三十
マンション3階住人の話し合いは、まだまとまっていない。どこかにお祓いを頼もうということは、鷺宮家もなんとか理解してくれたのだが、303号室の多田と連絡が取れくなっていた。
莉乃が持って来たレイガーカウンターによれば、303号室も何かしら汚染されているのは間違いないのだが、多田がどこにいるのかもわからないので、303号室でもほかと同じようなポルターガイスト現象が発生しているのか、知る術もない。
最近は家にいるのかどうかも怪しいくらいに生活音が絶えて、廊下でも姿を見ない。居留守を使っているのか、インターホンを押しても出てこない。
管理会社には303号室の鍵もあるのだろうが、まさかこんな理由で開けてもらうことはなどできないだろう。
そもそも多田がどんな人物なのか、誰も詳しくは知らない。どういう経緯でこのマンションで暮らすようになったのかもわからない。そもそも、3LDKの間取りは一人で暮らすにはかえって不便なはずだ。
マンション内のポルターガイスト現象は、収まらない。食器棚がカタカタと動いたり、夕方家に帰ると、物の配置が朝と変わっていたりと、ほぼ毎日何かしらの現象が起こっている。
ひょっとしたらそのうちにこの怪奇現象にも慣れて、やがては当たり前のように受け入れられるのではないか、などと最初は思っていたが、やはりいつ何があるかわからない部屋で暮らすのは、常に誰かに監視されているようで気味が悪かった。
土曜日の朝、美名は窓の外のベランダから聞こえる物音で目が醒めた。時間は午前7時になったところだった。となりの303号室から、軽くドンドンという音が聞こえてくる。
パジャマのまま、玄関を開けて外を覗いてみると、303号室の玄関ドアが開いていて、引っ越しの業者らしい緑色の作業服を着た人が出入りしていた。
とりあえず一回部屋に戻り、Tシャツとショートパンツに着替えてもう一度表に出てみると、中年の女が303号室の入り口の前に立って、引っ越しの業者に、
「それはいらない。そっちは運んでください」などと指示を出していた。
女は美名に気づいて、
「おはようございます。こちらにお住まいの方ですか?」と訊いてきた。
「はい、そうですけど……」
「わたし、303号室の住人だった多田克人の姉です。弟がお世話になりました」そう言って女は丁寧に頭を下げた。
「あの、引っ越しなさるんですか?」美名がそう聞くと、
「まあ、そうですね。弟、先週他界したんですよ」と事も無げに言った。
「え? お亡くなりになったんですか?」美名は驚いて言った。
最近は家にいる気配がないとは思っていたが、まさか死んでいるとは。
「はい。ここからちょっと離れたところにある公園で……。本当にバカな弟です。もともと、重度の鬱病を長く患ってまして、病状は一進一退ということだったんですが。どうしても一人暮らしをしたいというので、叔父夫婦はもう高齢者用サービス付き住居に住むのでこのマンションが余るから、ここに住むことを許可してもらったんですが……」
美名は303号室の多田が亡くなってから、多田の姉を通してようやく多田の詳細を知った。
ときおり廊下やエレベーターで見る、痩せ細っていてどこか常に怯えているような様子の多田の姿を思い出した。鬱病だったと聞いて、あの挙動不審も病気のせいだったのだろうか、といまさらながら思う。
「お悔み申し上げます」と美名は言った。
「ありがとうございます。最後まで定期的に通院はしていたようなんですが、数か月前からは別の精神の病を併発してまして」
多田の姉は明言はしなかったものの、どうやら死因が自殺らしいことは美名にも察することができた。多田の姉は、玄関のドアからマンションの中に視線をやって、大きなため息を吐いた。
「ここのところ、幻聴や幻視も見るようになっていたそうなんです。いくら薬を飲んでも一向に回復しなかったようで」
多田が聞いていた幻聴や見ていた幻視とは、もしかしてポルターガイスト現象では? と美名は思ったが、口には出さなかった。ただ、自分でも自覚できるくらいに、眉間に深くシワを寄せた。
「もしかして、弟はお宅にご迷惑をお掛けしていたかしら?」
「いえ、全然そんなことないです」美名は取り繕うように言う。
「弟はいわゆるブラック企業にずっと勤務してて、20代の後半に限界がきて退職した後、何度か未遂をやってましたから、姉としては弟はこうなるより仕方なかった、というより、こうなってむしろ良かったんじゃないかとも思うんですよ……。二回目に失敗して、何とか一命を取り留めて回復したとき、『なんで助けるんだよ』って力なく病院の先生に恨み言を言ってたくらいですから……」
303号室の引っ越し作業は昼過ぎには終了したようだった。多田の姉が3階のそれぞれの部屋を訪問して、「お世話になりました」と丁寧に頭を下げた。
303号室は今も多田の叔父の所有となっているので、しばらくは空き家のままになるらしい。
「ひょっとしたら売却することになるかもしれませんが、まったく未定です」多田の姉は玄関先で唯介にそう言った。
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