二十九

 自転車で学校に戻ると、すでに部活を終えて制服に着替えた園田が、体育館裏の自転車置き場で美名を待っていた。

 美名は園田のすぐ横に自転車を停めて、

「あ、ごめん。待った?」と言った。

「いや、さっき来たとこだけど。SNSにメッセージ入れといたんだけど、返事が来ないからもう先に帰っちゃったんじゃないかと思ってた」

「え? あ……」

 美名はスマホをバッグのポケットから取り出した。自転車を漕いでいるうちに着信があったらしく、気づかなかった。

「あ、既読になった」自分のスマホのディスプレイを見た園田が言った。

 園田は部活でさんざん運動したせいか、赤く上気した頰にまだ汗を残こしていて、肌にツヤが出ている。

 こうして横に並んでみると、園田は美名よりも25センチほどは身長が高い。肩幅はまるでパットでも入れているかのように広く、よく言えば逞しく悪く言えば威圧感がある。

 ここ数日、こうして一緒に帰宅するようになって互いのことが少しずつ理解できはじめていたが、美名には自分が園田の恋人になったという自覚は、まだあまりなかった。

「それじゃ、行こうか」と園田が言った。

「うん」

 学校敷地内にある、早くも点灯している街灯の光の真下をくぐって、校門を出た。この時間から下校する学生はほとんどおらず、校舎はもう職員室以外は電気は点いていない。

「明日、ウチのクラスの一限、数学なんだよなぁ。吉井先生、指されて答えられなかったら、今どき正座させられるんだぜ。ちゃんと予習しておかないと。いいよなぁ、城岡さんのところは町村先生で」自転車を漕ぎながら園田が言った。

 クラスが違うため、数学の担当の先生は異なる。吉井先生は生徒指導の担当も兼務していて、学校内では特に厳しい先生として有名だった。

「園田くんは、どうなの? 成績のほうは?」

 園田がスポーツの面で優れていることは有名だったが、そういえば学業の成績のほうはどうだか、まったくウワサに聞いたことなかった。

「う、それ聞きますか。正直に言って、下から数えたほうが早い」

 苦り切ったような顔をしてそういう園田が、なぜか少しかわいく思えたので、美名は笑ってしまった。

「城岡さんは、大学どこに行くか、そろそろ決めてるの?」

「まだ具体的には……。でも、できれば県外に出て一人暮らししたいって思ってる。園田君は?」

「俺は、とりあえずサッカーを続けられれば、それでいいかなって。実は、それだけしか考えてない。でもできれば、城岡さんと同じとこか、近所のとこに行ければいいなって思う」

 交差点の手前で信号が赤になったため、ふたりで横に並んで停まった。

 目の前を大型のトラックが、轟音と風をまき散らしながら通り過ぎて行った。

「あのね、園田くん」

「何?」

「えっと……、オバケとか幽霊って、信じる?」

 園田はその美名の質問に、意表を突かれたという顔を隠さなかった。

「なんか、唐突な質問だなぁ。城岡さんは、そういうオカルトとか興味あるの?」

「いや、ぜんぜんそんなんじゃないけど……、ほら、莉乃ってかなりのオカルト好きじゃない。いつもお昼ご飯いっしょに食べてると、ずっと怪談とか都市伝説の話ばっかりしてるんだよ。だから、ほかの人はどうなんだろう。信じてるのかなって思って」

「そう。正直に言って、ぜんぜん信じてないかな。見たこともないし、テレビとかでやってるのも、たぶん全部ヤラセなんじゃないかな。だいたい、人の怨念が死んだ後も残るっていうなら、世界中怨念だらけになってなきゃおかしいよ。だから、牧場さんみたいに好きな人には申し訳ないけど、普通に考えて有り得ない」

 園田のその答えを聞くと、美名はなぜか少し寂しいような気持ちを覚えた。

 なぜ自分がそんな気持ちになったか。おそらく、園田が信じる人ならば、今マンションで起こったことを相談しようと期待していたのだ、と美名は瞬時に自分の気持ちを分析した。

「城岡さんは、信じてるの?」

 そう問われて美名は、

「いや、ぜんぜん信じてない」と即答した。

 信号が青になったので、再び自転車のサドルに乗ってペダルを漕ぎ始める。

「でも、毎日こんな遅く帰ってて、ご両親には何も言われない? 城岡さんは部活やってるわけじゃないのに」

「えっと、ウチちょっと今、家族のなかでゴタゴタしててね……。だから、家に居るのが苦痛なんだ。でもまあ、大したことじゃないし、そのうち解決できそうなんだけど。ウチね、母親がバツイチで、今のお父さんはお母さんの再婚相手で、ちょっと事情が複雑だから……」

「そっか。何か、変なこと言わせちゃったみたいで、ごめん」園田はちょっと俯いた。

「ううんぜんぜん、構わない」

「ということは、今のお父さんは、義理の父親ってことになるんだね。どう? お父さんは、優しくしてくれる?」

「うん……」美名は消え入るような声で言った。

「そう。よかった」と園田は無邪気に笑った。

 ふたりは角に小型の本屋がある交差点までやって来た。美名のマンションはここを右折、園田の家はここから真っ直ぐいってさらに3キロほど先にある。

 あたりは徐々に暗くなっていて、信号の手前にあるオレンジ色の街灯が夕焼けの残光と混じっている。

「それじゃ、バイバイ」と美名が言って、右手を軽く挙げた。

「ちょっと待って」

 園田はそういうと、その場に自転車を停めてサイドスタンドを立てた。

 なんだろう、何かまだ言いたいことがあるのだろうか、などと思っていると、園田の顔が上から落ちてくるように迫ってきて、美名の唇に何かが触れた。

 緊張した表情の園田の顔が離れて視界に入ってきたとき、ようやくキスされたということに気づいた。

「また、明日」そう言って彼は自転車にまたがると、信号が青になった横断歩道を走り去って行った。

 美名はその後ろ姿を、見えなくなるまで見送った。


 家に帰って玄関を通ると、リビングの雰囲気が少しだけ変わっていた。天井を見上げると、照明が大きな丸い円盤状のものに変わっていた。

 美名の疑問に気づいたのか、

「蛍光灯が割れたついでだから、LEDの照明に交換したんだ。電気代も安くなるし、前のより明るいから」と唯介が言った。

 テーブルの上には、夕食のアジフライが用意してある。真子も宏司もテーブルに着席していた。

 先日の本棚が倒れたのがきっかけとなって、夕食だけは宏司も部屋から出てきて、一緒に摂るようになった。

「ほら、美名ちゃん。ごはん食べるから、はやく席に座って」と唯介がせかすように言った。

 真子は先週の蛍光灯が割れた日以降、家のことが心配になったのか、外泊しなくなっていた。

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