普通で平凡なよくある話。
熊井さんは十五時前にバイトに向かって行った。
「今日は二十一時過ぎに帰ってきます。帰ってきたら続きを見ましょう」
彼女はそう言って玄関を飛び出して行った。
刻一刻と消失のタイムリミットが迫ってくる。
今では不思議と自分が消えてしまうという事実に恐怖は感じない。
死んだことで救われた事はなかったが、得た事はあった。
単純にこの時間の為に幽霊になったのかもしれないと思うほどだ。
昨日の夜に大方思い残す事をやっていたのでやることがあまりない。
こういう時の六時間は意外と長く感じる。
この数日間はあっという間だった。
自殺をしたと思ったら幽霊になっていて、トラックに轢かれそうになっていた女性を助けて彼女の歌を聞きいた。
そして一緒にアニメを見て……
ほんとうにあっという間の数日間だった。
まさにアニメ的な展開の日々。
今まで何もなかった分死んでからまとめて来たのかもしれない。
劇的ではなかったかもしれない。
圧倒的ではなかったかもしれない。
けれどちょっとだけほんのちょっとだけアニメみたいな人生を歩みたかった俺の願いは叶っていた。
ボーとテレビを見る。
明日の東京の天気は晴れみたいだ。
明日の天気に続いて一週間の天気が始まる。
俺がいなくなってからの天気なんぞにそんなに興味はないが晴れが続くらしい。いなくなってからも晴れが続くというのはまぁ気分的にはあまり悪いものではない。
そんなことを思いながら俺は目を閉じた。
◇
「さん……松さん……末松さん」
俺は軽く肩を叩かれ目を覚ます。
気が付かない内に寝てしまっていたみたいである。
「末松さんが寝てる間にご飯とお風呂を済ませておきました!」
時間は二十二時半。
熊井さんが帰ってきてからそこそこ時間が経っていたみたいだ。
「さて、お楽しみの!続きを見ますよ!!!」
彼女はやはり楽しそうにDVDプレイヤーを操作している。
この楽しそうな姿を見るのも最後だと思うと少し残念な気持ちになる。
前回までのあらすじをキャラクターがざっと説明しオープニングに入る。
何回も見たシーンだがやはり名残惜しい気持ちでいっぱいになる。
物語はクライマックスに向けて話がどんどん進んでいく。
主人公達は今後の自分達の進む道を決め夕陽に向かって叫ぶ。
やっぱりこの九人なんだよ―――。
そして全員で号泣。
俺は大号泣。たぶん主人公達より大号泣していた。
いつもはほろりと目から涙が垂れてくるような感じで泣いていた熊井さんも声を押し殺して泣いている。
そしてメンバー全員で歌うエンディングを終えて12話へ。
最終回の前の最後の話だ。
最後の練習。最後のお泊り会。
最後のライブ。最後の演技。
そしてアンコール。
もう涙腺のダムが役割を忘れてしまったかのように涙が止まらない。
隣の熊井さんももう声を押し殺せないぐらいの号泣具合だ。
そんな中画面が変わり映し出されるのは1期のオープニング曲を踊る主人公達。
演出が神!!!!
うん!神!!!!
語彙力などいらない。
もう何万字の言葉でも表すことのできない感動。
そう一言、言わせてほしい。
神。
「明日、最終回ですね」
熊井さんは落ち着いてからボソッと言った。
「この話も明日になったら終わっちゃうんですね」
彼女は名残惜しそうな声で言う。
俺も色々なアニメを見てきた中で、もちろんこういう思いはたくさんある。
物語が終わってしまう。
もっと見ていたいという気持ちは何回経験しても慣れない。
「物語が終わるのは寂しくて悲しいですが、また違う物語との出合いもありますよ。だから僕はアニメが大好きなんです」
一つの物語が終わり、また始まる。
そうやって色々な物語と出会って別れる。
でも自分の中からその物語が無くなるわけではない。
色々なものを見て、新しく感じる事もあるだろう。
だから俺は言う。
「熊井さんと、この物語を見れて、俺は楽しかったです」
1つの物語が終わる。
そう明日、1つの物語が終わる。
それはなんてことはない、よくある普通の物語だ。
劇的でもなく圧倒的でもなく、ただ普通の、平凡な物語。
それを俺は悲しくは思わない。
嘆かわしいとは思わない。
残念だとも思わない。
ここにそんな普通で平凡なよくある物語を知ってくれた人がいるから。
物語は先に進む。
もしかしたら劇的ではなく、圧倒的でもないかもしれないけれど、普通で平凡な物語を持って先に進む。
それだけで十分だ。
俺はそう思いながら彼女に笑みを向ける。
「末松さん、明日デートをしましょう」
彼女は俺の方に顔を向けながら静かに言った。
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