か······」
つまり、自分の知り合い、若しくは身内が被害に遭っているということか。勿論白雪が嘘をついてる可能性もある。いや、これも僕の考えすぎかもしれないが。寧ろそうであって欲しい。
「で、私の最初の質問には答えてくれないのかしら?」
「小説の進捗だっけ? 特に問題ないよ。順調に書き進められてる」
「締め切りはいつなのよ」
「明確に決められてるわけじゃないな。神楽坂先輩のコネで、印刷自体はいつでも出来るらしいから」
正直、白雪のことが心配で昨日もあまり進んでなかったのだが、そんなことを素直に言う必要もない。だがまあ、彼女自身が大丈夫だと言うのなら、その心配も杞憂に終わったと考えていいだろう。あくまでも、彼女の言葉を信じるなら、だが。
それを確かめるためにも、一応の策は打っておいた方がいいだろうか。
「ああ、そう言えば。君、明後日は暇か?」
「この私の休日の予定を確認するだなんて、随分と偉くなったものね。デートのお誘いならお断りよ」
「違う。君をデートに誘うくらいなら三枝と遊んだ方がまだマシだ」
「それはそれでムカつくわね。ぶつわよ」
「なんでだよ······」
あまりにも乱暴すぎる。美少女とデートとか、そりゃ僕にとっては羨ましいし憧れではあるけれど、白雪が相手だとそうも思わない。そう思うようにならなくては、罰ゲームを行えないのだけど。
「そうじゃなくてだな。明後日、文芸部でバザーに参加するんだ」
「あなた、野球部の試合に誘われていなかった?」
「記念公園ってあるだろ? 体育館とテニス場と陸上競技場、あとは球場が併設されてるとこの公園。あそこでやるんだよ」
幸か不幸か。明後日のバザーの会場は、野球部が試合をすると言う記念球場の真横だった。観に行くつもりは毛頭ないけど、逆に向こうが僕を目撃したら面倒だな、なんて思っていたりする。
「薄情な先輩なのね」
「観に行かないとは言ってないだろう」
「でも行かないつもりでしょう? 分かりやすいのよ、あなたは」
「······で、どうなんだ? もしその日空いてるんなら、うちの部の売り上げに貢献して欲しいんだが」
聞いたのち、白雪はカフェオレを一息に呷ってから缶をゴミ箱に捨てる。僕と違って投げたわけでもないので、スチール缶は当たり前のようにカランと音を立てて、ゴミ箱に落ちていった。
「ま、考えとくわ」
それだけ言って、別れの挨拶もなしに校舎の中へと戻って行く。今日も図書室で委員の仕事をしているのだろうか。何度か足を運んだことはあるが、彼女が仕事をしている姿なんて見たことがないので、下校時刻まで読書しているだけなのかもしれないが。
「野球、か」
半分以上残っている缶の中身を見つめながら、誰に聞かせるでもなく一人呟く。
もう二年以上はそのスポーツと関わっていない。関わる気もない。あの日、僕の全てが無に帰した日に、決別したから。それなのに家にはグローブやバットが残っているのは、きっと僕が弱いからで。
そんな思考を搔き消すために、スチール缶を傾ける。
飲み切った缶をゴミ箱に放り投げたけど、やっぱりストライクにはならなかった。
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