三章

二十六

 翌日の午後7時を過ぎたころ、301号室のリビングで、マンションの3階の住人が集まり、会合が開かれた。

 出席者は鷺宮夫妻と吉田夫妻、そして美名の父母である城岡夫妻の六名が出席した。303号室の多田にも声を掛けようとしたが、インターホンを何度押しても居留守を使っているのか、まったく出て来ず、為す術もない。多田は最近は、あまり部屋から出入りしている様子も見られない。

 話し合われた内容は、マンションの3階で頻発するポルターガイスト現象についてだった。

 さらに踏み込んで、お祓いをする場合どの霊能力者に依頼するか、そしてその費用をどう分担するか、ということも話し合われ、吉田夫妻、城岡夫妻と理佐は意見が一致していた。しかし、会合の途中で帰宅して話し合いに参加した理佐の配偶者である鷺宮英一郎は、強く反発した。

「ポルノ現象かガソリン現象か知らんが、アホらしい。幽霊なんかおるわけないやろ」最年長で、もはや定年退職していてもおかしくない年齢の英一郎は、関西訛りの喋り方で一同を恫喝するように言った。

 その迫力に誰もが縮こまったが、理佐だけは夫に食ってかかるように反論する。

「だって、みんな何かしら変な経験してるのよ。幽霊の仕業かどうかはともかく、普通ではない何かが起こってるのは事実なんだから」

「黙っとれ。ワシはそんなん、一回も遭ったことない。お前ら揃いも揃って、どこぞの悪い宗教にでも騙されてるんとちゃうか。霊能者か拝み屋か知らんが、なんでそんな香具師やしにカネ払わなならんねん」

「わたしの貯金から出すんだから、いいじゃない。あなたに何かしてってお願いしてるわけじゃないわ」

「何が心霊現象やねん。幽霊が電磁波を出す? バカも休み休み言え。お前ら全員、文系か。電磁波って何か、学校で習わんかったんか? ほな、電子レンジの中には幽霊が入っとるとでも言うんか。幽霊なんぞ、おらん。おったとしても、実体のないモンが生きてる人間様に危害を加えられるはずないやろ。女学生でもあるまいし、そんなんにカネ使うくらいなら、トンボリ川にでも捨てたほうがマシや」

「何よ、その言い方。このマンションで安心して生活するために必要なお金なのよ!」

「マンション買うたんはワシのカネやろ。なんでお前に口出しされなあかんねん」

 親子ほど歳の離れた鷺宮夫妻は、人前も憚らず夫婦喧嘩のような口論を始めた。

 吉田知子の配偶者である吉田裕次郎は特に意見を言わなかった。妻である知子にすべてを任せる、というスタンスのようだった。

 一言だけ、

「僕には人が死んだ後はどうなるのかわかりませんが、仮におかしな現象を起こしてるのが幽霊だったとして、お亡くなりになった方を弔う気持ちは重要だと思っています」とだけ言った。

 この日は合意を形成することはできなかった。

 会合が終わった後、唯介が二階、四階、五階の住人にも、それとなく「深夜に騒音がしないか?」ということや「マンションでへんな現象が起こってないか?」ということを聞いて回ったが、全くないという返事ばかりだった。

 翌日、吉田裕次郎がマンションの管理会社にも問い合わせて、お祓いの費用は積み立ててある修繕管理費から支出することは可能か、ということを尋ねてみたようだが、まったく相手にされなかった。むしろ、変な噂をマンション内で流すようなことがあったら、それなりの責任を負わなければならなくなりますよ、と穏やかに凄まれた。


 美名は学校から帰宅する時間が少し遅くなった。

 いつどんな形で心霊現象が発生するかわからない自宅にいることは極力避けたいという気持ちが強かったのもあるが、恋人という関係になった園田北斗と下校するためだった。

 園田はサッカー部で活動しているため、帰途に就くのは毎日午後6時半を過ぎてからだった。美名は毎日4時10分前にホームルームの時間が終わってから約二時間あまり、莉乃とおしゃべりをしたり、放課後のクラスで宿題をやったり、校庭で活動してるサッカー部の練習を見たりしながら、時間をつぶしていた。

 正直なところ、園田のことが好きだったわけではなかった。ただ、家庭のことも含めて、もう重圧で押し潰されそうになっていたため、誰かに頼りたかった。それだけだった。

 美名と園田は、学校から帰る方向が途中まで同じで、分岐点にいたるまでの間ふたりで自転車に乗って約20分、学校や部活のことなどをしゃべりながら帰る、それが恋人らしい唯一の行動だった。

 土曜と日曜は園田の部活が他校との練習試合になることが多く、なかなか会えそうにないが、月に一回くらいは二人で会えそうだ、と園田は言っていた。

 しかし、本当に自分なんかが人気者とはいえ、普通の高校生である園田と付き合ってもいいのだろうか、という不安はあった。

 女子に人気だったサッカー部の園田と美名が恋人の仲になったらしいということは、同学年のあいだでは一気に広まったらしい。二回ほど、名前も知らない女子に廊下ですれ違いざまに軽く睨まれることがあった。

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