二十七

 301号室で会合が開かれたちょうど一週間後の月曜日の放課後、美名は学校から自転車に乗って市立図書館に向かった。

 梅雨の間の晴れた日で、図書館の自転車置き場に到着すると、15分ほどしか走ってないにもかかわらず、こめかみの横を汗が伝って落ちた。

 図書館の二重になっている自動ドアをくぐると、すでに館内は冷房が効いていて長袖のブラウスの袖から冷たい空気が入ってきた。

 美名は図書館の貸し出し受付カウンターの前に行くと、デニム生地のエプロンを付けたロングヘアの若い女性職員に、

「すみません。ちょっと、昔の地図を調べたいんですけど」と言った。

「昔の地図? 古地図ですか?」

「いえ、50年前かそれよりちょっと古いか、それくらいのでいいんですが」

「あ、はい。それじゃ、こちらへどうぞ」

 職員はカウンター後ろに釘に掛けられている鍵をひとつ手に取ると、カウンターから出てきて歩き始めた。

 美名はそのうしろを付いていく。カウンターのすぐ手前にある木製の椅子には、白髪が長く伸びて黒ずんだジャンパーを着ている老人が、机に突っ伏して寝ていた。

 学生が勉強をする自習室の横にある、「書庫室C」という扉の前に立つと、職員は鍵を開けて中に入った。書庫室Cは学校の教室ふたつぶんくらいの広さがあり、出入口のすぐ正面に事務用の机が無造作に置いてある。そのほかは、天井まで届く木製の本棚が、人が通る1メートルほどの隙間を残して木立のように並んでいるばかりだった。ところどころに、高いところにある本を取るときの踏み台代わりにするのか、パイプ椅子が本棚に立て掛けてあった。

 書庫内は冷房の風が入ってきてないため、古い紙のにおいと混ざった独特の粘り気の空気で満ちていた。

「地図は12番の棚ですね。館内でお読みになるぶんには構いませんが、貸出は不可となっていますので、必要な個所がありましたら、コピーをお取りします。用事が終わったら、またカウンターまでお声がけください」職員は事務的にそう言うと、書庫から出て行った。

 小学校6年のころ、美名は唯介に手伝ってもらいながら、夏休みの自由研究で「昔の町と今の町」というテーマで、自分の住んでいる街がどのように変遷していったかを調べて、市の優秀賞をもらったことがあった。

 そのときに活用したのが、この図書館だった。図書館には昔発行されて市販されていた地図が、何年ぶんもきちんと保存されている。

 自分が住んでいるマンションの敷地が、昔はひょっとしたら墓地や火葬場など、何か曰くのある場所だったのではないか。それがポルターガイスト現象の発生原因になってるのではないか。それを調べるのが美名の目的だった。

 先日偶然見つけたマンションの手抜き工事の書き込みのことは、唯介にも真子にも知らせていない。もちろん理佐や知子にも言っていない。

 あの内部告発の示す物件が美名の住むマンションだと決まったわけではないし、そもそも匿名掲示板の書き込みの信憑性など、ゼロに等しいと言っても過言ではない。わざわざ知らせる価値もない情報だろう。

 美名は書庫の棚から、おそらくは不動産業や建築関係者などのプロが使うような、10センチ以上もありそうな分厚くて重い地図を両手で棚から引き出した。背表紙には「2000年版」とあった。

 目次で自分の住んでいる市内「山之井」の載っているページを探して開いた。

 当然、そこにはマンションはまだ建っていない。しかし、今とは道路の場所も微妙に異なっているため、その地図ではどのあたりが今のマンションがある場所なのか、なかなかわかりずらい。家から100メートルほど離れたところにある、流域幅5メートルほどの川を目印にして、おおよその場所の目安を付け、今はマンションが建ってる土地の昔の姿を見た。

 古い住宅らしき小さい建物が二軒ほど並んでいて、その周りは田んぼを示す地図記号ばかりになっている。今はその場所に住宅は立っていないので、このあたりが今美名が住んでるマンションの場所に違いない。

 その地図を閉じて、両手で持ち上げて棚に戻すと、今度は同じ出版社の物の「1960年版」を開いた。唯介も真子もまだ生まれていないころの地図だ。

 川の位置を頼りに、また同じように探す。やはり二軒の家が建っているばかりだった。

 次に「1950年版」を開いた。これだけ古いものになると、さすがに紙の材質が今のものよりも悪いらしく、ページの端が粉を噴いたように細かい繊維がむき出しになっている。

 この地図では、住宅は一軒しかな。どうやら、1950年から1960年のあいだに田んぼを造成して家を建てたらしかった。火葬場や墓場もしくはお寺など、何か心霊現象に関わりそうな建築物は見られない。

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