俺は幽霊。

短いイントロから曲は始まった。

熊井さんの優しい歌声。

初めて曲を聞かせてくれた時のようなアップテンポの曲ではなくバラードのようなゆっくりした曲調の曲。

前の時の曲は熊井さんの元気な部分がわかるような感じだったのに対して今回は熊井さんの優しい部分がわかるような感じがする。

熊井さんはこんな俺でも受け入れてくれた。

普通に考えたら幽霊の俺なんか普通受け入れられない。

恐怖するかもしれない。逃げ出すかもしれない。しかし彼女はそうではなかった。

俺の話を聞いてくれた。俺と一緒に色々な所に行ってくれた。俺が自分を許すきっかけをくれた。

そんな全てを包み込むような歌声だった。


熊井さんは楽しそうに歌う。

これは初めて歌を聞いた時にも思っていたが歌を歌うというのはこんなに楽しいことなのかと初めて知った。

こんな俺でも何回かカラオケには行ったことがある。

音外れてないかなとか下手だと思われてないか等、歌うことを楽しむというよりかは周りにどう思われてるかということに意識がいってしまい歌う事は楽しい事という考えすら浮かばなかった。

熊井さんを見ていると自分もこんなように歌えたら楽しいだろうなと思う。そんな感じで彼女は歌うのだ。自由に、そして伸び伸びと。


彼女が歌っている歌は自分が挫けそうな時に傍にいてくれる存在の歌だろうか。

その人に感謝しているんだろうなということがすごく伝わる。感じられる。

人からこんなように思われるのはどういう気持ちなのだろうか。人に頼られることがほとんど無い俺にはよくわからない。

それでも彼女がこんなに嬉しそうに楽しそうに、そして……愛おしそうに歌ってるのを見て心が暖かくなる。

もしかしたらその人は熊井さんの好きな人なのかもしれない。

人に好きなってもらったことは俺にはないが好きな人が好きな人に思いを寄せるのは何回も見たことがある。

その時に人はなんだか不思議な匂いがする気がする。甘い匂いのようなスパイスが効いたような不思議な匂いがする。

今歌っている熊井さんからもそんな感じの匂いがする気がする。


そしてAメロ、Bメロが終わりサビに入る。

熊井さんが息を吸い直す音が俺の耳に触れる。





君は幽霊

君は幽霊


悲しみとか苦しいことで逃げそうだった時に


君がくれたその言葉が


君は幽霊

君は幽霊


それでもいいと私に教えてくれた


思い出す

笑い出す

憶えてる


君は幽霊





目から涙がこぼれ落ちる。

彼女に俺は助けられてきた。

それは俺だけなのかと思っていた。

しかしそうではなかった。

彼女は彼女に出来る最高の方法で感謝を伝えてきたのだ。

俺も思い出す。

初めて聞いた熊井さんの歌を。

あの時泣いていた俺を見て彼女は笑っていた。

そうだ。そうだった。

俺も憶えている。

彼女の笑顔を。

そして楽しそうな彼女を。

俺は幽霊だ。

熊井さんの、彼女の幽霊だ。

歌い続ける彼女を見ていたい。

そんな感情とともに涙が溢れてくる。


「どんな感じの曲とミュージックビデオにするかもう決めてるんです!」


彼女の最初の曲は他でもない、俺の曲だ。

これほど嬉しいことはあるだろうか。

だから彼女は頑なに俺が前に座って聞くことにこだわったのか。

だから彼女は最初の曲は俺に内緒だったのか。

全てが繋がった。

ある意味これは告白だ。

彼女から俺への感謝の告白。

人に感謝されたことがほとんどない人生はここで終わり。

ここまでのことをされて感謝されたことがないなんて口が裂けても言えないな。


そのまま二番のAメロ、Bメロ、サビ、大サビが続く中俺は涙が止まらなかった。


曲が終わると彼女は持っていたピックをギターの弦に挟む。

右手の手のひらを上にして俺の方に伸ばす。

そして穏やかな笑顔を浮かべながら一言唱う。


「君が幽霊」

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