三十五
「それではまた後日、具体的な日にちを改めてお知らせいたします。お急ぎのようですから、なるべく早くできるよう調整いたしましょう。しかし……」
そう言って須磨は再び黙ったが、やがて決まりが悪そうな表情で、
「本格的な浄霊の儀式となると、それなりのお気持ちはお納めいただきますが、宜しいでしょうか」
「おいくらですか?」唯介が遠慮せず尋ねる。
「150万円いただきます」
即座に頭のなかで三で割って、一部屋あたり50万円と計算した。高校生である美名にとっては、その金額は大金以外の何物でもない。しかし、このマンションから出て行って、別にアパートを借りて引っ越した場合に要する費用と比較すれば、決して高いものではないのかもしれない。もしくは、さっき理佐が言ったように、「気のせい」で下がる不動産価値のことを考えれば。
「わたし、支払います」と理佐が真っ先に言った。
「ウチも、お願いします」知子が遠慮がちながら言う。
唯介と真子は顔を見合わせて、何やら合図をしていたが、
「お願いします」と唯介が言った。
「承りました。とりあえず、本日はこれでいったんおいとまさせていただきます。先ほど申し上げました通り、また後日連絡いたしますので、お待ちください」
須磨はビジネスパーソンのように頭を下げると、エレベーターに乗って降りて行った。
その日の夜、美名は夕食を済ませた後、まだ午後8時にもなってないというのに、とりあえずこの混乱がどうにかなる見通しが立って少し安心したのか、ベッドに入るとすぐに眠ってしまった。
そして、夜中の一時を過ぎたころにいったん目が醒めた。ひどく喉が渇いている。
台所に行ってお茶でも飲もうと、起き上がってドアノブを回そうとすると、ドアを隔ててリビングから話し声が聞こえて来た。唯介と真子の声だった。
「どうした? まだ寝ない?」と唯介。
「うん。なんか、目が冴えて」
「部屋でなんかあるの?」
「いや……そういうわけじゃないけど、ちょっとでも物音がすると、あのポルターガイストなんじゃないかと過剰に反応しちゃってね」
「コーンスープでも飲む? インスタントのだけど」
「ありがとう」
ここ何年か、母と継父である唯介が、夫婦らしい会話をしているところを美名はまったく聞いていなかった。なにせ、夫婦関係は完全に破綻し切っていたのだから。ドアの向こうから聞こえてくる二人のおだやかな声が、奇跡を告げる福音のようにも聞こえる。
「最近、仕事どうなの?」
「うん。特に変わりはないんだけど、頼りがいのある同僚が小児科のほうに移動になってね、ちょっとたいへんになったんだけど、まあ、なんとか」
「そう。君に頼りっぱなしで、本当にすまないと思ってる。僕は甲斐性なしだし、最低の人間だよ」
「そんなことないわよ。わたしが稼ぐから仕事やめて主夫やってくれって頼んだの、わたしなんだし。わたしこそ、家のこと全部あなたに投げっぱなしで、遊んでばっかりで、ごめんなさい」
「いいんだよ、気にしなくても」
「本当?」
ふたりの会話を聞きながら、美名は知らず知らずのうちに涙を流していた。嗚咽が漏れないように、ベッドに入って布団を頭からかぶった。
憎しみを通り越して、互いに無関心にすらなりつつあった夫婦が、マンションの怪奇現象を機会として修復されつつある。
ひきこもりだった兄も、伸びに伸びた髪の毛をばっさりと切って、毎日一度はどこかに外出するようになった。
あれほど切に望んでいた家庭の平和が、家族の絆が、こんな形ではあっても、とにかく取り戻せる。
城岡家に、変化が起きつつある。
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