三十二

 午後3時くらいになって、朝から霊能者に依頼しに行った唯介がようやくマンションに帰ってきた。

「ごく普通の、木造の古い一軒家だったんだけど、なんかいろいろ凄かった」帰ってくるなり、そんな感想を真子と美名に告げた。

「どう、すごいの?」真子が訊いた。

「まあ、とりあえずこれ、見て」

 唯介は手に持っていた、小さい紙を真子に手渡した。まるで地方の観光案内書に置いてあるような、カラー印刷の三つ折りになっている冊子だった。

 開くと、縦書きの赤い文字で「照蓮久遠院しょうれんくおんいん」と書いてあり、幅一メートル、高さ二メートルほどはありそうな大きな岩に注連縄しめなわが掛かっている写真が載ってある。

 その隣のページは、「代表者 須磨義雲すまぎうんプロフィール」とあり、「一九七九年 県下の法華宗寺院に産まれる 幼少の頃より霊感が強く 三歳にして」うんぬんと書いてあった。まるで履歴書に貼るような写真も小さく印刷してあった。

 霊能力者や拝み屋という、非常にアナログな雰囲気のする職業にはあまりふさわしくないとも感じる、立派な宣伝用の配布物のようだった。メールアドレスやホームページのURLも掲載してある。

 美名の背後の扉が開いて、中から宏司が出てきた。物音で唯介が帰ってきたのを知り、やはり唯介が会いに行った霊能者のことが気になるらしく、部屋から出てきて、真子の手元にある紙を遠目で遠慮がちに見た。

「で、どうだったの?」真子が話の続きを促す。

「最初はさすがにちょっと胡散臭いと思ったんだけど、その霊能者の須磨さんが吉田さんを一目見るなり、昔お子さんを亡くしたことを見抜いてね」

「それって、聖羅ちゃんのこと?」美名が言った。

「そう。『もう娘さんのことは忘れて、奥さんとともに新しい生活に向かって歩み始めなさい。それが娘さんの望みですよ』と言ったら、吉田さん、その場で号泣し始めて……。あれは、たぶん本物だ。少なくとも、何かを見抜く強い力があるのは、間違いない」

 唯介も、もうその須磨という霊能力者の熱心な支持者になっているようだった。

 にわかに信じがたいが、唯介や吉田が嘘を吐く動機などないだろう。

「で、今回のことを詳しく話したら、とりあえず一度現場を見せてください、と言ってね。見ないと、いったい何が憑いてるのか、憑いていたとして祓えるのかどうか、わからないからって。最初の霊視だけは無料でやってくれて、その後に何か対処する必要があれば、別で料金をもらう、みたいなことを言ってた。でも、しばらく予定が詰まっているらしいから、具体的な日にちが決まったら連絡いただけるらしいけど、早くても一週間後になるって言ってた」

「一週間後……」真子がつぶやく。

 美名はもう昨晩のような怖い思いはしたくない。思い出すだけでも、頭から血の気が引いて倒れそうになる。

「ねえ、それじゃ一週間、どこかに別のところに泊まらない? ホテルか旅館か。そこから学校に通うから。昼間はともかく、夜は怖いよ」と美名は言った。

「でも、最近はこのへんでも観光客が増えて、たぶん一週間も家族が泊まれるような部屋はきっと取れないわよ」真子が答える。

「それじゃ、どうするの?」

「耐えるしかないわね。とにかく先が見えたんだから、その須磨さんという人を信じて、待つしかないわ」

 美名は不満だったが、受け入れるしかない。

「ねえ、ちょっといい」それまで黙っていた宏司が声を出した。

「どうした?」

「俺、ちょっと外出してきても、いい?」

 宏司のその発言に、美名は驚いた。ずっと部屋から一歩も出なかった兄が、まさか自分からそんなことを言うとは。

「いいけど……、どうしたんだ?」唯介が言った。

「いや、この前の棚が落ちてきて以来、部屋のなかにいると全然、生きた心地がしないんだよ。不安っていうか……。それに加えて、昨日の騒ぎだろ。とにかく、可能な限り家に居たくないんだ。俺も美名と同じで、このマンションが怖い」そういいながら、宏司は青い顔をしていた。

 唯介と真子が目を見合わせて、どういう意味かわからないが、互いにうなずき合った。

「それなら、別に好きにしていいけど、あんまり遅くなるようだったら、ちゃんと連絡してね」真子が言った。

「連絡って言っても、どうするんだよ。俺の携帯電話はもうだいぶ前に解約してしまってるし」

 二年間引きこもり、世間とはすっかり隔絶された生活をしていた宏司は、部屋にはインターネットに接続したパソコンがあるものの、外部から誰かと気軽につながれるツールは何も持っていない。

「じゃ、これ」そう言いながら、唯介がポケットから財布を取り出して、小銭をいくらか宏司に渡した。

「あ、ありがとう」

「最近、すっかり公衆電話はなくなったけど、公民館とか役所とか、公的な建物の近所には必ず設置してあるはずだから、何かあったらそこから電話して」

 唯介はさらに、財布から何枚か紙幣を取り出すと、押し付けるように宏司に渡した。

「外に出るんだったら、ついでに散髪でも行っておいで。無理にとは言わないけど」

 宏司の髪の毛は引きこもっている間に伸びに伸びて、逆に違和感がないほどのロングヘアーになっている。

 宏司が玄関の靴箱からほこりっぽいスニーカーを出すと、逃げるようにマンションから出て行った。

 太った身体を揺すって玄関から出ていく宏司を見送って、美名はなぜだか少し安心した気持ちになった。

「ねえ、この人すごいじゃない!」いきなり真子が言った。

「何が?」

「ほら、この須磨って霊能者、プロフィール書いてあるけど、お医者さんなんだって。しかも超エリート。博士号持ってるのに、霊能者やってるんだ」

 真子は少し興奮しながら、唯介が持って帰った霊能者の小冊子の一行を美名に示した。

 そこには、


 京都大学医学部卒 医学博士(放射線医学)

 大学病院勤務後に、家業を継ぐ


 と書いてあった。

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