四十三

 翌日の夕方、テンホールディングスとその子会社、および代表取締役の山下龍彦、そして建築確認の検査機関であった株式会社が一斉に裁判所に破産申請をしたというニュースが流れた。同時に、山下龍彦は行方をくらませたとも報じられた。

 住人はマンションデベロッパーの責任者に放置されたことになる。

 マンションの前には、前日よりも多くのメディアがスクラムを組んで詰め掛けていた。

 管理会社はテンホールディングス系の会社だったため、親会社の倒産と同時に事業停止となり、管理も放棄された。

 緊急に近所の公民館の大部屋を借りて、マンション管理組合理事長が主催する話し合いが持たれ、全戸の住人が参加した。

 理事長は、元市役所勤務ですでに定年退職している田中という70代の男性が長く務めている。

「マンションの偽装は事実なんでしょうか?」話し合いの場で、最上階の住人の中年男性かがそんなことを田中に訊いた。

「詳しく検査してみるまでわかりませんが、この状況から見るに、偽装はあると推定するしかない」と田中は苦り切った表情で言った。

 住人のあいだで議論は紛糾したが、とりあえず現状はどういう判断を下すにしても情報不足がはなはだしく、断定的なことは何も言えない。今後の調査や情報収集については理事長に一任され、修繕積立金のなかから費用を出して、早急にマンションの耐震偽装があるかないかの検査を業者に依頼する必要があることは、出席者全会一致で合意を得た。


 さっそく業者が選定されて、二週間後の7月半ばには早くも非破壊検査の中間報告書が各戸に書面で配布された。

 結果は内部告発の通り、基礎の杭打ちは全く深さが足りておらず支持層に届いていない、コンクリの内部の鉄筋も、そもそも鉄筋の太さが基準を満たすものにはなっていないばかりか、排水パイプを通すためにコア抜きして穴を開けた際に複数個所が寸断されていて、耐震性能は国の基準を全く満たしていないというものだった。


 ”震度6の地震が発生した場合、倒壊のおそれがあります“


 美名は配布された資料に書いてあったその文字が、まるで死の宣告のような呪いの言葉のように感じた。

 この資料が配布されてから、修復しかかっていた唯介と真子の関係はまた険悪なものとなり、ついに過激な夫婦喧嘩が、美名の目の前で繰り広げられた。

「どうなるの、このマンション?」と真子が言った。

「どうしようもないよ。僕たちは騙されたんだ」唯介が答える。

「騙されたって、どうするのよ。まだローンが20年も残ってるのよ」

「だから、どうしようもないって」

「誰か、国か自治体が弁償してくれないの? こんなの理不尽よ」

「理事長の田中さんも、いちおう国か自治体に働き掛けるって言ってたけど、可能性はたぶんゼロだね」

「保険でどうにかならないの?」

「保険って言っても入ってるのは火災保険だけだし、これは詐欺事件だから保険ではどうにもならない」

「どうにかしてよ!」真子が怒鳴った。

「どうにもないないって言ってるだろ!」唯介も真子に負けないほどの大声で怒鳴る。

「ふざけないで、このマンションにしようって言ったの、あなたでしょう!」

「君だって反対しなかったじゃないか!」

「どうにかしなさいよ。あなた男でしょう」

「こんなことに男も女も関係あるか」

「男ならちゃんと家族に責任負いなさいよ。しっかりしてよ」

「都合のいいときだけそんなこと言いだして、不倫してる分際でよくもそんなこと言えたな」

「…………」

「まさか、気づかれてないとでも思ってたのか。相手は製薬会社のMRで、妻子持ちの歳下の男だろう。名前も知ってる。ムラカミヒロノリっていうやつだ」

「それがどうしたのよ。あなたに甲斐性がないから、不倫されるんでしょう!」

「うるさい。淫乱女が。だいたいお前が一回目の離婚をしたときも、理由は性格の不一致だとかなんとか言ってたけど、どうせお前が相手を裏切ったんだろう」

「そんなこと、あなたには関係ないわ。文句があるんなら、出て行きなさいよ。たとえ詐欺で騙されて買ったマンションでも、ローン払ってきたのはわたしのものなのよ」

「不倫に忙しくてろくに家に寄り付かなかったくせに、今度は家主気取りか」

「あなたが出て行かないなら、わたしが出て行くわよ。いらないわよ、こんな資産価値ゼロのマンションなんか。甲斐性なしのあなたにお似合いよ」

 それまでソファに座って唯介は立ち上がり、真子の前に詰め寄ると、腕を大きく振り上げた。真子の頬を叩く音が響いた。

「なにするのよ、DV男! 病院に行って診断書とってきて、慰謝料とってやる!」

 美名はあまりにも醜いその光景に耐えられず、玄関に走ってサンダルを履いて廊下に出た。

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